8話
「今週は静かにしてろよ」
「分かってるよ」
私たちは話しながら美術室に向かう。
「あ、忘れ物した、先に行ってて」
彼はそういって走って教室に戻る。あれだけ言ったのに。彼は忘れ物が多かった。忘れ物を探しに戻ると何を探しに来たのかを忘れることなんて多々ある。彼はそんな性分のせいで遅刻しそうになることも少なくない。気の毒といえば気の毒だ。
自分が遅れるのは嫌なので先に教室に向かうことにした。美術室は校舎のはずれにあり、窓にはちょうどこの町を囲む山々が映る。今回の課題はそれを描いた人も多かったように思える。教室のドアを開けると教卓の前に先週の授業で怒られていた女学生が立っていた。
彼女の名前は小川小春、バスケットボール部だ。彼女は噂によると以前、市の美術コンクールで最優秀賞を受賞している。陸上部であるのにも関わらずだ。彼女の描いた絵を以前見たことがある。彼女の描く絵は色彩豊かで、幸福に満ちている。絵を見た人に希望や勇気を与えてくれるそんな絵を描くのだ。私は以前から彼女を知ってはいたが、先週の授業の後で思い出した。
そんな彼女が教団の前に立って何をしているのか。その目線の先にはM山がいた。M山は彼女を目の敵にしているようであった。
「知らないわ」
「先週から乾燥棚に置いていたんです」
「だから知らないわよ。自分で管理していないのが悪いんじゃないの?」
「そんなのあんまりです!」
小川はそういうと廊下に走り出してしまった。その姿をM山は驚くほど冷たい目で凝視している。あそこまで彼女を敵視するのはあまりにも不自然に思える。単なる生徒に対する接し方ではないのだ。嫉妬、プライド、そう言った人間の奥深くから湧き出す本能的な感情を感じざるを得ない。そうでもしなければ説明がつかない。
「さ、授業を始めるわよ」
何事もなかったように授業が始まる。彼はいまだに現れない。何をしているのだろうか。ふと自分の絵を見る。全く進んでいない。はっと我に返る。人の心配をしている場合ではなかった。早く終わらせなければならない。その瞬間から瞬きを忘れるほどの集中力を発揮する。意外と自分は追い込まれないとやらないタイプなんだ。時間がない。取り組まなければ。
チャイムが鳴る。50分があっという間であった。何とか完成したが、満足のいく出来であると聞かれたら返答に困る。最後に先生に見せに行く。大勢の人が並んでいて億劫であったが仕方ない。一人ひとりコメントをもらう。褒められる人、微妙な反応の人、様々である。自分の番が来た。先生はうなずくと自分の名前の欄にBと書いた。それだけであった。意外とあっけないなと思い、教卓の横を通って自分の机に向かう。すると準備室の扉が少し開いている。私は気になってそっと隙間から覗き込んだ。すると見覚えのある絵が一枚、机の上に広げてある。その上には小川小春と書かれた紙が乗っているのが見えた。