第十三話
「うふ、うふふふ、他人――しかも聖術師なんか――をかばうなんて、相変わらず自分の命に頓着がないのね。変わっていないようで安心しましたわ。オリヴィエ・エヴァン」
闇の奥から蠱惑的な声が響く。
赤く豊かに波打つ長髪、潤んだ紫と黄金のオッドアイ、好物の菓子の名を呟くように、ハーヴェスティ・ユギド・フィア・ベディステア伯爵令嬢は、オリヴィエの名を甘く呼んだ。
舞踏会にでも出かけるかのような豪奢なドレス。
しかしそれが危険な術式の封じられた戦闘服であることを、オリヴィエは知っている。危機から救われたアンジュリーゼも、相手の放つ異様な気配に飲まれてしまい、どう対応するべきか混乱する。
「こんなところで会いたくはありませんでしたわ~、悪趣味な術式に磨きがかかっていますわね。ハーヴェスティ・ユギド・フィア・ベディステア」
「親愛の情を込めて、伯爵令嬢と付けていただけます?」
「お断りします。無差別快楽殺人鬼に親愛の情はもてませんから」
闇の刃に貫かれながらも、オリヴィエの声音に苦痛の色はない。
しかしその瞳に余裕の色がないことも、隣にいるアンジュリーゼは悟った。
彼女を貫く闇の刃は、オリヴィエの動きを封じるだけでなく、得意とする精霊術を完璧に封じていた。直接的な詠唱による呼びかけはもちろん、符や印をもちいた間接的な使用も禁じられている。
「残念ですわ」
少しも残念ではなさそうに言うと、ハーヴェスティは倒れた少年魔術師に向かって歩みを進める。
それを見て、
「行かせません!」
混乱から回復し、転倒から立ち上がったアンジュリーゼが聖術を放つ。
「聖封」――本来は《大禍》の封印を固める聖術であるが、生き物相手でも効果はある。無数の光の輪が、ハーヴェスティを中心に囲むように現れて、その輪が閉じる。この世界で最も力強い巨人族であっても、単純な力で「聖封」の戒めを解くことはできない。
ゆえに「聖封」から逃れるには、同等以上の術による解除か、術に捕らわれる前に回避する瞬発力のどちらかが必要だ。どちらの場合も対処できるように、アンジュリーゼは身を固める。
「焦って術式を組んではいけませんわよ。ヘルムタールの聖術師」
しかし、ハーヴェスティはどちらも使わない。
以前、オリヴィエが聖術師ウィリックの術式に介入した時と同じように、術式そのものの不備を即座に看破し、紐解いてしまう。
「そんな、馬鹿な!」
もっとも焦っていたとはいえ、オリヴィエが解体したウィリックの術式よりも複雑で精密なものではあったが、結果自体は変わらない。
「術式とは優雅に、精密に、余裕をもって編むのです。このように」
無数の闇の輪が、アンジュリーゼを締め付けた。
反応できないほどの高速、かつ高度な術式で、一瞬で絡めとられてしまう。
「聖術の『聖封』と同系統の『魔封』と呼ばれる魔術式ですわ。オリヴィエを拘束している『魔刀の封殺陣』よりは下位の拘束術ですけど、貴女程度の術者ならこれで十分でしょう」
アンジュリーゼを一瞥して告げると、歩みを再開する。
「聖砲」の直撃を受けたが、意識を取り戻した少年魔術師ハンクに問う。
「さて、貴方の所属する組織から受けた依頼なんですけど、こちらが動く前に、貴方自身に『薬』を使えと言われていまして、わたくしとしては貴方のような愛らしい子供をこんな風に使うのは反対なんですけど」
ハーヴェスティはドロリとした黒い液体が凝縮された小瓶を取り出す。
「仕事ですから、納得してくださいます?」
伯爵令嬢の問いかけに、ハンクは身動きできぬまま、それでも己の意思を示そうと、同意するかのように口を大きく開ける。
小瓶の中の液体が、自分にどのような効果をもたらすのか理解しながらも、生まれた時から教え込まれた使命を実行するために。
ハーヴェスティは小瓶の蓋を開けようとして――、銃弾が彼女の手を撃ち抜いた。
「ぐっ!」
手を押さえ、ハーヴェスティは銃を放った相手――オリヴィエ・エヴァンの姿を見る。未だに彼女を拘束する「魔刀の封殺陣」は解呪されていない。いや正確には、すべてが解除されていない。
右上半身だけ、オリヴィエは術式を解除して、回転弾倉式拳銃を抜き放ち、妨害の一撃を見舞ったのである。
「っ、銃など、野蛮な!」
苦情を無視して、オリヴィエはさらに銃弾を叩きこむ。
対魔獣用大型弾の一撃は、人型生物ならかすめただけでもひき肉になるだけの威力がある。しかし、ハーヴェスティの手には傷ひとつない。頭部や胴体に向かって放たれた銃弾にいたってはダメージを与えることすらできずに消滅している。
おそらくハンクが使ったような防御系魔術をあらかじめ付与していたのだろう。
すべての銃弾を撃ち尽くして、オリヴィエは遅ればせながら返答する。
「精霊術を封じられた時の対策をするのは当然でしょ?」
そう言いながらも、攻撃したオリヴィエの方がむしろ激しい腕の痛みを覚える。
魔刀の影響か? 精霊術以外の錬金術や呪術などが使われている戦闘時の自動強化系の術式や装備品も軒並み機能を停止あるいは大きく効果が減衰しており、回転弾倉式拳銃の反動を殺しきれない。彼女の使った回転弾倉式拳銃は、対魔獣用大型弾を装填するために弾倉を一般的な六連発から三連発に変更した品物だ。
使用者も人間ではなく大型系獣人やオーガなど、筋力に特化した種族が使用するように想定されている。それでも狙いを外さずに的中させたあたり、自堕落なように見えて普段の修練の成果、あるいは相当の場数を踏んでいる賜物だろう。
もっともこうした小道具は、オリヴィエ・エヴァンにとってはお守り程度に過ぎない。
銃撃により生まれたハーヴェスティの精神的な隙をオリヴィエは見逃さず、一気に「魔刀の封殺陣」を解呪する。
「他人の術式に文句をつける前に、貴女の魔術式も改善の余地があるでしょ。ちょっとしたアクシデントで術式が十二分に緩んでいるわよ」
「ぐぐ、ぐぐぐ、ぐがぁああああああああ!!!!!」
自身の術式が破られた瞬間、ハーヴェスティは獣のように絶叫する。
「ぁぁがぁああああああああぁぁぁぁああ!!!!! オリヴィエぇええ!!!!」
それは今まで見せていた貴族令嬢の姿とは対極のものであり、つい先ほど自分が口にした優雅や余裕という単語など欠片も見られず、精密であった「魔封」の魔術式もアンジュリーゼが独力で解呪できるほどに乱れていた。
「よくも、よくも、よくもおぉおああああああああぁああああああああーーーーーーーー!!!!!!!!」
オリヴィエは薄灰色の瞳に冷たい色を宿し、獣のように咆哮するハーヴェスティに追撃を仕掛ける。
「――火門、水門、風門、地門、外なる世界に繋がる門より、偉大なる方々の力を借り受けん。天の頂に座す方、地の底に君臨される方、万軍を率い、終末の先を歩まれる御方。過去・現在・未来に、世界を創り、維持し、破壊する至高なる方」
火水風地の四大属性王を封じた手持ちの中で使える最大火力を叩きこんだ。
ハーヴェスティ、それと近くで倒れ伏すハンクの周囲を赤青黄緑の四色の輪が円を描くように囲い込まれ、勢いよく回転を始める。内部にいる者たちを逃がさない檻のように、あるいは内側の力が漏れ出さない安全柵かもしれない。
大災等級以上の《大禍》を目の当たりにした時以上の危険を感じてか、アンジュリーゼは反射的に身を守る聖術「聖殻」を使用した。
オリヴィエはセフティーを解除する言葉を紡ぐ。
「――顕現せよ。精霊王」
小規模な音のない爆発。
四色に包まれた空間内は完全に死んでいた。地面も空気も熱も、目には見えない世界を構成する精霊の要素すべてが飲み込まれて消滅している。オリヴィエの持つ切り札の一つであり、結界内の対象を別世界に追放する精霊術式である。《大禍》を滅ぼせない彼女にとっては究極の足止め手段であり、防ぐ手段はない。
範囲内にいた相手は此処ではないどこかに消し去られた――はずであった。
何もなくなった場所から少し離れた位置の空間が、静かに震えた。
最初は気のせいと思えるほど微細な揺らぎ。しかし、揺らぎは次第に濃さを増し、まるで世界という布の裏側から指先で押されているかのように膨らむ。
そして――音すらなく、空間が裂けた。
書き割りを破るように世界が二つに割れ、その黒い断面の向こうからハーヴェスティが姿を現す。
先ほどの暴走が幻であったかのように、伯爵令嬢の微笑をその顔にまとったまま。
「うふ、うふふふ、お見苦しいところを」
艶のある声音は、先ほど見せた獣のように叫んでいた女と同一人物とは思えない。しかし、まぎれもなく伯爵令嬢本人である。
抱きかかえるようにして、再び気絶したらしい少年魔術師ハンクを抱き上げている。
「さて困りましたわねぇ。お互いに足手まといを引き連れたまま戦い続けていいものか? 互いの切り札はあと何枚残っているのか? それに何より貴女との縁をこのような遭遇戦で失ってしまうのは、いささかもったいなく思いますわ」
「あら、わたくしは全然かまいませんよ。悪縁もいい加減終わりにしたいので。でもまあ、おとなしく捕まるのなら、監獄に差し入れを届けてあげてもいいわ。人生を振り返るための詩集と子供用の倫理学教科書、それと反省文を書くための紙と筆」
普段は気だるげな色を宿す薄灰色の瞳に、どこか相手を哀れむような色が含まれていることに、近くで見ていたアンジュリーゼは気が付く。
ハーヴェスティ・ユギド・フィア・ベディステア。
その名はアンジュリーゼも聞いたことはあった。世界各地で指名手配されている犯罪者にして、未だに捕らえられていない危険人物。未だにフィアの貴族称号が通用する国々の貴族名鑑を調べてみても該当する貴族は一人もいない。ユギドの地名から絞り込もうとする試みもあったが、その地名からも彼女の正体に迫ることができた者はいない。
わかっているのは、ここ数年の間に各地の独裁政権や反社会的勢力、反国際勢力の傭兵として活躍しているということ、そのさいの人的被害・経済的被害の多くが過去最悪のものになるということの二点である。
そんな国際的犯罪者とオリヴィエが顔見知りであったことに、アンジュリーゼは驚く。相手に哀れみを抱いていることは不思議ではあったが、それでも相手を非難し、敵対する意思の方が遥かに強いことに少しだけ安堵する。
「貴女とのお話は時間を忘れるほどに愉しいですけど。そろそろお仕事に戻らないといけませんの」
ハーヴェスティは紫と黄金のオッドアイに悪意を輝かせる。彼女は少年魔術師を片手で抱きしめたまま、空いた方の掌に無数の宝石を出現させる。そして、それを空高くに投げて、術を紡ぐ。
オリヴィエ自身が使っている高速召喚用の呪符と類似した効果を持つのか、あらかじめ圧縮していたハーヴェスティの術が解放される。
「――禁呪、来たれよ古の嘆き/歌え/唄え/謳え/終末の言祝ぎ」
瞬間、いくつもの狂える咆哮が上がる。
それはこの戦場からは少し遠く――大都市クランハフェンの市街地の方角から聞こえてきた。聖術師にはなじみのある、そしてオリヴィエ自身も幾度も立ち向かったことのある邪悪な波動――《大禍》の封印が解かれ、核が現れて暴威を振るう気配。
それも一つだけではなく複数の《大禍》が、街の中に突然出現したのである。
当然ながら通常時の《大禍》現象ではない。
「ヘルムタール家おひざ元、この程度派手に騒がしくしなくては失礼ですものね――それでは御機嫌よう。オリヴィエ・エヴァン、また会える日を楽しみにしていましてよ」
ハーヴェスティは少年魔術師ハンクを抱いたまま、後方に下がる。何かしらの術によるものか、常人よりも遥かに速い動きで、あっという間に遠ざかり、その姿は夜の闇に消えていく。
アンジュリーゼは追うべきか迷うが、オリヴィエは静止した。
「どんな罠を仕掛けているかわかりません。それに追っている間の《大禍》の被害が広がります。今この地で即応できるヘルムタール家の聖術師はどの程度の戦力が期待できますの?」
「……大災等級が複数でも問題なく、仮に結集すれば天災等級であったとしても、核が出た直後であれば抑えることはできるはずです」
基本的に《大禍》は時間経過と共に強さを増していく、そして周囲に呪詛的な汚染をまき散らした後、最終的に自身の強さに耐えきれずに消滅する――という説が有力である。逆に言えば出現した直後の《大禍》であれば、等級にあった適切な処置をすれば抑え込むことは可能だと考えられている。
むろん、あらゆる項目には例外事項が存在するのだが、今は例外に対するものよりも、既存の確立された対処が必要であった。
「わかりました。貴女は急いで本家に事態を伝えて、出動を要請なさい。わたくしが時間を稼ぎます」
都市に溢れ出す邪悪な気配。
すべてを破壊し尽くす災厄を前に、オリヴィエ・エヴァンは自身の責務を果たすことにする。誰に言われたのでも、命じられたのでも、依頼でもなく、自分が自身に課した使命に準じるのだった。
【用語解説】
《大禍》等級(弱い順番)
1萌芽――危険はほぼなし。核が存在しないため、消滅させることもできない。聖術師は派遣されず、他の人員による封印と監視のみ行われる。
2厄災――数十人規模の危機。六階梯以下の聖術師が派遣。
3大厄――数百人規模の危機。五階梯以上の聖術師派遣。この等級から《大禍》の眷属たちが出現する。聖術師は消耗を押さえるため、眷属を相手にする人員の派遣も行われる。
4小災――小さな街が消滅するレベルの危機。四階梯以上の聖術師派遣。国家から補助金が支払われる。
5災厄――地方が消滅するレベルの危機。三階梯以上の聖術師派遣。この等級から眷属たちの強さや数が爆発的に上昇する。
6大災――国が消滅するレベルの危機。この段階で国家及び聖術師は利害を超えて協力することが国際常識となっている。二階梯以上の聖術師派遣。
7天災――複数の国家が消滅する非常事態。50年前にキルメリア連邦崩壊の原因となり、複数国による軍事・聖術師の介入により終息するも、未だの傷跡が残っている。この等級から第一階級を主力に、複数の聖術師が投入される。
8天変――歴史的災害。過去一度だけ起こり、ひとつの大陸を消滅させ、当時の総人口約三割を消滅させた。
9黙示――未確認事例。世界存亡の危機として伝えられている。




