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あかつきにみた夢 Ⅱ

『主様、ごめんなさい・・・』


「キサナ・・・・?」


 水底で眠っていた竜神はかすかに聞こえた少女の言葉に揺り起こされ、ぱちりと目を開いた。

 その言葉は泡沫のようで、幾度も幾度も繰り返され、彼の心の琴線に触れては消えていく。 


「まさか・・・・」


 水にほんのわずか混じる血の匂い。

 竜神は竜形から人形になると、川土手へ駆け上がった。

 朝まだき、白々とした(もや)の中に葦のとがった葉先だけが浮かぶ。

 その葦の群生の中に見えたのは、紅の塊。


「キサナっ・・・・!」


 いつぞや、母が子供の頃に着ていたものなのだと、顔に気色を浮かべ、くるりと回って見せてくれた山吹色の着物はいまやその片鱗もなく、赤一色だ。

 竜神は葦をかき分けると少女の血まみれの体をかき抱いた。


「なんということだ・・・・」


 時間が経ったためか、それとも体からすべての血が失われたせいか、少女の体はひどく冷たかった。

 つい、こないだではなかったのか、その小さな温かい手を握ってともに歩いたのは。


「キサナっ、キサナっ、キサナっ・・・・」


 竜神は肩を震わせて泣いた。

 何故、この罪もない少女が死なねばならなかったのか、自分の力の無さゆえか。


「うぉおおおおおっ・・・・!」


 若き竜神は、生まれて初めて声をあげて啼いた。


 ぽつりぽつり。

 三月ぶりの雨が彼の肩を濡らす。

 竜神の涙は雨雲を呼び、竜神の怒りは雷雲を呼んだ。

 やがて、雨は嵐となり、村中を吹き荒れた。

 キサナが生贄にされたことを知った村人たちはこの嵐を竜神の怒りと恐れた。

 なんという恩知らずなことをしたのかと年寄りどもは男衆を責めたが、やってしまったことはどうしようもない。

 女衆がキサナを手厚く葬るとようやく嵐が収まった。

 そして、三日三晩、吹き荒れた嵐が去り、外に出た村人が見たのは、満々と水を湛えた田であった。

 男衆は自分たちのやったことは間違っていなかったと、胸を張った。

 だが、嵐がおさまり、水が引いても竜神の川からは魚が取れなくなってしまった。

 もちろん竜神が姿を現すこともない。

 心あるものはそれを嘆いたが、男衆を表だって非難することが出来なかった。

『もし、日照りが続いていたら一体、幾人の命が失われたのか、それを一人の犠牲で済ませてやったのだから、責められる謂れはない』と、開き直られれば口をつぐまざるを得なかったのだ。

 それ以来、愚かな村人は日照りの度に、生贄を捧げ続けた。

 竜神の涙が、雨を降らし、嵐を呼ぶことを知っていながら。



 ***



 竜神は水底でわずかに尾を振った。

 体が重かった。年を経るごとに増えていく重りに体が絡めとられていくようだ。

 彼は生きることに飽いていた。竜神として生を受けて三百有余年。

 人ならとっくに骨となっている年月だ。


(神であるこの身がひどく厭わしい)


 彼が、幾たりの生贄を受け取ったのか自分でも覚えきれなくなった頃、その身を僅かばかりしか動かせなくなっていた。生贄の捧げられた川を不吉と思った人間が数多(あまた)いたせいか、向けられた負の心は彼の体と心を蝕んでいった。

 彼はかつて力のない竜神であった。

 だから、そのせいで村人は思い余ったのだと、それは仕方のないことだったのだと、何度も言い聞かせてみた。

 けれど、キサナや十数人もの少女を殺され、それでも守護を続けた彼に村人は何をしたか。

 彼はそれでも、人を愛し、共にあろうと最大の努力をした。それなのに、それなのに・・・。

 竜神はいまや神ではないものに堕ちようとしていた。


 そんなある日、この日の本と呼ばれる国が、大きな戦いに巻き込まれ、しばらく経ったある日。

 彼の前に、暗く(こご)った闇の化身が現れた。

 闇の誘いは心地よく、闇と共にあることは、安らぎであった。


「我の名は“ゆらぎ”。原初の闇より出でて人を滅びに向かわせる存在。

 竜神よ、我と共にあれ、さすればそなたはこれ以上傷つくこともない」


 竜神の大きな体はまたたくまに闇に覆われた。

 僅かばかり手をひっぱるような感覚がしたが、それには気付かないふりをした。

 三百年前、村長の家の前で、年老いた村長とキサナが彼の身を案じたのに気付かないふりをしたように。

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