第二楽章 九小節 「ルルシナ要塞にて」
ー特棟爆発から二週間程前ー
ゲンディア国境付近 ールルシナ要塞ー
天井から零れ落ちる雫が奏梛の顔を一定のリズムで跳ね続ける。口元に跳ねた水がゆっくりと伝っていくと同時に、ぼんやりと意識が戻ってくる。ゆっくりと自身の体の感覚を感じ、目を開けると天井の岩肌を抑えるように網目状の鉄格子が広がっている。身体を起こすと、そこは大きな収容所の様だった。辺りを見回すと他にも何人も捉えられている。
「──おう、あんちゃん目覚めたか」
「────ここは?」
「──ゲンディアとソノマの中間にある収容所、ルルシナ要塞だ」
「収容所で、要塞...?」
男は頷くと「ここはな...ゲンディアの雨の異変に気づいたものや、反乱因子達をまとめて収容してる監獄だ。捕まってんのは皆学者ばかりだ。ソノマ侵攻の際に捕らえられ、以降ずっと此処から出られずにいる──ああ、すまねえ遅れた。俺はファゴットだ」
「...奏梛だ」
立ちあがろうとして自分の身体の状態にやっと気づく。自分でも自嘲気味になる程に痛みきっている。
「...おいおい、あんた立てるのか?やめとけ、此処に運ばれた時は誰もあんたが生きてるなんて思いもしなかったよ。よくもまあそんな傷こさえて生きてるもんだ...訳ありってやつだな...」
ファゴットは気持ちよく笑い声をあげ施設中に響き渡るも気にしてはいない。周りにいたほかの囚われた者もよく見ると、まだ若い者も多い。
「捕まったのか......志弦は...すぐに合流しないと...!」
何か全身に違和感を感じ、体を確認しようとするが感覚がほとんどなく断念する。表情が厳しいものに変わっていくのを奥から、一人物腰の柔らかい男性がこちらを見ながら歩いてくる。初老の男性は暗がりではっきりと見えないが、その顔には見覚えがあった。
「──あんた......」
「おや...何処かでお会いしていますかな?失念していたとしても、もてなす事など出来ませぬが...」そう言うとライガン侯爵は一礼を済ませながらも、呼ばれる筈がない名前が出て眉をひそめ「その状態...失礼ですが息が有るとは思いませんでした...一体何があったのです?旅のお方とお見受けしますが...」
「ああ...」
「...いや、立ち入った事でした。ここ最近は新しく収容される者も暫くいなかったもので...申し訳ありません」
俺は傷だらけのその体で笑いながらライガンに会釈し「気にしていない、謝罪は不要だ」と言うとライガンはありがとうと笑顔で返しながら続けた。
「...私たちは一年ほどこの状態で生かさず殺さずの状態で此処に閉じ込められております。ゲンディア侵攻からかなり時間が経っていますし...外はどうなっているのでしょうか?」
「外...」
今の自分の状況を理解しつつもどうやって脱出するのか考えを巡らせていた。現状では打つ手は無いし、志弦もいない。もう少し体に自由が聞けばいいがそうもいかない。志弦が今の状況を見ると、悲鳴をあげそうだ──と志弦の顔を思い浮かべる。身動き出来ない体で何とか体を横に向け、視線を周りに映しながらライガンに伝える。
「あの時──、感情的に黒鍵を一時的に解放してしまった...その代償がこれか...。この状態では白鍵も使えない...俺もゲンディアには来たばかりでな...いくつか知りたい事が俺にも有る...。情報を交換したい」
「ええ、構いませんよ」
△▼△▼△▼
ライガンからゲンディア侵攻の際の出来事を一つ一つ整理しながら確認していく。ゲンディア侵攻は前触れもなく突然だった事。その際に、真っ先に降雨機を奪取された事。侵攻の前からゲンディアでは雨が続いていた事。侵攻時に騎兵団と名乗る機械装甲部隊が猛威を振るった事──。そして、ソラリスからの”託宣使”が数名居た事...。
「託宣使まで使って侵攻した...ゲンディア侵攻にそこまでする理由...」
「──何か、気になる点がありましたか?」
すると、見張り番の男達が収容所の搬入口にやってきて、食事の号令をとり始める。号令が響き渡るとさながら軍隊の様に規則正しく一人ずつ、食事を受け取る為に並んで整列する。妙に統制が取れている──。つまりそれだけ逆らえないと言う事。俺は動けずに視線だけ送っていると、こっちに気づいた看守が一人、こちらを見下す様に一瞥する。
「──おい、そこで横になっているお前...飯の時間だと言ってるだろう、貴様も並べ...」
俺はおどけながら切り返し「悪いな...見ての通りボロボロでさ、肩貸してくれないか?」と伝えると、看守の男がこちらに向かって吐き捨てる様に言う。
「此処では、ルールを守れないと【場にいる全員で償う】んだ。お前が動けないなら、この場の全員も”動けなくなる”がいいか?」と、看守が汚い笑みを浮かべながら奏梛に伝える。
「...随分物騒なルールだな」
「...早く立て」
ライガンとファゴットが体を起こし支えながら小声で「すまねえな...今は従ってくれ...」そう言いながら無理やり肩を支えて立たせてくれる。看守が不服そうに鼻を鳴らし、その場を後にする。肩を支えてもらいながら、配給された食事を受け取る列に並ぶが──。食事を受け取ったものが順にこちら側に戻ってくるのだが──皆が手にしているトレーを見て違和感に気づく。食事から、何か異様な脈が放出されている。
「あれは──」
その食事から何が放出されているかを凝視すると──ファゴットとライガンが受け取っている、その食事をギリギリの体に鞭を打ち、手で吹き飛ばした。看守が息を荒げてこっちに駆け寄り掴みかかってくる。配給された食事を吹き飛ばした事に場が突如殺気立つ──。「貴様...!!どう言う事だ!!」と胸ぐらを掴まれながら、冷たい目で看守を睨みつけながら静かに問う。
「...それはこっちのセリフだ、これはなんだ...?」
看守は間髪入れずに掴んだ奏梛の襟元を揺さぶりながら「何だとは何だ!!貴様らにあてがわれた食事だろう!!」と、声を荒げる。
「──これが食事、だと...?」
「いつから人は”人”を食す様になったんだ?」
一瞬で場の空気が凍りつくと同時に困惑が広がる。収容されているその場の皆が固まりつつも、胸ぐらを掴まれて看守とやり合う姿に視線が集まっている。だが、この場の空気はもう元に戻せそうにない。一度広がった「恐怖」は大きな波となって人心を掻き乱す事を俺は知っている。事実、この場はもう収まりそうにないし、周りのもの達の表情も困惑から恐怖に染まりつつある。
「──もう一度言う...どうして受戒者になった者達を加工した肉を食事として提供しているんだと聞いている...ッ!」
看守は血相を変えると胸ぐらを掴み殴りかかってくるが、奏梛は吹き飛ばされるも立ち上がり、語気を変えずに続ける。
「──ルーグリッドの様に過ちを繰り返すつもりか!!」
俺力任せに再度看守に吹き飛ばされ、強引に口を塞がれる。普段であれば抑えられる事など──常人には不可能だが、妙な性質を持つ鎖のせいで、上手く脈と式が操りづらい。全身の傷も相まってか、殴られるままに吹き飛ばされる。だが、男の怒りと憎悪の視線の鋭さが弱まらずに周りの看守共は動揺している。殴っても殴っても、起き上がり意識を飛ばさず語気を強めて、言葉を続ける奏梛にこのルルシナ要塞全体の秩序が崩れ始める。
「貴様...!!」
何度も何度も奏梛の言葉が響き渡りその場の空気が澱んでいくと、周りの者達の顔色はすでに恐怖に染まっており、すでに食事に手をつけた者は無理矢理にでも吐き出そうと試みている。他の者も一斉に食事から距離をとる様に自身から遠ざけ、床に投げ捨て始める。
「俺たち、浮滲結晶を......おい...おい!!!」
「うわああああああああああああ!!!!!」
一斉に場が混沌と化していく。慌てて看守たちと見張り番が制圧しようとするが、この場には100人以上はくだらない。人の波は大きなうねりとなって、看守たちを飲み込み始める。奏梛に掴みかかっていた看守も人の波に飲まれ、揉まれ、潰れていく。そんな混乱した状況の中ファゴットが必死の形相で渦中の人物である奏梛の元に駆け寄り、体を起こすと「おい!!大丈夫か!!...本当なのかさっき言ったことは!」と表情を曇らせながらも、他所から突然現れた得体の知れない旅人に確認する。
「...見間違える訳がない...」
するとファゴットは、表情を歪ませながら「もう一年近く食っちまってるよ...!くそっ!!どうしようもねえクズどもが...!」と吐き捨てる。
「おい兄ちゃんよ!どちらにしろこの騒ぎは収まらねえぞ!!一体どうするつもりなんだ!」
俺はすぐに式を展開すると「ファゴット!!場を制圧する!!手を貸せ!!」と合図を送る。今の身体の状態ではかなり厳しいが、最悪の場合──。
「──制圧ってお前その傷で...!いや...わかった!どうすればいい!」
「──ファゴット!お前の脈を少し借りるぞ!!ぶっ倒れないように踏ん張ってろ!...行くぞ!」
「脈を借りるだぁ?!...冗談を言ってる様な顔つきじゃねぇなぁ!」
すぐさまファゴットは奏梛に背を向けて奏梛は彼の背中に手を当てる。奏梛はファゴットから少量の脈を借り受け、それを媒介に志弦の式を真似た共振を試みようとする──。吸い上げた他者の脈を、奏梛の脈と混ぜ合わせ反発し合う力を利用した共振だ。他者に受け渡しが出来る龍脈の浄化が出来る奏梛ならではの式だった。他者の脈は治療の式以外は溶け合わず反発し合うことを利用するもの。志弦の式を真似て威力減衰を併せて行い──。甲高い高音と目眩を起こした時の様な波紋が空間に響き渡ると、一瞬でその場にいた看守とファゴット、ライガン以外を共振の揺らぎで意識を飛ばし、気絶させた。
「んなッ...あんた一体...!」
驚いているファゴットを強烈な眩暈が襲うが、何とか踏みとどまる。顔を上げ意識を奏梛に移すと絶句した。ライガンも唖然とし、奏梛を直ぐに支えながら言葉を失っている。彼は大量の吐血と共に膝から崩れ落ちており、全身から古傷が裂け出血をしている。
「...ッ無茶しやがって!!おい大丈夫か!!」
「っぐううう...っがはっ...!せ、成功...した、な...」
苦しそうに胸を押さえつけながら、だが眼光には怒りが変わらずに宿っておりこれだけの傷をこさえた男が一つの感情だけで動いている事実にファゴットは何処かで心を掻き乱される様な感覚があった。
満身創痍でありながら、ただでさえ声量など、囁くだけでも精一杯の男の声がこの空間に響き渡る現象。先程から理解が追いつかない事象が連続している。言葉が耳の奥から体内を巡る様に聞こえだすその感覚に、看守達は冷や汗が止まらず、言い表せない恐怖を感じ、誰一人返事が出来ずにたちすくんでいる。
「俺は...今からここに囚われた者たちから受戒の痕跡を消す治療を行う......絶対に...邪魔をするな」
そう言うと、奏梛は続け様に空間に巨大な式を一瞬で構築する様子を見てライガンが呟く。
「見知らぬ色を使う脈使い...」
俺は場にいる全ての人間の受戒の痕跡を一年分自身に取り込む濾過を開始する。ファゴットが心配そうに「あんた!見てられねえよ!それ以上無茶するな!」と声をかけるが、奏梛の気迫に押され躊躇ってしまう。身体からおびただしい出血が始まっているが、意にも介さず「ファゴット!!良いから俺の意識が飛ばない様に支えてろ!」ファゴットは奏梛の鬼気迫る勢いに飲み込まれ、言い返せない。
その場の全ての者からゆっくりと、汚染された脈を吸い出していくが、思った以上に時間がかかりそうだと奏梛は内心舌打ちしていた。体の自由も変わらずに効かないし脈が上手く収束しない事に違和感を覚えるが──構っていられない。ゆっくりと本来の速度には遠く及ばないが、吸い上げた脈を濾過し、場にいる者の脈を健常な状態に戻し、入れ替えていく。ライガンとファゴットは奏梛の式を見ていることしか出来ないが、目の前の男が命懸けで行っているであろう、その治療は見た事もない色の脈を使い、全身の毒素の様な脈を浄化していく光景にその場の全員が目を奪われている。一人一人から黒い靄の様な者が血だらけで式を行使する男に吸い込まれていき、そこから純白の眩い光が一人一人をゆっくり包んでいる。
すると、混沌から静寂へと慌ただしく変化するその空間で一人、看守側の搬入口から見慣れない服装の女が入ってくる。
「──これは浄脈法...まさかこの目で直接見る事が叶うとは...」
女はそのまま奏梛の元までゆっくりと近づいてくる。ファゴットとライガンが奏梛を支えながら警戒を強めるが──。奏梛は式を止めずに続けているが、突然入ってきたこの女がただ者ではない──何か、体の作りが違う様な違和感を感じながら「...いま、俺の邪魔をするな」と鋭く牽制すると、女はその視線を正面から受け止めて応える。
「そんなつもりはありません、この様な幻想的な光景を止めるものですか...!──私は、リディアンと申します。ご提案があります」
「......」
奏梛は息を荒げつつも返答はせず、射抜くような視線を緩めずにリディアンと名乗る人物から意識を逸らさずにいる。彼女はそんな奏梛の様子を見ながら嬉しそうに「ええ、もちろん。この式が終わるまで此処でお待ちします」と、その場に膝をつき奏梛に忠誠を誓う様にひざまづいた。
「────何を、している」
奏梛が訝しむとリディアンは構わずに続けてくださいと体勢を変えずに即答する。
「...」
時間にして一時間弱といったところでその場の全員の脈の浄化は静寂を維持しながら完了した。奏梛の力によって治療を受けた者は全て穏やかな表情で深い眠りについていた。式が完全に終えるのを確認すると、リディアンはすぐさま奏梛に駆け寄り、ファゴットから奏梛を奪う様に肩を支える。
リディアンは奏梛の耳元で「ずっとお会い出来るのをお待ちしておりました...剣聖様...場所を変えます、ついてきて下さい」と耳打ちした。肩を支えられながら、収容所の牢から出て行こうとすると「おい!待ってくれ!俺もいくぜ!」と、ライガンとファゴットも奏梛達に続いた。看守たちは奏梛たちに声をかけるどころか、動く事も出来ずに先ほどの奏梛の言葉が、身体中を巡り続け自分の体の筈なのに──自由が効かずに青ざめていた。
一行は搬入口から出ると、リディアンが通ってきたという天井裏の通気口に登り中を進んでいくが奏梛は傷が酷く、通気口を這っていくのが難しい。
「剣聖様はそこで、お待ちください。正面の入り口を開けて参ります」
リディアンはそう言うと、通気口を素早く移動し、収容所の正面入り口を手際よく開けていく。奏梛がいる正面の入り口がすぐに開くとそこにはリディアンと、見張りの兵達が眠っている。
「珍しい式を使うな...」
そう言うとリディアンは嬉しそうに「剣聖様にそう言って頂けるとおもはゆいですね。それよりもお身体を直ぐに治療しなければいけません、急ぎましょう」と、また直ぐに奏梛の肩を支え、入り口から外に向かう。
歩きながら後ろに視線を移し、リディアンはついでの事の様に「そういえばそこのお二人──、片方はライガン侯爵でしょうか。協力して貰いますよ?」と告げると直ぐに歩き出す。二人は戸惑いながらも、状況を飲み込むのに精一杯の様だが、ライガンもファゴットも力強く頷いた。ライガンは「どちらにしろ死に損ねたのです、お役に立てるのであれば...!」ファゴットも「乗り掛かった船だ!付き合うぜ!」と拳と拳を合わせながら気合を入れる。リディアンは「好きになさい」と返事をすると、直ぐに奏梛に意識を移し「剣聖様、捕えられた時の記憶はございますか?」と尋ねる。
奏梛は少し考えた後「ドラグナド研究所の地下で...おそらくぶっ倒れたのが最後だ」と包み隠さずに伝えると、リディアンは、「やはり...」と確認する様に一人頷いている。
「剣聖様、ドラグナド研究所での騒ぎを聞きつけ、私が向かった際にはもう誰も居ない抜け殻でした。ただおびただしい血が降雨機の周りに広がっており...おそらく剣聖様の血ですね?」
「あの時──」
俺は無意識下でも自身に式を施している為、本来誰かに捕えられる事などないのだ。だが、今回は式の発動痕跡が無かったのだ。思案しているのを横目に、リディアンが俺の両手首に妙な形の鎖と枷が付いているのに気付いた。
「剣聖様、その手首の枷...直ぐに外しますので少々お待ちを」
「......なるほどな、コイツのせいか」
リディアンは頷くと「...ええ、おそらくそれは封印の枷。以前この世に存在したとされる封印と解除の式を模倣した、ソラリスが開発した枷です。しばしお待ちを──これで少しは楽になる筈です、気づくのが遅れて申し訳ありません」
リディアンがそう言うと、白い脈を操り奏梛の両手足の枷を粉状に風化させた。
「いや、そもそも意識を失った俺の責任だ、気にするな」
長い通路を抜けるとようやく要塞の出口に到着する。入り口の付近の門番達も全て眠らせてあるのを見て、奏梛はリディアンの式を思い返す。おそらく物質を粉末状に細かくし散布する式──。要塞中にさっきから甘ったるい香りが漂っているのはおそらくこのせいだ。リディアンはそのまま入り口を難なく開けると、一行はルルシナ要塞を脱出した。




