あかつきにみた夢 Ⅲ
「そんなの絶対ダメだよ!」
あたしはそう叫ぶと、鼻水を垂らしながら泣いた。
明け方に見る夢は正夢なのだと父さんが言っていた。
なら、さっきまで見ていた夢は本当にあったことなんだろう。
『竜神は“ゆらぎ”に憑依されたのではない、自分の意思で“ゆらぎ”になったのだ』
そこに同情すべきどんな理由があっても。
だとするなら、あたしが竜神様にしてあげられるのは、ただ泣くことだけだ。
たぶん、彼はあたしの同情なんかいらないだろうけど。
だからこれは一方的な押し付け、同じように大事なものを失った仲間としての。
人は大事な人を失った時、その人を失ったことが一番悲しいのだと考える。
けれど、それはちょっと違うんじゃないかなと思う。
人は大事な人を失ったことより、これからその人と積み重ねて行けただろう時間を失ったことが一番悲しいんじゃないかな。
例えば、あたしなら父さんが作ってくれたご飯をみんなでわいわい話しながらながら食べる、そんな今まで当たり前に過ごしてきた時間を奪われたことが一番腹立たしい。
たぶん竜神もそうだったんじゃないかな?。
そりゃあ、あの時代だから、楽しいことばかりじゃなかっただろうけど、キサナや村の人たちとこれからも積み重ねていけたはずの時間を奪われたことが、一番悲しかったんだ、きっと。
だから、竜神がその時間を奪ったものを憎むのは当然だ。
あたしが“ゆらぎ”を憎むのと同じように。
あたしの時間は、父さんと母さんを失ったときに止まったまま。傷口もぱっくり口を開けたまま、少しも癒えちゃいない。
そう、あたしは本当に本当に自分の家族が大好きだった。
「竜神様、ごめんなさい」
あたしはあなたに同情はするけど、あなたを滅ぼすことを躊躇ったりしないよ。
そりゃ、“ゆらぎ”に乗っ取られただけっていうなら、こんなあたしでも助けられたのかもしれない。
でも、“ゆらぎ”そのものになったしまったあなたは紛れもなくあたしの敵。だから、この夢を見せたヤツの策にうまうまと乗って手心を加えたりできないんだ。
だから・・・・。
「本当にごめんなさい」
あたしはベッドの上に正座すると、守ヶ淵のほうへ向かってぺこりと頭を下げた。
「緋奈、何をしているのですか?」
あたしがベッドの上で正座をしているのを見たエティエンヌが呆れたように言った。
そりゃ朝っぱらから正座してぺこぺこ頭を下げてりゃ変に思うよね。
「えっと、これは何と言うか。ほら、日本人的な朝の挨拶よ。
今日も一日がんばりまーす的な?」
あたしは言い訳にならないような言い訳をデリカシーのかけらもなく現れてくれやがったエティエンヌを横目で睨みながら言った。
まったくノックの一つでもしろっていうのよ。
まぁ、この男にそんな文句を言ったところで『あなたのどこを見て女性と意識しろというのですか?』とかなんとか言い返すに決まっている。
だから、賢いあたしは黙っている、かなりむかつきはするけれど。
それなのに、エティエンヌはあたしが睨んでるのなんかどこ吹く風で、食器棚からティーセットを取りだすと、ごく当然のようにお茶を入れ始めた。
「それは、それは・・・・。どうやらわたしの知らぬ間に変わった習慣が出来たようですね?
それとも妙な宗教にかぶれましたか?」
「どんな宗教よ!」
あたしは即行ツッコミを入れた。
まったく日本人が宗教にいい加減だからってなめてんのか。
「さあ、この国には多くの神がいらっしゃいますからね。
唯一の神を信じるわたしにはわかりかねます」
エティエンヌは涼しい顔でそう言うと、トロピカルピーチティーをおいしそうに飲んだ。
「ふん、日本人はね、心が広いのよ。だいたいひとりの神様しか許さないってどんだけ心が狭いわけ?
さすがあんたんとこの神様だわ」
あたしはベッドから降りると、コーヒーメーカーのスイッチを入れながら、へへんと笑った。
日本対フランスの宗教戦争勃発である。
あたしたちはいつものごとく睨み合った。
でも、次の瞬間、エティエンヌはふいに表情を緩ませ、食器棚から新しいコーヒーカップを出してくれた。
「頬に涙の跡がありますが、何かあったのですか?」
ああ、もう、まいっちゃう。
そこをつっこまれたくなかったから宗教戦争を始めたのにさ。まったくKYな男だよ。
「ええっと、なんだか悲しい夢を見ちゃったみたい」
あたしは曖昧に答えた。
別に隠したいわけじゃなくどう説明したらいいのかわからなかったのだ。
「明け方の夢は正夢になると言います。
もし、話すことで楽になるのならいつでもお聞きしますよ」
優しい言葉にまた鼻水が垂れそうになる。
だって、エティエンヌが父さんと同じことを言うなんて想像もしてなかったんだもん。
そんなわけで、単純なあたしは鼻をぐずぐずいわせながら、夢の話をすっかり話してしまった。
ついでに夢を見せたのは“ゆらぎ”なんじゃないかということも。
エティエンヌはあたしの話を聞いた後、しばらく考え込んでいたけれど、
「緋奈の考えは間違っていませんよ。
ジャンヌも“ゆらぎ”と同化してしまったものを解放したことはありません。おそらく不可能だったのでしょう。
だからと言って女性のあなたに罪悪感を持つなと言うのは無理かもしれませんが、こればかりは割り切るしかありません」
と、Bluest blue in blueの瞳を翳らせながら言った。
ああ、あたしと竜神様以外にもいたのだ。
他に代えられないものを失くし、傷つきながらも生き続けなければならない人間が。
刹那、あたしは冷たい彼の手を取って、『辛かったね、わかるよ』と慰めたくなってしまった。
でも、自分のためじゃなくエティエンヌのためにそれはやめておいた。
あたしたちは傷をなめ合うために一緒にいるんじゃない。“ゆらぎ”を倒すために一緒にいるんだ、ということを忘れちゃいけないのだ。
「Le consentement, soldatcompagnon.(戦友さん)」
あたしはそう言うと、おどけて敬礼をした。
『soldat compagnon(戦友)』という関係が今のあたしたちに一番相応しいのだから。