第二小節 「イセリアフォレスト」
奏梛、胡桃、スズレの三人はこの地方特有の気候──。極寒に晒されながら宿へと脚を進めている。昼は気温が高く、夜は雪こそ降るわけではないのだがその寒暖差の激しさもあって野営など以ての外だ。必ず夜の十二時を回ると大きな月が、綻びた刃のような輪郭を伴って六時間だけ姿を表す。その月が現れている間だけ、急激な気温の低下をこの国が襲い、人々は暖を取りながら夜を越える。何故あの様に綻びた輪郭で月が顕現しているのか、この急激な温度変化は月の民からの嫌がらせではないのか──。この国の背景も重なり、人々はこの「夜」の事を、皮肉を込めてこう呼んでいる。
「アローガンスムーン」と──。
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「はぁー、やっと着いたねぇ…うぅ」
「──直ぐに暖を取ろう、スズレ火を頼む」
「うむ、任された」
「せっかくあの雪山を越えてきたのに、どうしてまたこんなに寒いのぉ…」
胡桃は肩を手で何度も擦りながら、スズレの近くに──。暖に身を寄せて火がつくのをまだかまだかと待ち侘びている。この国は寒暖差の激しい影響もあってか、木材が気温の変化についていけず、中々火がつかない。スズレは、胡桃からの催促には動じずに、ゆっくりと丁寧に木片を積み上げて、風を送りながらしっかりと乾燥させてから火を灯す。漸く火が着いたかと思うと、暖の前は胡桃が独占し凍えながらも暖かさに緊張を緩め出す。つい数十分前は、酒場で当たり前だった温もりがこんなに愛おしいものかと、胡桃は目の前の紅い火に一人身体を寄せている。
「胡桃──、後は消えないように薪を焚べるのを忘れずに、ね」
「任せてっ!」
「さて──」
部屋の奥の窓際に寄りかかりながら、部屋に着いてから一言も発していない奏梛に、スズレは声をかける。漸くか──と、深く息を吐き出すと奏梛はスズレに向かい合い改めて尋ねる。胡桃もそのやり取りを暖の前から見つめており、せっかく灯った暖かさとは真逆の──、焚べた薪が音をパチンと鳴らすと、張り詰めた空気が室内を覆った。暖炉に灯った火が勢いよく燃え始めると少しの間静寂が訪れる。薄暗い室内を淡い光が、紅い炎と共に交差するその空間に、静かに、只淡々と言葉を口にする。
「……」
「──まず、結論から」
「奏梛殿は、ある種の中毒症状になっています」
「──えっ…」
胡桃が無意識に声に出し反応してしまう。そう、彼女には心当たりがありすぎるのだ──。今まで出会ってからというもの、お互いの力の本質を探る為に、あらゆる無茶を奏梛と共にしてきたのだ。彼と出会ってからは、まだ五年程だが、この五年は常人の倍以上は密度の高い年月だったと自覚がある。そもそも、死にかけた二人が出会い、たまたま生き延びて、互いの力を解明しながら旅に役立てていたのもある。極め付けは──、つい先日胡桃と共に作り上げた力。受戒者の治療に効果がある、奏梛の力を利用した「龍脈を用いた濾過」である。
元々の発想はお互いの病状の進行を食い止める為に試行錯誤した結果であり、事実、二人の受戒者は延命を続ける事に成功している。
「元々、私の所に運び込まれた時から兆候はあったのですが──、龍脈を取り込み続けないと、今の自身の身体を維持できなくなり始めている──、と判断します」
「……」
「奏梛──」
胡桃は酷く心細い気持ちに途端に襲われ、奏梛に声をかけるが、当の本人は意外と冷静であった。ある意味では予想出来た事であるのだ。それに、奏梛は今でも自分が何時死んでしまっても構わないという節さえあった。あれだけ、体に負荷をかけ続けてきたのだ、当然の結果だ、と受け入れられた。
──だが、胡桃は違う。スズレと合流してからは、彼女が医者である事もあってか、安心しきっていたのだ。彼女は最近でこそあまり口に出す事はないが、奏梛を誰よりも大事に想っており、本心ではこの旅を続けるよりかは、二人で静かに暮らしていきたいとさえ思い出していたのだ。そう、誰にも邪魔されずに、あの時の奏梛が描いた──。記憶を辿るよりも早く、彼女に彼は応えた。その表情はいつもよりも柔らかくて、ルーグリッドにいた時を彷彿とさせる、どこかで何かを受け入れてしまっている──、もう済んだことを受け入れた者の様な、妙に物分かりがいい彼のその笑顔は胡桃はあまり得意ではなかったのだ。
「──胡桃、お前がそんな顔するな」
「するよ…」
「ですが──」
スズレは二人の間に割って入ると、意外にもそこまで深刻ではない、と治療法とまでは行かないが、当面の対症療法となる策も教えてくれた。胡桃は食い入る様にスズレを見つめて、一言一句聞き漏らすまいと、真剣な表情でスズレの方を見つめている。スズレはそんな胡桃の様子は予想通りの結果であり、「彼」を救う為であれば何を失っても──、自分自身でさえも厭わない──。その覚悟を確認したかったのだ。ある意味では意地の悪い言い方をしたものだとも取れる。スズレが胡桃を焚き付ける様に話すのにはある理由があるのだが──。
「イセリアフォレストの奥地に、原質の森林浴と言われる、場所があります。そこでなら、奏梛殿の病状もかなり抑える事ができる筈です」
「原質の森林浴──」
「私も、本の中でしか確認した事がなく詳細もうろ覚えですが──、そこにはその者が本来持ち得る脈を増幅し、整える効果があると言われています」
「そこでなら──、奏梛殿の完全な治癒とはいきませんが、回復が見込めると踏んでいます」
「────」
「スズレ、その場所って目星はついてるの?」
「…それが、詳細な場所までは私も──」
原質の森林浴──。それはイセリアフォレストにまつわる、言い伝えの中でも一二を争う眉唾の類いでもあった。御伽話と化したそれは、今となっては「シイラロゴス」と共に神話の中の様な、雲を掴む程に漠然とした情報。スズレはこの二人であれば、何処かで探し当ててしまうのではないかと──。二人の桁が外れた様な力を目の当たりにしてからは、心の何処かで期待していたのかもしれない。
二人とも並外れた量の脈を纏い、更に式を自身で構築し展開する独自性。それに奏梛が時折見せる、記憶の断絶から起こる、あの空間から飛び出す獣の様な──。それに加えて胡桃の、対象を強制的に封印する力を利用した先日の龍脈を用いた技法──。
この二人の事がスズレにとっては、そんな物語の向こう側に生きる者達の様な感覚を拭いきれなかったのだ。この二人であれば──。
「────────」
「──スズレってば」
「あ、あぁ…申し訳ない」
「──まぁ、そこに行くしかねぇんだったら探すしかない、か」
奏梛はそう言うと、この辺りの地図を広げ大樹海の大きさを再度確認する。地図の殆どが森林地帯で覆われており、この中から探しあてるのは至難の業だと感じた彼は、地図を閉じて、別の角度から探りを入れる事を決める。三人が宿泊する宿の階下、ロビー入り口には、近隣での注意すべきことや、失踪事件、未解決事件などに国民が巻き込まれぬ様にと記された張り紙が無作為に壁に張り出されていたのを思い出す。
「──ちょっと、散歩してくるよ。先に二人は休んでてくれ」
「──え?奏梛こんな時間にどこ行くの?」
「階下に確か情報盤みたいなのあったろ?それをちょっと、な──」
「ふむ──、奏梛殿。私もその方向で間違いないと思います。こう言う時はまずは収集から、が基本です」
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深夜多くの人が寝静まる時間に、三人は宿のロビーへ降りると情報盤に様々な張り紙が張り出されているのを確認した。
「行方不明者捜索依頼」
「森林地帯で突然帰らぬ人となった冒険者」
「夜の十二時過ぎに子供の呻き声が聞こえる」
「イセリアフォレストで野宿をしてはならない」
「シイラロゴスの亡霊街を襲う」
真実味を帯びていそうなものから与太話まで、多種多様の張り紙がある。全てをしっかりと読み込んでいく三人だが、そこで全ての張り紙に共通項が多い事に気付く。
多くの張り紙に共通しているのは被害を被っているのは冒険者風の屈強な男達に限っていること、襲われるのは必ず夜の十二時を回っていること、そして──襲われた人達からの被害報告書が隣に乱雑に張り巡らされているが、そこには子供の目撃報告が多数上がっている事。
記事に一通り目を通した三人は、情報を整理する為部屋へ戻る事にした。歩きながら思案するスズレを見ながら胡桃が声をかけようとするが彼女の真剣な表情に気後れし、声をかけず、そのまま三人は静かに部屋へ戻った。




