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あかつきにみた夢 Ⅰ

 昔々、小さな川と小さな森に囲まれた小さな集落。

 田んぼには青々とした稲が育ち、村の中ほどの空き地では子供たちの甲高い声が響く、なんとも幸せな風景だ。

 その中心には一人の美しい青年。

 久しぶりに村へやってきた青年に、子供たちは自分の相手をしてもらうのだとばかりに、青年の袖を競いあうようにひっぱっている。


「主様、遊ぼうよ」


「主様、お話して」


「今日はどんなお話をしてくれるの?」


 どんなに子供たちにもみくちゃにされても幸せそうな青年は、この村を流れる川の主にして竜神で、長く白い髪と澄んだ水色の双眸をしていた。

 若き竜神は子供たちの騒ぎを静めるように両手を上げると、穏やかな笑顔のまま答えた。


「今日はいつぞやカラスに聞いた話をしてしんぜよう」


 子供たちが、いっせいにきゃあきゃあと歓声を上げる。


「それでは、昔々、あるところに・・・・」


と、いつものごとく話を始めようとした青年だが柿の木の裏の少女に気づいた。


「キサナ、そなたも来るがよい」


 青年が優しく手招きすると、恐る恐るといった様子で十二ばかりの少女が近寄ってくる。

 少女は他の村に嫁いだ娘が産んだ子供だったが、母が流行り病で亡くなったため、昨年、この村の祖父母の元に引き取られたのだ。そのため、どこか遠慮がちに暮らしていた。

 だが、竜神はこのキサナという少女を格別に思っていた。

 村人はやっかいものと蔑んでいるようだが、彼女の弱いものを愛おしむその心根は雨上がりの緑に輝く木の葉のようにきらきらと輝いていた。もちろんそれは、神である青年にしか見えないものであったが。


「それでは始めよう。

 昔々あるところに、おじいさんとおばあさんが住んでいました。

 おじいさんは山へ柴刈りに、おばあさんは川へ洗濯に行きました。

 おばあさんが川で洗濯をしていると、ドンブラコ、ドンブラコと、大きな桃が流れてきました・・・・」


 竜神が身振り手振りを交えて桃太郎の話を始めた。

 桃から生まれた桃太郎は、お伴を従えて鬼ヶ島へ渡り、人々を困らせていた鬼の退治をする。

 そして、無事、鬼を退治すると、故郷で待つ祖父母の元に宝を持ち帰り、幸せに暮らす。

 そんな完全懲悪な話が子供は大好きなのだ。きらきらした目で青年の話に聞き入っている。


「・・・・みんな幸せに暮しましたとさ」


 青年が、そう話を終えると、子供たちは一斉に大きくため息をついた。

 自分たちも主人公になり、鬼と戦った心持ちになったからだ。


「俺も桃太郎みたいに強くなりたいな」


「俺も」


「俺も」


 男の子たちから口々に声が上がった。

 だが、一人の子供が、


「俺は強くなるより、大きな桃を腹いっぱい食べるほうがいいな」と言うと、みんなが腹をかかえて笑った。お腹空いたが口癖の彼は他の子供より小太りだったからだ。


 お話に満足した子供たちは青年にお礼を言うと手を振り、それぞれの家へと帰って行った、ひとりキサナを残して。


「一緒に来るか?」


 そう問うと、キサナはにっこり笑って頷き、青年の手をぎゅっと握ってきた。

 ふたりは兄妹のように仲良く並んで、ひときわ大きな藁葺屋根の家へと向かって歩き始めた。

 賢いキサナは竜神がどんな用事でやってきたのか知っていたのだ。 

 今日も空に雲一つない。

 例年なら梅雨入りして久しいこの時期、天はほんの一粒の雨も恵まなかった。空はどこまでも青く、雲ひとつない。


「今日はまたことに暑いのう」


 隣のキサナが神妙な様子でうなずく。

 何故なら、この集落はたいそう貧しいのだ。青年が村に来る前など数人の子供が餓死したほどに。

 もちろん領主からの年貢は重い。

 けれど、この辺りは火山灰が積もってできた土地ゆえ、土地の滋味が少ないのだ。

 今でこそ、青年の加護により、餓死する子供こそいないが、それでもほんの少しの気候の変化が命取りになるのは変わらない。 

 どうだんつつじの生け垣を抜け、魔よけの鈴がかかった入り口で主の所在を問うと、すぐに白髪の老人が現れた。老人は青年のおとないにあわてたように腰をかがめた。


村長(むらおさ)よ、雨はいまだ降らぬか?」


「はい、もう二月ほど一滴の雨も降ってはおりませぬ」


 村長は頭を上げ、とつとつと答えた。


「すまぬのう、我がもそっと力の強い竜神であれば、雲を呼び、雨を降らせることができようものを」


 若き竜神は自身の力のなさを心底申し訳なさそうに言った

 年老いた村長はすぐに首を振り、


「いいえ主様。あなた様ほど我らを愛してくださる神は他におりませぬ。

 皆がどれほど感謝しておりますことか」と、断じるように答えた。


 若き竜神は力の足りなさを恥じている様子だったが、かほど自身の民のために力を尽くしてくれる神が他にいようはずもない。

 しかも、彼が現れてから二十年、村の暮らしは格段に良くなったのだから。

 稲穂は重さを増し、家畜はたくさんの子を産んだ。

 その上、彼がもたらした紫色の芋は栄養豊富で保存が利き、食料が不足する冬にはまことにありがたいものだった。

 それらの知識が他の神々の間を巡り、頭を下げて教えを乞うてきたものだと知れば、なおさら尊敬の念は強くなる。

 村の子供が彼にまとわりつくのは大人たちが彼を敬愛していればこそなのだ。

 だが、今年の天候は齢七十の村長であっても例のないものだった。

 常なら轟々と音を立てて流れる竜神の川も、常の半分ほどに水量を減らしていた。村はずれの沼など、すでに干上がっている有様だ。

 もし、このまま雨が降らねば、稲は穂が出る前にすべて枯れてしまうだろう。


「お前の気持ちはありがたいが、我は雨雲を呼びぬできそこないの竜神、このまま雨が降らねば、お前たちの生活が成り立たぬと知っていても何ひとつ力になれぬ」


 青年はそう言うと苦く苦く笑った。

 およそ、竜神というものはすべからく、雨雲を呼び、雨を降らすことができるもの。強い力を持つものなら嵐さえ呼びよう。

 だが、彼はなぜか、雨雲を呼ぶことができなかった。

 雲が天にあれば、雨を降らすことはできるが、空に雲がなければ一粒の雨も降らすことができない。

 それは、若さ故か、生まれ持った力が弱いのかわからなかったが、自分のような力のない竜神に支配された土地に住む村人が哀れでならなかった。

 青年は乾燥に強い作物をできうる限り植えるように言い置くと、村長の家を後にした。

 後ろで村長が何か言いたげにしていたが、わざと気付かないふりをして。

 隣でキサナが青年の手をひっぱっても気づかないふりをして。



 そして、七月(今の暦だと八月)も半ばを過ぎ、あれからひと月が経ってもいっこうに雨は降らなかった。

 若き竜神は天にわずかな雲があれば、雨を降らそうと幾度も試みるのだが、雲が薄すぎぎるためか少しの雨も降らない。

 仕方なく、自身の矜持を捨て、仲間に自分の土地に雨を降らせてくれるように頼んだのだが、仲間は済まなそうに首を振るばかり。竜神には自身の土地以外に雨を降らせてはならないという掟があったのだ。

 それでも彼はあきらめず仲間の竜神の間を巡り、雨を降らせる方法を訊きまわったが、その結果は芳しくなかった。


 そんな中、酷暑が元で年老いた村長がこの世を去った。

 新しい村長には村長の息子が選ばれたのだが、彼は若くおろかで竜神が来る以前の餓死者が出ていた時代を知らなかった。


「このままじゃ、おらたちは、干上がっちまう」


 白く濁った酒をおとなしく飲んでいた若者がいきなり杯を床に叩きつけた。

 村長の通夜の晩、女、年寄り、子供は、明日もあるからと早々に家路についたが、男衆はまだ飲み足りないのか、その多くが村長宅に残っていた。

 彼らも初めは通夜にふさわしく穏やかに酒を飲んでいたのだが、誰かがなんとはなしに言った「暑くてたまらねぇな」という言葉をきっかけに雰囲気が一変した。

 いつも腹に溜めていた不安がいっせいに噴出したのだ。


「稲がいつもの半分しか育ってねえ」


「水が少ねえからな」


「川の水ももう干上がるんでねえべか」


「うちのカカアは孕んどるんだ。この分じゃ・・・・」


「んだ、このままじゃ・・・・」


 誰かが口を開くたびに、不安が(おり)のように降り積もっていく。

 それでも、彼らは飢饉と言う言葉をあえて使わないでいたのだが、新しく村長になった若者がその禁句を叫んでしまった。


「このままじゃ飢饉になるぞ! 

 このままじゃ皆が飢え死んじまう!」


 場が水を打ったように静かになる。

 それでなくとも水はせき止められ、今にも溢れそうになっていたというのに。新村長の言葉は皆の心にあった(せき)をあっけなく吹き飛ばしてしまった。

 もうこの場に酔っ払いなどひとりとしていない。


「んじゃ、どうすればいいだ」


 そう訊ねた男の顔はどす黒く、その瞳はらんらんと輝いている。

 いや、気付けば男衆のすべてが今にも笑い出しそうにゆがんだ顔をしていた。

 彼らはみな、同じ結論を出したのだが、卑怯にも言い出しっぺの責任を負いたくはなかった。


「おまえたちも山向こうの村の話は聞いているべ。

 同じことをおらたちがやったところで誰も責めることなんかできねえ!」


 新村長がわめいた。

 一昨年の日照りの際、山向こうの村は竜神に乙女を捧げた。

 捧げたと言えば聞こえはいいが、少女を人身御供として川に沈めたのだ。


「そうだ、他の村だってやってるんだ、おらたちが責められることはねえ」


「そうだ、村長の言うとおりだべ」


 それは、名実ともに若者が村長になった瞬間だった。

 彼は言い出しっぺの責任を負った上、皆が喉から手が出るほど欲しかった免罪符を与えたのだから。

 それからの彼らの行動は、素早かった。

 とある少女の家に押し掛けると、祖父母の制止を振り切り、彼女を引きずり出した。


「やめてくれ。その子は娘の形見なんだ!」


 老人が悲鳴を上げ、老婆が土下座をして頼みこむのにも一瞥もくれず、いや、邪魔とばかり蹴り倒し、男たちは少女の髪をわし掴み、ずるずる引きずっていった。


「やめて、あなたたちについて行くから、お祖父ちゃんとお祖母ちゃんにひどいことしないで!」


 夜闇に響く少女特有のかん高い泣き声。

 その声の主はあのキサナだった。

 彼らが、キサナに狙いを定めた理由はなんと言うことはない。

 彼女の父親がよそ者だったから。彼女を庇護するべき父親がここにいなかったから。

 いや、もしかしたらそれだけではなかったかもしれない。

 村一番の美人をよそ者にとられたその醜い妬心がキサナに向けられたのだろう。

 三十人ばかりの男衆はキサナをしばらく歩かせたのち、いきなり突き飛ばした。

 優しい竜神が子供たちのために昔がたりをしてくれた場所で。


「もう万策尽きたんだ、おめえを生贄にするしかねえ」


 村長の息子の、今までキサナをよそ者と蔑み、無視し続けた男の、キサナにかけた初めての言葉だった。

 キサナは言われた言葉に驚くよりこの男が自分に声をかけたことにびっくりしていた。

 キサナは八月に入っても雨が降らなかった時、自分の運命を悟っていた。

 いや、山向こうの村で自分と同じ境遇の少女が人身御供にされたという話を祖母から聞いた日からだったかもしれない。

 とうとうこの日が来てしまった。

 キサナは数十本の松明が照らし出す、急ごしらえの祭壇の前に立たされていた。

 不思議と恐怖はなかった。ただあの優しい竜神が自分の死を知ったらどんなに悲しむだろうとそればかりが気にかかった。


「あおぎねがわくば 天をおさめ 地をおさめ 

 よろずのことものを おさめたもう

 天神(あまつかみ)に祈りささげたてまつる」


 村長の息子が、神主よろしく祝詞を唱えると、男衆が、


「雨ふらしたまえ 雨ふらしたまえ

 雨ふらしたまえ 雨ふらしたまえ」

 と、声を揃える。


「神よ、嵐の神、須佐之男命(すさのおのみこと)よ。

 この生贄を受け取り、雨ふらしたまえ」


 村長の息子が顎をしゃくると、男衆がキサナの両肩を羽交い絞めにした。

 そして、キサナは白刃が己の胸に突き刺さっていくのを時が止まったように見ていた。


「主様、ごめんなさい・・・・」


 遠ざかって行くその意識の底でキサナは、自分の死が竜神に優しく伝わりますようにと祈っていた。

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