第2日目 時間の流れ
人は1人では生きられないのは何故だろう。
人は時々、自分1人でも生きていけるという錯覚に落ちることがある。
だが、この世界に自分が1人だったとすれば食料も水もコミュニケーションも
無く、生きるためには自分で自分の場所を作らなければならない・・・。
目が覚めるとそこは何にも無い真っ白な空間だった。
佐熊こと俺は、右腕でゆっくりと体を起こした。
自分が何故この場所にいるのか思い出せない。
そこは、何もない世界で時計の秒針さえ聞こえなかった。
俺は右手で目を擦った。
「・・・俺は?」
風もなく音もなく風景もなく誰もいない。
唯一聞こえるのは己の心臓の音のみ。
記憶が曖昧に揺れる。俺は不安を抱えつつ、ゆっくりと立ち上がった。
刹那
俺の目の前にはいつの間にか1人の女性が立っていた。
「ぁ・・・えと・・・」
俺は思わず小声で呟いた。
目の前にいる女性は30代前半くらいの女性で、桃色に艶めく髪を顔のわきでくくっている。
瞳の色は綺麗なアイスブルー。
どこにでもいそうな若そうなお母さんという印象が強い女性だ。
服装は白のワンピースに淡い肌色のエプロンを着けている。
その女性は、泣いているのか笑っているのか、わからない表情で俺に語りかけた。
「彼の時を動かしてあげれば、きっと彼は救えますよ」
「・・・え?」
いきなり何のことを言っているのかわからず、間抜けな声と顔で俺は言った。
そんな俺を放置して女性は続けた。ただ目的を果たすためだけに。
「皆の時はループしています。だから、そのループを断ち切って下さい。あなたにはその力があります」
「あの・・・何のことを?」
―――カチッ!
「あなたの命は、進んでいます。そして、あの子の命も同じく」
―――カチッ・・・カチッ
俺が口を挟もうと、口を開いた瞬間、どこか遠くで誰かの時計の音が聞こえた。
「時をループしている者がいたら、その者に手を当て願うのです。時間よ動け・・・と」
休むことなく語り続ける女性は、「お願いします」と最後に言い残し姿を消した。
ただ呆然と立ち尽くすしか出来なかった俺は、口を半開きにさせ息を呑んだ。
この真白く何もない不気味な空間に1人で残されるのは気持ちが悪かった。
この空間は寂し過ぎる。俺はそんなことを思いながら、自分が眠りに落ちて行っていることに気付かなかった。
―――目を覚ますとそこには・・・
無精髭を生やした金髪赤目の胡散臭いおっさんが見えた。
その男は、いたずらな笑みを見せて言った。
「おはようさん、やっと起きたね。待ちくたびれて足が痺れちゃったよ」
ボロボロの囚人服、いつかどこかで聞いたことのある声。デジャブを感じた。
俺は唇を震わせながら、いなくなったはずの男の名を呟いた。
「ディス・・・ディアル・・・?」
男はピクリと驚いた顔をした。
そして、俺を凝視しながら重みのある声で言った。
「どうして俺の名を知っているのかい?」
「―――っ!!ディス!!!」
俺は感動の勢いで体を勢いよく起こした・・・が、次の瞬間激痛が体中に走った。デジャブだ。
俺は痛みに言葉を失い、体を縮めた。
「おいおい、大丈夫かい?」
心配そうにディスが眉を潜めて言った。
俺は精一杯力を振り絞って言葉を紡いだ。
「だ、大丈夫・・です。そ・・れより、ディス・・ディアルさん。俺のこと・・覚えてないんですか?」
俺は息を切らせながら言った。冷たい床に手を支えにしながら必死に。
ディスの顔は痛みで目を瞑っているせいで見えない。だが、想像出来るような気がした。
「?俺とお前は初対面のはずだが?さすがに俺に黒髪黒目の知り合いはいないよ」
ディスは少しふざけたような口調でそう言った。
俺は顔を上げてディスの顔を見ようとした。だが、瞬間頭に激痛が走った。
『――じか を……はや …、うご し くれ…助けてくれ……!』
一瞬の息継ぎ、そして
『時をループしている者がいたら、その者に手を当て願うのです。時間よ動け・・・と』
答え合わせをしたかのように記憶が徐々に鮮明になっていく。
ディスは昨日処刑されたはずだった。だが今この場所にいる。
ディスが処刑に連れて行かれる時に聞こえたディスの声。
そして″あの女性″の夢。
俺は視線を落として右腕のさほど衛生的ではない囚人服の袖で額の汗を拭った。
そして、俯いたまま小声で穴埋め問題の答えを呟いた。
「――時間を早く動かしてくれ、助けてくれ」
「ん?何か言ったかい?」
言い終わった瞬間、目頭が熱くなるのを感じた。喉に餅でも詰まったかのような感覚に襲われた。
息が荒くなり、俺は両腕を冷たい床について震えながら泣いた。
近くにいるはずのディスの声が、何故か遠くに感じられた。
「どうした?大丈夫かい?」と何度も何度も語りかけて来るディスの声が遠い。
嗚呼、俺は何を勘違いしていたのだろうか。ディスは最初から助けてって言っていたんじゃないか。
処刑なんかじゃない。時間の渦の中から助けてもらいたかったのだ。
俺はしゃくり上げながら、鼻水を啜りながら言った。
「でぃす・・・ごめん・・気づいて・・やれなくて・・・ごめん・・・」
「?何のことだよ?本当に大丈夫かい?」
ディスは困ったような顔をしてそう言った。
俺は涙を両腕で拭って、右腕でディスの肩を掴んだ。
「?」
俺は一度大きく深呼吸をして、ディスの顔を真剣な顔で見詰めた。
本当に本当に馬鹿げたことを俺は今からやろうとしている。
今さっきみた夢のお話を信じて、ただ祈る。
『誰に?』
ふと、そんな疑問が頭を過った。その声は俺の声ではなかった。
心臓がバクバクと鳴り響く。ディスの肩を掴んだ腕が震える。だが、やらなきゃいけない。
俺はゆっくりと瞳を閉じて・・・呟いた。
「―――時よ動け」
―――――カチンッ!!!
頭を思い切り鉄パイプで殴られたような衝撃が走った。
グラリと視界が揺れ、俺は横に倒れそうになった瞬間。
「はは、大丈夫かい?」
視界がぼやけていてよく見えないが、ディスが俺の体を支えたようだ。
俺は自力で体制を戻すと、徐々に視界が戻って行った。
そして、ディスの方を見ると。
「ディ・・・ス?」
俺は口をパクパクして何を言えば良いのか考えていた。
ディスの体が徐々に薄くなって行っていたのだ。
俺が焦っているのを裏目に、ディスは満面の笑みで、優しい活気のある声で言った。
「佐熊!ありがとうな。お前のおかげでやっと・・・やっと!!時間が、俺の意志が自由になった!」
「は・・・あ・・・!」
俺は成功したことを理解するなり、感動のあまり息が詰まった。
ディスが再び俺のことを思い出してくれたことへの感動と。時間が本当に動いたことへの感動。
だが、それはつまり時間がループしていることを決定づける物となった。
ディスが俺の頭をグシャグシャっと掻き毟ると、焦ったように言葉を紡いだ。
「佐熊!俺はどうしてこうなったのかよく俺自身もわかってないんだが、きっと他の奴らも同じ状況だ。天使長や地獄の王様とやらもな。だが、佐熊が時を動かせる者だと知れば、きっと悪いようにはしないだろうから。上手くやれ!」
とても投げやりなその言葉に、俺は思わず「え?え?」と言った。
徐々にディスの姿が消えていく。
「あ、あとな!俺が消えるのは死ぬわけじゃないからな!ただ、今まで何度も何度も繰り返してきた、地獄送りの処刑が、今本当に成し遂げられようとしているんだ。だから、地獄に行くだけであって、体が消えて魂が消滅する訳じゃないから安心しろ!」
「え?地獄送り?っていうか今まで繰り返したことって帳消しになるんじゃないの!?」
「どうやらならないみたいだ。だがまぁ安心しろ、処刑の時は重い手錠と足枷を付けてやられるんだが、今はこの手錠のみだ。地獄へ行っても何とかやるさ」
手錠?と思い俺は今更ながら、自分の腕に手錠が付いていないことに気付いた。
ディスもそれに気づいたらしく、「何でだ?」と首を傾げていたが、「手錠が無ければ時を戻しやすいから良かったじゃないか」ともう本当に他人事のように語った。
俺は半ば呆れ顔でディスを見た。
ディスは、いたずらな笑みを浮かべで最後にこう言った。
「もし俺の家族に会ったら、俺は元気にしてると言ってくれ。最後に佐熊、本当にありがとう。もし、お前が困っている時は駆けつけられる程度に駆けつけるからな!」
ディスはそう言って、笑いながら静かに消えて行った。
俺はゆっくりと立ち上がり、激痛の走る背中を優しく擦りつつ、驚きで今の今まで口出ししてこなかった警備員の方を向いた。
「いっちょ時間を動かしに行きますかー!俺、もう死んでるわけだしな!」
と俺は腰に手を当てつつ言った。
これからお世話になる天国の皆さんの時間を戻そうと俺は意気込んでいた。
その考えが、あまりよく無いことに繋がるとしても。
久々の更新です!
今まで載せてきた小説は、ちまちまと修正を入れておきました。
本当に久々で申し訳ありませんでした。