第十四話
《大禍》は世界のあらゆる場所に出現する可能性がある。
しかし、その傾向はある程度予測することが可能であり、リグルット共和国においては天球院――占星術と呼ばれる予知や未来視などを得意とする術者たちが集められた組織――が管理している。
ゆえに人口の集中する場所は、ある程度の安全が確保されている。
百年単位で《大禍》が発生する可能性は、限りなくゼロに近い――と予知されている。
もちろん未来という常に変化する不確定な分野をみる術は非常に難度が高く、必ずしも的中するとは言えない。とはいえ、数百人以上の未来予知術者を抱える組織の予見を打ち破るほどの事態は非常に稀である。
そして今、その非常に稀な事態が発生した。
【あださだぐれなんぐさふぁあさじおじぬいおしうだおぽえれどあさがおだぐいびらそだだうぇああめうぃふぇえせふえあだこいおっさだぢひおわ】
【れれだぷろそぉおうぐべざだびうふいあけでおぽぉ】
【ぐらめべざおい。ごでんばざい。べりがどおぉおううぅ。ぎみばがればざねい。ごどず、ごどじでぎゃる。おばえざん、あじだぼあどびべじおどぉおおお!】
不快で、理解不可能な音の羅列。
この世界に存在するあらゆる生き物と異なる発音が、大都市クランハフェンに響き渡る。日は落ちてはいるが、寝静まるには少し早い。家族と夕食を供にしたり、仕事終わりに仲間たちと酒場で飲み明かしたり、夜の仕事をする者たちにとっては活動を始めたばかりの時間帯、誰もが変わらぬ明日を信じている時を踏みにじるかのように《大禍》は眷属たちと共に押し寄せた。
クランハフェンの各所に炎が上がる。
様々な宗教が説く地獄よりもなお昏い絶望の渦が巻き起こる。
悲鳴、怒号、恐怖、焦燥、絶望。
人もエルフもドワーフも獣人もその他都市を構成する様々な多種多様な種族のすべてを等しく飲み込む地獄の釜。
炎は《大禍》が放ったものではない。
だが原因は間違いなく《大禍》によるものだった。
《大禍》が出現し、封印から解放されるのと同時に、無形の衝撃波が放たれたのである。それは普通の作りの家屋、民家や小規模な店舗などを軒並み薙ぎ倒した。それは突如、街中に竜巻が巻き起こったかのような惨状である。
時間帯も最悪であると言えた。
ちょうど夕食時であったため、火を使っていたところも多い。
そうした建造物が一斉に倒壊し、燃え上がり、数えきれない死と苦痛を生み出す。
瓦礫の下敷きになりながらも生き残った者たちもいた。だが、彼らに助けの手が差し伸べられるよりも速く《大禍》の眷属たちが魔の手を伸ばす。《大禍》の触手ともいえるそれらは無慈悲な殺戮兵として――、否、狂った殺戮鬼の群れとなって、嬉々として命を狩り続ける。他者を害することこそが喜び、他者を惨殺することこそが使命と、不出来な形で存在する眷属たちは血に狂う。
対術に特化した大企業の建造物は《大禍》の衝撃に耐えた。耐えてしまったことでより凶悪な《大禍》の核に目をつけられた。
残業のために残っていた者たちは、激しい衝撃に驚きながらもほとんどが軽傷で済んだ。そして事態を把握しようとしている時、《大禍》の核による攻撃を受けた。
最初の衝撃を上回る、より純粋な破壊に特化した一撃。
聖術師アンジュリーゼが使う「聖砲」を漆黒に染め上げたような黒い閃光が建造物群を貫く。例えるなら子供が積み木おもちゃを薙ぎ倒すように、高層建築物は内部で生き残った者たちも含めて――破壊される。
その瞬間を目の当たりにしたならば、多くの者が発狂しただろう。
つい先ほどまで生きていた者たちが、まるで冗談のように肉の残骸となって吹き飛ばされる。血飛沫をまき散らしながら、地面にたたきつけられた果実のように、大地のシミとなる。
一瞬で死ねたのだから慈悲深い?
否、これ以上ないほどに残酷に《大禍》は生命の尊厳を蹂躙している。
それまで彼らがコツコツと積み上げてきた人生という価値を、軒並み無意味に、無作為に、踏みにじり、不可逆的な死の闇に引きずり堕としたのだ。
残虐でも残酷でもなかったかもしれない。だが、これ以上にないほどに命を嘲笑し、侮辱する行為であったこともまた事実である。
大都市クランハフェンに最初に出現した《大禍》は思う存分に死と破壊をまき散らし、破壊対象が消えると次なる場所に向かい移動を始める。
突如として現れた《大禍》に対して、しかし人々は無力のまま狩られることを良しとはしなかった。多くの犠牲者が出た最初の衝撃から立ち直ると、都市議会は事態を把握すると、即座に緊急回線を使い首都に軍の応援と聖術師の派遣を要請、クランハフェンにいる共和国駐留軍、軍警察、警察、消防、予備兵役の人員をかき集めると、ただちに《大禍》の封鎖と被害者救助をする体制を整えあげた。普段は仕事が遅いと市民に文句を言われがちな役所であったが、この手際を見れば誰も文句を言うことはできないだろう。
例え彼ら自身の命もかかっているという点を差し引いたとしても、賞賛される迅速さであったのは間違いない。
しかし、それが限界であった。
【あぼどどおぞどあぐあぐどろじどあおわであるううどおやべでねだおいおでごどいばばばばばちゃんごおおどべおどであえええ】
《大禍》の形状は一定しないが、彼らが対峙している核の姿は紫色の肉の塊であった。
大きさは人間大。表面には人間に似た形状の顔がいくつも張り付いており、常に目や鼻、口、耳を動かしながら、理解不能な言葉を吐き続けている。
その言葉がまるで召喚術の役割を果たしているかのように、核の周囲には次々と眷属が顕現する。それらの形状もまた、呼び出した者と同じような不定形な――しかし見る者の嫌悪感だけは引き立てる怪物の群れであった。
それらと対峙する彼ら――都市防衛型ゴーレム。
市民に威圧感を与えない丸みを帯びた形状で、休日には子供たちの遊具として使われている。だが今はかりそめの姿をすて、戦闘兵器の本分である重武装――両手に回転式機関銃、精霊術式による多重障壁を展開し、周囲の同型機と通信術式を確立。
都市防衛型ゴーレム二十機から放たれる特殊合金製の銃弾が雨となって《大禍》の核に降り注ぐ。事前に設計された通り、完璧な連携による芸術的な十字砲火。恐怖など欠片も見せない戦争道具としての本分をまっとうする。
随伴する共和国軍人――人間二十(ハーフエルフやハーフオークを含む)、ゴブリン十五、エルフ十、ドワーフ十、オーク十、リザードマン八、オーガ三、ドラゴニュート二、ジャイアント一、合計七十九名――リグルット共和国防軍クランハフェン駐留第一中隊である。
我が身が砕けようとも、祖国と市民の命のためならば、命に代えても職務を全うする。
支給された最新の軍用銃を手に、共和国軍人の誇りにかけてこれ以上の蹂躙は許さないと、なけなしの勇気を振り搾って《大禍》に立ち向かう。
ゴーレムの銃撃から逃れた眷属を打ち倒しながらも、核を潰すことができない。
聖術師以外に《大禍》を葬ることができる者は誰もいないのだ。
しかし、普段《大禍》を潰す時とはまったく違う、このような戦場のような状況で、はたして聖術師たちが《大禍》を封じることはできるのだろうか? それも、この一か所だけではない。報告によれば最低でも六ヶ所、あるいはそれ以上、《大禍》が暴れまわるこの状況、聖術師の大家ヘルムタールがどのように動くのだろうか? 共和国法上、彼らには多くの特権が付与されてはいるが、基本的に《大禍》を封じる、あるいは滅ぼすことに協力する義務がある。ただし、その義務を履行するにあたり、相応の報酬とどの聖術師をいつ派遣するのかなどの決定権がある。今回のように突然《大禍》が都市内に出現するようなケースは想定されていないため、一度後方に下がってから状況を見極めての戦力投入という可能性は十分にあった。
そしてそれは同時に、自分たちを含むクランハフェン内でまだ生きている者の多くを見捨てるという選択でもある。そして国家や聖術師という視座の高い立場で見た場合、その選択肢は十分にとることができる。むしろ、とるべき選択肢の一つともいえた。
「隊長、残弾数三割を切りました。ゴーレムも同じです」
《大禍》を前に、彼らにできるのは、わずかな時間の足止め、銃弾を撃ち尽くした後に待ち受ける絶望的な白兵戦だ。
この部隊の指揮官であるハーフオークの中年男性は冷や汗を浮かべる。
そんな時、戦闘用偵察バイク『トルメの猛犬』のエンジン音が聞こえてきたとのエルフの通信兵から報告を受ける。
「救援か!?」
「いいえ、隊長。一台だけです。連絡兵、あるいは……」
エルフの予測よりも早く、『トルメの猛犬』は悪路を走破した。
軍人たちを避けるように弧を描き、ゴーレムたちの十字砲火範囲に入らぬ位置で停車すると、乗っていた人物は素早く印を切り、精霊術を行使する。
「渇きを満たす水乙女の抱擁に祝福を、引きずり込む水馬の鬣に寵愛を、溺死させる水蛙の舌に永久なる安寧を――、罪人に終わらぬ裁きを――イスキル・ノアレム・フィルガ!」
「な、何をしている! 下がれ!」
共和国軍人の制止は無視されて、《大禍》の核である紫色の肉球、その周囲が水の膜で覆われる。ゴーレムの銃撃は分厚い水の膜に突き刺さると、その威力を大きく減衰させる。一見、精霊術を行使した者が《大禍》を守ったようにも見える。
だが、それが誤解であることはすぐに判明した。
ザス、ザスザスと何かを突き刺さるような鈍い音が響き渡る。
水の膜の内側にいる《大禍》に対して、水が槍のように変化して何度も突き刺しているのだ。内側にいる相手が死ぬまで続く水槍の牢獄、そして精霊術による攻撃で《大禍》が滅びることはない。
ゆえに、攻撃は終わることなく続く。
「周囲の眷属たちを!」
精霊術を行使した女の指示に、ハーフオークの隊長は溢れ出していた眷属たちの処理を命じる。さきほどまで核に取り掛かっていたゴーレムたちの射撃を眷属に割り振ったことで、瞬く間に眷属たちは銃弾の雨に打ち倒された。核から離れた末端であれば、聖術以外でも効果があるのは《大禍》と戦う者たちにとってわずかな救いでもある。
しかし、核がある限り眷属の数もまた無限である。
だが、その常識を覆すかのように水槍の牢獄に閉じ込められた《大禍》は眷属を生み出さない。いや、正確には生み出してはいるのだが、生み出した瞬間から水の槍に仕留められている。
「厄災等級であれば『水妖霊の酔い膜』が一番効率良いですわ」
軍人たちに向かって、金の巻き毛を揺らしながら、女は気だるげな態度で言った。
《大禍》の動きを止め、眷属も生まれた瞬間から殺し続ける水の牢獄を生み出した精霊術の名称を告げたらしい。
「どなたか、精霊術を使える方は? 交代で術式の維持をしていただきたいのですけど?」
術式を維持しているらしい大粒の加工宝石。
その内部は一つの星座のようになっており、複雑な精霊術式が組み込まれていた。既製品ではなくおそらくは目の前の女性が作ったオーダーメイドの一品。
普通であれば、このような精霊術式を組み上げる者はいない。一目見ただけで宝石の生成に時間と金がかかっているが、このような攻撃術式を使うべき相手は非常に限定されているからだ。
聖術師がいない今この瞬間にのみ《大禍》を押さえるために輝く宝石。
「なんだ!? この変態――趣味人な術式」
「術式の維持だけなら……」
「いいのか? 雑な扱いはしないが、無事に返せる保証はできないぞ」
エルフやハーフエルフ、ドラゴニュート、ジャイアントが術式の維持を申し出ると、彼女はあっさりとその芸術品ともいえる加工宝石を渡す。
「聖術師が来るまで、術式の維持をしてくださいね。《大禍》の等級が上がるか、別の《大禍》の核が出現したら逃げることをお勧めしますわ。少なくとも、貴方がたの活躍のお陰で、大半の市民は逃げおおせたようですから」
加工宝石を渡した後、問答の時間が惜しいとばかりに必要なことだけ言って、女は再び戦闘用偵察バイク『トルメの猛犬』のエンジン音を吹かす。
「アンタは!」
ハーフオークの隊長は思わず呼び止めてしまう。
聞きたいことや言いたいことは山ほどあった。誰なのか、どうしてここに来たのか、何をしているのか、どうやってこんなに効率よく《大禍》を封じたのか、疑問は尽きない。だが相手も自分も、そのすべてを懇切丁寧に説明する時間も、聞く時間もない。
だから重要なことをただ一つだけ。
「アンタは、これからどうするんだ?」
「《大禍》を鎮めるため、貴方たちと同じ時間稼ぎですわ」
そう答え、『トルメの猛犬』はその名に恥じぬ性能で、来た時と同じように瓦礫まみれの悪路を突き進んだ。
【用語解説】
《大禍》等級(弱い順番)
1萌芽――危険はほぼなし。核が存在しないため、消滅させることもできない。聖術師は派遣されず、他の人員による封印と監視のみ行われる。
2厄災――数十人規模の危機。六階梯以下の聖術師が派遣。
3大厄――数百人規模の危機。五階梯以上の聖術師派遣。この等級から《大禍》の眷属たちが出現する。聖術師は消耗を押さえるため、眷属を相手にする人員の派遣も行われる。
4小災――小さな街が消滅するレベルの危機。四階梯以上の聖術師派遣。国家から補助金が支払われる。
5災厄――地方が消滅するレベルの危機。三階梯以上の聖術師派遣。この等級から眷属たちの強さや数が爆発的に上昇する。
6大災――国が消滅するレベルの危機。この段階で国家及び聖術師は利害を超えて協力することが国際常識となっている。二階梯以上の聖術師派遣。
7天災――複数の国家が消滅する非常事態。50年前にキルメリア連邦崩壊の原因となり、複数国による軍事・聖術師の介入により終息するも、未だの傷跡が残っている。この等級から第一階級を主力に、複数の聖術師が投入される。
8天変――歴史的災害。過去一度だけ起こり、ひとつの大陸を消滅させ、当時の総人口約三割を消滅させた。
9黙示――未確認事例。世界存亡の危機として伝えられている。




