第二十一話
トール、ユーリーン、マルギッテの三人が駆け付けた時には、大書庫とその周辺は半壊していた。同じく騒ぎを聞きつけて駆け付けた聖術師たちも、何が起きたかわからないようで、右往左往している。
「おい、誰か助けろ!」
瓦礫の中から声が聞こえる。
荒い息、切羽詰まった声音、悲鳴にも似た救援の声に引き寄せられるようにして、トールたちは瓦礫をどけようと動き出す。
「いや待て、聖術は使うな。ここにハンクが来た! 聖術を使ったやつらは全員死んだ。対抗術式の一種だが、効果時間がわからん。別の術式に効果あるかもわからんが、とにかく聖術を使用するな」
「手作業でやると、いつになるかわかりません。貴方の名前は? 生命は、どれだけ持ちそうですか?」
「長老の一人クレシオだ。襲われる直前、ボイシュの覚醒薬を飲んでいたおかげで意識ははっきりしているが、右腕と両足の感覚がない。見えるところは止血したが、体はほとんど動かせんし、どれだけ持つかは見当もつかん。今、救助用のゴーレムを派遣しているだろ、それを回すように掛け合ってくれ。それと周囲にも警戒させろ、魔術師ハンク、あのスパイ野郎がここに来ていた。多少手傷を負わせたと思うが、殺せなかった。目的は不明、先ほども言ったが、何かしらの対抗術式を使っている。うかつに聖術を使わないように周知しろ。ッ、そっちの名は?」
相手が誰だかわかっていなかったことを思い出したのか、クレシオはいささかバツが悪そうな声で問う。長老職は聖術師の階梯とは別系統であるが、それでも序列や派閥とは無縁ではいられない。緊急事態とはいえ、これらの見極めを怠ると助かったとしても後々の禍根となる。
「トールです。第四階梯トール・サルヴァリン」
名乗った瞬間、クレシオの声音に険悪な色が混ざる。
派閥と関係なく自分より立場が下な相手ではあるが、関わりたくない相手でもあった。ハンクと懇意にしていた聖術師の筆頭ともいえる相手だったからである。
「聖術師トール、貴様にかかった疑いを晴らしたいのなら、余計な行動はするな。私が言ったことを忠実に実行し、余計なことはするな」
「仰せのままに、クレシオ長老」
そう返したトールの言葉に、クレシオはさらに嫌な気分を味わう。
子供が反抗する前に見せる偽りの従順さを感じたからだ。しかし今の――瓦礫に埋もれる彼には、青年たちの動きを止めることなどできないのであった。
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ヘルムタール家の大書庫の地下に作られた通路を進みながら、魔術師ハンクは朦朧とする頭を振りながら進む。聖術師の中でも、限られた者たちにしか知らされていない禁書庫は、長い歴史を持つヘルムタール家の地下で眠り続けながら、その数だけを増やしていた。彼の祖国キルメリア連邦が生み出した魔術式も、その中に納められている。彼が求めているのは、国外に流出した魔術式の中でも生産に特化したものである。
今の同胞たちが持つ魔術式は、迫害から逃れ、追手を殺し、生き残り、力を蓄える軍事に特化した魔術式に傾いている。
力は重要だ。
力が無ければ、我を通すことはできない。
しかし単純な軍事力のみで我を通せる時代でもない。今のままではハンクの同胞たちが望むキルメリア連邦の再興は叶わない。《大禍》に破壊された土地を取り戻し、そこから再起するには、既存の術式よりも遥かに効率の良い魔術式を手にしなくてはならない。自分たちの生み出した魔術式であり、聖術師たちに奪われたものを取り戻す。
協力者であるハーヴェスティ・ユギド・フィア・ベディステアに任せた陽動は、ハンクの――そしておそらく彼の属する組織が予想していた以上の破壊をもたらしたが、多くの聖術師たちを引き離すという役目は十分に達成している。
(だから、これはボクのミスだ)
聖術師の長老たちをほとんど一瞬で殺したが、ただ一人長老のクレシオを殺し損ねたせいで、無用な騒ぎを引き起こしてしまった。これで想定していた時間はぐっと短くなる。魔神化している状態を延々と維持できるわけではない。同胞たちは無敵だと考えているが、すでに一度、聖術師の長老に出し抜かれて一撃を受けている。その傷自体はほとんど回復しているが、同じようなことが起こらないとも限らない。
(ヘルムタール家の隠した術式の回収。可能なら要人の殺害、施設の破壊)
それこそが祖国再興の道だと教えられてきた。
そうすることで、両親の血肉を喰い魔術を身に付けた自分に意味と価値を見出すことができた。だから、聖術師たちと一緒に過ごしたのは、すべて裏切るための演技で、だから、自分を追ってきた彼らを殺すことにためらいなどないはずだった。実際、一度《大禍》を暴走させて殺そうとしたのだ。オリヴィエが横槍を入れなければ、彼らは死んでいただろう。
「来るな」
ハンクは唸るように呟く。
「大書庫の地下がこんなになっているなんてな。でも少し焦りすぎだろ、術の痕跡が残っていて罠かと思ったぜ」
「来るなぁああ!!」
今度は咆哮だった。
追い詰められた獣のように、凶悪な殺意をぶつける。
「ああ、くそ、怖いなぁ。ハンク、こりゃあ、やっぱり無茶だったかもな……。でも、お前は裏切り者で友達だからな。他の奴らに殺されるより、俺たちでケリをつけるしかねぇよな」
「水底より来る水馬よ、その蹄で撃て! ネプト・グラヴィス・マレア!」
「揺るがぬ大地の子よ、怒りの拳となり砕け! テラ・クラッシュ・バルド!」
魔神に向かって放たれる水と地の精霊術。トールの後ろにいたユーリーンとマルギッテが放った精霊術だが、ハンクは軽く手を振っただけでそれらの術を解除してしまう。
「聖術師がたいした精度でもない精霊術を使っても……」
「行け!」
さらにトールの指示を受けて、数体の犬型の警護用ゴーレムが飛び掛かった。その姿が直前まで見えなかったのは、おそらくあらかじめトールが唱えていた隠蔽の精霊術であろう。
「救助用ゴーレムを借りるついでにな」
「こんなもの、すぐに!」
ゴーレム犬たちを振り払い、必死に食らいついてくる一匹の頭を握りつぶし、怒気を吐くハンク。
自分に注意が集中し、それで勝負がついたのを確信したトールは謝罪する。
「ああ、悪い。本当に悪いな。おれ達だけじゃなくてさ」
トールの視線の先にいるのは、振り払われた一匹のゴーレム犬――否、その姿は犬ではなく人に変わっている。計画に利用しようとし、邪魔され、引き離そうとした、ヘルムタール家を追放された異分子、オリヴィエ・エヴァン!
騙された! と、ハンクは歯をかみしめる。トールが自分たちだけで決着をつけると、相手を信じた。いや、侮った。何故、何故自分は重要な時に何度もミスを重ねたのか?
(やっぱり、間違っているって、そう思っていたのかな、父さん、母さん……)
「万物を呑み込む時の精霊王よ、逃れ得ぬ終焉を刻め、流転の理を歪め、彼の力を過去へと追いやれ、その加護も、その奇跡も、朽ち果てる定めなり、今ここに時を喰らい」
そんな結論を出しながらも、術を詠唱するオリヴィエを潰そうと体が動く。
例え間違っているとしても、愚かだとしても、祖国復興が夢物語だとしても、彼は自分の意思ではもう止められなかった。幼い頃から躾けられた洗脳的な教育、魔術の代償として犠牲にした両親という重さ、それらが目に見えぬ呪いとなって、彼の心を縛り、操っている。
だが魔神の動きより、オリヴィエが精霊術を完成させる方が速い。
「すべてを終わらせよ。ノス・エクスクロピラ・ヴァニタス」
ものすごい勢いで、魔神を構成する闇が消えていく。だがそれは強力な一撃を受けたからではない。まるで制限時間を超えて自然に解除されていくかのようだった。魔神としての加護も、その代償もすべて、時の精霊王に簒奪された。
ハンクは力なく崩れ落ち、それを見下ろしてオリヴィエ・エヴァンはいつも通りの気だるげな様子で声をかける。
「本当に、自分でどうにもならないのは嫌ですわよね~」
「ええ、本当に……」
大書庫の禁書室、そこにたどり着く手前で、多くの犠牲を出しながらも失敗したことを認め、ハンクはようやく止まれた。遅すぎたかもしれないが、ここが魔術師ハンクの終着点だった。




