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彼女に神の祝福は無く  作者: 雨竜秀樹


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第五話



「それにしても、基礎聖術の『聖弾』が切り札で《大禍》の核に挑むなんて、自殺願望者じゃないかと疑いますわね」


 オリヴィエの眠たげに細められた薄灰色の双眸に映し出されるのは、一回り年の離れた聖術師の二人――トールとユーリーンである。残り二人、最年少のハンクとマルギッテは簡易医療テントで休息させている。片方――右腕を失い見た目にもひどい状態のマルギッテではあるが、オリヴィエはいくつかの治癒薬が用意してあるので一命はとりとめるだろう。その後の活動まではわからないが、クランハフェン規模の都市であれば腕の良いドワーフの義肢職人はたくさんいる。錬金術と併用すれば日常生活はもちろん、聖術師としての活動も可能だろう。もっとも、相応の時間と根気は必要だろうが。

 一方、最年少のハンクに関しては、完全に専門外であった。闇の核が放つ絶叫は薄弱な精神力の持ち主の心を打ち壊す。聖術師であれば常人よりも高い耐性はあるが、それでも心を壊されてしまう聖術師がいないわけでもない。そうなれば、目に見えないだけ傷の深さはわからない。精霊術の中には精神に直接作用させる技がいくつかあり、オリヴィエも覚えてはいるが、大抵は犯罪者用の危険な術であり、穏当な術も自身の精神を守り癒すものが大半である。

 つまり、ハンクに対して、できることは何もない。


「要約すると、功名心から手に負えない事態になったと。まあこの程度の被害で済んだのは幸いですわね」


 オリヴィエは事の顛末を聞き終えると、そうまとめた。

 責めるわけでも嘲るわけでもないが、もちろん優しさや労りなども皆無である。

 発起人であるトールはもちろん、止められなかったユーリーンも後悔しかない。特に片腕を失ったマルギッテと未だに目覚めぬハンクに対しては後悔しか感じない。

 もっとも彼らの選択に対して、先ほども述べたがオリヴィエは責めるつもりはない――なぜなら彼らは雇い主なのだから、支払さえしてもらえるのならば、この程度の理不尽は許容できると考えていた。


「それじゃあ、支払額を算定いたしましょうか。

 高等精霊術無音詠唱用符が三十七枚

 大凶斑大蜘蛛の糸とミスリル繊維で作った捕獲網――クラム・クラムの捕獲弾一つ

 一角獣と聖霊鳥の血を混ぜたポーション――エメシュ霊薬が二瓶

 ドルムフォージ大工房で作られた特殊爆弾――強酸爆弾を六個

 肉体強化術のかけられた指輪――戦乙女の指輪

 汚染を退ける特殊な糸で編まれた衣服――聖結界同盟の法衣

 指輪と法衣は消耗していましたから元値の十分の一で試算しましょう

 重力反転の靴――こっちは未使用の消耗品なので一足分の請求

 増強用のオリジナルポーション〈獅子〉と〈翼竜〉を二瓶ずつは少し算定が難しいですけど、この前売却した時のオークション売却時の最低額

 他にも治療用の道具とかもありますけど、細かいところと端数はサービスしてあげますわ」


《大禍》を滅ぼすのにかかった必要経費を計算し、提示する。

 ずらっと並んだゼロの数は、先ほどとは別の意味でトールとユーリーンの胸を締め付ける。


「あの、すぐ支払うのは……」

「無理でしょうね。ご安心なさい契約条項に分割時の利子割合も書かれていますから、契約者三人で割ると思えば、何とかなりますわよ。もちろん現金でなくとも、消耗品補充の形で支払っていただいてもかまいません」


 今回の戦いで消耗した薬品や道具、装飾品の数々は当然ながらそこらの市場で買えるような品々ではない。よほどの伝手と大金、あるいは闇市場などでの幸運に恵まれないと入手するのは困難なものばかりである。

 オリヴィエにはコレクション意欲はないようなので、それほど気にした様子もないが、趣味人であれば死んでも使わないような品物も混じっている。


「言うまでもないと思いますけど、支払いが滞ったり、逃亡したり、死んだりした場合、あなた方の所属するヘルムタール家の方に請求がいきます。わたくしとしてそれでも良いのですけど、貴方たちは困ったことになるかもしれませんわね」


 第四階梯の自分たちが指令を無視しただけでなく失敗した挙句に大金を借金していたことが知られれば、どのような罰が下されるか、想像するのも恐ろしい。

 国であれば過度な罰則は委縮させるだけとして温情ある措置、弁護人などをつけてくれるかもしれないが、ヘルムタール家という聖術師たちの空間ではまた違う。時代が変わり多少は温くなったが、それでも今回のようなケースでは最悪、死後労役という罰を受ける可能性さえある。死という安息さえ許されず、聖霊として世界のために奉仕させられるのだ。

 遥か昔は死後も世界に奉仕する名誉あるとされていた聖霊の位だが、今では現世で罪を犯した聖術師に対する罰として恐れられている。


「まあそんなに暗い顔をなさらないで、聖術師として真面目に働けば、たぶん数年程度で返済できますわ」


 おおよそ個人が背負うには重すぎる金額ではあるが、オリヴィエの言う通り聖術師という職業であれば返済は不可能ではないだろう。

 聖術師が大家に納めるマージンを差し引いても、リグルット共和国市民の平均年収の数十倍。様々な支援金や特別免税特権などもあるため、トールたちの階梯であれば、数年の倹約生活を送れば返済可能である。より上位の階梯に昇りつめれば返済スピードはより早まるだろうが、流石に今回のやらかしで自尊心をぽっきり折られた今の心境は、一発逆転よりも、真面目にこつこつ返済するという方向性に傾いている。

 利息なども含めて、細かい返済計画や支払方法を決め終えると、トールは改まって、オリヴィエに頭を下げた。


「第四階梯のトール・サルヴァリン。《大禍》浄化の助力、皆を代表して感謝いたします。えーっと……」


 トールは困ったような顔をしてオリヴィエを見る。

 なし崩し的に契約したが、目の前の相手の名前をトールはすっかり忘れていた。契約書類には名前が書いてあり、ユーリーンの方は覚えていたはずだが、金額の大きさや今後の返済計画で頭がいっぱいだったため、名前が出てこない。

 オリヴィエは金の巻き毛を気だるげに弄びながら告げる。


「精霊術師オリヴィエ・エヴァンですわ」

「え、『あの』オリヴィエ」


 ヘルムタール家の噂で聞いた直系筋の「無能者」だと気づき、トールは己を恥じた。少し前まで、風聞を鵜呑みにして彼女を揶揄したことは一度や二度ではない。

 リーダーの失言に、隣にいたユーリーンは無言で肘鉄を放つ。

 第四階梯に昇格した相手だからと色々と強く出られなかった結果が先の騒動である。彼女は遠慮をするのはやめると心に誓ったのだ。


「オリヴィエ様、トルメの《大禍》での活躍を覚えております。私もあの場におりましたユーリーン・アールームトーンと申します」


 四人の中では彼女が心身ともに一番軽傷だった。

《大禍》の恐ろしさを知りつつ、他のメンバーをいさめられなかった自分のことも当然、激しく悔いてはいる。


「聖盾の使い方がうまかった子ですわね。覚えていましてよ」


 オリヴィエは気だるげに告げる。

 トルメの《大禍》で言葉を交わした聖術師はアンジュリーゼのみであったが、低階梯聖術師の貌も一通りは見て覚えている。


「ですが、聖弾も悪くはありませんでした。案外、守りよりも攻撃の方が得意なのかもしれませんわね」

「どうしてわかるんですか?」


 聖術が使えなのに、とは言葉にはしなかったが、ユーリーンは訊ねた後でしまったという顔をする。しかしオリヴィエは気にした様子もなく、懐かしむように告げる。


「それはもう、ずっと色んな聖術師を見てきましたから」


《大禍》を葬る絶対的な英雄の力。

 焦がれて、渇望して、ついには手に入れられなかった力をずっと見てきた。どんな聖術があるかも、どんなタイプの聖術師が、どういった聖術を得意とするかも、国を離れた後も、時に助力し、時に弟子入りし、時に仲間になり、時に争うことさえあった。

 それほどまでに聖術に焦がれ――そして今はもう手に入れられないことを理解している。そんな精霊術師の薄灰色の瞳に映し出された寂寥の色に、ユーリーンは納得したかのように顔を伏せる。

 そして改めて、自分たちの力の意味について考えるのであった。



 * * * * * * * * * * * * * * * * * * * *



《大禍》を滅ぼすことができるのは聖術師だけである。

 だが、聖術師を殺すのは《大禍》だけではない。聖術が使える者は皆、同種族に比べて一般的に頑丈とされるが、それでも基本的な構造が変わるわけではない。主要な部位や臓器に致命的な一撃を受ける、致死量の出血をするなど、一般人と死ぬ条件は大きく変わらない。聖術の中には強力な守りや治癒、再生能力を与える術も存在はするが、それとて発動する前に事を終えてしまえばどうにもならない。

 この世界に、死者を蘇らせる奇跡は存在しないのだから。

 しかし、だからといって聖術師が殺されるような事件はそうそう起こらない。

 五十年前、キルメリア連邦で行われた聖術師狩りを知る者であればなおさらである。

 当時、大国の一つと数えられたキルメリア連邦は、王侯貴族を廃して、徹底的な平等主義と管理体制を国是とすることで国際社会に大きな影響力を持っていた。ちょうどその時、《大禍》に対する新しいアプローチが上手くいったという結果を受けて、唯一残された聖術師という特権階級に国家のメスが入ったのである。

 キルメリア連邦首脳部とその土地に住む聖術師たちとの話し合いは決裂し、ついには聖術師狩りと呼ばれる大々的な排斥運動につながった。多くの聖術師が反逆者、国賊として処刑され、残された者たちも国を追われることとなる。

 粛清と弾圧の暗い時代が過ぎ去り、聖術師がいなくなった時期を見計らったかのように――、キルメリア連邦に天災等級の《大禍》が解き放たれた。

 経緯は今も不明である。

 新しいアプローチ手段である『魔術』による副作用だと語る者もいれば、《大禍》の軍事利用による暴走論を唱える者もいる。いずれにしても、キルメリア連邦はこの《大禍》を抑え込むことはできなかった。

 周辺国が事態に気づいた時には、すでに何もかもが手遅れであり、自国に被害を及ぼさないように国境を封鎖するのが精一杯の状態だったという。

 完全に隔離されたキルメリア連邦の内部で自然消滅するまで《大禍》は荒れ狂い、徹底的にすべてを破壊尽くした。わずかな生存者は迫害を逃れた聖術師に助けられた人々だけであり、それ以外のすべての命が失われたのである。


 そして改めて聖術師という存在こそが、自分たちの命綱だと、世界共通の認識となる。

 彼らこそが唯一《大禍》に抵抗できる英雄。

 ゆえに、よほどのことがなければ聖術師が殺傷されるということはない。

 無論、聖術師たちにも個々の人格がある以上、周囲との衝突は存在する。特権や力を鼻にかけた態度に反発を抱く者も少なくはない。しかし殺すとなれば、話は別である。《大禍》の恐ろしさを知る世代はもちろん、その被害の影響を未だに受けている国にとっても、聖術師たちは最後の希望なのだから。


 だからこそ、第一階梯の聖術師アルトマン・カル・ホル・ビュートリーデは自分が殺されかけていることが、未だに信じられなかった。


 いったい誰が、何の目的で?


 周囲からは多少の女遊びが過ぎるといわれるが、彼自身は独身だし、相手とは合意の上で十分な金を支払っている。特殊な性的思考を持っているわけでもなく歓楽街ではお得意様として歓迎されている。彼が相手した女に横恋慕した名も知らぬ誰かが、自分の身分を知らずに襲ってきたのかとも考えた。しかし、どうやら自分を狙っている相手は自分の素性を理解しており、相手は一人ではないらしい。

 腹部に突き刺さった刃物、激しい痛みと眩暈、嘔吐。

 得意とする聖炎の一撃で不意を討った襲撃者を撃退したが、まだ隠れ潜んでいる者たちがいる。

 助けを求めるために、慣れ親しんだ裏道を走る――ということはできず、腹部の激痛を堪えながら早歩きで這うように進む。

 すでに夜も更けており、精霊灯による光が点々と続いている。自分と襲撃者以外には人の気配もないが、それでも一縷の望みをかけて、アルトマンは歩を進める。

 だが、その歩みを阻む者が姿を見せる。


「お久しぶりですわね? アルトマン・カル・ホル・ビュートリーデ」

「お前は……オリヴィエ!?」


 蜂蜜色をした金色の巻き毛、薄灰色の瞳、記憶している姿よりも成長しているが、その美しい面影は忘れない。嘲笑しながら、かつての同門――師の一人であった自分を見下ろす姿に、アルトマンは吐き捨てるように言った。


「戻ってきているとは知っていたが、正気か? 聖術師にこのようなことをして、ヘルムタール家はもちろん共和国のすべてが、貴様を狙うぞ」

「望むところですわ。それこそ狙いですから」


 女はニタッと凶悪な笑みを浮かべた。

 その顔に、アルトマンは違和感を覚える。六年という月日は人を変えるのに十分な年月ではあるが、本質を変えるのには果たしてどうだろうか? 周囲に無能者と誹られ、無駄でありながら努力を続けたオリヴィエの美しさを、アルトマンは今も忘れてはいなかった。上辺の容姿は似せたかもしれないが、本質の部分ではまったく当てはまるものが見当たらない。


「貴様――、誰だ? あの娘ではないな……」

「ふふ、うふふふ、いいえ、オリヴィエ・エヴァンでしてよ? 少なくとも、貴方は彼女のヘルムタール家に対する復讐で死んだということになっていただきますわぁ」


 アルトマンは聖炎を吹き上がらせる。

 事情はわからぬが、自分が何かの陰謀に巻き込まれ、その生贄の駒として選ばれたことだけは理解できた。

 数多の《大禍》を焼き滅ぼした聖なる焔が、オリヴィエの姿をした何者かに襲い掛かる。防御も回避も不可能とみて、アルトマンは会心の笑みを浮かべる。だが相手は別の手段で聖炎に対抗しようとしていた。

 どす黒い劫火が聖炎と衝突する。

 目の前の女から放たれる真っ黒な炎が、アルトマンの聖なる焔を呑み込み、その勢いを殺さずにアルトマンの全身を焼いた。

 アルトマンは絶叫と共に倒れ伏す。


「安心なさって、すぐには死にませんわよ。貴方にはヘルムタール家に伝えてもらわなくてはならない言葉があるのですから」


 黒い焔をまといながら、本人が決してしないような邪悪で妖艶な笑みを浮かべる。

 後日、全身が焼かれ瀕死の重傷を負ったアルトマンは死の間際に残した言葉は、ヘルムタール家に衝撃を持って受け止められる。


 ――オリヴィエ・エヴァン。


 彼が残した言葉はそれだけで、その言葉だけで襲撃者の目的には充分であった。




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