第五小節 「慰霊碑」
「奏梛!その曲は?新しく作ったのー?」
「──いや...思いついたままに弾いてただけだ」
「ねぇ、今の旋律もう一回弾いて!」
「...こうか?」
「さっきとちがーう!もっと優しくて──」
「あぁ?こうじゃなかったか──?」
「どんどん変わっていってる!んもー」
──想うままに指を運んだ。こんな風に弾くのはいつ以来だろうか?そもそも楽器に触れてすらいなかった。それでも指先が、感情が──記憶をなぞって、遠い昔の旋律を呼び覚ました。
特に旋律も決めずに溢れてくる音を、ただただ、丁寧に紡いだ。こんな気持ちで演奏したのはいつ以来だったかな。お前はよく言っていたな。何も決めずに、ただ演奏し続ける時が一番だって。
「そう!それ!今の忘れないでよ!ふふっ...奏梛の演奏の良さを一番よく分かってるのは──」
聞こえない筈の声が、何処からか響いた様な気がした。
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演奏が終わると、いつの間にか城内で先ほどまで二人しか居なかった空間に、音色に導かれ多くの人が固唾を飲んで、演奏の余韻に浸っていた。その直後、大きな歓声が上がり奏梛は気づく。自分が他者をまだ笑顔に出来ることが残っていた、と。戦いに塗れた男の生涯でほんの数分の一にしか見たないその重荷を、少し下ろせた様な気がした。
その人だかりの中、一人の異質な存在を放つ少女と眼が合った。直後、ある人の面影が過ぎるのと同時に、確信する。彼女が──彼女こそが、奏梛の人生を賭けて「守り抜くと誓った」相手だと。
「──志弦…」
彼女と奏梛の間には、とても長い静寂が、歓声や拍手をかき消して包み込んだ。時間にして数秒といったところだが、お互いを認識するには十分な時間だった。
この時、二人の歯車が噛み合い、大きな軋みを上げて廻り始める。
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志弦は自室に戻ると、波打つ心臓の鼓動を抑えながら先ほどの銀髪の青年が強烈に「根付いた」のを感じる。
あれは──自分と深い関係がある。そう、思わずにいられない何かがあった。根付いた感情を上手く切り分けることが出来ずに志弦はベッドにうずくまり、感情の整理に努めている。心臓が波打つ速度が速い。不思議と何処か嬉しいと感じている自分に気付くが、この感情が何処から来ているのか自身でも把握できない。先程の苦しさもだいぶ和らいできた。胸の辺りの手をゆっくりと緩める様に、呼吸と共に冷静さを取り戻す。
「あの瞳の色──どこかで…」
寝返りを打ちながらベッドでうずくまっていると、部屋の扉が数回音を響かせた。確認をしなくとも音で分かる。彼女だ。
「志弦様。お戻りですか?」
「──うん」
顔を見せたのは、志弦の直属の護衛である、玖我音だった。玖我音はゆっくりと此方に来るとベランダの奥まったテーブルの先から窓越しに海を見つめている。いつもと様子が違う玖我音を見て志弦は「何かあったの?」と声をかける。志弦は玖我音にだけは心を開いている。母親よりも母親らしい。そんな近しい存在の変化を志弦が見逃す筈はなかった。
「──クガネ…お話し、しよ」
「まあ、志弦様から声をかけていただけるなんて」
「私の前で隠し事なんて出来るわけないんだから」と志弦は玖我音にしか見せない得意げな表情で胸を張るが、声をかけたのには理由があった。彼女が普段見せない表情をしているのだ。
「話したい事、あるでしょ。それに、触れずに居てほしいって顔と…触れてほしいって顔してる。私は…玖我音の深い部分に泥を付けずに訊く事は…まだ出来ないんだ。だから、話したくなったら話せばいいとも思ってる」
「──ありがとうございます。お優しいのですね」
「うぅん、優しくない。怖い」
「怖い──ですか」
「私のせいで誰かが傷付いて、悲しむ顔を見るのは耐えられない。弱いんだ。私には数は少ないけど、大事な人の中には玖我音だっているんだよ。ねぇ…いつでも良いから、話してよ?」
「はい──」
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ールクセリア卿国 建国パレード前日ー
奏梛はゴズ達と共に店内の楽器の手入れを手伝っている。
一つ一つ丁寧に仕上げていくと、音となって返してくれる楽器達が奏梛にとっては久しく浮かび上がることのなかった日常にゆっくりと奏梛を誘っていた。ゴズとソワレは、そんな奏梛の姿を見てたまらなく嬉しかった。出来る事ならずっとこうして穏やかに過ごせたなら。そう思わずにはいられない。
「──ソウナ、明日は一緒にパレードいくよね!」
「そうだな…」
「じゃあ決まりね!ねえねえ、アタシ、ソウナとゴズと三人で今日行きたいところあって──」
断られてしまう事を分かった上で、予想していた返事とは違うものが返ってきて私は嬉しさで身を若干乗り出す。だがその嬉しさの反面──彼の表情はどこか寂しそうだった。
「──悪い、これから少しの間出かけようと思う。そんなに遅くはならないから、夕食までには戻るよ」
「──そっか。ふふっアタシの手料理を一度食べたらそれ以外は食べられないもんねえ?」
得意げに胸を張って奏梛に視線を送る。
「ソワレの手料理は間違いないよ」
「でしょでしょー」とソワレは嬉しそうにクルクルと店内でダンスを踊る様にひらりとスカートをはためかせて一回りして見せる。
「よし、ここまでかな…。じゃあ少し出てくるよ」
「──うん、気をつけてね」
奏梛が自分の荷物の中から、桜の花弁が詰まった箱を取り出したのを見て、私は奏梛が何処に行くのかを理解した。いや、そもそもこの国に来たのだって一つしかない。心の何処かで、わたしはそれ以外の理由を彼が持って欲しい──そう願っていたと思う。
「やっぱり…そうだよね…」
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城下の外れに位置する、慰霊碑。ここに来るのはいつぶりだろうか?明日のパレードを控えて都市全体が浮き足立つ中、此処だけは風が強く都市全体の明るい雰囲気とはかけ離れている。明日のパレードが行われる「節目」となった者達が眠る場所。
十年。人が変わるには十分な歳月。誰にとっても本来「時間」は平等な筈。時間の感覚を「奪われた」自分には、つい昨日のことの様に。ここに眠る者が、心に鮮烈に刻まれ、いや焼き付いている。それは、劫火で焚べられた鮮烈な過去。強く吹き抜ける風は思い出までは運んでいかない。この世界を吹き抜ける風はいつだって生命しか運ばない。
「──胡桃…久しぶり…だな。もっと早く来られれば良かったよな」
「胡桃」と呼ばれる女性が眠るその場所には、周りの慰霊碑と違い、桜の紋様が刻まれた、大きな宝玉を模した杖が慰霊碑と共に刺さっている。十年、野晒しになっていたとは思えない程、杖の先端の宝珠は美しく夕陽を反射して過ぎ去った時間を忘れないように語りかけてくる。
「────」
箱の中から、花弁を慎重に掬い上げると、静かに目を閉じて脈を伝わせる。両の手に包まれた花弁は、不思議な輝きを纏うと慰霊碑の周りを、その手を離れ舞い出した。
もうこの世界には存在しないその花弁達は、自身の力で当時のまま保存され続けていたものだ。夕陽が花弁を照らし複雑な色味を纏いながら辺りを舞い踊っており、波の音はいつもより大きい。遠目から見ると、とても幻想的な光景が広がっていただろう。
「…遅くなっちまったな」
「───」
「志弦と──会ったよ...。あいつの顔を見た時、思ったんだ…俺は──まだあの頃に囚われて……」
一瞬、桜の香りが鼻先を掠めると後ろから声が聞こえた。そんな筈がないのは分かっている。だが、それでも、胡桃が返事をしたのかと錯覚し、感情が一気に波打つ。うっすらと視界が涙で揺れていて認識が遅れた。いるはずのない、面影をまだ──俺は求めているのだ。
「──ソウナ」
「ソワレ…」
「せっかくのパレード前日なのに──」と、言いかけた奏梛を、ソワレが後ろから優しく包んで、細く消えてしまいそうな声音を吹き荒れる強風の中、優しく紡いだ。最後に誰かと触れ合ったのはいつだったろうか?こんなにも胸が苦しくなって、感情が波打ったのはいつ以来だろうか──?
「ソウナ...ここにいると思った。邪魔しちゃうかなっておもったんだけど──私も逃げてばかりじゃいけないって思って......。私達だって忘れたわけじゃないんだよ?ただ、此処にくると胡桃さんの事をどうしても思い出して、それに…志弦ちゃんの事を考えて胸が苦しくなるの…だから、今日ゴズと三人なら、ちゃんと向き合えるかなって…奏梛も誘って三人で、向き合おうと思ってたんだよ──?」
「ここに来ると──前に進めなくなる様な気がして…みんな…一緒だよ。やっぱり赦せないんだ…私達。どうしてあんな酷い事が出来るのか……」
「──十年経っても...此処は綺麗なままだ。ゴズに頼んで手入れしてくれていたのか?」
「うん──ねぇソウナ……今はさ、強がったり、そういうのは少しお休み…しよ。私達、ゴズも含めて…クガネもそう。皆、過去に囚われてる。もう、そろそろ向き合っていかなくちゃいけないんだよね。だから、ソウナが帰って来てくれて、良かった…。クルミさんも喜んでくれてる。それに…十年顔を見せずに、久しぶりに会ったと思ったらそんな顔じゃ、ね…?」
「──胡桃さんだって志弦ちゃんだって笑って...くれないよ...」
ソワレの言葉を風が勢いよく凪いだ。だがその言葉は書き消えずに確かに俺の耳に、その奥に心に届いた。そう──俺たちは前に進んでいかなければいけない。悠久の時を与えられた自分の存在故に忘れてはならないと──意地になってどこかで、本当に向き合うことから逃げ続けていたのかもしれない。
「そうだよな──。なぁソワレ...俺はあの時──ソラリスを滅ぼすべきだったか──?」
「───」
「わからないよ...でも...わたし…あの時何も出来なくて...でもどういうどういう選択をしたとしても、ゴズも私も──奏梛の味方なのはかわらないよ──」
「────────」
「ごめん、ね...わたし...あの時何も力になってあげられなかった...ごめんなさい──」
必死に堪えても、どうしても涙は溢れた。絶対泣かないって決めていたのに。止まれって、何度も心の中で叫んだのに。泣きたいのは彼だってそうなのに。私ばっかりいつも涙が止まらなくて──。
奏梛の背中越しで泣きながら──今は亡き胡桃の面影が、涙の裏側の世界で交差していた。舞い散る桜の花弁が──慰霊碑の碑文を数度なぞった。
「剣聖と対等に肩を並べて戦った者達 その者達への想い その者達が描いた想いは 私が龍還しても抱えていく 私達は石畳を積まず 地に足をつけ 人としての生に拘るのだ」
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その夜、三人はいつもの様にテーブルを囲み、食事をしながら遅くまで胡桃の事を思い出し、笑い、そして泣いた。十年前は出来なかった事。十年経ったからこそ出来る事。時間が経つ事で、風化せずに受け止める準備が出来た三人は、思い思いに胡桃の話を持ち寄り、語り明かした──。