第二十九小節 「記憶」
俺は物心ついた時──すでにルーグリッド帝国で奴隷として毎日を過ごしていた。毎日を寸分の狂いも無く、統制された管理のもとで食事、労働を与えられて──明日を迎える理由──要は生きる事を、特に考えもせずに言われるがままに生きていた。ある意味では死んでいるのと同義だった。だがそれはあの国においてはなんて事はない、ありふれた日常。m何一つ特別な事などない。身元のわからない、奴隷の中の一人──。
あれから胡桃と出会い、今までの事を何度か思い出そうと試みた事がある。だが、思い出せるのは何人かの同年代の子供達と共に、大きな時計台の様な建物で暮らしていた事くらい。そこからどうやってルーグリッドに辿り着いたのか──肝心なところが抜け落ちていた。
そういえば──ゲンティアはあの場で一つだけ。おかしな質問をしていた様に思う。どうして──
「奏梛──其方の生まれは?」
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「お兄ちゃんー!」
「ルピス、どうしたんだそんなに急いで」
「見てこれ!朝露の光華だよっ!すごいでしょ!」
「へぇ、よく採れたな?決まった時間以外に摘むと枯れてしまうのに。ルピスは器用だな」
「どうしても、お兄ちゃんに見せたくて頑張ったんだ!このお花の中央の実が、お兄ちゃんと同じ眼の色だから──」
朝露の光華は白い花びらが十三枚。翠色の中央の丸い実を覆う様に大きく彩っており、朝方の一瞬にしか花開くことがない花──。中央の実は植物の筈なのに、とても硬質で、よく装飾品の原料などに用いられる、と先生が言っていた。
「これをこうして──」
「何だかせっかく綺麗なのに勿体無いな…そうだな」
「──お兄ちゃん?」
ルピスが中央の実を取り出す為に散らした花弁を拾い上げ、靴紐を無造作に切ると、落ちていた木切れを繋ぎ合わせ、花弁を添えて花冠を作った。中央の実を守る様に連なっていたその十三枚の花弁も、実と同様に植物にしてはとても頑丈であり、これは根気よくすり潰す事で薬になるのだと聞いた。
「ほら、よく似合ってるぞ?ルピス」
「わぁー!ありがとう!えっと…ちょっと待ってね!私も今お兄ちゃんに──」
「ゆっくりでいいんだ。焦らずに、な」
「う、うん」
遠くから近づいてくるシルエットが一つ──。白い装束に黒のガウンを上から羽織り、ゆっくりと膝を着くとこちらに優しく微笑み語りかけた。だが──顔の周りが白いモヤの様なものに包まれていて表情が分からない。声音からはとても穏やかな愛情に満ちた女性だと連想できるのだが、顔が霞んでいる。
「二人とも──こちらに居たのですか。早くお家に帰りますよ?シェヴァン達も心配しています」
「先生──」
「ま、待って!お兄ちゃんにこれを──」
「ウルピアヌス、素敵ですね。自身で摘んだのですか?素晴らしいです。ですが──その花は摘んではいけないと教えたでしょう?その花の実には龍脈が──」
「だ、だって──」
「さぁ、見なかった事にしますから。それは早くポケットにでも仕舞い込んで。皆の元へ早く帰りますよ」
「う、うん。わかった。ねぇ今日の夜は──」
ウルピアヌスの一瞬だが曇った表情は直ぐに晴れ渡り、俺はその二人を後ろから眺めている──。
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「この子達は、後二年ほどで器になりましょう。ですが現時点ではまだ選民に耐えられる程の龍脈は──」
「だが、これ以上時間をかけていてはいずれ──イリシャキルの方からも、進捗はどうなっているのかと、釘を刺してきている。あまり引き伸ばす事は出来ぬぞ」
「はい、できる限り──。そうだ、彼女──ウルピアヌスであれば──」
「あの子は…だが、兄がいたのではなかったか?もし彼女を使うのであれば、兄も一緒に行うつもりか?」
「いえ──彼の方は開花の兆しすらありません。器としての価値はないでしょう。強いて言えば、他の子達よりも龍脈に触れていられる時間が長い事くらいでしょうか」
「だが、それは裏を返すと耐性がある──という事なのでは?」
「耐性があったとしても──。ただの受け皿になる事と、あの力に沿う、器となる事は同義ではないでしょう?それに、ここに集められた子供達の意味を考えてください。あの子はそぐわない、でしょう?」
「────」
「そう深くお悩みになられないでください。今は目の前のこの時間を大切に──この子達が、いるからこそ、私達はまだ生き永らえているのです、イド。いずれこの子達の中から──選民を行い、かの国を──」
「シェイラ司祭、いかなる理由があっても、私はこの様な実験を一度たりとも受け入れたつもりはないのだ。それは貴方の父──ディーノ殿が最後まで尽力し子供達を救ったからこそである事を忘れるな」
「やめて下さい…。父は──イリシャキルの龍の矛からもうしばらく出てはきていない、と聞いております。もう、この地上に興味を失ってしまったのかもしれません。ですがウルピアヌスがこの硬直した事態を動かす鍵になれるというのなら、イド。私はいかなる罪を背負ってでも──この場所で過ごし、子供達との時間を長く共にしたからこそ、私はその罪を背負い、彼女を送り出しましょう。代価は全て──甘んじて受け入れる覚悟です」
「それに、いかなる理由があれども、この計画に携わった時点で──イド、貴方も同罪なのです。私達に赦しなど──あろう筈が無いではありませんか」
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「お兄ちゃん!起きて!お兄ちゃん──」
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「────」
「──ルピス?」
「ルピ?もう寝ぼけてるの?ほら、朝ごはん出来たから、みんなで食べよう?」
「胡桃──?」
「そうだよ、奏梛珍しくかなり深く眠ってたみたいだから──。スズレとグローザはもう下で待ってるよ。ほら、まずは一緒にご飯、食べよ」
「あぁ…」
胡桃の声に少しの安堵感を覚えた。そのまま起きあがろうとすると、突如凄まじい頭痛が走り意識が飛びそうになる。
「っぐ…!!」
「奏梛…!大丈夫?!どこか痛むの?」
「頭が…割れそうだ…!っぐぅぅ!」
「この前の無茶がたたったのかな…?!待って今すぐ龍速を…!こっちに…!」
立ちあがろうとしてよろける奏梛に肩を貸そうとするが、彼はその手を振り払うと、椅子に腰掛けて冷静さを取り戻そうとしている。
「だ、大丈夫だ…突発的なもんだろ…すぐに治る…」
なんだか奏梛の龍速が一瞬別のものに変化した気がした。
「まずは飯だな。先に行ってくくれ。すぐに行くから」
「そ、奏梛!ちゃんと龍速を計った方が──」
「胡桃は心配しすぎなんだよ、すぐに収まる。先に行っててくれ。準備してから行くから」
「嫌。じゃあ私もここにいる。準備できるまで待つもん」
「ったく、いいから先に行ってろ」
「むー」
そう言うと奏梛はその場から動かない私を置いて、部屋を後にした。どうしても──気になって動けなかったのだ。いつもなら、体調が悪ければ直ぐに私を頼ってきてくれた。なんだか、さっきの奏梛は私の見たことがない表情と振る舞いで──。
さっき、一瞬だが彼の龍速が普段とは違う、まるで別人のものになっていた事を私は見逃さなかったのに、気付くのが遅くなってしまった。酷く胸の辺りが苦しくなった。
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「胡桃、遅いよ」
「う、うん。ごめんごめん。なんかぼーっとしてて」
「せっかく胡桃と奏梛。二人にしてあげたのに胡桃は──」
「ちょっとグローザ?!何をいきなり言ってるの?!と言うかそんな事どこで覚えてきたの!!」
「リドウのお城にいた時、騎士達がたくさん話してるの聞いて、覚えた。胡桃、男を靡かせる為には──」
胡桃とグローザが騒ぎながら食事をするこの感覚──。随分と久しく感じた。数日前は当たり前だった筈なのに。
「──グローザ、改めて礼を言う。ありがとう。胡桃とスズレを護ってくれたよな」
レミュエルと最初に出会った時、彼女だけは意識を保ち、二人の前から頑として動かずに最初は抵抗を続けていたと、あの後城の騎士たちから聞いた。自身の生い立ちすらままならない俺と一緒のはずなのに、この子は仲間を身を挺して護ってくれた感謝を伝えようと思った。
「うん、奏梛がいない時は、私が皆のお世話をするよ」
「ふふっ…お世話か──グローザらしいな」
奏梛の手がグローザの頭を撫でている。撫でられているグローザは気持ちよさそうに、隠す事なく喜んでいる。だいぶ感情の表現を取り戻した──とでも言うのだろうか。僅かではあるが、数日前であれば当たり前だった光景に私は少し心の糸が絆された。
「そうだ、スズレ──。私…奏梛もそうだけど、あまり昔の事を聞いてこなかったから、突然の告白みたいになっちゃったけど…。スズレはスズレだから。何も気負う必要はないんだからね」
「改めて私からも──皆に迷惑をかけ申し訳ありませんでした。私の過去は決して明るいものではありませんが──それでも隠していた訳ではないのです。ただ、私がいたエゼルフレイという部隊に関して──ここでお話をしておきたい事があります」




