第十八小節 「兆し」Ⅱ
私と奏梛は急ぎ来た道を戻っている。先ほどの式はもうしばらくは使えない。だが走りながら、また妙な違和感を感じている。いくら龍の方舟を通ったとはいえ、こんなに駆け出した地点から遠くまで移動しただろうか?咄嗟に判断したとはいえ、そこまでの距離を移動したつもりがない二人は、いつまでもスズレとグローザがいる地点に辿り付かず、焦り出していた。
「はぁ…はぁ…奏梛!こんなに移動したつもりはなかったんだけど…!」
「あぁ…やけに遠く感じる。早く合流しないとっ…」
それにしても──。変わり映えしない光景に移動距離を把握しづらい。奏梛の表情も少し険しくなってきている。私が飛び出したばかりに──。
「──胡桃、気にしすぎだ」
「ごめん…!」
「大丈夫、スズレがいるんだ、心配ない」
「とにかく急ごう」
「うん…!」
△▼△▼△▼△▼
「──スズレッ!」
「貴様、漸く本性を表したなぁ…!興味深い!獣人が武器を操り戦うとはな!シイラロゴスの真似事など…!」
先程から、スズレは手にした大きな弓矢を用いて三対一の状況で渡り合っている。わたしは彼女の持つ不思議な弓矢から繰り出される、動きに圧倒されていた。それはソラリスから来たと言う三人も同様だった。
短い双剣だった筈の武器は、柄の部分を繋ぎ合わせ、刃に沿って脈で張られた蔓を使い、近距離遠距離を自在に掛けながら三人の攻撃をいなし、かつ相手に深傷を与えない様に行動して牽制を続けている。奏梛と胡桃も扱う脈の特殊性など含め十分に凄かったが、スズレは正攻法とでも言うのか、達人のそれなのだ。
「この辺で…...終わりにしてくれると私としても助かるのですが──」
「何を言ってるんだ!貴様は連れて帰る事にしたと言っているだろうぅ!」
つい数分前の出来事だった。押問答が続き、痺れを切らしたあいつが、わたしに黒い脈を飛ばして攻撃を仕掛けたのだ。スズレは瞬時に向けられた脈を、手にした双剣で切り裂いて、私を連れて逃げようとしてくれたのだが、攻撃の衝撃で足を捻ってしまい、上手く動けずにいる。スズレであれば私一人を抱えて逃げるのは可能ではあるのだろうが──。それに後ろの二人──さっきから、一言も発さずに俯いていて顔がよく見えないが、何か仮面のような者で顔の半分を覆っている。饒舌なアイツとは正反対の存在を連れている理由──。
「──あなた達に仕える気などありませんよ、お引き取り願いたい。それに、先程の黒い脈…おかげでうちの子が怪我をしてしまった。高くつきますよ...これは。彼女はうちの主人のお気に入りなのですから」
「貴様の主人共々、連れ帰ってやるから心配はするなぁ?!抵抗せずに大人しくした方がサンプルに傷がつかないので嬉しいのだがなぁ…!」
「スズレ…!私の事は良いからっ…!先にソウナ達を…!」
「却下です。それにグローザを置いて行ける訳もないでしょう?大丈夫ですよ、すぐ済みますから」
「だけど...!」
「──ハハハッ!何が済むんだぁ?!?!」
スズレを一定の間合いから、付かず離れずの距離を維持していた三人は、どうしてか決定打に欠けている。殺す気がない──。それを感じているのだろうか、致命的な一手を、誰一人打とうとはしていない。先に動いたのはスズレだった。双剣と弓を自在に行き来するその武器に、突如として大きな脈の矢をつがえ、弾き絞り始める。
「先程──、シイラロゴスと言いましたね。確かに的を得ているかもしれません。これは獣人が使うことの出来る波動を合成した矢です。威力は保証します。失った事すら気付かないほどに楽に死ねるはずです」
「良いっ!良いぞ!見たことのない戦闘技術に、原因不明の天災の消失…!本来であればセグメラ家がわざわざ出向くような事ではなかったのだが...!ここに来てツキがまわってきたなぁ!」
「──決めたぞ…!お前はやはり生きたまま連れて帰る事にした…!!」
「面倒な方だ...。少し大人しくしてもらいますよ...。動式・六景・海鳴──」
スズレがそう唱えると、限界まで収束した矢は凄まじい勢いと共に男の眉間へ目掛けて飛んでいく。だが、男は不敵に笑ったかと思うと、その矢を避ける事などせずに真正面から受け止めようとして額を貫通した──はずだった。周囲には大きく爆裂音と、対象を射抜いた矢はそのままはるか遠方まで軌道を変えずに進んでいき爆散する。周囲には衝撃の余波と砂埃が私たちの撤退を促すように粉塵を撒き散らし、辺り一帯を覆っている。今しかない。
「──グローザ、今のうちに逃げましょう。なんとか立てますか?」
「う、うん...スズレ凄いんだね」
「あの二人に比べたらなんてことはない、ただのお遊びですよ...さぁ」
そう言いかけて、スズレの差し出した手は私の手を掴むことなく離れた。
煙の中から凄まじい速度でスズレに向かって体当たりをしたそれは、ギリギリのところで踏みとどまるも、スズレとつばぜり合う形となった。一瞬の出来事で私は反応できずに差し出した手が虚空を泳いだ。刃と刃がぎりぎりと、異音を上げて擦れ合っている。だがそれよりも──。舞っていた砂埃がだんだんと飛散していくと、それは姿を表した。
先ほどまで私たちと──問答を繰り返した男の姿はなく、そこにあるのは獣の姿だった。いや、原型を留めてはいるのだろうか、大きな角が左右非対称に額から飛び出ており、背中には動物の見たこともない鱗のようなものが皮膚から垣間見えた。
「──!…人では...ないのですね、貴方達は」
「ふむ...頭の回転が速い者は嫌いではないぞ...!それになにやら先ほどから知った風な口を聞いているなぁ...。ますます興味が尽きないねぇ...!質問の答えはこうだ...。人で間違いないさぁ…!少しだけ改造を施してあるだけのなぁ!」
大きな誤算が一つあった。適当にあしらってその場を収めようとしたのもよくなかったが、何よりも彼らが纏う黒い粒子のような脈に早く気づくべきだった。あれは、確か...以前一度だけ眼にしたことがあったのに。失念していた。これは──。体内に龍脈虫を取り込んだものが発する脈だ。
この世界に存在する生物や理は原則、外部から手を加えることができない。まるでそういう風に作られたかのように。脈の色も然り、混ぜ合わせることもできない。受け渡しもできない。
だが、イリシャキルから流布されている現在の禁忌目録の中に、龍脈虫に関しては色々と話題が尽きない。天災が多く人が抗えない病、受戒者など、この世界は生きていくこと自体が過酷な世界だ。食糧などは言うまでもない。そう、龍脈虫は困窮した一部の界隈で食用として、食されていた時代があるという記述が様々な形で記録として残されていたのだ。医者の道に足を踏み入れた私も一度だけ、龍脈虫を摂取したという患者を診たことがあったのに──。
「あなた達は龍脈虫を体内で飼っているのですか...どおりでアレを喰らってもなんともない訳です...!」
「ほぅ...!どこまで知っているのか、その頭を開いて覗いてみるとしよう!」
男はそう言うと、一度距離を取り、自分の喉に剣を突き立てた。夥しい出血が起こるはずのそれは──。不快な異音を上げるのみで飛び散るはずの赤い血は姿をみせず、代わりに出てくるのは黒い粒子状の脈のようなものだった。
「ふぅ...ふっふふふはははっ!これくらいでいいかぁ...?」
男は剣を喉元から勢いよく抜くが──、その光景よりも絶句したものがあった。剣を媒介として、その引き抜いた剣に大量の龍脈虫が餌を求めるように体液と共にこびり付いていたのだ。通常一匹でも体内に取り込んだだけでも、想像を絶する苦痛が伴うはずのそれを──数が多すぎて黒く蠢いてみえるのだ。
「あぁ美しい我が子よ...さて──。これからも長い付き合いになるであろう諸君に。改めて自己紹介しておこうか...。私はセグメラ家代11代当主、アルゴラム・ペシェ。ペシェ...と呼んでくれて構わない...!ソラリス浮遊国家にて──。まぁ.....医者...でいいだろう。とにかく、これから生かさず殺さずに、その細胞一つから髄液まで啜りあう仲なのだ...!あまり抵抗はしないでくれよぉおお!!!」
アルゴラム・ペシェ、と名乗るそれは、剣にこびりついた龍脈虫に黒い脈をさらに纏わせると、それを鞭のように慣性をつけて形状を変質させた。力任せに、こちら目掛けて槍のように投げつけると、風圧と轟音が、放たれたその剣の後を遅れて追随し、スズレに向かって一直線に、生物のように獰猛に襲いかかった。
「っぐ!グローザっ!!!離れてください...!!」
「スズレッ!」
スズレは双剣に、白い脈を纏わせると、それを大きく前方に展開し、私を守るように障壁を貼ってくれた。だが──。黒く蠢く龍脈虫はそれを強引に食い破ろうと障壁を一枚ずつ食いちぎっていく。
「うぅっ...!!グローザ!私の後ろへ早くっ!あまり長いことは保ちません!!」
私は言われるがままに、スズレの後ろに足を引きずりながら回り込む。眼前では黒く蠢く得体の知れない何かを、スズレが懸命に防いでいてくれている。だが、侵食の速度が早く突破されるのは時間の問題だった。何か手を考えないと二人とも呑み込まれてしまう。幾重にも張り巡らされた障壁は残り数枚まで侵されている。このままでは二人とも──。そうだ、ひとつだけ──。
「──スズレっ!!ソウナの脈があれば大丈夫かな!?」
「一体何を...!っぐぅ!──それにあなたの蒼い脈をこのようなところで晒しては、さらに厄介な事に...!何か、策があるのですか...!」
「時間切れだよぉ...!!!!」
ペシェはそう言うと、胸の辺りに何か印を刻み、放たれた黒く蠢く龍脈虫の動きを加速させた。途端に障壁は全て飲み込まれ食いちぎられると、それはそのまま私たち目掛けて──。とっさに目を閉じて体を小さく、スズレのそばで蹲ることしかできない自分が情けなかった。凄まじい衝撃と轟音があとから続き私は閉じた目をさらに強く閉じて──。
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「奏梛っ!今の音──」
「っく...!どうなってんだ一体!」
「この方角...二人がいる方だよね...!奏梛っ!胸騒ぎがする!」
「無事でいろよ...!二人とも!!」
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私は彼らが好きだ。スズレ、胡桃、奏梛。初めて私を受け入れてくれた人達。絶対に死なせたくない──。今その人達を失ってしまう窮地に立たされている。どうしてなにもできないの?いやだ、死なせたくない。また四人で他愛もないことで笑ってゆっくりと旅をしたい。私の受戒者としての生も、彼がいれば治せるんだ。一人一人ができることをしてるのに。私だけ蹲ってそんなこと──。
鼻をつく腐臭に目一杯閉じていた目を開け、前を見ると。そこには私を庇うようにスズレが立っている。
私に向かって微笑んでくれているが──。
「はぁ...はぁ...大丈夫...ですか?グローザ...」
「──スズレ...!!」
私はすぐに立ち上がって、スズレに手を伸ばすと、私の背中を確かめるように──何度かぎこちなく触れた。その指先はいつもの柔らかい肌ではなく、黒く侵食しており、腐敗していた。
「困りました...ここまでとは予想外です...私とした事が失態ですね...」
「なにいって...!ソウナと胡桃はそんなことで責めたり...!!」
「いえ...わかっています...。そうではなく、お二人の姿をもう見られないのがなんとも...」
「スズレ...?」
私の背中を優しく何度も撫でてくれているその手からは寂しさを感じた。スズレの龍速も大きく波打っており、感情が揺さぶられているのが伝わってくる。まるで、我が子の成長を見届けられない親の様に──。彼女は愛情で満ちた人だ。この数日間でも、十分すぎるほどに理解していた。わたしの事も最初は警戒こそすれど、本当の笑顔を向けて、一人の友人として、家族の様に分け隔てなく接してくれた。医術の勉強だって教えてくれるって約束したのだ。奏梛は、兄で胡桃が妹、ならばスズレは二人の母のように。
「──グローザは怪我をしていませんよね...?ふむ、大丈夫そうですね...。もうすぐ、奏梛殿と胡桃が戻ってきます。ゲホッゲホ......大丈夫ですよ、グローザ...」
「スズレ...!ちゃんと顔を見せて...!傷がひどいしすぐに手当てを...」
背中の手をほどき、彼女の顔をすぐ確認する。手を伸ばし、頬に触れると、彼女は──今でも覚えている。本当に困った、と言う顔で複雑な笑みを浮かべていた。私は、この日を忘れたことはない。
「スズレ...目...が......」
「...グローザ...あまり......見つめないでください。おもはゆいではありませんか...。あなたの成長も...この目で見届けたいとは思っていたんですが...」
彼女の目が黒く浸食され、食い破られた。頭の中で何かが音をたてて、はじけた。




