第九話
昼下がりのカフェテラスから見える光景に、ハーヴェスティ・ユギド・フィア・ベディステア伯爵令嬢は妖艶な笑みを浮かべる。時折、他の客から向けられる好奇心、情欲、嫉妬の視線を感じるが、それも当然というほどの艶やか美貌の持ち主である。
緩やかなウェーブのかかった情熱的な深紅の長髪に、紫と黄金のオッドアイ、血色の良い肌は性別を問わず生唾を呑み込むほどに官能的な色気を放っている。
年齢は判然としない。
あどけない十代半ばの少女のようにも、三十代の成熟した女性のようにも、――、おそらく見る者の肉欲を刺激する年代に見えることだろう。
ハーヴェスティは紅茶の香りを楽しみながら、甘い吐息をつく。
彼女の向かい側に座った人物は呆れたように声をかける。
「こんな場所で待ち合わせ場所に選ぶとはな」
「ふふ、うふふふ、ジメジメとした暗い場所での話し合いなんて、悪の秘密結社でもあるまいし。楽しい仕事の相談は明るい場所でしませんと」
悪の秘密結社という伯爵令嬢の言葉に、相手は不愉快そうに眉をひそめる。
世間一般的に言われる悪の秘密結社――暴力的政治犯罪組織の一員である彼としては、相手が挑発しているのではないかといぶかしむ。もっとも、この伯爵令嬢自身もまた国際的な指名手配犯である。
犯罪組織に属さない無法者の中では、かなりの大物である。普通は名前や顔が売れた犯罪者は早々に捕まるか、どこかの組織にかくまわれるのが常であるが、ハーヴェスティは気の向くままに各地に出没し、自分たちのような者の傭兵となる。
扱いに困る相手ではあるが、その実力は文字通り切り札となるほどに強力だ。
「問題が発生した。当初の計画である共食い作戦は失敗だ。それどころか、双頭の獣となって事態にあたることとなった」
「あらあら、それは大変ですわね」
婉曲的な表現で事態を知らせる相手の報告を他人事のように聞き流して、伯爵令嬢は用意されたブルーベリーケーキを優雅に切り分けて口に運ぶ。
あまりの美味しさに紫と黄金のオッドアイに喜悦の色が宿り、口元が自然とほころぶ。そんな態度に、相手の苛立ちは募る。
「だが本命にはまだ気づかれていない。もう一度協力してくれ」
「ふふ、うふふふ、あなた方の計画の成否はこちらの感知するところではありませんけど――残金が未払いなのは困りますわ。一階梯の聖術師、聖炎使いアルトマン・カル・ホル・ビュートリーデを半死半生の状態のままキーワードだけ残すようにして、最後に殺すのは骨が折れる仕事だったんですのよ?」
「貴様!」
思わず椅子を蹴って立ち上がる。
無関係な者たちがいる場所で、非合法な依頼内容を口にするとは正気とは思えない。
だが周囲の客たちは種族老若男女を問わずに、相変わらずハーヴェスティに対する羨望のまなざしを向けるばかりである。恐ろしく高精度で広範囲の魅了精霊術、普通は往来の場でこのような違法な術を扱えばすぐにでも対精霊犯罪特務課、あるいは軍の特殊執行部隊に包囲されているだろう。
しかし訓練を受けているはずの警備員は沈黙し、最新式の警報も鳴らず、防犯用に配備されたゴーレムの一機も反応しない。外を歩きまわす多様な種族の誰一人として術が行使されていることにすら気づいていない。立ち上がった相手もこの状況になるまで、否――伯爵令嬢があえて教えるまで、魅了の術を行使していることがわからなかった。尋常ではない精神系精霊術の精密さと隠密性である。
彼女であれば白昼堂々人を殺しても、誰も気が付かないに違いない。
実力的にも、精神的にも、この女はその気になればやれるのだ。
自分が取引している相手の危険性を改めて認識すると、座り直して、声に敵意が滲まぬように注意しながら事務的に交渉を再開する。
「……金に関しては何とか工面――三日以内に指定された場所で渡す。追加の報酬も約束しよう。それと必要な情報は引き続き渡す。これは作戦の概要と必要な道具だ」
椅子に座り直し、封のされた手紙と同じように封のされた小瓶を机の上に置いた。
伯爵令嬢はブルーベリーパイを半分程食べ終えると、口の周りについた食べカスをぺろりと舌でのみ込む。お世辞にも行儀が良いとは言えないが、その仕草もまた情欲を誘う娼婦のような官能さであり、嗜虐的な女帝のようでもある。
「聖術におもねる格差社会に正義の鉄槌を――、虐げられた恨み辛みを晴らし、変革を――、いえ貴方たちの場合は回帰というべきでしょうか? 自分たちが王侯貴族を引き潰し、聖術師たちを狩るのは良いが、引き潰される側になったのは許せない。そのためには手段を選ばず、かつては敵対した貴族崩れ、そして祖国を滅ぼした《大禍》を使わなくてはならない。世の中、ままなりませんわねぇ~」
「断るつもりか?」
伯爵令嬢のからかうような言葉に、相手側の声音に険悪な色が増す。
懐に手を入れて、凶器を握り込む。返答如何によっては、往来の場ではあっても、この協力者を始末しなくてはならない。
「ふふ、うふふふ、物騒なものを出してはいけませんわ。
此処はお茶を楽しむ場所ですよ? そして安心なさってください、貴族といっても今は昔、汗水たらして働いて、お金を稼がねばならぬこのご時世、わたくしも仕事を選ぶ余裕はありませんもの」
「陽動だけ果たしてくれれば十分だ。ついでに猟犬――アルトマン殺しを捜査することになった精霊術師オリヴィエと同行する聖術師アンジュリーゼ――を始末してくれたら、特別ボーナスも出そう。こっちは前の報酬の残金とは別の手付金だ」
鑑定書付きの宝石箱、その中には豪華な宝石箱に見劣りしない装飾品一式。売り払えば、捨て値でも一年は遊んで暮らせる額になるだろう。
伯爵令嬢の表情を見た相手は、商談は成立したと確信する。
その期待は裏切られることなく、ハーヴェスティは欲しがっていた玩具に手を伸ばす子供のように、手付金の宝石箱を手に取った。それを見て、
「詳細は任せる」
用件は終わったと、相手は立ち上がる。
協力者ではあるが、この女は同胞ではない。本音を言えば聖術師と同士討ちにでもなってほしい相手である。王侯貴族という奴は彼らにとって、聖術師の次に憎い相手なのだ。
「あら、ここのケーキは絶品ですし、お茶も旧王室御用達の一品ですよ。せっかくですから、味わっていけばよろしいのではなくて?」
「……」
苦々しげな視線を向けるが、何も言うことなく立ち去る。
相手が完全にいなくなったのを確認すると、ハーヴェスティは子供のように笑いながら冷たい微笑を浮かべる。
「ふふ、うふふふ。こんな安物ひとつなんて、貴女も随分と安く見積もられたものですわね。オリヴィエ・エヴァン」
ハーヴェスティは懐かしむようにその名を呼ぶと、周囲に展開していた魅了の術を解く。
広範囲を覆いつくしていた術式は、発動していた時と同様、誰にも気づかれることなく解除される。しかし解かれた後も、彼女に集まる視線は大きく変わらない。その眼差しを感じながら、彼女はチップをはずんでお替りのケーキとお茶を注文し、カフェテラスから今一度、のどかな日常の風景を見下ろす。
心臓の鼓動のように絶え間なく行き交う生きる者の群れ。あらゆる種族が混在し、競争と繁栄と平等と格差、平和と争いが混在する街並み、良くも悪くも生きている世界を見下ろし、伯爵令嬢は嘲るように鋭い犬歯を見せて笑みを歪める。
そこにある愛や怒り、嘆きと喜び、成功と失敗、美談や醜聞、諦めず抗い、挫折し、また立ち上がって命を繋いでいく、無関係でありながらも影響し合う一人一人の人生を感じて、
「ほーんと、どいつもこいつもバ~カみたいですわねぇ」
紫と黄金のオッドアイに悪意の満ちた色に染まり、ハーヴェスティ・ユギド・フィア・ベディステア伯爵令嬢は世界のすべてを嘲るような言葉を虚空に吐き捨てた。
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正式に契約を交わしたオリヴィエは、ヘルムタール家の監視役を待っていた。
本家の邸宅から少し離れた五階梯以下の聖術師たちが暮らす宿舎の近くで時間を潰している。彼女は本家の重役たちや年配者たちの視線など気にはしないが、刺激したいわけではない。ただ彼女の気だるげな態度が相手にとっては喧嘩を売っているにも等しいらしく、それほど抵抗感のない若い世代の術師が多い場所に移動したのである。
高階梯になれば専用の邸宅が与えられるが、低位者が暮らすのはそれほど広くない一室の集合住宅である。家賃が必要なく食堂から出される食事も無料、年齢的に低いものは基本的に聖術を扱う技術を高める専門授業を受けるが、これも無料である。大人になって、ヘルムタール家に囲われるという条件こそあるが、他にも徴兵免除など、様々な特権が与えられる。義務教育も、定期的な学力と倫理テストとパスすれば特別優遇処置がとられる。彼らの多くは此処で育ち、死ぬが、そのことを不幸と嘆く者はいない。
大成すれば英雄としての輝かしい未来、成功しなくとも一生食うに困らずそれなりに豊かな人生が保証されるのだ。《大禍》で死ぬ危険は確かにあるが、外に出たところで《大禍》の危険に遭遇しないわけではないし、良くも悪くも堅苦しい社会や組織の枠組みに組み込まれることには抗えない。むしろ、対抗する唯一の力を学び鍛えることができる場所は此処だけなのだ。残るために必死になることこそあれ、逃げ出そうとする者は皆無だ。
だからこそ、ヘルムタール家を追い出されたオリヴィエに対する視線は好奇心一色であった。
聖術の才能がなく追い出されたということは広く知られている。十代後半の者であればちょっとした顔見知り程度かもしれないが、大半の者にとって彼女は噂だけの存在だ。
それも悪い噂。
しかし、先ほどの大広間の謁見におけるやり取りは、とても落ちこぼれの追放者とは思えない。長老のような古参や実戦経験豊富なベテランならともかく、修行中の彼らにとってヘルムタール家の当主は現人神のような存在である。交渉するなど恐れ多く、ひれ伏して命令を受諾するだけである。
だがオリヴィエは不遜な態度を崩すことなく、こじれた関係を修復して話をまとめてしまった。これで好奇心を抱くなという方が無理な相談である。
だが一方で話しかけるような勇気ある者はいない。
今後もヘルムタール家で暮らす彼らとしては、上位者の不興を買いたくはないからだ。そしてオリヴィエもその事情は理解していたため、彼女の方から声をかけるつもりはなかった。
「あの、オリヴィエさん」
だから声をかけられたのは意外であった。
「貴方は?」
まだ、あどけなさの残る少年だ。
栗色の短髪に緑色の瞳、女の子と見間違えるほどの愛らしい顔立ち。保護欲をそそる仕草――わざと媚びるものというよりも天然でやってそうな動きで、少年は頭を下げて自己紹介をする。
「あ、初めて、五階梯聖術師ハンク・ヴォーロといいます。あのトールやユーリーン、マルギッテの友人です」
「ああ、あの時の」
《大禍》を封印ではなく核を解放した四人組の一人。
オリヴィエが到着した時は、この少年ハンク・ヴォーロはすでに昏倒しており、話す機会はなかった。精神にダメージを受けて最悪永遠に目覚めない可能性もあったが、どうやら無事に持ち直したらしい。
「あれからどうです? 何か問題は?」
「はい、あの時のことを聞きました。それで改めてお礼と、お願いがあってきました」
「お願い?」
「はい、トールたちと同じ契約書をください。僕は何の役にも立たなかったですが、命が助かったのはオリヴィエさんのおかげです。でもそのせいでトールたちが借金を……だから僕も同じ立場で返したいんです。お願いします」
「別にかまいませんけど……」
聖術師とは思えぬ純真な提案に、オリヴィエはいささか戸惑う。
将来、悪い奴らに食いものにされないかと余計なお世話ながらも少し心配になる。
「このことは彼らには?」
「後から伝えます」
事前に言っても止められるからと付け加えて、ニコリと無邪気に笑う。それなりにしたたかな性格のようで、オリヴィエの心配は杞憂のようだ。
オリヴィエは同様の契約書を作成しながら、同行者が来るまでの時間、ハンクとあたりさわりのない世間話をすることにした。
「貴方の年齢は?」
「十一です」
リグルット共和国――たいていの国では未成年であり、共和国の法律では契約を結ぶ資格を有してはいない。ただし、聖術師は別である。先に述べた特権の一つとして、聖術師は未成年であっても自由契約権の行使が可能だ。
「その年齢で五階梯なら将来有望ですわね」
「いいえ、全然です。オリヴィエさんの妹ネリス様は六歳の時には一階梯の聖術師だったと聞きました」
「世の中、天才という者はいるものですけど……、比較対象としては適当ではありませんわね」
父親に対する劣等感は払拭したと思うが、改めて妹のことを聞かされると、オリヴィエの胸に何とも言えない息苦しさ、不快感を覚える。やはり今まで考えなかったのは、苦手意識から封印していたのかもしれない。そんな彼女の心情を知らず、ハンクは話を続けている。
「その後も降格することなく一階梯で、近々最年少聖女認定されるとの噂でもちきりです」
「へぇ、そうなんですの?」
オリヴィエは、改めて驚いた。
聖術師の最高位は一階梯で、それ以上階梯は上がらない。だが聖術師のモチベーションを高めるためか、他家に自慢するためか、聖術師の家は様々な称号などをつける。例えば、殺害されたアルトマンは得意とする聖術から「聖炎使い」の称号を得ていた。
そして聖術師の家だけはなく、国からも賞賛されるほどの人物――種族ごとに様々な称号があるのだが――、人間の男ならば聖人、女ならば聖女の称号が与えられる。ここまでくると現代の英雄であることは間違いなく、国政を左右できるほどの影響力を持つことになる。
「知らぬ間に、ずいぶんと遠い存在になってしまいましたわね~」
「今は共和国と帝国の国境に出現した多数の《大禍》を鎮めているらしいですよ。たぶん一ヶ月程度で戻ってくるんじゃないかと。きっとオリヴィエ様の姿を見たらネリス様も喜びますよ」
「ダメな姉の姿を見せて、幻滅させてしまいそうですわ~」
「そんなことありません。トールたちを助けたオリヴィエさん、かっこよかったですよ」
「ずいぶんと美化された話を聞かされたみたいですわね~」
「そんなことないと思いますが……、ネリス様と会えるといいですね」
出来上がった契約書にサインして、ハンクは写しの書類を大事そうに抱きしめる。
この年代の子供が背負うには些か重たい借金であるが、そうすることで本人たちなりの繋がりなり、絆なりを感じているのだろうと、オリヴィエは一人納得する。今も昔もまともな友人関係を構築したことはないので、本当のところはわからないが。
「――あんた、なにをやっていますの?」
未成年に借用書を渡すオリヴィエの姿を見た監視役にして同行者アンジュリーゼは、頬を引きつらせて問いかけた。




