第十六話
「うふ、うふふふ」
「何がそんなに面白いんですか?」
五階梯聖術師、いや魔術師ハンク・ヴォーロは協力者である女に問う。
ハーヴェスティ・ユギド・フィア・ベディステア。
実力は確かであるが、何を考えているかわからない危険な駒。連絡役からはそのように聞かされていたが、実際に会ってみると、想像以上に頭のネジが外れた女だ――それがハンクの感想だった。
「少し違いますわね。面白いのではなく、これから面白くなっていくんですわ~。まあ依頼通りに陽動は行いましたし、薬も回収して貴方に渡しました。後はどう転ぶか、貴方と貴方の所属する組織の活躍次第というところです」
嗜虐と官能が混ざったような笑みに、ハンクは嫌悪感を覚える。
だが同時に、自分も同じ穴の狢だと自覚して、自嘲する。
「《大禍》を呼び寄せる魔術式の話は聞いたことがありましたが、まさか実在していたとは驚きましたよ。どうやって習得したのですか?」
答えが返ってくるとは思わないが、聞かずにはおれなかった。
魔術の知識は、キルメリア連邦の崩壊と同時にほとんど失われたと言っていい。
自分たちのように地下に身をひそめ、それらを研究・発展させてきた組織なりがあるのならば、伝手の一つも作っておいた方が良いと判断した。彼自身のためというよりも、彼が所属する組織の未来のために。
「研究資料を手に入れる機会がありましてね。『イグリムの牙』だったか『極北解放戦線』だったかは忘れましたけど。以前仕事を受けた時に報酬を踏み倒されたことがありまして、その時に強制徴収した資産の中に魔術式の研究資料があったんです。さすがのわたくしも、解析して実用化するのに三日もかかってしまいましたわ~」
嘘か真か、ハーヴェスティはそのように告げた。
大言壮語でなければ、彼女は間違いなく大天才であり、致命的に道を踏み外している。こんな地獄を気軽に生み出せる実力と精神性、ある種の無責任と幼稚さが同居しており、ハンクは嫌悪感が頂点に達して吐き気を覚える。
《大禍》を呼び寄せる術式――使い方さえ間違わなければ、いくらでも平和利用できただろう。例えば誰もいない大海に《大禍》を呼び寄せて、そこで自然消滅させるまで暴れさせるなど、しかし彼女は真逆の使い方、都市部の中心に《大禍》を呼び出すという最悪の所業を行い、それを楽しんでいる。
それも自分自身の悲願達成というわけでも、目的のためというわけでもなく、他者の手伝い、陽動の手段として選んでいるあたりが最悪だった。
そんなハンクの心情を読んだのか、
「傷つきますわね~、貴方がやろうとしていることだって大差ないんじゃありません?」
言葉とは裏腹に一欠片も傷ついていなさそうな表情で、ハーヴェスティはハンクを『見上げた』。見下ろしたのではなく、見上げたのである。今のハンクの姿はそのように変異している。
闇色の肌、天を突くような歪曲した角、漆黒の翼、爛々と光り輝く瞳、肉食獣のような爪牙、いくつかの宗教に登場する奈落の使い――悪魔と呼ばれる怪物の姿に似ている。
「魔神化」と名付けられた局地戦用の肉体変化魔術であり、当時キルメリア連邦の軍事力を支えた力の一つである。それを地下で脈々と受け継ぎ、改良した成果が、今ハンクの身を包んでいる。
純粋な戦闘兵器、暴力で相手をねじ伏せるためだけの術式を先鋭化させた先にある姿であり、人間性を排除した姿である。
「やることは同じかもしれませんが、進む先が決定的に違います。僕らは壊した先の秩序を求めていますが、貴女は違う。ただの破滅主義者なのか、快楽主義者なのかはわかりませんが、貴女は何も……」
悪魔に見下ろされ、ハーヴェスティは艶やかな笑みを深める。
「いいえ、求めていましてよ。この最悪な世界で、貴方たちと同じように生きあがいていますの。理解できずとも、わたくしと貴方は同類ですわ。そしておそらく貴方と対峙することになる相手も、自ら成しえず、それでも期待し、願い、肩入れしている。寄りかかる相手が違うだけの同類でしてよ」
予想よりも真摯な令嬢の返答に対して、ハンクは返事の代わりに闇の翼を羽ばたかせる。
不要な問答であったと思いながらも、彼も自らの使命に殉じる。
* * * * * * * * * * * * * * * * * * *
【さあ選手が入場してきました。この夏、もっとも熱い試合の開始になります。何回繰り返しても、戻らない、戻れない、嫌だ忘れたくない。思い出の欠片、青春、輝き、最高の試合でした、この大会、この夏も、このなつも、このなつも、今年の夏も、やってまいりました。さあ、最初の試合が始まります】
《大禍》は変わらずに、オリヴィエに理解不能な音をぶつけ続ける。
この世界にあるすべての国、種族が扱う言語体系とはまったく異なる未知の音。しかし、《大禍》の等級が上がれば台詞や単語の断片から何を話しているのかはわかってくる。ただし、オリヴィエたちには正確な意味が理解できない。
目の前で荒ぶる《大禍》の発する音を分析すれば、おそらく球技に関する内容だとは思われる。だが、内容が支離滅裂なため、どのようなルールなのか正確には読み取れない。すでに何度か話もループしており、試合の開始と終了を告げながら、世界を壊す。
「有益な情報が得られないのはいつものことですけど……」
度重なる連戦に、オリヴィエの呪符も弾薬も尽きていた。
残された装備の耐久値も削られ、自身の体力と気力の限界も近い。
「話し相手としても最悪の部類ですけど、標的に執着するタイプなのは幸いです。――火蜥蜴よ、猛りて、焼け! ラグナ・フレイアス・オルディム」
無音詠唱用符の数も少なくなった今、口頭詠唱で牽制するべきである。
基礎的な攻撃系精霊術「火弾」が《大禍》の核に突き進み、人型の《大禍》は避けることもなく「火弾」を蹴り飛ばす。《大禍》に触れた瞬間、焚火に水をかけたような音を出して「火弾」は消滅した。
「――風乙女よ、踊りて、引き裂け! ガレオ・ヴァルシア・リュド」
続いて、同じく基礎的な風の精霊術式「風刃」を叩きこむが、この攻撃に対しては《大禍》は無反応なまま受けるに任せている。
【ひっと、ひっとひっとひっとひっとひっと、あの日の思い出は、今も色あせない。青春、僕らの、俺たちの、私たちの、貴方たちの、彼らの思い出――、忘れないで?】
今まで足で球体を動かしていた《大禍》の核が、足を止めて、何かを構えるように腕を曲げ、何か武器を掴むように両手を握りしめ、大きく振るう。瞬間――、今までの速度が子供の児戯に見えるほどの速度で球体が突き進み、オリヴィエの体を吹き飛ばす。
「がはぁ!」
事前に重ね掛けしていた精霊術式の防御を突き抜けて、勢いよく吹き飛び、瓦礫の山に叩きつけられる。
【おぉおおおお、うぉあおおおおおおぁあああああああああ!!!!!!】
《大禍》が哭く。
今まで猪口才に攻撃を続けていた精霊術師を倒したからではない。《大禍》の中で、何かが噛み合ったような、それは歓喜の色である。
少なくとも、対峙していたオリヴィエはそのように感じた。
《大禍》が『喜ぶ』というのは、おかしな表現である。だが、そうとしか説明できないような感覚に、オリヴィエは鳥肌が立つ。
【は、はは、あははは、ははははははははははは】
《大禍》の音が、笑い声のように聞こえる。
そして再び、両腕を曲げ、両手に何かを握りしめるようにして構える。
両膝をわずかに緩め、上体を前に倒しすぎない。
重心は土踏まずの内側。
いつでも踏み出せるよう、爪先がわずかに内を向いている。
「冗談じゃありませんわ。ここに来て、等級の上昇なんて」
防御術式の施された装飾品の一部が耐久限界で破壊され、使える道具もほとんど失われている。吹き飛ばされた時のダメージ――致命傷ではないが何か所も傷を受け、止血処置をしなければならない。
撤退するべきだと、理性は告げる。
できる範囲で、十全以上に《大禍》と戦い、食い止め、少なくない人々を助けた。客観的に見て、賞賛こそされ、非難されることはない。。
だが――、オリヴィエ自身が納得できていない。
感情的になるなと理性は警告する。乗り捨てた戦闘用偵察バイク『トルメの猛犬』の場所にまで帰還し、救助可能な者たちを助けて撤退するのが最善だと告げる。
ロジックに破綻はない。
今の自分には《大禍》の足止め以上のことはできない。
これから先の自分も――きっとそれ以上のことはできない。
絶望的な壁が立ちはだかっている。
そして、選ばれた者たちはそんな壁があることさえ知らずに、遥か先で戦っている。
あまりに遠い距離、あまりにも絶対的な格差、他の誰もが気にしなくとも、オリヴィエ自身がその差に苦悩する。そして絶望することもできずに足搔く、昔もそうであり、今もそうだと自覚する。
「本当に最悪ですわね」
厭世的な態度で、自身の葛藤を覆い隠す。
そして『死んでもいいからやるだけやってみたい』という本能を、あらためて鋼の理性で抑え込む。
「今は自分の我を通すより、一人でも多く助けることを優先するべきでしょうに……」
自分で自分を叱咤すると《大禍》に背を向けて後退する。
追撃を覚悟したが《大禍》は動かない。
まるで何かを待っているかのように、両腕を構えたまま動かない。
そのまま殺傷圏内から離脱できると思った時、オリヴィエは別の《大禍》が迫っていることを風の精霊を通して感知した。
間を置かず、迫る《大禍》が破壊の一撃を放つ。
【びーむ、びーむ、どんどんどーん! ろまんだ、せいぎだ、ばんばんばーん!】
聞くだけで頭の悪くなりそうな音を奏でながら、『新たな《大禍》』が姿を見せる。
それは巨人専用のボールのような巨大な黒い球体を二つ組み合わせた姿をしていた。
中心となる球体とその表面をぐるぐる回転する球体。球体の表面にはデフォルメ化された真っ赤な目と口があり、ニコリと笑うかのような形をとっている。小さければある種の愛嬌があったかもしれないが、遠慮なしにグルグルと回転しながら瓦礫をすり潰しながら迫りくる巨体には、押しつぶされそうな威圧感しかない。
【もくひょうはっけーん、はなてー、うてー、ばんばんばーん!】
表面をぐるぐる回転していた球体に赤黒い渦が生まれ、闇の光線が放たれる。
アンジュリーゼが得意とする「聖砲」をより凶悪にした黒色の一撃は直線に進み、周囲の建造物も、瓦礫も、そしておそらくはまだ救えた命も残らず消し去っていく。
オリヴィエ自身は標的にならなかったが、今の装備では対処しようもない大出力である。
間違いなく大災等級。
そして、先ほど等級が上昇した《大禍》も、おそらくは同等。
ちょうど2つの《大禍》に挟まれる形であり、先ほどとは別の絶望がオリヴィエに襲い来る。
――詰んだ。
――何もせずに、諦めろ――
と理性が囁く。
生き延びるための最善を示唆した時とは、真逆であった。
だからこそ、今度は本能に火をつける。
理性を頭の隅に押しやり、やりたいことをやるという無秩序な本能に身を委ね、あらためて戦闘態勢を取る。我ながら惚れ惚れする切り替えの早さであったが、少しばかり節操がないとオリヴィエは反省して、呟く。
「ちょっとは……こっちの気持ちとかも考えてほしいのですけど」
【うーん、びみょーに無理】
奇跡的に《大禍》と会話が成立した。
【用語解説】
《大禍》等級(弱い順番)
1萌芽――危険はほぼなし。核が存在しないため、消滅させることもできない。聖術師は派遣されず、他の人員による封印と監視のみ行われる。
2厄災――数十人規模の危機。六階梯以下の聖術師が派遣。
3大厄――数百人規模の危機。五階梯以上の聖術師派遣。この等級から《大禍》の眷属たちが出現する。聖術師は消耗を押さえるため、眷属を相手にする人員の派遣も行われる。
4小災――小さな街が消滅するレベルの危機。四階梯以上の聖術師派遣。国家から補助金が支払われる。
5災厄――地方が消滅するレベルの危機。三階梯以上の聖術師派遣。この等級から眷属たちの強さや数が爆発的に上昇する。
6大災――国が消滅するレベルの危機。この段階で国家及び聖術師は利害を超えて協力することが国際常識となっている。二階梯以上の聖術師派遣。
7天災――複数の国家が消滅する非常事態。50年前にキルメリア連邦崩壊の原因となり、複数国による軍事・聖術師の介入により終息するも、未だの傷跡が残っている。この等級から第一階級を主力に、複数の聖術師が投入される。
8天変――歴史的災害。過去一度だけ起こり、ひとつの大陸を消滅させ、当時の総人口約三割を消滅させた。
9黙示――未確認事例。世界存亡の危機として伝えられている。




