第1日目 記念日(アニヴァーサリ)
計算をしてみよう。
2+2-2-1=?
なんの数字?もしくは誰の数字だろうか?
真っ赤な夕焼け・・・だと思う。
何故曖昧な答えかと言うと、それは厚い雲が夕焼けを隠しているから。
俺こと佐熊は、強くペダルをこいで自転車を走らせた。
段差や少し大きめな石を踏み進む度に、ゴソゴソッとビニールの買い物袋が揺れた。
長い下り坂。自転車のスピードが上がる。両足を前方へ伸ばして、下り坂を下ってゆく。
頬に感じる生温い風。小さな虫が顔にペチペチと当たるのを感じた。
何とも言えない爽快感が体をスルスルとすり抜けて行く。
佐熊は腕で顔を拭うと、相変わらず少しニヤケ気味の顔をした。
長い下り坂を下ると、再び自転車のペダルに両足を掛けた。
この長い下り坂を下ると家はもう少しだ。
脳内に想い浮ぶ、たった独りの妹の顔。
まだ11歳で可愛くて、元気のある小学6年生。
そして佐熊は家の前に到着した。
一軒家の、それなりに新しい家。二人暮しには少し大きすぎる家だ。
自転車を庭に停めて、一息ついた時の事だった。
―――バチンッ!!
心臓がピタリと止まってしまうような打音が響いた。
驚いて腕を止めた。
「っ!」
「はぁ・・・はぁ・・・」
「この悪魔がッ!お前の母親も父親も、あの女っぽい兄貴も皆悪魔なんだよッ!」
「――ッ!・・・うるさい。」
家のすぐ傍から聞こえた、子供の声。
1人の少女は息を切らしていた。もう1人の少年は声を荒げながら暴言を吐き散らした。
少女の声は、とても聞き覚えのある可愛らしい声だった。
「可哀想なヤツだな!親に恵まれてないなんて!授業参観にも、また背の小せぇ兄貴がくんだろ?」
『"可哀想"に!』
「・・・うるさい。うるさいッ!また殴られたいのっ!?」
「う、うわああぁ!あ、悪魔めっ!」
咄嗟に逃げていく足音。
少女は息を「ぜぇ・・・ぜぇ・・・」と切らしながら、こちらへ歩いて来る足音が聞こえる。
俺は、驚きのあまり身動きが取れなかった。
確かに俺は、男としては背が小さかった。身長162cmで、体重49kg。
それに女っぽい所も沢山合った。小さい頃に母親を亡くしたせいで、家事全般は全て俺の仕事だった。
時にはエプロンを着けたまま、癒恵の友達の前に出た時も合った。
思い当たる節は、・・・沢山ある。
それと癒恵が何故『悪魔』と言われているかというと、人並み超えた身体能力のせいだ。
足は馬のように速く、腕はコンクリートの壁を殴るとヒビが入る。
何故そんな身体能力が、癒恵に備わっているのかは未だに不明だ。
癒恵はそんな自分の人並み外れた"力"を憎んでいた。
力のせいで、癒恵にはあまり友達が出来ないからだ。
ジャリっと地面を擦る音が聞こえた。
目の前には可愛い妹。黒髪サイドテールで、まだ幼さを帯びた黒い瞳が印象的な少女。
癒恵が泣きそうな顔をしながら立っていた。
「・・・お兄ちゃん。」
「・・・おかえり。…大丈夫か?」
困った顔をしつつ優しい声で問いかけた。
それに対して癒恵は、先程までの泣顔が嘘のように怖い顔をして俺を睨んできた。
「大丈夫?…大丈夫なわけないじゃん!?何なの?そんな哀れんだ目でみて!」
「癒恵・・・。」
「何で私には、こんなお兄ちゃんしかいないのッ!?何で?どうしてママとパパがいないの!?
何で私はこんなにしんたいのうりょくが高いの!?」
「落ち着いて…癒恵。さっきの子達にはちゃんとお兄ちゃんが先生に言ってあげるから。」
癒恵は小さな体を震わせながら、兄に向かって怒鳴り散らした。
俺は癒恵の小さな肩に右手を優しく添えた…けれど。
――パチンッ!!
「お兄ちゃん何て大ッ嫌いッ!いつもヘラヘラ笑ってさ…。女っぽいし、背も小さいし、弱そうだし。
無駄に料理が上手いし…。私ママの顔も…パパの顔もッ!何一つ覚えてないんだよ…?
どうして?ねぇ、どうして?ズルいよ…お兄ちゃんだけ。覚えてるんでしょ?何もかもッ!」
「―――ぃっつ…。癒恵…。男らしくないお兄ちゃんで、ごめんな。」
「―――ッ!大ッ嫌いッ!」
―――バタンッ!
癒恵は兄の弱々しい手を弾き飛ばし、再び奇声にも似た罵声を浴びせた。
少し強めに弾き飛ばされただけのその手は、真っ赤に腫れて次期に青く痣になっていった。
孤独さ故の不満。引かれた"数字"に満足のいかない癒恵は嘆き悲しんだ。
そんな癒恵に俺は無理やり笑顔を作って、いつも謝り続けていた。
俺は確かに覚えている。母の顔も父の顔も。手の温もりだって覚えている。
けれども、癒恵は父と母が死んだショックで、父と母の記憶だけを自ら失くしてしまったのだ。
癒恵は家の扉を思い切り開いて、思い切りバタンッと閉じた。
俺は無言で立ち上がり、自転車の前カゴに乗せていた買い物袋をゴソッ!と両手で持ち上げた。
そして俺も家へ帰ったのだった。
その表情は何とも言えない悲しさと切なさを帯びていた。
蒸し暑い部屋…。二人暮しには広くて大きい二階建ての家。
静かな家に響き渡る心臓の鼓動音と時計の秒針。
無言で、せっせと冷蔵庫に食料品を入れて行った。
二人で食べようと思ったケーキ。
二人で飲もうと思ったオレンジジュース。
今となっては見る度に悲しくなっていった。
『こんな時、父さんと母さんがいたら…』
なんて思いながら、手を動かした。
冷蔵庫に食料品を入れ終わったら、俺は2階にある自分の部屋へと戻った。
静かな部屋にゆっくりと登る階段の音は、とても不気味に響いた。
まるで、もう1人の自分が後ろからついて来ているようだ。
トン…トン…トン…
バタン・・・
自分の部屋に入ると倒れるようにして俺はベッドに勢い良く、ボスンッ!と横たわった。
天井を見詰めながら、佐熊は思った。
(俺じゃ・・・駄目だよな。父さん・・・母さん・・・。俺、どうしたら良い?)
癒恵に寂しい想いをさせている事は重々わかっていた。
けれども俺がどれだけ頑張ろうとも、支えようとも。父さんと母さんにはなれない。
癒恵を満足させてやることは出来ないのだ。こんな俺じゃ駄目なんだ…。
俺は泣く事もなく、ただ悲しい顔をしながら部屋の天井を見詰めて言った。
「ごめんな…、癒恵」
俺は思った。
癒恵を"可哀想"だと罵った子供たちのことを。
きっとあの子達は幸せなんだろうな。親に恵まれて、親の温もりがあって。
―――"憎たらしい"
何であんな良い子な癒恵が悲しまなくちゃいけないんだ?
何であんな愛しい癒恵が罵られなくちゃいけないんだ?
あいつらの幸福を奪いたい。いっそのこと、なくなってしまえば良い。
そして俺達と同じ気持ちを思い知ってほしい…。
「―――きっと喜嬉楽好なんだろうな。」
そんなことを考えていたら、不意に睡魔が俺を襲った。
俺は身を委ねるように、眠りについた―――。
『ごめんね…。ごめんね…。』
夢の中で何度も謝る影が合った。
何故か悲しそうに、何度も謝り続けたのだ。
女性なのか?男性なのか?それすらも解らず、影が何度も涙を流しながら謝り続けた。
『ごめんね…。ごめんね…。独りにしてごめんね…。』
「独り・・・?違うよ、俺は・・・―――。」
先程、癒恵に弾き飛ばされた手が、ズキンと痛んだのを感じた。
トントン
静かな音が部屋に響いた。
「お兄ちゃん…、さっきは取り乱してゴメン…。あ、あのさ。今日お兄ちゃんの誕生日だよね?
私ね、さっきあんな事言っちゃったけど、本当は凄く感謝してるんだ。
だってお兄ちゃん毎日朝早く起きて、朝ご飯作ってくれてるし…。しかも美味しいし!
男らしいお兄ちゃんじゃ無いけどさ、私は好きだよ、お兄ちゃんのこと。
…さっきは、ごめんなさい。そして誕生日おめでとう、お兄ちゃん♪」
「 」
「お兄ちゃん…?さっきの手に貼る湿布持って来たんだけど、入って…良いよね?」
返事の無い兄。
妹が恐る恐るドアを開けると。
「お兄ちゃん・・・?何して・・・・・・・」
―――そこには響き渡る静寂しかなかった。
「お兄ちゃん…?どこにいるの…?や…めてよ。隠れてるんでしょ?どこ?ねぇ、どこ?」
妹は嫌な汗が滲み出てくるのを感じた。途端にクローゼットを開けたり、ベッドの下を
覗き込んだりした。
1階にいるのかな?と思い、勢い良く1階に降りた。
食器棚の裏、机の下、カーテンの裏、椅子の下。
思い当たる所を1つ1つ兄の名を何度も呼びながら探す妹。
気づけば息を切らしていた、心臓がトクトクと速くなって行くのを感じた。
静かな静かな部屋に響き渡る時計の秒針。
「佐熊お兄ちゃん…。ウソでしょ?ウ・・・ソ何でしょ?やだ…ヤダヤダ!ヤダヤダヤダ!!
まだ…まだ…、謝れて無いよ?…。」
「オ ニ イ チャ - ンッッッ!!!!!!」
響き渡る悲鳴のような叫び声。小刻みに震える幼く弱々しい身体。
妹の瞳からはボロボロと大粒の涙が堕ちた。
嗚呼、神は人から奪うことしか出来ないのだろうか?
妹の視界が歪むのを感じた。
ピィー―――――
煩い耳鳴りが妹を襲った。
その場に崩れるように倒れ伏した妹は床に頬をすり付けて啜り泣くしかなかった…。
―――全てを失った少女のココロには何が残っているのだろうか?
筒巳 佐熊 今日で17歳。
身長162cm 体重49kg 黒曜石のように美しい黒髪ショートヘアと黒い瞳。
ごく普通の高校2年生。夢は特に無し。自称『隠れ小説家』。
『―――パパ、ママ。今日も世界は平和だよ。』
『全ては"少女"の思うが儘に―――』