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姫は謎を解く  作者: 天野空音


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第一章 謎の失踪

蘭玲はふと読んでいた、写本から目を離して、扉を見つめる。扉が開かれた音に気付いたのだ、そして蘭玲の口角は、意識関係なく上がる。


(楽しみですね…いけない、いけない、微笑まなくては)


 蘭玲は袖で口を押さえて口元を隠す。


「こんばんは、依頼者さん」


 蘭玲は己の前にいる侍女を見つめる。身なりは粗末ながら清潔で、上級侍女の深藍の衣を纏っている。彼女は五大家の王家に仕える者だと察せられる。

 

「私の名前は…蘭雪。以外お見知りおきを、緊張なさっているようですし…どうぞこちらにお掛けになって」

 

蘭玲は椅子を指し示す。

 

 慧芳は一歩踏み出すごとに胸の鼓動が大きくなり、膝を折りそうなほどだった。

椅子に腰を下ろすと、冷たい木の感触が背筋を正す。

 

「……あの……」

 

 慧芳は言葉を探し、視線を床に落とす。

 

「私は、王家の玉華様付きの侍女の慧芳と申します。お願いがあって、参りました」


蘭玲はゆるりと顎を引き、目を細める。

 

「どんな願い事でも、聞くだけならできます。……けれど、結果は――わたしが決めることではありません」

 

 慧芳はかすかに息を呑んだ。

しかし、この場に来た以上、もう退くことはできない。

 

「玉華様の洗濯係の下級侍女の桃英が……一日前から行方知れずなのです。桃英が最後に見られたのは、確か昨日の夕刻。

 玉華様のお衣を抱え、明桜宮の洗濯場へ向かうところでした。

 侍女仲間がそこまで見ているのです。

 ですが、その後……誰も姿を見た者はいません」

 

慧芳は唇を噛みしめ、拳を握った。

 

「明桜宮の洗濯場から侍女の部屋へ戻るはずが……跡形もなく消えてしまったのです。

 それ以来、玉華様も何も仰らず……皆、恐れて口を閉ざしております」

 

蘭玲は静かに目を伏せ、指先で卓を一度だけ叩いた。

 

「……明桜宮の洗濯場、ね」

 

その声音は柔らかいが、底に何かを探るような鋭さが潜んでいた。


「分かりました、その依頼お受けいたします。もし解決したなら、三日後に全て元通りになっているのでご心配なく、でも、私にも出来ない事があります。元通りにならない可能性もありますが、その時は仕方がないと思ってください」

 

 慧芳が席から勢いよく立ち上がって、頭を下げる。


「ありがとうございます…蘭雪さん。桃英は…私の友人だったので…お力、感謝いたします。」


 慧芳に向かって、優しく微笑みながら言う。

 

「真相は知りたいかも知れませんが、決してお教えは出来ません」


深くお辞儀した慧芳は、真っ直ぐに蘭玲を見つめる。


「では、よろしくお願いします。蘭雪さん。もし、お手伝いできる事があれば、私の部屋を訪ねてきてください」


 慧芳は出ていく。

 蘭玲は少し考えこみながらも、洗濯場を訪れる事に決める。

 

 夕刻の洗濯場は賑やかだ、下級侍女達が洗い物などをしている。蘭玲は、その横を空気のように通り過ぎて、洗濯場の裏手にある小道を静かに歩く。


(大体、この辺ですかね…匂う場所は…)

 

 洗濯場の隅から奥へと、誰かの足跡は続いていた。真新しい足跡は通常の侍女の歩幅よりやや小さく、足音も軽やかだ。誰かが急いでいたのか、あるいは……隠れながら移動したのか。


(おかしいですね。失踪は一日前の事。これの足跡を見るからに数刻前ですかね…随分、急いでいたのですね。大変ですね)

 

 足跡を辿りながら、蘭玲の心はどんどん好奇心に膨れ上がっている。

 しかし足跡は途中でふっと消えていた。


(あら?…これは)


……だが、床に落ちた水滴の形が、不自然な赤色をしている。まるで、途中で何かが布で拭われたようだ。血は時間が経つと固まり取れなくなる、こんな事誰でも知っている事である。

 犯人は知らなかったのだろうか、それとも何かに時間を取られて遅れたのだろうか、そんな考えが脳裏に過ぎる。


(おかしい…ただの水にしては、こんなに時間が経った跡が残るはずはない、赤色、赤色)


 蘭玲ははっと思い出し、小さく呟く。

 

「……血を頑張って消したのね、消えてないけど…いいのかしら、ん?、これは?」


 目を凝らしてよく見ると、床の隙間に、布の切れ端が挟まっている。それを摘み上げると、僅かに血の匂いもしたがやはり強くてきつい香の匂いがした。

 下級侍女が使うものではない。――むしろ、姫や妃付きの上級侍女達がよく好んで使う香だ。布の切れ端は血で汚れており、何色だったのか区別がつかない。

 

「……どなたか付きの上級侍女の誰かが、ここで彼女と会っていた?」

 

蘭玲の目がわずかに細まる。

 

 視線を巡らせると、洗濯場の裏手に小さな木戸があるのに気付いた。普段は使われぬ物置き用の戸口。普段から使われていない扉は少し歪んでいる。

 

 蘭玲は袖をたくし上げ、音を立てずに扉を押す。

――軋み音と共に、冷たい空気が流れ出た。

 

 中は狭い部屋だった。灯りはなく、湿気と土の匂いが鼻を刺す。辺りには沢山の箱や棚が置いてある。しかし、掃除をしているのだろうか、埃っぽい感じはしなかった。

 

(埃っぽい感じはない。しかし少し暗いですね…出口を閉められたら終わりですね)

 

 そんな物騒な事を考えながら、石壁に手を這わせながら奥へ進むと、床に何かが落ちている。


それは――細い簪

 

 蘭玲はそれを拾い上げ、指でつまみ、出口の光に透かした。

先端に、血のような赤い染みがこびりついている。だが、よく見ると繊細な模様が施されている。

 

(血がついていますね…これで頭を刺した?…でも先端しか血がついていない、刺すとしても、さはど深くない。でも簪はそれくらい鋭利なものですかね…この模様…)

 

 模様は雲家の家紋に似ている。

 

「……雲家の印、ですか」

 

低く囁いたその声には、驚きよりも冷静な確信があった。


 雲家とは西ある、天律国最大の商業都市の商雲。そして、天律国の最大穀倉地帯を治めている。通称西領と治めており、政治においては歴代で中央政権の最高位である、宰相を担う家。狡猾であり、頭脳明晰であり、人の上に立つ事ができる頭脳と人の善し悪しを完璧に見分けられるというのである。


(さぁて…ここから出ますか、"これ''は頂戴していきましょう)


 簪を懐に納めて蘭玲はニヤリと笑いながら、物置き小屋から出て行く。

 

 にんまりと微笑んでいた蘭玲は気づかなかった、物置き小屋の木々の間に人影が映っていたことを、その人は夕日にあたって一段と影を濃くしながら、口元に笑みを浮かべていた。


「面白い事が起こっているな」

 

 その人はそう小さく呟いたが、幸い蘭玲には聞こえなかったようだ。


 ***


 白蓮の間には戻らずに、自分の部屋である蘭香殿に戻った。

 殿とは姫達が暮らす場所の事。殿には主の部屋と侍女達が寝泊まりする部屋やその他生活に必要な部屋が存在する。

 

 蘭玲が帰ってきた時には、辺りは真っ暗になっていた回廊の灯篭に灯が灯されている。


 蘭玲はとりあえず鏡台の前に腰掛ける。侍女の衣は脱いでおり、夜着を見に纏っている。

 部屋の掃除をしていた、鈴雪、明明、麗珠達が駆け寄っくる。


「蘭玲様、お化粧をお取りします」

「私は、お茶の用意を…」

「蘭玲様、蘭雪としてはどうでしたか?事件は?」


 蘭玲はにこやかに微笑みを浮かべる。事件の詳細を手短に話す。


「大丈夫ですよ、まだ真相はよくわかりませんが…そういえばこれを拾いました」


 懐から簪を取り出して、鈴雪達に見せる。麗珠の眉が寄る。蘭玲がゆっくりと話す。


「この簪は雲家の模様が施されていて、雲家が主犯だと考えられる。でも、違うかも知れない…これは単なる扇動かも、雲家が犯人だと見せかけて、他家が犯人かも知れないですね」


 鈴雪と明明は熱心に耳を傾けている。鈴雪が鏡台に静かに、水盤を置いて、蘭玲に手巾を渡す。蘭玲は水で顔を洗う。麗珠が眉を痩せながら、ポツリと呟く。


「でも…雲家は屑の集まりですよ!絶対、主犯は雲家のお妃様か姫様ですよ!」

 

 語尾が強くなり、最後は大きな声で叫んでいる。明明が怯えたように麗珠の肩を掴む。


「麗珠…武官に聞かれたら…処罰…いや処刑されちゃうわ!!」

「気にしないわよ、そんな事!、私をどうにかするのは無理よ!」


 自身満々に答える麗珠を、鈴雪は呆れた顔をして見ている、明明はすっかり怯えきったのか扉を開けて、外の様子を確認している。


「武官達はいなかったみたい…よかった…」


 明明は安堵のため息をついて、肩を落とす。

 蘭玲は水に濡れた顔を手巾で顔を拭きながら、顔を上げて淡く微笑みを浮かべる。


「ふふっ、万が一の事があっても、私が助けます。私の大切な侍女に手を出すなんて、許せないですもの」


 笑みを浮かべるが、目が笑ってなく、手巾を力を込めて握っている。麗珠と明明が顔を見合わせる、明明の顔が青ざめている、麗珠は少し緊張している。


「蘭玲様…いざとなったら、陛下や殿下に、不敬を働くのではないでしょうか…そんなったら…私は…」

「ちょっと!、絶対に有り得ないわ…蘭玲様は一応そういう所は徹底しているんだから!…まあでも、あり得るかも」

「麗珠、明明。やっぱり武官の皆様に聞かれても困るから、この件については一旦話さないでおきましょう…鈴雪、ありがとうございます」


 蘭玲が顔を拭いていた手巾を鈴雪に渡す。鈴雪は片付けながら、にこやかに微笑みを浮かべる。


「大丈夫ですよ、明明、麗珠。蘭玲様はこれでも礼儀を尽くす人には尽くしますから、まあ…でも度々無茶はしますけど、不敬は働かないはずですから」


 蘭玲が、少し眉を寄せる。


「度々の無茶?…鈴雪どういうことですか?」


鈴雪は朗らかな笑みを浮かべて、素知らぬ顔をする。


「昔、無茶をなさいましたでしょう…例えば蘭玲様が十二歳の時の事です、朝市を見たいとおっしゃって、塀によじ登り抜け出しましたが、塀から降りる時に足を滑らせて外を流れる用水路に落ちたではありませんか。その時は、今と比べ物にならない程病弱で、季節が冬だったので十日間くらい熱は下がりませんでしたよね?」

「鈴雪!恥ずかしいです」

「さすが…鈴雪さん、蘭玲様の扱いをよく知っていらっしゃる…」


 明明が関心した様に鈴雪を見る。蘭玲は不貞腐れながらも、静かに笑みを浮かべる。


(あの時は死ぬかと思いましたわね…まあ家人の皆様が助けてくれましたけど、でも…恥ずかしい)

 

 こう見えて蘭玲は生まれながらの虚弱児だった。そのせいなのか、幼い頃から体も弱く寝込む毎日が続いた。年を重ねて少しは体が丈夫なり発熱は少なくなりつつあるが、吐き気や頭痛といった症状に、今でも悩まされている。


 少しして、侍女を下がらせた蘭玲は紙を用意して卓に向かい、墨をする。今日の事件の事をまとめる為に筆を取り、考え込む。


(犯人は、一体誰?何が目的。結局桃英さんはどこに行ったの)


 蘭玲は例の簪と、鈴雪達には刺激が強いかもと思い見せなかった血で汚れた布切れを懐から取り出して、卓に並べる。もう香の香りは少ししか感じられない。

 筆を取りゆっくりと書く。


『依頼人は慧芳さん

 桃英さんが姿を消したのは洗濯場

 布切れと血の痕跡、色は判断出来ず、僅かに香の匂い

 雲家の簪の落とし物』


 これを踏まえて、蘭玲は今ある謎を書いていく。そのさながら明日の事も考える。


(明日は何かありましたっけ…鈴雪が言ってくれるから問題ないか、明日は蘭雪としては動かないで置きましょう…明日から本格的に桃英さんの噂は広まる可能性があるわ)


 蘭玲は書き物を終えて、引き出しに諸々の証拠品を入れて、寝台に横になって眠りにつく。


 ***


 少し時を遡り、蘭玲が去った物置き小屋の木々を人影は雑草を掻き分けて出てくる。

 夕日に照らされる顔は、浅黒い肌に切れ長の目であり男性の中では小柄だと伺える。

 その彼はニヤニヤと笑いながら、明桜宮から後宮に続く門に消えていった。

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