第二十話
アンジュリーゼは後悔していた。
戦闘用偵察バイク『トルメの猛犬』は悪路を走破するに十分な性能を持っていたが、乗り心地は一切考慮されていなかった。さらに言えば、操縦者であるオリヴィエの運転も、フルスロットル・急加速・急カーブ・急ブレーキの歪な四重奏による暴走であった。地形もアップダウンが激しく、進行ルートも瓦礫道だけでなく倒壊した建物の上なども平気で突き進む。新興国で人気の遊具施設に絶叫マシンなるものがあることを、アンジュリーゼは知識として理解してはいたが、おそらく今体験しているのはそれに近いだろうと感じている。
(ぐ、さ、さいあく……)
「アンジュ、二時の方向に大厄等級《大禍》ですわ」
何度目かの急ブレーキ。
オリヴィエは支持した方角には、カエルと百足を混ぜたような《大禍》が動き回っており、進行方向には避難者たちの一団がいる。
「うぅ、ぐぅうう」
吐き気を堪えながら、青ざめた表情で《大禍》を見ると、アンジュリーゼは「聖砲」を放ち、《大禍》を消滅させる。ド派手な爆音と《大禍》が倒されたことを見て、避難者たちからは歓声が上がる。
普段であればアンジュリーゼは優越感と万能感に満たされて、その歓声に応えるのだが、『トルメの猛犬』のエンジンが唸り始める。まるで地獄の使者が迎えに来たかのように、聖術師は口元を押さえながら懇願する。
「ちょ、ちょっと、やすませ……」
「時間がありません。我慢なさい。聖術師」
無慈悲な拒絶と急加速は同時だった。
「吐いてもかまいませんけど。清掃代金は別途請求しますから」
「く、このぉ、誰に向かって、聖術の使えない癖に毎回毎回止まって、急ぐなら運転、変わりな……、ぐぅう」
ヘルムタール家の館に向かうという目標は変わらずとも、道中《大禍》があれば、オリヴィエは《大禍》を仕留められる場所にまで移動して、アンジュリーゼに仕留めるように命じる。
それを何度も繰り返してはいる。
「急ぎの用件だというのは理解していますけど、それを理由に《大禍》を放置するわけにもいきません。聖術師という便利な道具――失敬、お目付け役がいるのですから、多少の寄り道は大目に見てくださいね? アンジュリーゼ」
「この、出来損ないのヘルムタール家の面汚し、うぅう、許しません。この、うぅぅう、何で貴女は、気持ち悪くないの……?」
「元々の体質もありますけど、今は風と地の精霊術式の複合術で防御していますから」
その発言に、アンジュリーゼの赤い瞳が恨めしげな色を宿す。
「誰でも使える精霊術の支援など、聖霊術師様には不要かと思いましたけど? もしかして必要でしたか?」
気だるげなオリヴィエの言葉に、ボコボコの道を走る揺れに吐き気を覚えながら、アンジュリーゼは憎々しげに口を開く。
「い・り・ま・せ・ん」
その様子に、オリヴィエはまだまだ大丈夫そうだなと考えて、スピードを上げる。
軽口を叩きながらも、オリヴィエ自身も焦ってはいた。
彼女の考えでは、おそらく《大禍》の襲撃は陽動の一種であり、自分たちがそれに嵌った――というよりは役目上は対処しないわけにはいかない避けられない罠である――と、結論を出したのは、《大禍》の襲撃自体は派手であるのに対して、実際の現場ではそれ以上の妨害はなかったからだ。
大都市クランハフェンを本格的に破壊したいのならば、例えば《大禍》の無秩序な襲撃に合わせて、行政府や駐留軍司令部に対する組織的な攻撃があっても良かったはずである。オリヴィエもそのことを危惧したため、そういった事態――《大禍》の敵勢力がいた場合――に対処できる自分が向かった。
だが実際に現場では混乱こそあったものの軍は機能しており、人々の避難にも一定の秩序がみられている。つまり、読みが外れたわけだが、そうなると相手は何を目的としているか今一度、考える必要があった。
そうなれば自然と狙うべき対象は聖術師の大家ヘルムタールとの予測はつく。そのあたりの事情をオリヴィエはアンジュリーゼに道中で説明したが、高低差の激しい場所で話していたため、相手がどこまで聞いていたかは少し疑問ではある。
「この状況になれば、ヘルムタール家は攻撃にせよ防御にせよ動かなくてはならない。この場合、魔術師ハンク、正確には彼は属する組織の狙いが重要になってくるわけですけど、どう思います?」
「……当主の命、というのが一番ですけど、安直ですわね」
小康状態になったのか、アンジュリーゼは口元を押さえながらも、多少良くなった顔色で返答する。
「そうなんですよね。それが一番狙い目だとは思えますし、これだけの惨事となれば、平時に比べて護衛は手薄になる。あるいは逆に増員される。いずれにしても、通常時は狙えない相手を攻撃することができますし、大きな打撃になる。ですから、わたくしたちも、それを前提で当主様のいる場所に向かっているのですけど……」
ヘルムタール家当主の命を奪うために、これだけの大惨事を起こしたというのは、彼女たちからすれば一番筋が通った考えであった。政治的犯罪者集団にとって、聖術師大家の当主の首には、それだけの価値がある。
「ですけど、どうにも腑に落ちません」
「国際的犯罪者ハーヴェスティが関わっているから? どういう関係なの?」
「複雑です。事実を列挙するなら、元友人、姉妹弟子、元相棒、仇敵、商売敵……、今一番近いのは自分が歩んだもう一つの可能性? もっとも、彼女が私をどう思っているのかは、今もわかりませんけど」
「使い古された表現ね」
「だからこそ複雑なんですわ。外から見たら単純なのかもしれませんけど、わたくしの口から彼女との関係を簡単にまとめるのは難しいです。安心してください、私と彼女が組んだ狂言的犯罪というオチはありませんから」
オリヴィエが最後に行った可能性に、アンジュリーゼはギョッとする。
物事を歪んだ角度から見る聖術師の長老たちならば、そういった陰謀論に話を持っていくことが大好きだ。実際、現場で一緒に戦ったアンジュリーゼはその可能性はないと断言できる。両者の応手は演技というにはあまりに鮮烈であったからだ。しかし、それを見ていないものには、感じられないものには、現実よりも自身の空想の説の方が正しいと信じることが往々にしてありうるのだ。
「単純にまだ知らないことがあるだけかもしれません。相手にとって、ヘルムタール当主の命以上に欲する何かがある。それを手に入れるための陽動」
そう呟いた瞬間、ヘルムタール本家の方角から無数の光の柱が天に昇っていく光景が見えた。何かが起きているのは間違いない。
「ここから先は《大禍》もいないでしょうし、一気に行きますわよ」
「うぅ」
小康状態が崩れ、アンジュリーゼの顔色が悪くなる。
聖術師の娘は一刻も早く、サイドカーから降りることを祈るのであった。




