第二楽章 十四小節 「受戒」
レイという少女は表向きはイグノア直下の秘書兼メイド。幼少の頃より仕える事になったイグノアの身の回りの世話を任されている。だが、レイはイグノアの記憶が”あまり残っていない”のだ。一度十四の歳を迎えた頃、行方不明となって一度ソラリスでは死亡届が出されている。だが、数ヶ月後──。何事もなかった様に再度イグノアの前に現れ、また身の回りの世話を始めた。イグノアの家は、ソラリスでは中流の階級貴族ではあった。
元々イグノアの家系は、「天帝リュドミラ」──初代剣聖の複製を作る計画を提案し、推し進めてきたセグメラ家だ。この家系は無駄に野心が強く人を人だと思わない。あくまでも自分の欲望を達成する道具でしかないと思っている。そんなセグメラ家の長男イグノアに支えていたレイだが──十四歳の誕生日に「主人が変わって」いる。ただ表向きはセグメラ家のメイドとして振る舞う事を求められている。そんなレイが再度セグメラ家に戻りいつも通りに働き始めても、イグノアは全く気づいてもいなかった。
そもそも、レイがセグメラ家で働いているという事も最近になってようやく認識し始めたくらいだ。だがレイはそれをなんとも思わない。元々親愛や、寵愛など以ての外。何も求めていない。ただ業務的に仕えるのみである。
そして月に一回、龍脈虫を植え込まれる”治療”を受けさせられる。治療と言ったって何も改善など見込めない、ただの人体実験だった。だが、龍脈虫と適合さえすれば──。あの人は自由を約束してくれたのだ。
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レイは切り掛かった鎌を戻そうと剣聖から距離を取る。だが、体が「固定」されて動けない。自身を取り巻く様に書き出された見た事もない式と刻印──おそらくこれが原因だ。
「いい加減にして...ください!私を治療しようなんて、あなたは聖人か、何かですか!」
剣聖は龍脈を取り込み始めている──同時に体内での濾過を開始しているが、ここ最近の無茶がたたって口から血を吐き出している。だが切り結ぶその男の眼には一切の迷いがない。その眼に気圧されてしまい私は言葉がうまく出てこない。
「お前より...長く生きてるだけだ。そのまま黙ってられねえのか、意識が散る...!」
レイは今まで享受した事のない他者からの想いを受け取れずに困惑して、その場から離れようと龍脈虫の力をさらに解放しようとする。
「っぐううううううう...!!離して!!望んでないの!私はただあなたを無力化すればそれで...!!」
「やめろって言ってるんだ...!どういう経緯か知らねえがな...。龍脈虫ってのは、純粋な龍脈を食す唯一の...地上に元から生息する生き物だ...!それを取り込んでタダでいられるはずがねえだろ...!!褒められた趣味じゃねえぞ...!!龍脈ってのは本来どこまで行っても自然現象なんだ...!人の手でコントロール出来るものじゃない!!」
人の手では制御できない──。そうそれは当たり前だ。ソラリスの学者たちが総力を上げてなお解明できない部分が多いこの黒い粒子状の力──。だがそれを、その絶対的に理として不可能な事象を支配する事の出来る男が紡ぐその言葉に──激しい苛立ちが募り出す。じゃあどうして──。どうして私たちはあれほどまでの扱いを受けねばならなかったのか──。
「貴方が...それをっ!!言うのですか!龍脈を吸い上げるすべを持っている貴方が...!じゃあどうして私達は...!!!」
「──お前達は...剣聖を勘違いしているぞ...俺が剣聖になったのはそんなくだらねえ理由じゃない!それに高尚な理由なんてもんもねぇぞ!剣聖剣聖ってうるせえやつらが多くてな──むしろ嫌気がさしたもんだ...!」
奏梛はそう言うと、片目に式最終段となる式を刻印し、展開する。レイの体の龍脈虫を分離させるにはこれしかない。式の多重起動──。この五分の間に終えることができれば──。レイが悲鳴を上げて全身から深く黒い脈が吹き出し始め、その行き場を巧みに制御し周りへの被害を抑える。
「──我慢しろよ...!!」
「式の...多重起動!?それほどまでの力を持って何故...!!!きゃあああああああああ!!!!」
「後一分...!!間に合う...か?!」
その時──体が大きく横に吹き飛んだ。意識外からの攻撃。さすがに式の多重起動をしながらで反応が出来なかった。広場の奥の建物に吹き飛ばされ──大きな音と共に土煙を撒き散らした。
「くそ...!後少しだってのに...!邪魔しやがって...!!」
奏梛は自身の腕にうっすらと紋様が浮かび上がり始めている。口元に手を当てて大量の吐血を拭い立ち上がる。時間切れが近づいている──。だが、俺を吹き飛ばしたそれを見て、力の延長を考えねばならない──。眼前のシルエットを見て解ってしまう。龍脈虫と同化して、全身を喰われてしまった者の末路。過去の文献では、進化と──
「...お前...」
この世界の常識では【受戒】──。シルディだった者は、雄叫びを上げると全身が大きな狼のように姿を変え、禍々しい脈を放っていた。原型はもう、そこにはない。あるのは無差別に黒い脈を撒き散らし、双眼の風を撒き散らす害獣──シルディだったそれはつんざくような遠吠えをし、奏梛に襲い掛かる。渦巻く黒い脈を吹き荒らしながら雄叫びを上げ切り掛かるも────奏梛の眼前で動きを急に止めた。
瓦礫の中から何とか這い出したレイは眼前の状況に理解が追いつかない。だが、すぐに理解をして飲み込んだ。龍脈虫に全身を喰われて受戒している──。明日は我が身の眼前の状況を改めて見て、体の中心から震えが来るのを感じる。
「...っぐ...覚悟してるのに...まだ怖いなんて...!」
レイは自分自身に問いかけるように一人呟く。このまま行くと、レイはいつか目の前のそれと同じになってしまう。力の入らない拳を握って、力無く眼前の光景を見つめている。凄まじい咆哮が鳴り響き、意識を切り替えて、シルディの方へ視線を向けるとシルディが空中で身動きできずに【固定】された──。
「──あれが剣聖の封印と解除の式...?いや...あの手は...」
雄叫びを上げながらシルディは空間に固定されている。だが空間に歪な割れ目が生じて──。異質な何かが空間の割れ目から、顔と腕を覗かせてシルディを禍々しい──鎖と楔で縛り上げている。
「...ユエ、下がれ。許可した覚えなどないぞ...!」
剣聖はその得体の知れない「ユエと呼ばれた」何かに命令している。おぞましい殺気を放つそれは、シルディを縛り上げながら奏梛を見つめ言葉を発した。その言葉はひどく耳障りでねっとりとした質感と共に空間全体に響き渡った。誰しもが同じ嫌悪感を感じずにはいられないだろうその声音の主と剣聖は一触即発の空気で対峙している。
「──奏梛。その体でよく生きているものだ...。早う楽になれば良いものを...。ここは任せよ。すぐに済む...妾を縛る鍵の力が珍しく弱まったのでなぁ...?主人様に何かあったのではないかと──な。ゲンティアが騒いでおったがあやつは妾よりも位列が下であるから...ほれ、ちょうど五分じゃぞ?」
ユエと呼ばれたそれが剣聖に向かって怪しい笑みを浮かべて忠告する。その時、奏梛の全身から血が吹き出して、その場に膝を着いた。夥しい量の出血──。
「ガハッ......っぐう...勝手に出てきやがって...!許可した覚えはねぇぞ...」
「もう、そのまま息を引き取ってはどうだ...?妾が其方の代わりに──受戒者共を全て還してやろう...」
「──いつからそんな自己主張が強くなったんだ...勝手に出てきやがって...お前が勝手に顕現するなんてなぁ...。おれも焼きがまわったな...!っぐ!!」
「其方の力がそれ程までに弱っておる証拠であろう...くっくっく。愉快じゃぞ...かつて妾を唯一飼い慣らした主人がこの様ではな...約束も果たせそうにない其方を見るのは心が苦しい...。だが妾にもまだ良心というものはある故──」
そう言うと、ユエと呼ばれたそれはシルディを空間に引きずり込んでいく。ゆっくりとその黒い──先の見えない空間にシルディがゆっくりと飲み込まれ姿が見えなくなっていく──。
「その耳障りな声を...これ以上この世界に響かせるんじゃねえ...勝手なことばかり...どいつもこいつも...!」
奏梛はそう言うと、指先に色鮮やかな色の脈を集めて式を構築した。血を吐きながら、その眼はどこか遠くを見つめながら、口元には少し自嘲気味に笑みが溢れている。その様子を見て、ユエはシルディを取り込みながらも表情を歪め、主人を眉を顰めて射抜いた。
「──其方、本当に死んでしまうぞ...ふむ...。まぁよい──まだ其方に死なれてはつまらぬしな...邪魔をしたな...。ああ、そうだこやつは妾が還しておいてやる。どちらにせよ今の其方には──これ以上は出来ぬであろう...?」
「何を勝手なことを...!」
奏梛はユエと呼ばれるそれを引き止めようと式を展開するが、構築した式が崩れ、胸の辺りを押さえながら血を吐き出している。
「──次は、もっと遊んでおくれよ奏梛...面倒な奴らも来たことだしのう...」
そう言うとユエと呼ばれたそれは、シルディを歪みに引き込み、空間ごとガラスの様に割れて──破片が飛び散り、何も無かったかの様に消え去った。




