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ファティマの預言書 Ⅰ

 東京都中央区、京橋二丁目。

 東京駅から歩いて十分の所にある時代に取り残された古いビル。

 五階に上がるまでに三十秒はかかるエレベーターに乗り、突き当たりのドアを開けると、ビルと同じ年月を生きてきたと思われる男があたしを待っていた。


「紫堂黎子様が遺されたのはこれです。」


 小さなシワだらけの手が差し出した箱をあたしはしぶしぶ受け取った。

 このビルの主、神原という老人は母さんが雇った弁護士だった。

 彼と初めて会ったのは通夜の晩。

 マスコミに囲まれ、困り切っていたあたしを助けてくれたのが彼だった。

 その後も神原さんはこれといった親戚のないあたしの後見人となり、何くれとなく面倒を見てくれた。

 今では祖父が生きていたらこんな感じなのかなとすら思っている。


「ト、トランプ・・・・?」


 母さんの遺品とは銀のケースに入った古いトランプだった。


「はい。それは代々黎子様のお家に伝わってきたものだそうです」


 神原さんは不器用な手つきで入れた日本茶を勧めてくれながら言った。

 そうそう、あたしの母方の曾祖母はフランス人だった。

 外交官だった曽祖父がフランスに駐在していた時にふたりは恋に落ちたのだという。

 けれど、もともと身体の弱かった彼女は自らの子供と引き換えに還らぬ人となってしまった。

 曽祖父は仕方なく、生まれたばかりの祖母を連れて帰国した。

 だから、母はおろか祖母さえも曾祖母の顔を知らない。

 残された写真を見ると、儚げな白い花のような美少女だけど。

 おかげ様でというかなんというか、祖母も母も異国の血が混じったと思えない純日本人的な容貌で、いくら戦争が終わったとはいえ、見るからにハーフといった外見では当時の閉鎖的な社会を生きるのは難しかったろうから二人とも運がよかったといえる。

 それなのに、何故か二代挟んだあたしと聖樹にフランスの血が色濃く出てしまった。

 明るい茶色の髪に(はしばみ)色の瞳。すらっと伸びた手足に白い肌。例えるなら、西洋と東洋のごっちゃまぜといったふう。

 初めて会った人には大抵「ハーフなの?」と聞かれる。最近ではいちいち1/8と説明するのも面倒臭いので「まぁ、そんなとこ」とごまかしている。


「警察の調査は進んだんですか?」


 神原さんが入れてくれたお茶を一口啜ってから訊ねる。あたしは少しでも犯人の手がかりを知りたかったのだ。


「ガス爆発ということで調査を終えるようです」


 今までの経過から警察がそういう結論を出すだろうとわかっていた。それなのに何故だろう、世界中からそっぽを向かれた気分になるのは。


「それで聖樹は・・・・?」


「それも・・・・家出ということで決着させるようです」


 漸くといった態で吐き出した神原さんの声が遠くに聞こえる。彼だってこれをあたしに伝えるのはつらいのだ。でも、こんな茶番に耐えることはもう出来ない。

 ガス爆発?そんなことがあるもんか。

 まるで結界でも張ったように紫堂家だけを一瞬にして焼き尽くすなんて。

 しかも、彼らだって言っていたではないか、『誰も爆発音を聞いていない』と。

 彼らは怖いのだ、この事件に関わるのが。

 どこから上がったかもわからない火の手。

 ありえないほどの高温で、一瞬にして焼かれた家。

 それより何より、存在したはずの聖樹が煙のように消えうせた事実が。

 聖樹と冴子の二人は、紫堂家が火にまかれる寸前まで電話していて、冴子は携帯の向こう側に両親の笑い声を聞いたという。

 聖樹はあの瞬間、冴子が帰ってくるのを待って、間違いなく家にいた。それなのに何故、聖樹の遺体だけがないのか、瞬間移動でもしたように。


「わかりました」


 湯呑み茶碗を茶卓に戻すと、あたしはそそくさと立ち上がった。

 もうここには用がない。どんな手段を使っても両親の敵を取ると決めた今、無駄に出来る時間など少しもないのだ。


「緋奈さん、待ってください!」


 神原さんはノブにかけたあたしの手を老人とは思えない力で掴んだ。


「まだ、お話があります」


 いつにない強い調子に振り返ると、そこには何かを思いつめた人間がいて、あたしは彼が自分と同じくらい心を痛めているのを知った。


「これを・・・・」


 神原さんがソファーに戻ったあたしに白い封筒を差し出してきた。


「あなたのお母様はご自分たちの死を予感しておられました。そしてそれに向けてあらゆる準備をなさったのです。

 ところで、緋奈さんは『ファティマの預言書』をご存知ですか?」


 あたしは、わやくちゃになった頭をぶんぶんと振った。


「ファティマの預言書とは、一九一七年五月十三日、ポルトガルの小さな村ファティマで、聖母マリアが告げた三つの預言のことです。

 第一の預言は『第一次大戦の終結』

 第二の預言は『第二次大戦の時期と核兵器の出現』

 そして、二〇〇〇年にようやく公開された第三の預言は『ヨハネ・パウロ二世の暗殺』というものでした。

 ですが、当時の法王パウロ六世(在位1963~1978)が読んだ途端、あまりの恐ろしさに失神した第三の預言がただの法王の暗殺であるわけがありません。

 そして、前法王ヨハネ・パウロ二世は二〇〇〇年に来日した際、あなたのお母様に真実の預言をお話しになったのです」


 そこまで一息に話した神原さんは冷め切った緑茶を一気に飲み干した。

 そして、あたしの戸惑いに気付かないまま、話を続ける。


「ヨハネ・パウロ二世がお話しになった真実の第三の預言とは『ゆらぎの世界侵略と救世の乙女』についてでした」


「へっ? それってジャンヌ・ダルクみたいなのが現れて世界を救っちゃうってことですか?」


 すると神原さんはめちゃ真顔で、


「緋奈さん。“ゆらぎ”と戦う救世の乙女とはあなたのことですよ」と、言って寄越した。


「はぁ? もしかしてインフルエンザに罹ってタミフル飲んじゃいました?」


「タミフルも飲んでませんし、インフルエンザにも罹ってません!

 緋奈さん、あなた、本気にしてませんね?」


「やっだぁ~。そんなの当たり前じゃないですか。

 あたしはただの女子高生ですもん。RPGじゃあるまいし、世界なんか救えません!」


 あたしはあっけらかんと笑い飛ばした。


「RPG、なんですかそれ・・・?

 まぁ、緋奈さんが信じられないのも無理ありませんが。

 とりあえず、黎子様からのお手紙をお読みになってください」


 神原さんはわざとらしくこめかみを揉み解すと、ずずっと手紙を押し付けてきた。

 あたしは彼の迫力に負けて手紙を受け取り、前髪を止めていたピンで一気に封を破った。

 出てきた便箋には、予想外に整った母さんの文字が踊っていた。


『紫堂緋奈様。

 神原さんからゆらぎの話は訊いた?

 あたし達はある人(?)から自分たちが死ぬ運命だと聞いていたの。

 そりゃ死にたくなかったから色々あがいてはみたのよ。

 でも、どうしてもムリだった。聖樹を巻き添えにしないことが精いっぱいだった。

 えっ、なんでゆらぎがあたしと大樹を殺したかですって?

 実はね、母さんちは、かのジャンヌ・ダルクの末裔なの。

 トランプはその証として代々継承して来たものなのよ。

 そして、あんたはただの子孫ってだけじゃなく、彼女の使命を受け継ぐもの、ぶっちゃけ、ゆらぎを殲滅する使命を持って生まれてきた乙女なの。


 ゆらぎっていうのはね、人の醜い感情を吸い取って成長する化け物なんだけど、漠然とした負の感情より、自分に直接向けられた負の感情の方がより自分を強大にするってジャンヌと戦った時に気付いちゃったのね。

 だから、どうしても敵が欲しかったゆらぎは、あたしと大樹を殺すことにしたの。

 だって「ゆらぎ退治があんたの使命よ」って言われたとこで、なんの理由もないのに「んじゃ退治しよう」とか考えないでしょ?だからよ。


 緋奈、これだけは覚えていて欲しいんだけど。

 あんたがジャンヌの継承者である以上、周りに少しずつ人が集まってくる。

 でも、それは味方が増えるって利点だけじゃなく、“ゆらぎ”の力を増大させる難点、すなわち両刃の剣でもあるの。わかるわね?


 ところで、そんな緋奈ちゃんに素敵なお知らせ。

 そのトランプは素晴らしいオプション付きなの。めちゃくちゃイケメンのね。

 彼はどんな時でもあんたを助けてくれるわ。

 これからはあたし達の代わりに彼と一緒に生きて行きなさい。


 緋奈、最後にひとつだけ言っとくわ。

 もし、あんたがイヤなら世界なんか救わなくていいのよ。

 あんたはあんたの好きなように生きていきなさい。それだけがあたし達の願いなんだから』


 手紙を読み終えたあたしはなんだか笑ってしまった。

 手紙の中の母さんが相変わらずだったから。


「わかりました。っていうか、まだわからないことだらけなんですけどね。

 取りあえず、このトランプのオプションっていうのは何なんですか?」


「代々の継承者を守護する騎士だそうです。

 黎子様は、導きの騎士と言われていましたが」


「それで、その導きの騎士さんとやらにはどうやったら会えるんですか?」


「さぁ、わたしにはわかりません、彼に会えるのは継承者(あなた)だけですから。


 ただ、あなたがそのトランプを持っている以上、そのうちひょっこり顔を出すのではないですか」


 この時、神原さんが意味ありげに笑った意味を後からしみじみ知るんだけど、それどころじゃなかったあたしは必要以上に突っ込まなかった。


「そうですか。とりあえず、今日は帰ります。

 色々ありがとうございました」


 きっちゃないトランプを手に事務所を出ようとすると、妙に明るい神原さんの声があたしの背中を追ってきた。


「緋奈さん、わたしはあなたという犠牲がなければ救えない世界なんてぶっ壊れてしまってもいいと思っていますよ」


 あたしは振り返らずにそのまま頷いた。

 だって返す言葉がなかったんだもん。

 神原さんの事務所を出て、今にも止まりそうなエレベーターから降りると、目が覚めるような秋の空。昨夜の雨がスモッグを浄化し、東京の空をきれいに晴れ渡らせたのだろう。

 何か進展したのかな?

 母さんも神原さんも“ゆらぎ”と呼んでいた。

 たぶん、あの大きなブラックホールのことだろう。

 そして、あたしは大きな勘違いをしていたらしい。

 “ゆらぎ”はあたしを殺しそこなったんじゃない、最初から殺すつもりなんかなかったのだ。ヤツは敵が欲しいという陳腐な理由で父さんと母さんを殺したのだから。

 それでも、あたしはまんまと踊らされるしかない。

 ヤツの思い通りだろうとなかろうと、復讐以外にあたしの生きるすべはないのだから。それに、聖樹のことがある。弟は、聖樹は、たぶん・・・。

 “ゆらぎ”、あんたの青薔薇の挑戦状、受けてやるわよ!

 世界を救うためじゃなく、あたし自身のためにね。

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