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彼女に神の祝福は無く  作者: 雨竜秀樹


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第二話


《大禍》――嘆き、怒り、欲望、すべての負の感情が凝縮し、爆発し、周囲に呪いをまき散らす現象は、この世界における災厄であり、歴史が始まった時より悩まされてきたものである。

 その《大禍》を滅する力を持つ者たちは聖術師と呼ばれ、世界の守護者として尊敬と羨望の眼差しを向けられてきた。その証拠に、王という地位が象徴的なものになり、貴族特権のほとんどが廃止された現在でも、聖術師たちは己の権威を保ち続けている。

 その権威を象徴するかのように、聖術師の大家であるヘルムタールの住まいは豪華であった。敷地内が小さな街のようになっており、使用人の暮らす家々のみならず農園、ワイン畑、狩猟場となる森、ちょっとした湖までもがヘルムタールの所有物であった。無論、ただ豪勢というだけではなく聖術を訓練するための訓練場や《大禍》の知識を深めるための大図書館などの特殊な施設も多数存在している。

 そんな広大な敷地の中心は当然ヘルムタール本家の邸宅であり、その周辺である中心地には所属する聖術師たちに与えられる館が序列順に並んでいる。

 その序列に、今回変動があるのではないかと聖術師たちは囁き合っていた。


「オリヴィエが帰ってきたらしい。無能者がどの面を下げて、この国にいるつもりやら?」

「六年前に追放された、あの出来損ない?」

「俺は修行に耐えられずに逃げ出したと聞いたぞ、金品を奪って国外に逃亡したとか」

「ヘルムタールの面汚しめ」

「面汚しといえば、アンジュリーゼ。勝負を挑んで敗けたばかりか、無能者に命を救われたとか?」

「降格は間違いないでしょう。誰がその穴を埋めるのか?」


 舞踏会などにも使われる大広間だが、今は王の謁見場のように不要なものは下げられている。唯一残された主賓席には、ヘルムタール家の当主が腰を下ろしている。

 ひそひそと交わされる尾ひれのついた噂話を耳にしながら、アンジュリーゼは当主の前に姿を見せる。

 懲罰会というほど厳格ではなく、しかしただの会議というには重苦しい空気の中、キルギアが席を立ち、皆を制する動きを見せた。

 キルギア・ジルム・ホル・ヘルムタール。

 貴族特権のほとんどが廃止された今、ホルという貴族の称号は無意味に思えるかもしれないが、相手に威圧感を与える権威としては未だに有効な肩書きである。キルギア自身にも相応の格は当然にあった。

 四十代後半から五十代前半、顔に深く刻まれているのは皺だけでなく《大禍》と戦い続けたことによる数多の傷跡、そして佇んでいてもわかるほどに溢れ出す聖術の力の波動、術師でなくとも、思わずひれ伏したくなるほどの力は、この場にいる聖術師たちの方がより敏感に感じ取っている。

 全員が静まったのを見ると、キルギアは話題の一翼を担う娘の名を呼ぶ。


「第二階梯アンジュリーゼ・シィル・アルクベルン」

「はい」

「提出された報告に相違ないな?」

「間違いございません。《大禍》を滅する責務は果たしましたが、外部派遣された精霊術師――オリヴィエに後塵を拝したこと、面目次第もありません。如何なる処分も受ける覚悟でございます」

「我ら聖術師は《大禍》より、世界を、民衆を守るのが役目、術比べをしているわけではない。咎めるべきは、独断で契約内容を修正した点にある。今や時代は変わり、かつてのように王侯貴族の如くふるまうわけにはいかぬ。しかし、聖術の使えぬ議会に屈するわけにもいかぬ。我らの立場、地位、独立性を保たせるためにも、より一層厳格な秩序を守らねばならぬ」


 アンジュリーゼだけではなく、他の聖術師たちにもはっきりと告げる。

《大禍》を滅する唯一無二の力は、過去の時代において王侯貴族にも劣らぬ特権と富をもたらした。しかし今は時代が移り変わり、奴隷は消え、平民は知恵をつけ、生まれながらの身分制度が消えはじめて、新しい社会秩序が生まれ始めた今、聖術師たちも過去のような暴利をむさぼるわけにもいかない。

 あくまでも契約に従い、仕事として《大禍》を滅ぼすのである。

 しかし聖術師とはいえ人間であり、命懸けの特別な仕事となると様々な難癖をつけて契約内容にない報酬を享受しようとする輩がいるのもまた事実。《大禍》という絶対の危機を前にした時、生き延びるために増額を飲む案件も、当主であるキルギアの耳にも秘かに報告が届いている。

 アンジュリーゼが叱責され、降格されるのを期待していた者たちに動揺が走る。

 下手に彼女を糾弾すれば、自分たちにも火の粉が飛びかかってくるのではないかと恐れてはいるのだ。


「謹慎と再訓練を命ずる。階梯に関しては、再訓練の成果を見て判断する」

「寛大な処分、痛み入ります」


 すでに作られた雰囲気の下地から誰も処分に異を唱える者はいなかった。


「下がれ、そして皆にも今一度告げておく、我らは世界の守護者として、責務と自制が求められている。天球院からの予知によれば、今年の《大禍》は例年以上に等級が高く数が多い、ヘルムタールの名に恥じぬよう、各自も腕を磨き、戦いの時に備えよ」



 * * * * * * * * * * * * * * * * * * * *



 ヘルムタール本家のある都市クランハフェンは、にぎやかな街であった。

 千年以上前、《大禍》から溢れ出てきた眷属たちと戦った城塞都市から発展していき、その後は交易都市としてリグルット共和国の主要都市の一つとして数えられている。いくつもの企業が本社を置く根拠地としており、国の内外から多種多様な人種や品物が出入りする他にも、聖術の大家ヘルムタールを一目見ようと各地から多くの観光客が訪れている。

 様々な肌の色の人間はもちろん、獣人、エルフ、ドワーフ、加えて中央部では珍しいリザードマンやオーク、ゴブリン、オーガなども様々な品物を売り買いし、飲み、食べて、歌って騒いでいる。雑多でありながらも、そこには奇妙な一体感もあった。お決まりである貧富の格差や種族の差別などは見て取れない――少なくとも各地を渡り歩いたオリヴィエの目から見て、みんな楽しくやっているように見えた。

《大禍》という絶対的な恐怖を前にすべての種族は団結せよ――というのは、やはり千年以上昔から掲げられてきたお題目であるが、それをきちんと実践できているあたり、自分の生まれ育った国はなかなかに平和で豊かなのだと、カフェテラスから流動する多種多様な種族の姿を見下ろしながら、オリヴィエは秘かに感心する。

 午後の陽光が差し込むカフェテラスは、花の香りと焼き菓子の甘い匂いで満ちて、どこか安心させる空気を持っていた。だが、その穏やかさにあまりにも似合わない存在がひとり。


「よお、こっちでの初仕事はどうだった?」


 オリヴィエの前に、赤毛の青年が腰を下ろす。

 ぼさぼさの赤毛、顔の半分を覆う大ぶりのサングラス、獣人特有の犬歯がちらりとのぞく、野生めいた笑み。さらに言えば、風雨に擦り切れたトレンチコートは、どう見ても“日向のカフェに来るための服装”ではない。まるで裏通りか夜の酒場からそのまま出てきたような男は足を組み、椅子の背に適度に体を預けると、街を歩く客たちを軽く一瞥してから、オリヴィエへと視線を向けた。

 仕事相手というよりも友人のような気さくで軽い調子だ。


《大禍》関係の仕事と対処する人員の仲介を行う斡旋業者――マルトン・フランデル。

 ただし「非合法の」という言葉がつく。


「ヘルムタール家の者がいましたわ」

「協力相手がいるって言っただろ?」


 オリヴィエはわざとらしく目元を押さえ、深いため息をひとつ。

 その動作には「言っていませんわよね?」という無言の訴えがにじむ。彼女の金の巻き髪がふわりと揺れ、半端に落ちた前髪から覗く眠たげな薄灰色の瞳が、明らかに不機嫌さを帯びていた。

 それでも騒ぎ立てるでもなく、整った所作でカップに触れ、ひと口だけ紅茶を含む。その優雅さが、逆に呆れを強く物語っていた。


「今度からはきちんと報告してくださいな」

「捨てた家の連中がいるとやりにくかったかい?」


 マルトンはニヤニヤと口元を吊り上げ、サングラスの奥で面白がる気配を隠しもしない。

 肘をテーブルに乗せて身を乗り出し、わざと声の調子を軽くする。完全に「からかい半分」だ。

 彼のしっぽ――コートの下から少しだけ見える獣人の尾が、楽しげに揺れているのもごまかしようがなかった。


「無駄に敵を作りたくはありませんの」

「とはいっても、このクランハフェンで聖術師の協力者がいるといえば、普通はヘルムタール家だと思うだろ? 特に災厄等級を鎮めるほどの術者となれば、逆に他の大家を遠方から呼び寄せる方が不自然ってものだ?」

「……そうですわね。気にしないように意識しすぎて、抜け落ちていましたわ」


 オリヴィエは会話を切るように鞄をそっと持ち上げ、音を立てないように机へ置いた。革の留め具を軽く押さえ、マルトンの方へ押しやると、その中から紙幣独特の匂いがふわりと漂う。

 マルトンはすかさず手を伸ばし、すっかり慣れた手つきで札束をめくり始める。指先の動きは妙に滑らかで、手練れの商人か詐欺師かどちらかにしか見えない。

 確認を終えると満足げに鼻を鳴らし、反対の手で鞄の代わりに書類の束をオリヴィエ側に滑らせた。


「しかし宣伝効果はあったさ、あんたに仕事を頼みたいって依頼がきている。《大禍》の等級は萌芽から大厄程度だけどな。滅ぼすんじゃなくて再封印すればいいだけだ。これなら聖術師がいなくても大丈夫だろ?」


 オリヴィエは書類の端に軽く触れ、束の厚さを確かめた。そのまま流し見て、美しい眉がきゅっと寄る。

 依頼の数が予想以上に多い。

 しかもすべて封印依頼。

 彼女の姿勢は相変わらず優雅だが、瞳の奥にだけ疲労の色が浮かんだ。


「こんなに? ずいぶん多いですわね」

「大厄以下となると、国からの補助金も出ない。かといって、聖術師を雇うには大金が必要だからな」

「リグルット国法では等級ごとの上限が決まっていたはずですが?」

「ああ、だけど規定以上を取ろうとするやつらは少なくないし、接待交際費も馬鹿にならねぇ、そうじゃなくても聖術師の数には限りがある。そいつらの取り合いでまた金が必要になる。かといって厳しく締め付けようとすれば、今度は聖術師たちが依頼を受けなくなると、互いに綱引きをしている間に、こうして依頼書は溜まってくるわけだ。かといって放置していたら《大禍》が解き放たれるからな。互いの妥協点が見つかるまでの時間稼ぎに再封印の必要があるわけだ」


 マルトンの指が最後の札を弾き、乾いた“パサリ”という音がテーブルの上で響いた。

 それが彼にとっての「説明終了の合図」のように自然で、本人は満足げに顎を上げる。


「幸いなことに緊急性は高くない――と、天球院の予知能力者共は言っている。依頼人たちは早く何とかしてほしいと考えてはいるだろうが、俺としてはアンタが万全な状態で挑んでほしいね」

「《大禍》相手に万全は不可能ですわね。とはいえ、準備は必要です」

「それじゃあ依頼が取り下げられる前にやってくれ、ヘルムタール家もアンタが戻ってきてちょっとした刺激になっている。ひょっとしたら今まで見向きもしなかった《大禍》に着手するかもしれん。独立した中小聖術師の一派の動きが活性化する可能性もある」

「それならそれでかまいません。ヘルムタール家だろうが誰だろうが、《大禍》を滅するなら、それに越したことはありませんもの」


 オリヴィエは喧噪溢れる街並みを気だるげに見下ろしながら、そう呟く。


「とりあえず拠点は欲しいですわね。適当な物件も紹介してくださるかしら? 少々騒がしくしても問題ない都心から離れた場所が必要ですわ。それと移動用の乗り物も」

「そういうと思って、いくつか見繕ってきたぜ。今すぐ見に行くかい?」


 仲介屋の言葉に令嬢は気だるげに、しかし育ちを感じさせる優雅さで首を横に振ると、まだ手を付けない焼き菓子と飲みかけの紅茶に目を向ける。

 今の彼女に急ぐ理由はないのだ。


「俺は外の車に戻っている。用事を終えたら、来てくれ」


 怪しい取引現場の目撃者になってしまった人々の視線が突き刺さるのを感じて、マルトンは足早に立ち去る。一方、待ち合わせ場所を指定したオリヴィエは周囲の視線を気にすることなく焼き菓子をほおばりながら、人々の雑踏を見て少しだけ穏やかに笑う。何気ない日常を愛おしむかのように。



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