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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

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怖い話

愛しの愛路

作者: 夢野かなめ

 榊原(さかきばら)詩歌(うた)は、所謂ドールオーナーだ。


 それも、メーカーやサイズ問わず愛でるタイプで、ドールのお迎えや衣装を購入する為だけに日々の仕事を熟している状態だった。


 だから、「詩歌ちゃん」と、愛路(めろ)に話し掛けられた時も、特に驚くことなく「なぁに?」と返していた。


 愛路は四十サイズのキャストドールだ。柔らかい桃色のウィッグに、ピンクのロリィタ服を着て、ハンドパーツの爪先には瑞々しいマニキュアを施している。


 少し垂れ目のアイホールに嵌まった緑色のアイが詩歌を見上げていた。


「愛路、喋れるようになったんだね」


「うん。詩歌ちゃんとお喋りしたかったから、頑張ったよ」


 鈴を転がすような、脳内で想像していたよりもずっと可愛い声で愛路は言う。


「嬉しい」


 詩歌はその小さな体を抱き上げると、そっと抱き締めた。愛路がコロコロと笑う。


「詩歌ちゃん、大好き」


「私もだよ、愛路」


 愛路の唇は開かなかったが、声は確かに愛路の中から聞こえていた。球体関節の体を時折軋ませながら、ちょこちょこと詩歌の後ろを付いて回る。


 一夜経っても、愛路はただのドールには戻らなかった。


 詩歌のベッドの端で、瞳を開いたままじっと横になっていた愛路は、詩歌が目覚めるとゆっくりと首を回して「おはよう詩歌ちゃん」と言った。表情は動かなかったが、詩歌には笑っているのだと判った。


 横になったまま愛路の体を引き寄せると、ぎゅっと抱き締めた。


 愛おしさが込み上げてきて、涙が滲む。


「詩歌ちゃん、泣いてるの」


「……愛路が愛おしくて」


 愛路がフフフと小さく笑って、その小さく無機質な手で詩歌の頭を撫でた。


 その日から、詩歌の生活は愛路を中心に回っていった。


 勿論、他のドールが可愛くなくなった訳ではない。手入れもするし、着替えもする。しかし、そうしていると愛路が焼きもちを隠しながら悪戯をするのだ。それさえも愛おしくて、寝る時用のパジャマやスリッパ、ドールサイズの食器も新たに揃えた。愛路は食事をしないが、詩歌の食べるものから少しだけ分けて渡すと、食べる振りをし、それだけで嬉しいと声を弾ませる。


 ──可愛い。愛おしい。愛路。


 そうする内、詩歌は不思議な夢を見るようになった。


 (すてら)が夢に現れて言う。


「ずるい。愛路ちゃんばっかりずるい」


 詩歌ちゃん酷い、と星は繰り返す。


 目を覚ました詩歌は、愛路の頭を軽く撫でてから星の許へ向かった。


 星は変わらず微笑みを湛えたまま、棚の上に座っている。


 それから数日経った時、再び星の夢を見ていた詩歌は「詩歌ちゃん酷い!」という声に目を覚ました。


 胸の上に星が乗って、詩歌の顔を覗き込んでいた。


「す、星……?」


「詩歌ちゃん酷い!」


 星は小さな手で詩歌の胸を叩く。星は五十サイズのドールだ。愛路より大きく重さもある。少しだけ大人びたヘッドで、金色の髪に碧いアイ。ライトブルーのワンピース。


「ごめん……ごめんね、星」


 星の体を抱き締めると、耳元で泣き声のようなものが聞こえてきた。勿論、ドールは涙を流さない。それでも、深い悲しみが伝わってきた。


 ごめんね、と繰り返し、星の背を撫でる。


 くい、と袖を引かれて見れば、愛路が不安そうに詩歌を見上げていた。その頭を撫で、引き寄せる。愛路は脇腹の辺りにしがみ付くと、じっと星を見つめていた。


 愛路、星との生活が始まった詩歌は、楽しさの内に不安が混じるようになってきた。


 自分の所持するドールが喋り、動き出す。多くのドールオーナーが夢見るような状況だ。だが、詩歌の家には既に五十二体のドールが居る。全てが喋り、動き出したら、全員を世話することなど到底不可能だ。ペットでさえかなり無理な状況だ。愛路と星ですら、たまに喧嘩になってそれを仲裁することがある。人数が増えれば、それも増えるし、他のトラブルも発生するだろう。加えて、流石に全員分のパジャマや食器を用意するというのも難しい。例えば食事を分けると言っても、五十二人分用意するといったら、時間も何も非常に掛かることとなる。


 かと言って、実際に動き出さないかもしれないのにドールを手放すなんてことはしたくない。


 そう考える内に、三人目の彩羽(いろは)が動き出した。


 彩羽は獣人のドールだ。真っ白なボディに猫耳がついて、ヘッドも猫に寄っている。しなやかな体を飾るように華やかなドレスを着せている。


「詩歌ちゃん」


 歌うような声が言う。彩羽はまるで猫のように動き回り、愛路と星のようには詩歌について回ることはなかった。それでも、気が向いた時は詩歌や他のドール達にちょっかいを出して回った。


 日が進む内、詩歌は再び夢を見た。今度は男の子ドールの輝良(あきら)だ。


 不安が的中した。


 ドールは一体ずつ目を覚まし、動き始めている。


 ドールを飾っている棚を見回し、詩歌は知らず溜め息を吐いた。


「詩歌ちゃん?」


 おもちゃで遊んでいた愛路が、トコトコと歩いて来ると、詩歌のスカートの裾を引っ張った。その小さな体を抱き締めて、「何でもないよ」と首を振る。


 ──何でもなくは、ないけれど……。


 ドールにはストーリーが付いているものがある。それを気に入ってお迎えすることもあるが、ストーリーは関係なく、ただ造形を気に入ってお迎えする場合もある。


 詩歌の不安の種。それは、殺人鬼ドールの存在だった。


 基本的には幻想的で甘い雰囲気を好む詩歌だったが、時瑛(じぇい)と名付けたそのドールは、殺人鬼というストーリーが付けられていた。


 ──もし、この子が目を覚ましたら……。


 目を覚ましたドール達は、詩歌の想像していた性格と殆ど異ならない言動をしていた。つまり、殺人鬼ドールだと思っている時瑛が目を覚ましたら、それは殺人鬼ということになるのだろうか。


 時瑛は伏し目がちの瞳で、見つめている。




 一人、一人と目を覚ましていく。


「詩歌ちゃん」


 ドール達は、それぞれの感覚で詩歌を求める。


 詩歌ちゃん遊ぼう。


 詩歌ちゃんお歌を歌って。


 詩歌ちゃん絵を描いたの。


 詩歌ちゃんお着替えさせて。


 詩歌ちゃん、詩歌ちゃん、詩歌ちゃん……。


 気が休まらなかった。


 仕事から帰れば、ドール達の世話をする。一度に十人もの子供の母親になったような気分だった。いや、実際にそうだった。


「詩歌ちゃん」


 夜も深まった頃、愛路が隣に腰掛け、袖を引いた。


「……なぁに? お歌? お絵描き?」


 疲れ切った声で応えると、愛路はふるふると首を振って悲しそうにした。


「ううん。愛路は、一緒に居てもいい?」


 不思議なことを聞く愛路に、詩歌は首を傾げる。


「当たり前だよ」


 愛路を抱え上げ、抱き締める。


 愛路がフフフと笑った。




 目を覚ました詩歌は、床に散らばる破片をぼんやりと見つめ、悲鳴を上げた。


「星……!」


 まるで上から強く踏みつぶされたように、星のボディが粉々に散らばっていた。金色のウィッグがくちゃくちゃに放り出され、碧いグラスアイがつるりとした表面を光らせ、虚空を見つめている。ライトブルーのワンピースは裂かれていた。


 いくら呼び掛けても星はもう答えることはなかった。ただの、無機質な塊になってしまった。


 くっつけることも出来ない。それ程に粉々に砕かれていた。


 ──一体、何が。


 そんなことは判っていた。時瑛だ。


 伏し目がちの瞳が鈍く光った気がした。


 詩歌は、時瑛が収まっていた箱をクローゼットから取り出すと、時瑛を仕舞い、ロープで縛った。


 ──でも、どうして。


 時瑛は夢に出て来ていない。


 隣に立った愛路が、押し黙ったまま、不安そうに詩歌の袖を握っていた。


 しかし、次の日。今度は輝良が粉々に散らばって、ただの無機質の塊になってしまった。


 時瑛を仕舞った箱のロープは切れていなかった。それでも、箱の位置が少しだけずれている気がした。


 箱の上に重い荷物を置き、出て来られないようにする。


 輝良のボディを小箱に入れ、星の入った小箱の横に置く。


 ドール達は、少しばかり元気をなくしていたが、それでも変わらず楽しそうに過ごしていた。


 ドールは、年齢も、見た目も、その感情さえも固定された存在。


 少しの怯えこそあっても、変わらない。


 愛路を抱き締めると、僕も、私もとドール達が駆けてくる。


 皆を一人ずつ抱き締め、詩歌は考える。


 どうするべきか。時瑛を箱から出さずにおけば、それで……。


 しかし、日が進むと、ドールは一体一体粉々に砕かれていった。


 それは目覚めたドールだけでなく、ただのドールとして棚に置かれたドール達にも及んでいた。


 小箱が増えていく。


 時瑛の箱を見つめながら、詩歌は顔を歪めた。


 ──こう、なったら……。


 時瑛の入った箱を取り上げ、詩歌はそれをゴミ捨て場に置いた。粗大ゴミだ。


 罪悪感と、無力感に襲われる。


 でも、供養として寺に持ち込むよりも、こうしてゴミとして処分される方がきっといい。


 何も、なくなるだけ。


 ボタボタと涙を流しながら、詩歌は部屋に戻った。


 ──勝手だ。勝手にお迎えして、可愛がって、捨てる。最低だ。


「詩歌ちゃん」


 小箱ばかりが並ぶ棚を呆然として眺めていた詩歌は、足元の愛路を抱え上げた。


「なぁに?」


「愛路はずっと側に居るよ」


 その甘い声が耳の奥で響く。


 詩歌の中で、ふっとある疑念が沸いた。


 箱に入れたままの時瑛。全ての始まりの愛路。


「愛路……もしかして」


「なぁに?」


 詩歌は愛路を抱えたままゴミ捨て場に戻ると、絶望に息を吐いた。時瑛の箱はもう無くなっていた。他のゴミも無くなっていたから、回収されてしまったのだろう。


「どうしたの」


 愛らしい愛路が言う。


「……ううん、何でも、ない」


 次の日。彩羽が砕かれ、床に散っていた。


 ──あぁ。やっぱり。


「愛路」


「なぁに、詩歌ちゃん」


 愛路は、嬉しそうにトコトコと歩み寄って来ると、緑色の瞳で詩歌を見上げた。


 愛を一身に受ける、全ての愛を独り占めにするドール。


 これは、愛路にとっては悪いことではないのだろう。当然のことなのだろう。それでも、詩歌が他のドールを大切にしているのが判るから、こっそりと一人ずつ処分する。その愛全てを自分のものだけにする為に。


 詩歌は、愛路を抱き締めた。


「こんな、悲しいこと……しなくていいんだよ」


「悲しいこと?」


 愛路は、きょとんと首を傾げた。


 詩歌は、残っていたドールを全て中古屋に持ち込んだ。誰か、新しいオーナーに可愛がって貰えるように。


 部屋に戻ると、愛路がひっそりと寂しくなった空間でポツンと座っていた。帰宅した詩歌に気が付き、嬉しそうに駆けてくる。


 腕を伸ばして詩歌を見上げ、不思議そうに詩歌の背後に目を向ける。


 その瞬間、背中に痛みが走った。


「私のことも愛してよ。私も愛してあげるから。詩歌ちゃん」


 振り向くと、時瑛だった。


 薄汚れ、傷のついた顔で、伏し目がちの瞳が詩歌を見上げていた。その瞳の奥に凶暴な光が灯っている。その手には、鋏が握られていた。


 ボタボタと音を立てて背中から血が滴った。


「……あ、血が──」


 呟く詩歌の目の前で、時瑛が鋏を持った手を振り上げた。次の瞬間、鋏は詩歌の太ももに突き刺さった。呻いた詩歌に、時瑛は嬉しそうに笑う。


「詩歌ちゃん、愛してる」


 時瑛は鋏を引き抜くと、躊躇いなく詩歌の体に突き立てた。詩歌は部屋の中を這いながら必死に逃げた。


「駄目!」


 その時、愛路の小さな体が時瑛に飛び掛かった。七十サイズのドールである時瑛は、いとも容易く愛路の体を突き飛ばす。ガシャン、という音を立てて愛路は壁に当たって崩れ落ちた。その体を踏みつけ、時瑛は鋏を振り上げる。


 ガツンッ、ガツンッという音がして愛路の体に鋏が突き立てられる。フリルのたっぷりついた服が、切付けられ散っていく。


「やめ……止めて、時瑛」


 詩歌の声にくるりと首を向けた時瑛は、その伏せられたままの瞳を怪しく光らせた。


「止めない。愛路は愛して欲しいんだよ。私の愛もあげるの」


 より一層力を込めて愛路に鋏を叩きつける。


 ──どうしたら……。


 混乱する詩歌の手に、猫の置物が当たった。それはとても重く、詩歌は時折指をぶつけては悶絶していた。そんな時でも置物はびくともしなかった。それ程に重い。


 叫び声を上げた詩歌は、置物を手に時瑛の許に走っていた。置物を振り回し、時瑛の体を吹き飛ばす。


 ガシャン、と時瑛の体が床に転がった。ギギギと腕が上がる。その手に誘われるように、詩歌は置物を繰り返し時瑛に叩きつけた。


 喉からは獣のような声が漏れていた。


 置物を叩きつける度、時瑛は嬉しそうに笑っているように見えた。


 ごめん、ごめん、ごめんなさい……。


 獣のような声は、いつしか謝罪に変わっていた。


「うたちゃん、あいしてる」


 最期にそれだけ言って、時瑛は動かなくなった。もう、それはただの無機質な塊だった。


「詩歌ちゃん」


 カシャカシャ、という音を立てながら愛路が歩いて来ると、詩歌の膝に手を当てた。愛らしい顔で詩歌を見上げている。


「有難う。愛路だけの詩歌ちゃん。愛路も詩歌ちゃんだけの愛路だよ」


 そう言ってから、ガクリと膝を突く。


 そのボディは鋏によって大きな穴を開けられていた。上手く体を支えられずに倒れ込む。


「愛路……!」


 そのボディを抱え上げ、顔を覗く。


「詩歌ちゃん、大好き」


 コツンと音を立て、愛路のグラスアイがアイホールの奥に消えた。


「あれれ、よく、見えない」


 アイホールの奥はぽっかりとした空洞だ。


 この子は、ドール。


 ドールは、年齢も、見た目も、その感情さえも固定された存在。


 愛路は、愛を一身に受け、それを独り占めにするドール。


 ──その為には、手段を選ばない。それは、ドール相手だけだろうか。


 詩歌はボディに開いた穴に手を這わせた。床に転がった置物に目を向ける。


「詩歌ちゃん、どうしたの」


 甘い声が聞こえる。


 詩歌は震える手で愛路を抱き締めた。


「ううん、何でもないよ。お腹の傷、直そうね。お着替えもして、おめめも新しいのにしよう」


「うん! 詩歌ちゃん大好き」




 近隣住人に通報されていたらしく、ドールに切り付けられたとも言えなかった詩歌は、それを誤魔化すのに苦労したが、すぐに日常を取り戻した。


 がらんどうになった部屋には、今も愛路が居る。


 詩歌の愛を一身に受ける為、微笑みを浮かべている。


 新しくなったウィッグに、アイに、お洋服。


 穴の開いたボディは、愛路でなくなってしまうようで、替えられなかった。


「詩歌ちゃん」


「なぁに?」


「だーいすき!」


 愛路は、たった一人の愛おしいドール。


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