第十九話
ヘルムタール家の長老と呼ばれる面々は、現役を引退した聖術師たちのことである。
長老という言葉を使ってはいるが、その年齢層は幅広い。
負傷や衰えから前線を退いた者もいれば、戦いとは別の貢献――政治工作や民衆の人心掌握、外交面における活動が評価された者などもいる。そのため、当然ながらヘルムタール家の長老派と呼ばれる大きな派閥も、より詳細に見れば小さないくつもの派閥に分かれているのだ。
現役世代と違うのは、長老派の多くは、それ以上昇ることも降りることもない安定した地位を確立しているという点だろう。無論、劇的な大成功や目に余るような大失敗となれば話は変わるが、基本的には聖術師の待つ終着点の一つである。
「軍警察に提出する資料を分けておけ、それと各省庁への連絡、報道機関への根回しもやらねばならん。しばらくは徹夜続きだ。『ボイシュの覚醒薬』を切らすなよ」
長老――とってもまだ三十代後半だが――の一人クレシオは、自分派閥の面々に、睡眠と疲労を一時的にまぎらわせる魔法薬を手渡す。連続使用は長期的な健康に悪いが、ここしばらくは未来の健康より現在の問題解決に尽力しなくてはならない。
クレシオ自身、若い頃に無理をした影響か、黒髪に白髪は多く、同年代に比べて肌も荒れているため、実年齢よりさらに十年は齢を重ねているようにみえる。
「しばらくは書類仕事だな」
ヘルムタール家が取り潰されるようなことはないが、責任のひとつとして切り捨てられる可能性は十分にあるのだ。今回――魔術師を身内に入れたというのは、それぐらいの大失敗である。
「ハンクを推薦してきた者は数年前に事故死か、すでに埋葬もすませているとなると、死霊術で呼び出すことはできんな」
「関係者全員の洗い出し、ハンクと関わっていた術師たち全員の調査、今回の《大禍》被害の責任の一端を、ヘルムタール家が被ることだけは何としても防がなくてはならん」
「若い奴らへの口止めを徹底しろ」
より致命的になる前に発見できてよかったというのは第三者の感想であり、実際に責任を取らされる可能性がある長老の面々――特に人事関係――にとっては、致命的な一撃を受けたと言っても過言ではない。今は一緒に傷口を広げぬように助け合う仲間だが、塞がらぬ時は犠牲を押し付け合うライバルともなる。
彼らは今、ヘルムタール家の大書庫の一室に集まり、過去の資料を引っ張り出して、あるいは口止めに使えそうな書類をまとめていた。
「おい、資料をはやく……、どうした?」
クレシオは「ボイシュの覚醒薬」を飲み干し、次の作業にかかろうとしたが、同僚が呆然とした様子で、どこかの宙を見ていることに違和感を覚える。
「おい?」
答えることなく、同僚がぐちゃりと崩れ落ちる。
まるで砂糖に水をかけたかのように人間が融けた! その姿に周囲で議論していた他の長老たちも気が付き、即座に臨戦態勢を取る。前線に立つことはなくなったとはいえ、今までの戦闘訓練がなくなったわけでもない。正体不明の攻撃に対して、長老たちは怯えて逃げるでも、混乱して泣き叫ぶでもなく、自身の得意とする聖術の術式を組み、正体不明の敵に立ち向かおうとした。
そして聖術を組んだ――ほとんど全員が――、ぐちゃりと融けた。
「――魔術式・聖界崩壊」
黒い闇をまとった怪物が、幼い声でつぶやく。
闇色の肌、天を突くような歪曲した角、漆黒の翼、爛々と光り輝く瞳、肉食獣のような爪牙、「魔神化」と呼ばれる魔術によって肉体を変貌させたハンクである。その巨体と存在感にもかかわらず、つい先ほどまで気配すら感じさせない隠形。
「ひ、ひひぃいいいいい」
情けない悲鳴を上げて、クレシオは椅子から転がり落ちる。
書類がばらまかれ、床に散らばった。
「聖術、使わなかったんですか? 使っていれば、怖い思いをしないですんだのに」
「ハ、ハンク! お前が、お前がやったのか?」
「そうですよ。えっと、クレシオさんでしたっけ? 普段の状態なら無理ですけど、この『魔神化』は、僕らの執念の結晶は――、いや死ぬ人に説明しなくてもいいですよね」
巨大な腕が伸び、鋭く太い爪が向けられる。
聖術を使えば、先ほど融けた仲間たちと同じ末路をむかえるかもしれない。かといって、純粋な体術で何とかなるとはクレシオ自身も思ってもみなかった。一人、聖術を使うのが遅れた理由も、単純に聖術の扱いが他の者ほど熟達していなかったからである。
「まて、まて、殺すな。殺さないでくれ。何が目的だ? 協力する、お前に協力するから、どうか命だけは助けてくれ!」
「は?」
ハンクの声音に冷たい色が宿る。
それに気づいていないのか、クレシオはゆっくり這うように後退しながら舌を回す。
「なんだ、何が望みだ? 金か、それならここじゃなくて金庫室だ。記念館にも、貴重な品がある。そ、それとも、誰か殺したい奴でもいるのか? それなら教えてくれ、どこにいるか、俺は知っているはずだ。だいたいのことは記録している。な、なあ、何とか言ってくれないか?」
「ここで学んでいる間、聖術師としての誇りや心構えなども聞きました。《大禍》に立ち向かう覚悟と勇気、人を救う気高さと誇り――、クレシオさん。貴方のその姿からは、まったく感じられない」
「や、やめろ、くるな、くるなぁああああ!!」
クレシオの言葉を無視して、ハンクが一歩踏み出した瞬間。
泣きわめいた長老の顔が喜悦に歪む。
「ありがとよ、来てくれて」
「!?」
ばらまかれた書類、そこに隠されていたのは呪符。
彼が見せた情けない演技は、ハンクを誘い込むための罠であり、賭けであった。ハンクを閉じ込めるような三角形を描くように配置された呪符。
直接的な術式に介入するのではなく、呪符を媒介に挟む間接方式。聖霊術師にしか使えないという呪符の汎用性と真っ向から反するコンセプトにくわえて、直接的な術式を使った方が速くて強いという聖術の特性から、若くして戦力外通告を受けた聖呪符使いのクレシオは闇の爪に貫かれながら(使えるじゃないか)と内心をあらわすような深い笑みを浮かべる。
「くっ!」
「――解放、天の三槍。ざまあみろ、クソガキ」
呪符に秘められた破壊の力が凝縮されて、解放。
ヘルムタール家の館が大きく揺れた。
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オリヴィエの意識が闇に落ちて、三分後。
どうやって治療しようかと迷うアンジュリーゼに抱きしめられながら、ビクンビクンとオリヴィエの体が痙攣し、彼女は薄灰色の瞳をあける。
「状況は? どれくらい気を失っていました?」
「に、ニ・三分くらい? あんた、体に何仕込んでいたの? 絶対、体に悪いわよ」
周囲の状況を確認して戻ってきたウィリックも、ギョッとした表情でオリヴィエの方を見る。
「これ、たぶんアンタのものだよな? 精霊紋が一致しているし?」
乗り捨てた戦闘用偵察バイク『トルメの猛犬』は幸運にも破壊されなかったらしい。
獰猛な唸り声のようなエンジン。
多少細々した傷はあるが、再び悪路の長距離移動をする乗り物としてはこの上なく頼もしい相棒だ。
オリヴィエはサイドカーに詰め込んだ箱から、何本かのポーションを取り出すと、それを飲み干す。二つの《大禍》を相手に大立ち回りをした消耗がどれだけ回復したのかはわからないが、見た目にはいつも通りだった。
少しやる気のなさそうな気だるげな雰囲気。
だがアンジュリーゼもウィリックも、さすがに騙されない。
無理をしている。
「なあ、ヘルムタール家の聖術師たちが一気に出張ってきたなら、遅かれ早かれ《大禍》は落ち着くよな。ハンクが動くっていうヘルムタール家当主への伝言を届けるから、アンタは少し休んだ方がいいぜ?」
「お断りしますわ。わたくしがいつ休むか、それを決めていいのは、わたくしだけ。家を出た時、決めましたの。それとも、叩きのめしてでも止めますか?」
オリヴィエの薄灰色の瞳に宿る覇気に、ウィリックは無意識に後退る。
その瞳に宿る色は、彼の師であるアルトマンが強大な《大禍》に立ち向かう時に宿すものと同じ強さがあった。
「ッ、サイドカーに乗せなさい。報告のために一度別れたけど、私の監視任務はまだ終わっていないわ。ウィリックは引き続きこの地帯の《大禍》を駆除しつつ、軍警や治療班と協力して救助者たちの救護にあたりなさい」
「おい、それなら俺の方が、師匠の敵討ちが……」
「第二階梯の聖術師として命じます。第三階梯、ウィリック・ヘッジグラード。私事は後にしなさい」
血のように赤い瞳に冷酷な色を浮かべ、アンジュリーゼは下位の聖術師に指示を下す。オリヴィエはサイドカーに詰め込んでいた回復系のポーションを半分ほど渡すと、ヘルムタール家の本家に向かう。
長い夜が明けはじめたが、未だに事件は終わらない。




