勇者の花嫁はバカなのか
わたしとセドリックの結婚式が明日に迫っている。
領地が隣同士の我がロドンディ男爵家とハーレー伯爵家はこれまでも円満な関係を築いていた。しかし、物流を良くするための街道整備や特産品の共同開発など更なる発展のために、より強固な絆が必要だと、わたしとセドリックの婚約が結ばれた。
広大な領地を持つハーレー伯爵家では良い農作物がたくさん収穫出来るのだが、そのほとんどを自領や近隣の土地で消費し、堅実ではあったが豊かとは言えない経営状況であった。
それに比べてロドンディ男爵家の領地は小さいものの、商売上手な祖父、求心力のある父の手腕で領地経営は順調どころか右肩上がり。
豊かな自然に囲まれながら王都と変わらない便利な生活を送れると、若者を中心に移住者や旅行者も増えているという恵まれた状況だった。
そのため、十歳のわたしと十一歳のセドリックが婚約を結んだ当時は、男爵家と伯爵家という格差のある婚約にも異を唱える者はいなかったのだが。
「モニカ様、身を引こうと思わないのかしら」
「男爵家と伯爵家では格が違うものね」
結婚式後の打ち合わせのため訪れたハーレー伯爵家で聞いてしまったメイド達の声。
「それどころか、勇者様と田舎領地の男爵令嬢よ?」
「完全な身分違いね」
今から六年前、異世界から一人の少女が現れた。
この国には、異世界から聖女が現れし時、魔王が復活するという言い伝えがある。
聖女様のお言葉により金髪に青い目の貴族男性が集められ、その中から勇者が選別された。
それが当時十五歳だったわたしの婚約者セドリック・ハーレーだったのだ。
彼が勇者となって五年後、聖女一行は魔王を倒したとの報せに国中が喜びに沸いた。
あれから一年が経ち、やっと延期していたわたし達の結婚式が明日に迫っているというのに、メイド達の心無い言葉にわたしはため息をつく。
「セドリック様は聖女様とご結婚なさると思っていたわ」
「聖女様は王子様とご結婚されたのだから、しょうがなく成金行かず後家の婚約者と式を挙げるんだろうに、モニカ様ったら幸せそうに笑っちゃって」
バカみたいね、と二人のメイドはクスクスと笑っている。
「モニカ、ここにいたのか」
化粧室に行くと言ってなかなか戻らないわたしを心配したセドリックが探しに来てくれたようだ。
毎晩聖女の名前を呼んで目を覚ますという彼の目の下にはくっきりと隈が見える。帰郷した頃は精悍だったセドリックだったが、今は痩せて儚ささえ感じられた。
「今日はもう帰るわ」
わたしはお茶をしていたサロンに戻ることなく、そのまま玄関ホールへと向かう。
結婚式もその後のことも準備は万端だ。打ち合わせのためと言ってハーレー家を訪れたのは、セドリックが心配だっただけ。
「きみは、俺と結婚することに後悔はないのか?」
婚約を結んだ当時は、わたしがハーレー伯爵家の長男であるセドリックと結婚し、嫁に来る予定だった。しかし、彼が勇者となり、明日の命運もわからなくなった時点で継承権は彼の弟に移っている。
聖女一行として凱旋後に一代限りの爵位を賜るという話は断っているので、わたしとセドリックが結婚し、お互いの家を離れると平民になる。
セドリックが魔王を倒す旅に出ている間に、お互いの家に利益がある事業計画は進んだ。街道整備は間もなく完成し、流通が格段に良くなる見通しが立っている。
ハーレー伯爵領で捨てられていた農産物を加工品にして販売するという事業も、すでにうちの父親の戦略が功を奏して売り切れとなるほどの人気商品だ。
ハーレー領の加工品専門店はロドンディ家の商会のみでの取り扱いのため、どちらの家にも有益な商売となっている。
政略で結ばれたハーレー伯爵家とロドンディ男爵家の婚約はすでに成果を上げ、今はもう、無理に結ぶ必要はない状況だ。
どちらかというと、勇者となったセドリックと娘であるわたしが結婚する分、ロドンディ男爵家のほうが利は大きいというのが、世間一般の見解だろう。
「あなたが旅から帰って来るまでは、不安だった」
勇者と聖女様の関係は周知の事実だった。
勇者と聖女様が試練を乗り越えて魔王を倒すまでを面白おかしく綴った小説や、舞台装置を利かせた演出が話題になった聖女一行物語の舞台も、どれも全て、結末は勇者と聖女様の恋のハッピーエンド。
魔王を倒したと噂は広まったものの、一向に故郷へと帰って来ないセドリックは、やはり聖女様と恋に落ちてそのまま王都で暮らしているのだろうか。
家の都合で婚約していたわたしのことなど、忘れてしまったのだろうか。
そんな不安を抱えたまま半年以上が過ぎた頃、セドリックはやっとハーレー伯爵家へと戻って来た。
五年半ぶりに会った婚約者のわたしの顔を見た彼は、眉を寄せ、考え込んだ。
予想通りというか、正直、そこまで予想はしていなかったのだが、セドリックはわたしの顔を見ても名前を思い出すことが出来なかったのだ。
あまりの衝撃ゆえか、わたしはその時に決めたのだ。
「帰郷したあなたと再会した時に、絶対にセドリックを幸せにしてあげようって決めたのよ」
じゃあ明日ね、と手をひらひら振って彼の家を後にする。
結婚式当日の朝、心配する家族に、いや、自分に言い聞かせるように言う。
「セドリックは、大丈夫。きっと聖女様のことは忘れてくれるわ」
本来ならば聖女様と結ばれるはずの勇者と、幼い頃からの婚約を理由に強引にこの結婚を進めたわたしを、わたしを止めなかったロドンディ男爵家を悪く言う者はいるだろう。
実際、わたしの耳に入れないように気を使ってくれてはいたけれど、勇者と聖女様の仲を引き裂くような結婚だと、お前たちの娘はバカなのかと罵られたこともあったらしい。
それでも、両親も兄も兄嫁も、わたしの幸せだけを願って好きなようにさせてくれた。
ハーレー伯爵家だって、本当はわたしとセドリックの婚約を破棄してしまいたかったことだろう。けれど、天候に左右される農産物が領の主な収入源だったハーレー家の経済が安定するまでに尽力した我が家を無下に扱うことが出来ず、わたし達の婚約は継続した。
そして今日、わたしとセドリックは永遠の愛を誓う。
ハーレー伯爵領の伝統ある教会で結婚式は行われた。参列者はお互いの家族だけ、というとても質素な式。
今日は魔王を倒して聖女様一行が王都に凱旋したあの日から丸一年が経った記念日だ。
世界が救われた日として、国は毎年この日を祝いの日に認定した。そのため、国中で聖女様と勇者に感謝してお祭り騒ぎの一日となっている。
こんな日に結婚式を挙げるバカはわたし達くらいだ。
セドリックが結婚することを知った聖女様が、ぜひ結婚式には参列させてほしいと便りをくださったとセドリックから聞かされた時、わたしは「まぁ、嬉しい」と答えた。しかし、頭の中では絶対に聖女様が王都を離れられない日に合わせて式を挙げてやると、脳内で年間スケジュールを高速で捲った。
時折うつろな目をしながらも、牧師に促されるままわたしへの愛を誓ったセドリックとともに教会の鐘を鳴らす。
この鐘を鳴らすことで、結婚式の終わりを告げる合図ともなる。
ゴーンゴーンと重い鐘の音が鳴り響く。
「そんな、終わってしまったのか」
鐘の音を聞きながら立ちすくむ男は見るからに高位貴族であろう男性。
美しく着飾った身なりに絵画から出てきたような整った容姿。ハニーブロンドの髪は風に揺れ、宝石のような青い瞳は不安そうに瞬く。
「ブランドン」
その男性はセドリックの呼び声にハッと我に返ったようで、わたし達の元へ駆け寄る。
「セドリック! 本当に結婚してしまったのか? 聖女様というお方がありながら」
「俺の心は聖女様に支配されたままだけれど……」
言いよどむセドリックの握っていた手に力を籠める。セドリックはわたしの顔を見て、深呼吸をした。
「今日は俺とモニカの結婚式だ。おめでとうと言ってくれないのか?」
わたしの名前が出てやっとこちらを見た美しい男は、蔑んだような視線を送ってくる。
「きみが勇者と結婚したいというバカな願望を叶えた花嫁か。勇者は聖女様のものだというのに。王都に来ることがあったら指を差されて笑われるぞ」
そう言って乾いた笑いを残して、彼はフラフラと去って行った。
「すまない。一緒に魔王を倒した仲間だったんだけど」
申し訳なさそうに言うセドリックに「気にしてないわ」とわたしは答える。
「そんなことより、新婚旅行のことを考えましょう。行きたい場所がたくさんあるの。早くこの国を出たいわ」
セドリックの手を引っ張り、早く早くとせがむ。
わたし達はこのまま家に寄らず、準備していた小さな荷物だけを持ち、この国を出る予定だ。足りない物があれば、その時に揃えれば良い。なければないなりに、きっとなんとかなるだろう。
自分で持てる小さな荷物だけで出発するわたし達の新婚旅行が、まさか行き先が決まっていないとは誰も思わないだろう。
わたし達はこのままこの国には戻らない。気ままにずっと旅をするかもしれないし、気に入った土地があればそこに定住するかもしれない。
大事なのは、セドリックを一刻も早く、この国から連れ出すこと。
見渡す限り青い海。見上げた空は雲一つない快晴。
揺れる甲板の手すりに寄りかかりながら、昨日立ち寄った港町で手に入れた新聞を眺める。
「モーニーカ」
語尾にハートが付きそうな甘えた声で後ろからわたしを抱きしめたのは、夫になったセドリック。頭に顔を擦り付けてくる様子は、じゃれつく猫のように見えるだろうか。
いや、照り付ける太陽に負けないほど輝く金髪に、強い意志があることがわかる美しい切れ長の瞳は獰猛な獣の王を思わせるに違いない。
「暑いから離れて」
「えー、やだー」
冷たい態度のわたしに一向に挫ける様子のないセドリックは、余計にわたしを抱きしめる腕に力を込めた。
彼は、幼い頃からこうなのだ。
家同士の政略で結ばれた婚約だったのだが、なぜかセドリックはわたしに夢中で、我が家に住んでいるのではないかと思うほど、常にわたしの傍にいた。
「大好き」「早く結婚したい」そう言ってわたしの頬に額にキスを贈ってくれた。
そんな彼が、他に好きな人が出来たからと、何年も会っていなかったからと、わたしの名前を忘れるはずがなかった。
魔王を倒す旅に出てからも、彼はわたしに愛の言葉を綴った手紙をくれた。それがいつしか、聖女様を褒め称える文章ばかりになる。それでも、時折、小さな押し花や露店で買っただろうおもちゃのようなブレスレットが同封されていて、わたしの心を和ませてくれた。
「聖女様がご結婚されたんですって」
持っていた新聞の内容をセドリックに伝える。
セドリックは器用に片眉を上げて「今度は誰?」と尋ねた。
「ブランドン様よ。わたし達の結婚式に来てくださった方よね?」
「えーと、確か四番目だっけ? やっと順番が回ってきたわけか」
聖女様がご結婚されたのは今回で四度目だ。
「特例で重婚が認められるまでみんな待ってたんですもの。あなた以外は呆れるほど一途だこと」
わたし達の祖国は一夫一妻制だ。王族など稀に妾を持つことはあるが、正式な地位にはなれない。
けれど、聖女様が魔王を倒した褒賞に望んだのは、勇者全員との婚姻であった。
この世界に召喚された聖女様は国中から金髪に青い目の貴族男性を集め、その中から見目麗しい七人の男達を勇者として選出した。
その全員を引き連れ魔王を倒して王都に凱旋した聖女様は、勇者全員を愛していると公言していた。しかし、一夫一妻制のしきたりが改正される前に、勇者の一人であった王子様が権力を武器にいち早く聖女様と結婚してしまった。
聖女様だけが複数の夫を持つことが許される特例が発令される前に、周囲の反対を押し切ってわたしはセドリックとの結婚に踏み切った。
わたし達が国を出たその日に特例が認められたことを知り、間に合ったと胸を撫でおろす。
セドリックが独身だったならば、きっと王都に連れ戻され、聖女様と結婚することになっていただろう。いや、結婚後だとしても、国にいる限りは強制的に離縁させられ、彼は聖女様のものになったに違いない。
セドリック本人も、一目聖女様にお会いすれば、また彼女に夢中になって喜んで夫の一人になったことだろう。
魔王を倒し、故郷に戻って来たセドリックは、本当は短期間の滞在で王都に戻る予定だったらしい。
五年半ぶりに会った婚約者のわたしに「きみは……」と言葉を繋げられなかった彼に、わたしは右アッパーをお見舞いした。
「勇者に選ばれたからってまともに言葉も交わさないまま急にいなくなって、生きてるんだか死んでるんだかわからないあなたの無事を毎日祈っていた五年間が過ぎて、魔王を倒したと聞いたのに、そこから半年も帰って来なくて、やっと帰ってきたと思ったら婚約者の顔も名前も忘れたの?」
顎を押さえたまま尻餅をついたセドリックが目をぱちくりさせる。
「モニカ?」
幼い頃、わたしのスカートを捲るたびに受けていた痛みで、思い出してくれたらしい。
「そうよ。あなたが大好きなモニカよ」
フンッと鼻息荒く言ってやると、セドリックは美しい顔を歪めて泣き出した。
「モニカ、モニカ」
ただわたしの名前を繰り返して、悲しいも苦しいも痛いも何も言わず、ただ泣き続けた。わたしを抱きしめたまま泣いて、疲れた彼はそのまま眠ってしまう。
目を覚ますと、わたしを抱き枕か何か程度に思ったのか、ソファーに置き去りにして聖女様の名前を呼びながら部屋を出て行った。
聖女の祝福だ。
聖女様に見つめられると彼女のことが頭から離れなくなり、やがて彼女なしではいられなくなってしまう。聖女の祝福を繰り返し受けると、最終的には、心が永遠に聖女様のものとなる。
セドリックが勇者となって旅立ってから、わたしは聖女様関連の本を読み漁った。その中には外国から取り寄せた物もあり、まるでお伽話のような本もあった。
その物語は、聖女様が異世界から召喚される場面から始まる。主人公である聖女様が身分も国籍も外見も中身も異なるたくさんの男性の中から好きな勇者を七人選び、魔王を倒す旅をしながらその中の誰かと恋に落ちるというストーリーだった。その中では、聖女様が好意を持って見つめるだけで、好感度が上がる、という魔法めいたことを『聖女の祝福』と呼んでいた。
それぞれの章毎にエンディングが異なり、というか結ばれる相手が変わる結末が用意されていた。その一番最後には、様々な要素を満たすことにより勇者全員と結婚出来る逆ハーエンド、とやらが発生する、と書いてあった。
わたしの懐かしい暴力により一時的にではあったが意識を取り戻したセドリックに、まだ間に合うかもしれない、と拳を握りしめる。
王都に戻るという彼をなだめすかし、時には力で訴えながら、少しずつ正気でいられる時間を増やしていく。ハーレー伯爵家では、いや、この国のほとんどが聖女様信仰のような状況になっており、彼の洗脳されたような状態を異常とは捉えなかった。
セドリックの意識が正常な時に、聖女様宛に手紙を書かせる。彼女への愛の言葉を散りばめさせながら、領地で問題が発生したためすぐには帰れないことを伝えてもらった。
それを繰り返しながら、いよいよ結婚となると届け出を出さないわけにはいかず、聖女様にもバレてしまった。聖女の祝福が解けかかっていることに気付いた彼女は、結婚式に参列すると言い出した。セドリックへ聖女の祝福を再びかけるつもりだったのだろう。
彼女に挙式の日を告げる手紙を送り、それが届く前に、しかも聖女様が王都から出られない日を選んで、わたし達は式を挙げ、新婚旅行と称して国を出ることに成功した。
外国から取り寄せたお伽話のような物語のあとがきには、聖女様の魔法はある国の中でしか有効ではないことが書いてあった。
賭けのようではあったが、確かに、国を出て数か月後には、セドリックは本来のおおらかで陽気な男に戻っていった。
夢の中でも聖女様のことを想い、彼女の名前を呼んで眠れぬ夜を過ごしていたためげっそりと痩せてしまった頃とは嘘のように、今は顔色もよく頬に肉もついた。
繊細そうな貴公子めいた彼は美しく心を揺さぶられたが、やはり太陽のように明るい屈託のないセドリックが、わたしは好きだ。
聖女様は勇者一人と結婚する度に盛大な式を挙げ、国中でお祝いをする。
魔王との闘いで疲弊していたあの国の財力はどこまで持つだろうか。
そういえば、本に書いてあった『聖女の祝福』を無効化するという匂いの香水が、そろそろ実家のロドンディ商会経由で流行し始めている頃だろう。
お伽話のような物語のある章では、聖女様は魔女と罵られ火あぶりにされ、聖女信仰を煽っていた王家に反乱が起こるというバッドエンドとやらが描かれていた。
わたしの実家はすでに商会の拠点を他国に移しているので、あの国が崩れたとしても、たいして影響を受けることはないだろう。
「モニカ、何を笑っているんだ?」
持っていた新聞の見出しを、わたしは読み上げる。
「『勇者全員と結婚する、世界一バカな花嫁』ですって」
「他国から見た聖女様は、頭のおかしな女ってわけか」
「国が違えば、バカと言われる相手が変わるなんて、面白いじゃない」
祖国では、聖女様と結婚するべき勇者セドリックと結婚するわたしがバカと罵られていた。しかし、他国の新聞には、聖女様こそがバカだと大きく見出しにされるほどだ。
「モニカはバカじゃないよ。俺を救ってくれた女神だ」
そう言って、セドリックはわたしを抱きしめる腕に力を籠める。
小さなわたしの愛の囁きは波音に紛れて消えていった。
けれど「俺も」「愛している」「一生離さない」等々の言葉と一緒にキスの雨が降り注いで、彼の耳にだけは、届いたのだろうことがわかる。
大丈夫。もしものことがあっても、またわたしが助けてあげる。
そう、心に誓って、わたしは拳を強く握りしめた。
数ある作品の中から見つけてくださり、読んでくださり、ありがとうございます。
ブックマーク、評価、いいね、どれもとても嬉しいです。
誤字報告、ありがとうございます。
聖女視点の「勇者全員、幸せにするつもり」投稿しました。
セドリック視点の「勇者だった、僕たちは」投稿しました。
今作と比べてどちらも暗い仕上がりになっておりますが、ご興味のある方は読んでくださると嬉しいです。