第十話
聖術師の大家であるヘルムタールの後ろ盾があれば、大抵の無茶はまかり通るため、さっそく警察署の遺体安置所に向かっている。
道中の移動には、ヘルムタール家から高級車が貸し出された。
ギルグリッド社製の高級車スレイプニルR2モデル。
ミスリル、オリハルコン、アダマンタイト、ヒヒイロカネの希少金属がふんだんに使用された特殊合金、最高品質の賢者の石を十六個使用した精霊駆動機関、白銀の鋭角的なフォルムと静音性、客席シートは体が沈み込むほど柔らかく、座席横の小型冷蔵庫には様々な銘柄のワインボトルが並んでいる。運転手との間には仕切りが設けられており、後部座席からの声は専用のマイクを通してでしか届かない。窓も内側からは外が見えるが、外側からは内部の様子が見えない特殊加工がされており、精霊術による術式であっても後部座席に誰がおり、何が行われ、何が話されているのかはわからない。密談には最適な場所であるのだが、道中の会話内容はかなりどうでもよいものであった。
「子供からお金を搾り取るほどに困窮しているのか」とか「いったいどういう経緯でヘルムタール家の者と知り合ったのか」とか、アンジュリーゼからの嫌みと質問が混ざり合った言葉をかけられ続けていたが、オリヴィエは個人的な事情としてのらりくらりと返答を回避する。
もっとも質問を投げかけているアンジュリーゼの方も、おおよその見当がついていた。
第四階梯を中心とする聖術師が《大禍》の封印ではなく核を消滅させたという報告は、アンジュリーゼの耳にも届いており、どのような相手かとトールたちのことを調べたのである。普通の聖術師――それも手柄に飢えている年頃の者たちであれば、声高々に自分たちの手柄を自慢するものだが、どうにも歯切れが悪い。
それに加えて何やらオリヴィエとの繋がりがあるとなれば、多少は真実の輪郭が見えてくる。もっとも、仮に真実を知ったとしても、そのことを吹聴する予定はない。
「そろそろ到着いたします」
運転手として雇われている半竜人ドラゴニュートの声が聞こえる。
蜥蜴人間であるリザードマンに近い外見だが、頭に生えた角と折りたたまれた翼が特徴の種族だ。ヘルムタール家の聖術使いは皆人間であり、使用人の人間しか雇わない不文律があったが、昨今急速に進みつつある種族宥和政策の影響により、人間種以外の使用人も雇い始めている。聖術に関しては人間種を前提とした教育・訓練などが体系化されているので従来のままではあるが、エルフ種やドワーフ種、竜種などの人間種以外の聖術師集団とは国を超えた交流がある。もっとも、流用できる技術は少ないので、もっぱら親善目的の交流ではあるが、それでも数百年以上昔の閉鎖的な状態に比べれば大きく改善されてはいる。従来の方針を転換しなくてはならないというのは、つまり《大禍》の影響が強くなってきているということでもあるので、一概に歓迎してよいことでもないのだが。
「一階梯聖術師アルトマンは、生前に死後の聖霊化処置に同意していましたが、今はまだ施術師たちが揃っていませんから、遺体は死霊術式で保存されていますわ。もっともかなりひどい状態ですから聖霊化できるかはわかりませんが……」
「今時、罰則以外での聖霊化希望は珍しいですわね? 昔の印象は自由な遊び人でしたが、何か心境の変化が?」
「いいえ、入れ込んでいた女性への貢物が膨大で、前借を条件に聖霊契約したと言っていましたわ」
聖術師の膨大な収入を溶かすほどの金を使うとは、アルトマンが愚かだったのか、あるいは貢がせた相手がやり手だったのか? いずれにしても、聖霊となった存在にまだ意思があるのならば、新たな同胞を困惑と共に迎え入れることになるに違いない。
遺体安置所を警備していたのは通常の警察ではなく軍警である。
聖術師の死体となると、その警備もまた通常とは異なるもので、死後も聖霊となって戦う聖術師の亡骸は《大禍》に対抗する重要な戦力であると同時に、非合法組織や他国から強奪に対する警護対象なのである。生きた聖術師を誘拐するよりも簡単で利用がしやすいというのが主な理由である。
軍警の衣服と記章をつけた無骨なオークと無表情に見えるリザードマンは、聖術師アンジュリーゼに堅苦しい敬礼をする。
聖術師は軍人や役人ではないのだが、非常時における権限は上級士官に相当する。さらに第二階梯の上位聖術師となれば平時の待遇もそれと変わらない。軍警たちがアルトマンの死体を見聞する許可証を確認している横で、オリヴィエは気だるげな態度のまま、からかうように告げる。
「ずいぶんと出世しましたわね~」
「もう少し羨ましそうな態度をしてもいいんですわよ?」
そんなやり取りをしている間にも、書類確認が終わったのか、軍警たちは施錠を解くと再び敬礼をして送り出す。
遺体安置所というよりは、ミイラを作り出す古代祭祀場のような造りになっている。
聖術師を聖霊にするための施術を行う以外にも、不審な遺体から直接情報を得るための術式を施す場所としても利用されているのだろう。精霊紋などをはじめ、死体には多くの情報が含まれているのだ。国によっては死霊術による死者の証言が裁判の決め手になる時もある。
「オリヴィエ、一応聞きますけど、死霊術を使えますの?」
「残念ながら、聖術と同じで才能は欠片もありませんでしたわ」
「学ぼうとはしたんですのね……」
術というものは大きく上下にランク分けされている。
基本的に《大禍》に対する唯一の手段である聖術が頂点とされる最上位、未来に何が起こるのかを知る予知術は上位、努力次第で誰でも扱える汎用的な精霊術は中位、使い道が限られており、周囲からの視線も厳しく、習得するのが難しい死霊術などは下位、などと様々な術はランク分けされている。
もっともこのランクというものは、世間一般からみた有用性と人気的な基準であり、術そのものには特性があるだけで優劣や習得難易度は別問題である。仮に世界から《大禍》という現象が存在しなくなれば、聖術のランクはもっと下がることになるだろう。
「死霊術だけが、死者から情報を得られるわけでもありません。まずは精霊紋の確認をして……、む?」
「どうかしました?」
「精霊紋を確認したんですが……、わたくしの精霊紋と一致しますわね」
精霊紋とは、精霊術師が精霊術を使用した時に発生する残留痕跡であり、精霊術師一人一人に個別のものが残ると言われている。これらが一致する確率はほぼゼロであり、精霊術による事件の犯人を証明する有力な証拠の一つとしてあげられる。
「……で、やっぱり貴女が犯人なんですの?」
「うーん、困りましたわね。これはかなり高度な偽装術式ですが、精霊術でこんな……、いやまさか……」
怪訝な視線を受け止めながらも、オリヴィエは手持ちの荷物から、片眼鏡を取り出して、より深く分析を続ける。自分の精霊紋を完璧に模倣している術に対する知識はあっても、それを立証するのは別である。
だが自分の疑いを払拭すると同時に、犯人に対する手掛かりを手にするチャンスであることも事実だ。少なくとも、今自分がこの場にいなければ、ほぼ確実に冤罪を被っていたに違いない。
「その片眼鏡、まさか妖精眼!?」
「あら、よく気づきましたわね」
アンジュリーゼは驚きの声を上げて、オリヴィエの取り出した道具の名を言った。
三千以上昔の天才付与術師にして錬金術師リゼット・マルクミラーが生み出した――あらゆる術式を解明できると言われる秘宝であり、百点ほど作られた。その所在は三千年という月日を経つうちに各地に散らばり、公式に確認されている数は三十七点。残り六十三点はどこにあるか所在不明とされているが、そのうちの一つが目の前にある。
「去年、フェルムーゼン帝国の国宝展で実物を見たことがありますわ。その特徴的な形や材質、うっすらと見える霊質は忘れもしません。個人が気軽に持ち歩いて使うものではありません」
「道具は使ってこそでしょ。わたくしに言わせれば、宝物庫の奥底に溜め込んでいるのは、文字通り宝の持ち腐れという奴ですわ~」
「それ一点を狙って、賞金目当ての殺し屋がどれだけ来ると思います?」
「黙っていて下さると助かりますわ~」
非難と心配が九対一ほどに混ざり合ったアンジュリーゼの言葉に、オリヴィエは気軽に返答する。信頼というよりは、その程度のリスクは承知という程度の反応で、その雑な対応に第二階梯聖術師は密かに腹を立てる。
しかし、そのことを吹き飛ばす結果を伝えられた。
「間違いありませんわね。わたくしの精霊紋を偽装する仕掛けに使われている術は――魔術ですわ」
「!」
魔術。
その言葉にアンジュリーゼは今度こそ言葉を失った。
聖術に対抗しようと生み出され、そして五十年前にキルメリア連邦崩壊の遠因となった今は国際的に禁じられた邪法中の邪法。
その使い手が身近に存在し、陰謀の魔の手を忍び寄らせている。
一個人の謀略ではない、おそらく巨大な組織犯罪、場合によってはヘルムタール家だけではない、今住んでいる都市クランハフェン、いやリグルット共和国全体、最悪世界全土の危機となるかもしれない。
アンジュリーゼの顔から血の気が引いた。
魔術の危険性を知る者からすれば、決して大げさな想像ではないのだ。
「『完全模倣』の魔術、最低でも第三階梯魔術師以上、アルトマンを撃破した相手と考えれば第一階梯の実力者と考えて動いた方が良いかもしれませんわ」
オリヴィエの表情も普段の気だるげで、余裕のある表情ではない。
《大禍》の核を前にした時より、その表情は真剣であったかもしれない。
死せるアルトマンをさらに精査しようとすると――、無反応であった死体が突如として動いた!
『やめろ』
その原因を看破したオリヴィエは警告する。
「反撃術式『死せる魔兵』!」
「光よあれ、邪を払い、魔を滅し、闇を滅ぼせ!」
アンジュリーゼも戦闘態勢を取り、即座に聖術「聖球」を放つ。
第四階梯トールたち駆け出しが使用した基礎攻撃用聖術「聖弾」の上位聖術である。光り輝く球を操り、相手にぶつけるこの術の維持と操作は「聖弾」に比べて遥かに難しいが、その威力は「聖弾」を遥かに上回り、室内という限られた場であっても標的だけを仕留める利便性を持つ。
『あ、あああぁああ――』
アルトマンの亡骸に直撃した「聖球」はその威力を遺憾なく発揮したが、相手も元は聖術師である。死んだ後も戦いに関する知識だけは残ったのか、爆発する光から肉体を切り離すように自らの半身を焼きちぎる。
そして残された半身を燃やしながら、事件の真相にたどり着こうとするものを道連れにするべく最後の術を放つ。
『――聖なるかな、太陽の恵みをここに、熱き御力をここに、尊き力をここに、万軍を焼き払い、今ここに楽土を創らん』
「聖なる爆炎」――広範囲を汚染する《大禍》と眷属を焼き尽くす聖なる焔。本来であれば、《大禍》の被害拡大を防ぐための術式は、周囲の被害を気にしない時にのみ使用が許された大規模火力を生み出すものである。
このまま解き放たれたなら、解放された術の炎はオリヴィエやアンジュリーゼだけでなく、遺体安置所はもちろん、警察署も、周辺建物すべても破壊しつくすだろう。
だがそうならない。
原因は二つ、アンジュリーゼの「聖球」が半身を破壊したため、力を解き放つまでの溜めが長引いたこと。そしてオリヴィエがその時間を無駄にしなかったこと。
オリヴィエが素早く印を刻む。
かつて、彼の弟子であるウィリックとは比べ物にならないほどに編み込まれた複雑な炎の聖術式は、死後に操られる不名誉を受けてなお、美しいものであった。
オリヴィエはかつて師事した時に比べて、より精密で強力な聖術――今でもなお手に入らない輝きを魂に焼きつけて、彼女は対抗術をぶつけた。
「――顕現せよ。深海を統べる精霊、始まりの神魚、世界を飲み干す海王」
海を支配する大精霊リヴァイアサンの力を封じた呪符が、印と共に焼き消える。
一枚、二枚、三枚――用意したすべて、九枚目が消えた同時に、アルトマンの「聖なる爆炎」が相殺される。わずかな、しかし命を懸けた攻防に勝利したのと同時に、遅まきながら軍警たちが飛び込んでくる。
「こ、これは、いったい何が!?」
「どういうことですか!?」
疲労困憊の聖術師と精霊術師、そして半壊したもの言わぬ躯。
この状況を説明するに、別の労力が必要だと思いつつ、オリヴィエは事件の真相を求め、妖精眼をつけて、アルトマンの亡骸を改めて精査する。
浮かび上がる容疑者。
自分の精霊紋が利用された経緯。
バラバラだったピースが繋がっていくが、それが真実であるか否かを確定させるための作業が、まだ少し残っている。




