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来世で結ばれようねと誓ったはずなのですが

作者:
掲載日:2026/02/13


 闇に包まれた深い夜。私はクリストファー様の部屋で、彼のベッドの上にいた。


「本当にいいんだね、アン」

「はい、クリストファー様」


 彼が私の髪をそっと撫でる。


「この世で結ばれなくとも、来世で想いを遂げよう」

「ええ。必ず」


 クリストファー様は古めかしい鎖を手に取った。この鎖の両端には手首が入るくらいの環が付いている。美しい彫刻や宝石が付いていなければ、罪人の鎖のように思えただろう。


「こちらの環を君の手首に。そしてこちらは僕の手首」


 私の右腕とクリストファー様の左腕が鎖で繋がった。そして彼は私を優しくベッドに横たえさせる。


「この毒薬は苦しまず、眠るように逝けるんだ。僕たちはこれから仮の死を迎える。もう一度生まれ、出会い、結ばれるために……」

「クリストファー様、私たち絶対に会えますよね?」

「もちろんだ。さあ、この薬を。同時に飲もう」

「はい……」


 匂いの強い小さな丸薬を、私たちはグッと飲み込んだ。


(何も変わらないわ……)


 そう思った刹那、心臓が大きく跳ねた。


(あぅっ……息が……苦しい……)


「クリ……スト、ファー……様……」

「アン……」


 クリストファー様も苦しそうに顔を歪めている。


(ああ、私の顔も苦痛に歪んでいるのかしら? 最期に見られるのがそんな顔だなんて……)


 だがすぐに視界は奪われ、真の暗闇に包まれた。クリストファー様が私の手を握り、苦しげに囁く。


「アン、すぐに会おう……!」


 その言葉に応えようとしても身体が動かない。そして私の意識は闇に吸い込まれていった。




 ――そして。私は生まれ変わった。クリストファー様が言っていた通り、前世の記憶も見た目も、全て引き継いで。


 今の私はカレン・オルコット。田舎に領地を持つオルコット男爵の三女として生まれ、もうすぐ15歳になる。

 

 前世ではアン・メイシ―という名前だった。その時も田舎の貧乏男爵令嬢で、15歳になるとすぐに王都へ出てメイドとして働く道を選んだ。


 幸いなことに前世の私は美しかった。ふわふわと背中に流れるハニーブロンドとエメラルドのように煌めく大きな緑の瞳を持ち、誰もが振り返る美貌。この容姿が決め手となり、田舎娘でありながら名門ウォルホード公爵家に雇われることになったのだ。


 その公爵家の嫡男だったクリストファー様。艶々とした黒髪と憂いを帯びた紫の瞳、まるで絵のように美しい方。初めてお目通りをした時の私は、真っ赤になって俯くことしかできなかったのを覚えている。


 それから、公爵家でメイドとしての生活が始まった。クリストファー様は田舎者の私をいつも気に掛けて優しい言葉を下さった。美味しいお菓子や素敵な小物をいつもプレゼントして下さり、他のメイドたちからは妬まれていたけれど私は幸せだった。クリストファー様のお気に入りであることを誇りに思えていたから。


 そんなある日、公爵家をジョージ王子様が訪問なさった。


「器量良しのメイドがいると評判を聞いてな」


 王子様といっても御年42歳。国王陛下の末の弟であり、あちこちで浮名を流しているという噂は聞いている。応接間に呼ばれた私は頭から足先まで不躾でいやらしい視線を向けられ、背筋に冷たいものが走った。


「確かに美しい。しかも15歳とは、育てがいがあるというものだ。気に入った。公爵夫人、このメイドを譲ってくれんか。もちろん相応の礼はする」

「お気に召していただけて何よりですわ。今すぐお連れになられますか?」


(いやよ! やめてください、奥様……! 私、こんな人のところに行きたくない!)


 使用人の身分でそんなことを言えるはずもない。私はただ黙って唇を噛みしめていた。


「いや、まずは迎え入れる準備をしてからにしよう。ワシにもいろいろと都合があるのでね……妻の耳にはいれたくないからのう」

「承知いたしました。いつでもお待ちしておりますわ」


 公爵夫人は王子様がお帰りになった後、私に笑顔を見せた。


「良かったわね、アン。あの方はたくさんの愛人を抱えてらっしゃるけれど、ひどい扱いはなさらないのよ。衣食住、すべて困らないように手配して下さるわ。これであなたは一生働かずに生きていけるでしょうし、田舎のご両親にも孝行できるわね」

「はい、奥様」


 公爵夫人の目には私が喜んでいるように映っているのだろうか? 沈んだ気持ちのまま応接間から出てきた私を待ち受けていたのは、メイドたちの嘲笑だった。


「良かったわねえアン。老人の世話をするだけで一生安泰よ」

「私はあなたみたいに綺麗じゃないから、普通の青年と普通に結婚するしかないわ。ああ、私って可哀想」

「羨ましいわ、王子様の愛人だなんて。本当におめでとう!」


(ひどいわ……私が望んだことではないのに。私が愛しているのは、クリストファー様だけ。どうせならクリストファー様の愛人になりたかった……)

 

 その翌日、私はクリストファー様の部屋に呼ばれた。


「アン、昨日ジョージ王子様に望まれたそうだね。おそらく週明けにはこの屋敷を出ることになると母が言っていた。君は……本当はどう思っているの?」


 寂しそうにそう告げるクリストファー様。


(もう、クリストファー様とはお会いできなくなる。それならば、私の気持ちを伝えることぐらい……許してもらえるかしら)


「私は……行きたくありません。表向きはメイドとしての契約ですが、実情は愛人なのだとわかっていますから。でも、王子様に望まれて断るなどということはできません」

 

 一気にそこまで話すと、感情が昂ぶり涙が溢れてきた。その涙を拭うこともせず顔を上げ彼を見つめ告白する。


「私は、クリストファー様をお慕いしています。これからもずっとクリストファー様にお仕えしたいと思っていたのに……こんなに早くお別れすることになってしまったのが辛く、心残りです……」

「……アン!」


 突然、クリストファー様が私を抱きしめた。


「クリストファー様……?」

「アン、僕だって同じ気持ちだ。君が屋敷にやって来た時から、僕は君に恋していたんだよ。いつか僕が当主になったら君を僕の妻にしたい、そう考えていた」

「クリストファー様が私を……? 嬉しい……」

「アン、愛している……」


 私たちは長い間抱き合い、互いに涙を流していた。やがて、クリストファー様が口を開く。


「アン、君をジョージ王子になんか渡したくない。指一本だって触れさせたくないんだ。だが今の僕には、彼の要請を跳ね除ける力は無い」

「いいんです、クリストファー様。あなたの気持ちを知ることができて、私はそれで十分幸せです」

「……アン、今世では結ばれなくても……来世で会う方法がある」

「……えっ?」


 彼が言うには、ウォルホード公爵家には古代より伝わる家宝がいくつか残っており、そのなかに『円環の鎖』というものがある。その鎖を身につけたまま死ぬと、前世の記憶を持ったまま生まれ変わることができるのだそうだ。


「しかも、見た目もそのままに、だ。つまり、生まれ変わってお互いを探すのも容易なんだ」

「私はクリストファー様を、クリストファー様は私をすぐに見つけ出せるということなのですね」

「ああ。今の僕らには無理でも、生まれ変わればきっと一緒になれる」

「でも、どうやって……? 死ぬのは、怖いです」

「大丈夫だ。苦しまずに死ねる方法ならある。僕に任せてくれ」


(死ぬのは本当に怖い。でも、クリストファー様となら……)


 こくんと頷くと、再びクリストファー様に抱きしめられた。


「アン、僕たちは未来で幸せになろう。待っていてくれ」


 そして私たちは、ジョージ王子が迎えに来る前日の夜に……計画を実行したのだった。

 




 ――そして、生まれ変わった私、ケイト・オルコット。ハニーブロンドとエメラルドの瞳もそのままで、前世の私を知る人が見たら驚くだろう。何せ私が死んでから50年の月日が経過しているのだから、幽霊だと思うはずだ。


(まあ、私を知っている人たちはもう、とっくに亡くなっているでしょうけど)


 前世の反省を生かして今世では目立たぬよう、髪はいつもきっちりと三つ編みにして伊達メガネを掛けて顔を隠している。母親の化粧道具を拝借して、頬にそばかすを描くのも忘れない。


(クリストファー様に会うまで、誰にも見初められてはいけないのだから)


 前世では勉強が嫌いで、家庭教師の授業もさぼってばかりいた。そのせいで王都の貴族学園に入学できず、やむなくメイドとして働くことを選んだのだ。

 今世では必ず入学するため真面目に勉強した。学園では同い年の男子にたくさん出会える。きっとクリストファー様もその中にいるだろう。


 私は希望を胸に学園の門をくぐった。たくさんの男子新入生の中に彼と同じ黒髪と紫の瞳を探しながら。


(……いたわ!)


 何度も夢に見てきた懐かしい姿が目の前に。遠回りをしてようやく、同じ学生として会うことができたのだ。これからは、私たちはずっと一緒だ。

 泣き出しそうな胸の高鳴りを抑えながら私は彼に向かって歩みを進めた。


「クリストファー様!」


 私は笑顔で声を掛けた。私の声を彼は覚えているはず。たとえ三つ編みと眼鏡で顔を隠していても、気がついてくれるに違いない。

 だが彼はそのまま、友人らしき男子生徒とともに私の横をすり抜けて行ってしまった。


(聞こえなかったのかしら……?)


 もう一度前に回り込み、驚く彼に顔を近づけてもう一度告げた。


「クリストファー様! ようやくお会いできました!」


 しかし彼は私を怪訝な目つきで見て答えた。


「人違いですよ。僕はクリストファーではありません」


(そんなまさか……! だってあなたはクリストファー様そのままだもの)


「私です! アン・メイシ―です! 覚えていますよね?」


 必死の訴えも虚しく彼は気の毒そうに首を振った。


「誰と間違えているのか知らないが、僕はローレンス・シャノンだ。アン・メイシ―という人物も知らない。他を当たってもらえるかな」

「そんな……」


 ローレンスと名乗るその彼は、先に行ってしまった。本当に私のことは覚えていないようだった。


(どうして? 私はちゃんと前世のことを覚えているのに。こうして再び会うことが出来たのに。彼だけが、全てを忘れてしまったというの……?)


 その後の入学式で新入生の顔を全て確認したが、彼以上にクリストファー様に似ている者はいなかった。


(……絶対に彼がクリストファー様だわ。もしかしてまだ思い出せていないだけ?)


 王都に出てきてすぐ、私は貴族の名鑑を図書館で確認した。ウォルホード公爵家の系譜には、確かにクリストファー様があの時亡くなったことが記されている。


(クリストファー様と私が一緒に死んだことは間違いないのよ。そしてあの時のままの姿で今、私と同じクラスにいる。絶対に彼がクリストファー様だわ。思い出せていないなら、私が導いてあげなくては)


 それから私はローレンスに何度も声を掛けた。しかし彼は僕ではないと言うばかりで話を聞いてくれないし、彼を追いかける私の姿がみっともないとひんしゅくを買って、完全にクラス内で孤立してしまった。


(それでも……諦められない。目の前に生まれ変わったクリストファー様がいるのに)


 入学して半年程経った頃。ローレンスが裏庭に一人でいるのを狙ってまた声を掛けた。


「クリストファー様。思い出していただけましたか?」


 すると彼はため息をつき、初めて私の目を見て口を開いた。


「ねえ君、いつになったら諦めるの」

「諦めません。あなたが私を思い出すまで」

「思い出すわけないだろう。僕らはあの日学園で初めて会ったんだ。しかも君、あの時アン・メイシ―だと名乗ったよね? だけど実際の君の名前はカレン・オルコットじゃないか。言っていることが支離滅裂すぎるんだよ」


 責められながらも彼に真正面から話してもらえたことが嬉しく、私は思わず涙をこぼしてしまった。


「えっ、ちょっと……参ったな、泣かせるつもりじゃなかったんだけど」


 ローレンスは慌ててハンカチを取り出し、私に差し出してきた。


「……ありがとうございます」

「えっと、その、なんだ……とにかく話だけは聞いてみるから。だから泣き止んでくれ」

「はい……」


 それから私はローレンスに過去のことを話した。クリストファー様と心中して生まれ変わったこと、だからクリストファー様も生まれ変わっているはずだ、そしてそれはあなたに違いない、と。


「僕がその人にそっくりだから?」

「ええ」


 ローレンスはうーんと口を尖らせて考え込んでいる。


「それってただの偶然では? 君の夢というか思い込みというか。君が幼い頃に妄想していた夢物語の登場人物にたまたま僕が似ていた、とかさ」

「違うわ。私は確かに生まれ変わったの。あの時の鎖の冷たさ、毒の苦しさ、今でもありありと思い出せる。絶対に夢なんかじゃない」

「……実は、ウォルホード公爵家は僕の親戚なんだ。だから遊びに行ったことは何度もある。君、メイドとして働いていたと言うなら僕の質問に答えて」


 いくつか尋ねられたことに、私はすらすらと答えてみせた。田舎の男爵令嬢である私が絶対に訪れたはずがない公爵家の間取りや屋敷の装飾品、庭木の配置を全て。

 答えられなかったのは最近置いたという新進気鋭の芸術家が作った彫刻だけだった。


「……本当に、本当なのかな」

「本当よ。だからあなたに早く思い出してもらいたいの」

「でもさ、親戚だから偶然似ているだけじゃないかな。だって僕には僕の記憶しかないもの。前世なんてあったとしても必要ないしね」


 必要ない――まるでクリストファー様にそう言われたようで、私は悲しくなりまた涙をこぼした。


「あっ、ごめん、また泣かせちゃったな……」


 焦っているローレンスがなんだか可笑しくて、私は泣きながらふっと笑った。


「……君さ、そうやって笑っているほうがいいよ。いつも険しい顔して周りに壁を作っているし。……あれ? そのそばかす、もしかして描いてるの? 涙で流れてるよ」


 私は慌てて眼鏡を外し、ハンカチで頬を押さえた。


「ごめんなさい……化粧で汚してしまったわ。新しいものをお返しするわね」

「それは気にしないでいいけど……なんでそんなことしているんだい? しかもそんな綺麗な目をわざわざ隠したりして」


 ローレンスは、眼鏡を外した私を驚いた顔で見つめていた。


(もしかして、眼鏡と三つ編みのせいでアンのことを思い出せていなかったのかも)


 そう思って私は三つ編みを解き、クリストファー様が好きだったふわふわの髪を背中に下ろして彼を覗き込んだ。


「これでもまだ、思い出せない……?」


 するとローレンスは顔を真っ赤にしたが、首を横に振った。


「そう……やっぱり、あなたは違うのかも……じゃあ、クリストファー様はどこにいるのかしら……」

「同時に生まれ変わるって決まってるの?」

「え……?」

「だってさ、君が死んでから50年も経ってるんだろ? もしかしたら彼は先に生まれたかもしれないし、後から生まれてくるのかも」


 今まで考えてもみなかった。同時に死んだのだから生まれ変わるのも同時だと思い込んでいたけれど――。


「じゃ、じゃあ、私は……クリストファー様ともう会えないの? 今度こそ添い遂げるって約束したのに……」

「それは僕にはわからない。だけどさ、今の君みたいにその人のことばかり考えて友達も作らず生きてて楽しいのかなって、その点は疑問に思うよ。会えるかどうかわからない人のために、そんなに眉間に皴を寄せて生きる必要ないでしょ」

「だって……」

「君が幸せに生きててさ、彼に出会えたら結婚したらいい。彼に会えるまで独身でいることも今の時代なら可能だよ。学園で学んで、教師や医師になる令嬢も多いんだ。昔のように無理やり結婚させられたり愛人にされたり、なんてこともない」


(幸せに、生きる……? そんなこと、考えたこともなかった。ただただ、クリストファー様に会うことしか……)


「でも今さら……どんな風に人と接したらいいのかしら? 前世では見た目から疎まれ嫌われていたし、今世でも過去の記憶があるせいで風変わりな子だと思われて、友達なんてできたことがないの」

「これから新しく関係を築いていけばいいじゃないか。だって、アンも君も16歳になるのは初めてでしょ?」


 その言葉に、未来が開けた気がした。今までは、『本当の私は15歳なのだし』と思うと周りの子供たちに素直に接することができなかった。

 でもこれからは私の経験したことのない未知の世界。だったらもっと明るく、楽しく生きていったほうがいい。前世では得られなかった友達も作りたい。急にそんな風に思えた。


「ありがとうローレンス。私、なんだか憑き物が落ちたような気がする。前世に振り回され過ぎていたみたいね。これからは学園生活をもっと楽しく実のあるものにしていきたいわ」

「うん、そうするといい。僕も手伝うよ」


 その言葉通り、ローレンスは私がクラスに馴染めるように上手く立ち回ってくれた。見た目を変えたのも効果があったのかみんなが親切にしてくれるようになり、私の学園生活は急速に彩られていった。

 友人もでき、カフェでのお喋りが楽しいことを知った。みんなの恋の話をドキドキしながら聞いたりして。


「カレンはいいわね、ローレンスと両想いでしょう?」

「え、そ、そんなこと……ないわ」

「またまたぁ。あなた、最初から彼に猛アタックしていたじゃないの。彼も、あなたのことを大切に思っているのは丸わかりだわ」


(私が好きなのはクリストファー様……でも、ローレンスとの思い出が増えていくたび、クリストファー様への想いが薄れていくのも事実なの。顔は同じだけれど、性格は違う……ローレンスは明るくて楽しくて、とても頼りになる人だわ。私は確かに、彼に惹かれている……)




 

 やがて学園は長期休暇に入った。その期間は皆別荘に行ったり領地に帰ったりする。私も久しぶりに家族に会いに帰ろうと思っていた。


「カレン、領地に戻る前に僕の別荘に遊びに来ないか? 君が行きたいと言っていたラスタ湖の近くなんだ。よかったら招待するよ」

「まあローレンス! 嬉しいわ! 本当にいいの?」

「ああ。僕の祖父母がそこでずっと暮らしているんだ。毎年誰か友達を誘っていたんだけど、今年は君を連れて行きたくて」

「ありがとう! 他には誰を誘うの?」


 するとローレンスは顔を赤く染めて明後日の方向を見ながら言った。


「……今回は、君だけさ。他の奴らに邪魔されたくないから」


 その言葉を聞いた私も頬が熱くなるのを感じた。


(私だけってことは……私は彼の特別ってことでいいのかしら……)


 胸がトクンと音を鳴らす。


(ローレンスはクリストファー様とそっくりだけど、クリストファー様ではない。もし今、目の前に生まれ変わったクリストファー様が現れたら私はどうするの? どちらを選ぶの?)


 その答えは胸のときめきが物語っている、と感じた。


(私はローレンスが好き。いつのまにか、彼と共に生きる未来を夢見るようになったわ……)


 それでいいのだ、と思う。私はアン・メイシーではなくカレン・オルコットなのだから。これからはカレンとして幸せに生きていきたい。


 そしてローレンスの別荘に向かう日が来た。彼と一緒なら長い馬車の旅も楽しかった。ずっと笑いながら過ごしていたように思う。


「ほらカレン、ラスタ湖が見えてきたよ」

「わぁ……!」


 森の木立を抜け小高い丘から見える湖はとても大きく広く、太陽が反射してキラキラと複雑な色に輝いていた。


「本当に綺麗な湖だわ……! ローレンス、連れて来てくれてありがとう」

「どういたしまして。カレン、ここは冬もとても景色がいいんだよ。その頃にまた一緒に来よう」

「ええ、ローレンス……! 私、幸せだわ」


 別荘に着くと使用人たちが出迎えてくれた。


「お祖父様たちは?」

「中庭のガゼボでお待ちですよ。ローレンス様が素敵な方を連れて来られるというのでそれはもう楽しみにしてらして」


 ローレンスは顔を赤くし、私も照れて俯いた。


「じゃ、じゃあカレン。中庭に行こうか」

「ええ。まずはご挨拶をさせていただきたいわ」


 中庭のガゼボに向かうと、お祖母様が先に出迎えて下さった。豊かな白髪をゆったりと編み上げた上品な方だ。


「よくいらして下さったわね、カレンさん。私はメアリーよ。それにしてもまあ、なんて可愛らしいお嬢様なのかしら」

「初めまして。カレン・オルコットと申します。この度はご招待いただきありがとうございます」

「ふふ、堅苦しいのは抜きにしてお茶をいただきましょう。ロイドも心待ちにしていたのよ」

「ロイドっていうのは祖父の名前だよ」


 ローレンスが私にそっと耳打ちした。座って本を読んでいたお祖父様は、私たちが側に来ると本を閉じて立ち上がった。


「やあ、よく来てくれたね」


 振り向いたお祖父様は、白髪だけれど瞳はローレンスと同じ紫色だ。顔もよく似ていて、ローレンスが歳を取ったらきっとこんな風になるのだと感じた。

 私は笑顔を浮かべてご挨拶しようとした。


「初めまして、カレン・オルコットと……」

「――アン⁉︎」


 突然、前世の名前で呼ばれ私の体は硬直した。お祖父様は私の顔を見つめたまま真っ青になって、唇が震えている。


「アン、君なのか……? まさか君は、アンの生まれ変わりなのか……⁉︎」


 そう呟くと胸を押さえ、うずくまった。テーブルの上に用意された茶器が音を立てて倒れる。


「あなた⁉︎ どうなさったの、あなた! 誰か! お医者様を!」


 使用人がバタバタとやって来てお祖父様を運んで行く。お祖母様はごめんなさいね、お部屋で待っていてちょうだいと言い残してお祖父様を追いかけて行った。

 残された私は――呆然とその場に立ち尽くしていた。


(生まれ変わりのことを知っている……? どういう、こと……?)

 

「カレン……」


 ローレンスの声に、ハッと気を取り直した。


「ローレンス、お祖父様は……」

「少し心臓が弱くてね。発作を時折起こすことがある。だからたぶん大丈夫だと思うけど……さっき、君のことをアンと呼んでいたね。それが気になって」

「ええ……ローレンス、お部屋でお祖父様のことを教えて欲しいの」


 それから私はローレンスの部屋へ行き、混乱した頭を整理しようとした。


「クリストファー様はウォルホード公爵家の嫡男だったけれど、50年前に死んだの。もしかして、すぐロイド様に生まれ変わったのかしら……?」


 しかしローレンスは静かに首を振る。


「祖父は今、67歳だ。すぐに生まれ変わったなら50歳のはずだろう? ただ……クリストファーが生きていればちょうど……67歳になる」

「ではお祖父様はクリストファー様? クリストファー様は死んでいなかった……?」

「そういうことになるな……」

「で、でも! お祖父様はロイド・シャノンでしょう? 名前も家も、違っているわ」

「昔、聞いたことがある。シャノン家は跡取りがいなかったために、親戚筋から養子を取らなければならなかった。それが祖父だったと」


(公爵家から養子に? 名鑑では死んだことになっていたのになぜ? わからない、わからないわ!)


「私は一人で死んで、一人で生まれ変わって、あの人に会うためだけに生きていたのに……あの人は名前を変えさっさと結婚して子供も孫もいて、幸せになっていたのね。私だけが、バカみたいにあの人を信じて……」

「カレン……」


 心配そうに私の顔を覗き込むローレンス。でも今、その顔があの頃のクリストファー様にしか思えず、思わず後ずさりした。


「私……ごめんなさい。頭が混乱しすぎてぐちゃぐちゃなの。来たばかりだけど、領地に、戻るわ」

「カレン」

「ごめんなさい……」


 馬車の手配をしてもらい、私はローレンスの別荘を出た。ローレンスが送って行くと申し出たが、一人になりたいからと断った。


(今は、彼にそっくりなあなたの顔を見たくないの。ごめんなさい、ローレンス……)


 領地の屋敷に戻ると、お母様が驚いた顔で出迎えてくれた。


「まあカレン、あなたが帰るのは来週だと思っていたわ? シャノン様の別荘に行くのではなかったの?」

「お母様……!」


 私はお母様の胸に飛び込んで涙を流した。そんなことをしたのは初めてだったけれど、お母様は優しく抱きしめてくれ、私は思わず……前世を含めて洗いざらいを告白したのだった。


「そうだったの……」


 お母様は話を聞き終えると、私の頬にキスをしてぎゅっと抱きしめた。


「あなたが何かを抱えているのは気がついていたわ。いつも寂しそうで辛そうだったことも。でもまさか、生まれる前の記憶を背負い込んでいただなんて。しかもそんなにも重く悲しい記憶を……」

「ずっと黙っていてごめんなさい。私は、カレンとしてこの家で暮らしていていいのか、いつも悩んでいて……お父様やお母様に甘えることができなかった」


 お母様は私の頭をそっと撫でながら、全てを包み込むように語りかけてくれる。


「あなたが学園に入ってからとても明るくなったこと、王都にいるばあやから聞いて知っているわ。毎日楽しそうに学園へ通っていると。それはローレンスくんのおかげだったのね。ねぇカレン、このままカレンとして、アンの記憶を忘れて生きていくことはできない?」

「お母様……私もそうしたい。でも今、私の心の中はクリストファー様への憎しみでいっぱいなの。ローレンスと結婚する未来を夢見ていたけれど、クリストファー様と家族になることを考えたら……とても出来そうにないわ」


 私はきっと、ローレンスの顔を見るたびクリストファー様への感情を思い起こすだろう。そんな結婚生活はお互いに不幸だ。


「やっと、新しい人生が始まると思っていたのに……」


 お母様の胸の中で長い間泣いたあと、私はある決意を固めた。


「お母様。私、学園を辞めるわ」

「カレン。それでいいの?」

「ええ。私、ルイーズ叔母様のところへ行きます」


 ルイーズ叔母様は母の妹で、海を超えた国でドレスを作る店を開いている。

 以前から私の手先の器用さを買ってくれ、店で働かないかと誘ってくれていた。学園に入ることしか考えていなかった私は丁重にお断りしていたのだけど。


「クリストファー様を探す必要もなくなったし、好きな人と結婚することもできなくなった。私は、一人で身を立てて生きていかなくてはいけないわ。だから、叔母様の元で修業して、いつか独立したいの」

「カレン、そんなに結論を急がなくてもいいんじゃない?」


 私は目を伏せ首を横に振った。


「大丈夫よ、お母様。自暴自棄になったわけではないから。むしろ、新しい人生を始めるつもりなの。完全にアンと決別して生きていくわ」

「……わかったわ。ではルイーズに手紙を書いておくわね」

「ありがとうお母様。今まで素直に言えなかったけれど……愛してるわ」


 それから一週間が過ぎた。ルイーズ叔母様からは歓迎すると返事をもらい、来週には旅立つことが決まった。

 その間、ローレンスからもたくさん手紙をもらっていたけれど……心が揺れてはいけないから、開封することなく引き出しの奥にしまっておいた。


 するとある日、ローレンスが訪ねてきた。


「カレン、返事がもらえないから直接来てしまったけれど……頼みがあるんだ」

「……何かしら」

「祖父が目を覚ました。そして、君に会いたいと言っている。君に謝りたいと……」

「そんな、今になって……」

「カレン、君の怒りや辛さは、きっと僕には想像もできないほど大きなものだ。だけど、あの後何があったのか……それを知りたくはないかい」


(それは……もちろん知りたいけれど。でも知ったところで……)


 ふと、私の頭の中に悪魔の考えがよぎった。私を、私だけを死なせたクリストファー様をこの手で殺すことができたら……?

 ふと見るとローレンスは心なしかやつれていた。あんなにも明るく、太陽のようだった彼が。

 私がもしクリストファー様を手にかけたら、私の家族もただではすまないし、ローレンスも辛い目に遭わせる。でも、私は……短刀をドレスの中に潜ませ、ローレンスの別荘に向かった。


 青い顔をしたクリストファー様は、ベッドの上で身体を起こしていた。私の顔を見ると辛そうに顔を歪め、それでも発作を起こすことはなく涙を浮かべた。


「カレンさん、いやアン。君は記憶を持って生まれ変わったんだね」

「はい。まさかクリストファー様が死なずに生き続けていらっしゃるとは夢にも思わずに……あなたを探して15年、生きて参りました」

「すまないアン……本当に……」


 それからクリストファー様はあの後のことを語り始めた。


 あの日……私の記憶が闇に包まれて行った時、私は確かに死んだらしい。

 しかし、クリストファー様は死ねなかった。私よりも身体が大きかったためか、毒で死にきれなかったのだ。(後遺症として心臓に病を持つことになってしまったが。)

 公爵家嫡男とメイドの心中など大スキャンダルだ。しかもメイドは王子に望まれ、引き取られる前日だった。下手すると反逆とも捉えられかねない。

 そこで公爵家はメイドが突然病死したことにし、王子に断りを入れた。

 その後しばらくしてからクリストファー様が流行り病で死んだと偽り、空っぽの棺で葬儀を執り行った。クリストファー様は名前を変えて親戚のシャノン家に養子として引き取らせ、公爵家の系譜から外すと同時に新しい人生を用意したのである。


「僕は……再び『円環の鎖』を使って君の後を追いたかった。しかし『円環の鎖』は宝石だけを残して粉々に壊れてしまっていた。父からは、『あれは彫刻や宝石に価値があるからこその家宝だ。生まれ変われるなどというのは胡散臭い言い伝えにすぎない。そんなものを信じてメイドと心中騒ぎを起こすとは……お前には呆れ果てた。お前は今日をもって勘当だ。この家の財産は何一つ譲らんからそのつもりでいろ』と言われた。僕が愚かだったために、愛する君だけを死なせてしまったことに絶望していたよ……」


(あの鎖が胡散臭い言い伝え……? では、こうして生まれ変わった私はいったい……)


「母は、心臓を患ってしまった僕を心配して、跡継ぎのいないシャノン子爵家に僕を養子に出すことに決めた。王都では僕の顔も名前も知られているが、領地が辺境にあるシャノン家ならばこの醜聞が伝わらないだろうと考えて。そしてそれは間違いではなかった」


 クリストファー様はロイド・シャノンとして子爵家に入ることになった。病気がちだが若く美しい次代の当主を領民たちは歓迎した。

 美しい自然と温かい人々の気質、それらに接するうちにクリストファー様は次第に生きる気力を取り戻していったという。


「君の後を追うことばかり考えていた僕だが……自分の務めから逃げてはダメだと思い、せめてこの地の民を幸せにしようと思ったのだよ。そうするうちにメアリーに出会い、彼女の明るさと生命力の強さに惹かれて結婚したのが27の時だ」

「私が死んでから……10年後……」

「僕も孤独だった。誰かに側にいて欲しかったんだ。君への罪悪感を持ちながらも僕は……弱くて……」


 クリストファー様も苦しかったのだろうか。50年という長い時間、私を死なせた後悔を抱えて。


「もしも君が生まれ変わって僕の前に現れることがあったら、こうしようと決意していた」


 クリストファー様は枕の下から短刀を取り出し自らの首に当てた。


「お祖父様!」

「来るな! ローレンス」


 近寄ろうとするローレンスを、お祖父様は一喝して止まらせる。


「あの時死ねなかった僕がアンに詫びるにはこれしかない。アンどうか幸せに……」

「駄目です、クリストファー様。そんなことではあなたを許せない」


 私はクリストファー様に近づき、短刀を取り上げた。クリストファー様の手は力が無く、少女の私でも簡単に奪うことができた。


「病気で弱ったそんな力で死ねるはずがありません。だから、私がこの手で死なせて差し上げます」


 そう言って短刀を両手で握り直し、肩の上で振りかぶる。


「カレン!」


 ローレンスに止められる前に、私は短刀を振り下ろした。クリストファー様は目を閉じ、微笑みを浮かべている。


 ブスリと深く突き刺さる感覚が手に伝わり……羽がふわりふわりと宙を舞った。


「カレン……」

「アン、なぜ……」


 私は羽毛枕に短刀を突き立てたのだ。


「私は今、復讐を遂げました。これでクリストファー様への恨みは忘れることにします。残りの人生をメアリー様とお過ごし下さい……そしてさようなら、もう二度とお会いすることはありません」


 私はくるりと背中を向け、部屋を出た。ローレンスが追いかけてくる。


「カレン! 僕たちは、これからも一緒にいられる?」

「ごめんなさい、ローレンス……私はあなたが好きだったわ。でも、あなたはクリストファー様の孫。その関係がある限り私は過去に縛られてしまう。だからもう、全てを忘れて新しく生き直そうと思うの。学園も辞めて、この国を出ます。まっさらなカレンとして今度こそ生きていくわ」


 泣きそうな顔をしているローレンスを残して、私は別荘を出た。



 そして今、私は叔母様の元へ向かう船に乗り、甲板で海を眺めている。昨夜は家族が豪華な食事でお祝いしてくれ、餞別の品もたくさんもらった。


「一生会えないわけじゃないわ。時々は帰ってくるわね」

「ええカレン。待っているわ。身体には気をつけてね」


 学園の友人からも手紙をたくさんもらった。いつか遊びに行く、結婚式のドレスはカレンに任せる、などと書いてくれていた。


(短い間だったけれど、友達を作れて本当に良かった。これも全てローレンスのおかげだわ……)


 彼のことを思うと胸がチクリと痛む。


(いつか、ローレンスのことも大切な思い出になるでしょう。それまでは辛いかもしれないけれど、毎日を大切に生きていこう……)


「美しいお嬢さん、お一人ですか?」


(……!)


 聞き慣れた優しい声。驚いて振り向いた私に、ローレンスが微笑む。


「どうして……ローレンス……?」

「僕は三男だからね、いつかシャノン家からは独立しなければならなかったんだ。それを少し早めて出てきたんだよ」

「出てきたって……まさか学園も辞めたの?」

「ああ。君以上に手放したくないものはないからね。相続権も全て放棄して、貴族籍から抜けてきた。両親への説得はお祖父様も手伝ってくれたよ」

「クリストファー様が……」

「向こうで母方の親戚が商会を営んでいるので、そこで働くことになっているんだ。一人前になったら、君に結婚を申し込むつもりだ――君さえよければ、だけど」

「先のことはわからないわ。永遠の愛なんてないってこと……わかっているでしょう?」

「もちろん。僕は行動で示すよ」


 その言葉通り、ローレンスは10年後私にプロポーズした。

 結婚した私たちは協力してドレスの商会を立ち上げ、子供も生まれて幸せに暮らしている。


 その間にクリストファー様……いえ、ロイド様は亡くなった。メアリー様や子供、孫に囲まれた穏やかな最期だったという。




 



 

 

 

 


 

 

 

 

 


 

 

 


 


 






 


 


 


 




 


 

 

 

 

 


 

 



 

 

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