第十六小節 「グローザ・フィルブリング・ソルスティス」Ⅱ
「志弦…そこ、疲れない?」
「…少し…脚が痺れたかも……」
室内には小さな篝火が中央のテーブルに添えられてはいるが、その椅子に腰掛けているものは居ない。アスタロスとシーシャが摘んできた小さな花がテーブルに寂しそうに愛想を振りまいてくれている。砂の香りがする風に揺られて何度か大きくその炎が揺れる。
志弦を椅子に座らせると、テーブルに添えられた花弁を幾つか千切り、カップへ浸すとそこにお湯を注ぎ込んだ。志弦の前に何も言わずに添えると、彼女は少し驚いた顔をして私を見た。
「良い香り…だね」
「──そう、私も好き。奏梛と胡桃が教えてくれた」
「本当に、生まれもソラリスだった…んだね。グローザは」
「当時は──ソラリスと言う国自体がまだあまり知られていなかった。私は記憶を取り戻す事が、奏梛の役にって…確信してた。根拠はないの。幼さから来る盲信だったのか、今では分からない」
「────」
私は目の前に出された花弁がティーカップの上で揺れているのを見つめている。段々と底に沈んでいくと、グローザは静かに教えてくれた。その表情は初めて彼女を見た時と変わらず──。綺麗な瞳に奏梛と同じ銀色の髪。
「うん、飲み頃だよ。美味しいから」
「────」
ほのかに香る果実の様な風味と甘さを感じ、同時に懐かしさで胸が締め付けられた。私もこの味をよく知っていたから。どうしてだろう。カップに添えた手が張り付いた様に動かなくて、私は底に沈んだ花弁から目を逸らせなかった。
「奏梛が……よく修行が終わった後に、必ず作ってくれたのと同じ味だ…」
「──そう、私もこのお茶が好き。少し落ち着いた?」
「うん…グローザ…。貴方に強く当たるつもりは無かったの…ごめん…。グローザが、奏梛を本当に大事に思ってるって言うのは…わかってきた…」
「そう、良かった。もう少し話さないといけない。志弦、疲れたら無理をせず目を閉じて」
「…大丈夫だから。ちゃんと…聞いてる」
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ー大樹海 深部 ー
「──わたしの生まれは、ソラリスって言う国なの…。何処にあるか、知らないかな?」
「ソラリス…」
語感を探る様に各々が真剣な表情で思考を辿っている。だが、スズレだけは何か複雑な表情で、珍しく俯いている。彼女の長い前髪が、静かに風に揺れながら。その隙間から伺える表情は心此処に在らずとでも言うのか──。
「スズレは…知ってる?」
「…ええ、ですが…」
「どうしたの、スズレ?」
何かを振り払う様に思考を中断する様に。背中を預けていた木々からゆっくりと離れて顔を上げる。其処には見慣れたスズレの──。優しい眼があった。
「なんと言えば良いのか…あの国は…あまり良い話は聞きません。確か今は…月の民と、シイラロゴスの研究に熱を上げている国です。国自体が浮龍石と呼ばれる希少な石材を元に作られていて、最近だと特に…ルーグリッド帝国とこのリドウ、中間地点にある、イリシャキルで多く目撃情報が上がっている、空中浮遊国家です」
「さすがスズレっ」
「──イリシャキル?って確か龍の棲家っていうあの──」
「ええ、イリシャキルは元々この世界を最初に治めたとされる龍が生まれた地──。現在は神龍を信仰する宗教国家です」
「すまない、話の腰を折った」
「いえ、問題ありません奏梛殿。ですが──」
「──なんだか臭うな、月の民っていやぁ、選民を起こすあれだろ」
「ええ…。十三年に一度、地上に住まう人々を選別し、シイラロゴスと渡り合う為に神の力を分け与えると──。ちょうど次の周期までは後三年と言うところでしょうか。そして、イリシャキルは神龍が眠る地──」
「ルーグリッドにいた頃に、何度か聞いた事がある。ソラリスが近くの空域まで来ると途端に人口が減少するとか──。それが原因でイリシャキルとルーグリッドは共に奴隷制度が根深い国だ。資源を奪い合っているのではないか…っていつも火種を抱えている様な関係だったな…」
もう、あの国を出てから五年以上は経過しただろうか。当時、奴隷としてその日暮らしをしていたが、情勢の不安定さは幼い俺でも十分に肌に感じ取れるものだった。どうして建造しているのかも不明な機械を、延々と資源を使い続け、作り続けていた。今思えば、あれは近隣の国への抑止力か何かのために──。だが、何かが引っかかって上手く飲み込めない様な感覚が胸の奥にある。
「────」
「はい、奏梛殿の言う通り三国間の緊張状態は周辺国家にも影響を与えています。獣人が収めるシイラロゴスを筆頭とした武の国、リドウ──。世界で最初の統治者である神龍が眠る国──、イリシャキル。そして、奏梛殿達が過ごした、機械帝国ルーグリッド…。此処まで一触即発を繰り返している三カ国の間で目撃情報が多いのです。何かあると見て間違い無いと、情報は常に集めていましたが…」
「まさかグローザの口からソラリスという言葉が、こんなに早く出てくるとは思いませんでした」
「スズレ…?」
「いえ……すみません。気にしないで下さい。必要なことは必ず然るべき時にお二人の耳にお伝えしています」
「でも、そんな物騒?な国があるんだねぇ…ルーグリッドには砂漠の印象が強くて…って、ごめんグローザ…!」
「…いいの、胡桃。私もひとづてに聞いたくらいだけど、あまり良い噂は聞かないの。それにほとんどの事が覚えてないの。気にしないで」
「ごめんね、グローザの故郷なのに…」
「私、ソラリスに帰れば何か思い出せると思ってそれで…」
「そうだな…。他にも何か手掛かりがないか一緒に探そう。安心しろ、俺たちは生まれや人種で態度を変えたりなんてしない」
「うん──、ありがとう、ソウナ」
「よし、だいぶ体も楽になってきた。そろそろ、またあの鬱陶しい月が出る。移動して今夜は早めに休もう」
「うん」
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空にはまた、アローガンスムーンが登り、あたり一帯を極寒の寒さが覆う。俺たちはこの夜を越える為に、休めるところを探し回ったが、樹海の奥地まで来ると、そんな都合よく良い場所が見つかる訳もなく、周辺の木々を蔓で縛り上げ、簡易的な屋根を作り、スズレの脈の器用さもあってか樹海のど真ん中ではあるがテントを張っている。
野生の獣などを含め、いつ襲われても気づける様に交代で見張りをする事になったのだが、休んでばかりで調子が悪いと押し切って見張り番を買って出た。
三時間おきに、とは言うが──。胡桃やスズレの寝息を聞くと、普段から相当の負担を強いている事を改めて実感し起こしにはいかず、ただ月を眺めていた。
「────ソウナ。もう交代の時間、過ぎてるよ」
「グローザ…うるさかったか?起こしてしまったならすまない」
「ううん、わたしはもう十分に休んだよ。あのね、ソウナ」
「どうした?」
「わたし、こんなに楽しいっていうのかな。安心して過ごせてる今が幸せだよ。ありがとう。もちろん不安もあるし…。ソウナの肩も傷付けて…本当にごめんなさい」
「──あれは、良い噛みつきっぷりだったな?」
意地悪く彼は笑いながら此方を見ると、手招きしてくれた。わたしは凍えない様にと、彼が羽織っている毛布の中に招かれると腕越しに彼の体温が伝わってきた。誰かに寄り添って暖を取るのはこんなに暖かいという事を知ったのはここ数日の事だ。
「ご、ごめんなさい…本当に…危なかったよね…。ごめん」
目の奥に罪悪感からなのか。熱いものが込み上げてくるのをすぐに察知したのか、彼は優しく腕を回して頭を撫でてくれた。
「気にすんな。それにな…。初めて見た時に思ったんだ。直感だけどな。こいつは龍脈に当てられて苦しんでいる。俺と同じだって…。なんとかしてやりたいって思うのに、そんな理由はないだろ?済んだことは気にするな。それより──」
「決めたか?グローザ。俺たちの仲間になるかどうか」
「…うん。でも、自分の口から、ちゃんと言うから。少し、待っててほしいの」
「わかった。どんな選択も、俺たちは否定しない。安心しろ」
「──ありがとう」
思った通りの答えに、わたしは自分の口角がほんの少し上向きに上がったのを感じた。そう、直感でもいい。誰かと一緒に居たいと思う事に、理由を一つずつつける必要はない。わたしの中の何かが、この三人と歩む事を受け入れ始めている。今はそれで十分──。
「今日の月は──いつもより綺麗だよ、ソウナ」
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翌朝になると、わたしはソウナの膝の上でずっと寝てしまっていた。こんなにぐっすりと寝たのは初めてかもしれなかった。すぐに胡桃が眉間に皺を寄せながら、わたしを引き剥がした朝は、いつもよりも日差しが鋭く空がよく見えた。
「もう、油断するといつもなんだから…」
「ねぇ、胡桃…あれって」
「んー?ラト鳥でもいた?昨日あんなに食べたのに…」
「............」
リドウに来てからその日は一番の晴天だっただろう。晴れ渡り、列をなして空をながれる無数の鳥達が知らせるように。それは突然起こった。あの日からわたしは──。
「違う…!何か…空から降って…!」
グローザの語気が変わったのを直ぐに察知すると、この地域で初めてだろう晴天に眼を細めて、グローザが指さす方角を注視した。何か──。得体の知れないものが、降ってきているのだ。全身に嫌悪感と共に、何かが私の頭の中に響いた。そうだよ、と──。
「──奏梛っ!スズレ!来て!」
「あれは──」
「────ー」
歯が強く軋む音がした。それは、奏梛だった。彼は表情を歪めて、グローザが指差す方角を同じく見つめていると、何が降ってきているのかを確認できた様だった。途端に表情が険しくなり、押し殺した声で私達に教えてくれた。彼も気づいたのだろう。空から降ってくる事象に困惑はしているが、それよりもどうして──?
「......人だ」
「……!」
「あんな高さから落ちたら…!!直ぐに助けに行かないとっ!!」
「──待てっ!!胡桃っ!っく…!スズレ、グローザ!二人は此処で待機だ、嫌な予感がする…!」
「わかりました、グローザも。良いですね?」
「で、でも…!」
「奏梛殿は一応は私達のリーダーなのです。彼が待機、と言えばそれに従ってください。それが私たちのルールですよ?」
彼はすぐさま胡桃の後を追って駆けていった。わたしは言い表せない不安感に急に襲われて、握っていたスズレの手を強く握り返した。
「さぁ…忙しくなります。グローザはまず荷物を集めて下さい。いつでも移動できる様にします」
的確に淡々と指示をするスズレの顔には、幾分かの不安の音が聞こえた。彼女の龍速も少し波打っているのが分かる。そう、各々が出来ることをしている。スズレだって一緒に後を追いたいに決まってる。
「──分かった、直ぐに準備する」




