第一章:コードネーム「L」の帰還と、灰色のフィルター
ルナはタバコの紫煙を深く吸い込み、肺の中で循環させてから、湿った空気の中へ細く吐き出した。
合成ニコチンの安っぽい苦味が、舌に残る鉄の味をごまかしてくれる。
「現地時間0530。エリア404、境界線に到達」
彼女の声は、喉元のマイクを通じて骨伝導でクリアに送信されるが、その響きには感情の欠片もない。
26歳になったルナの視界に、かつてのようなセピア色の夕暮れや、幻想的な色彩は存在しない。彼女の左目に埋め込まれた軍用AR(拡張現実)インプラントが、世界を冷徹なデータへと置換しているからだ。
木々は『有機炭素構造体(耐久度低下)』とタグ付けされ、空を舞う綿毛は『未確認浮遊粒子(呼吸器注意)』という警告色で表示される。
「聞こえるか、ルナ。今回のターゲットは特S級だ。ヘマをするなよ」
イヤーモニターから、ハンドラー(担当官)のKの粘着質な声が響く。
「わかっているわ。借金の利息分くらいは働いてみせる」
ルナはブーツのつま先で、地面の苔を踏み潰した。
ジジッ……ザザッ。
かつてラジオのノイズのように聞こえたその音は、今や彼女のタクティカルスーツの防磁コーティングを焼く、不快な干渉音でしかない。
ここはもう「時の森」ではない。巨大企業クロノス・コアが廃棄したデータと、暴走したナノマシンが共食いを始めた、巨大な産業廃棄物処理場だ。
彼女の手にあるのは、祖父の真鍮のランタンではない。
企業支給の重たい対データ生命体用ライフル「イレイザー」。そして腰には、対象のコアから強引に情報を引き抜くためのパイルバンカーが揺れている。
ルナはバイザーの彩度を最低まで落とし、警告の赤色が点滅する灰色の森へと、無造作に足を踏み入れた。




