第二楽章 七小節 「ソノマ」Ⅰ
ーソノマ機械都市ー
ドラグナド研究所での爆発から5日が過ぎた。
ゲンディアでは、ドラグナド研究所にソノマ侵攻時に埋めたとされる地中の不発弾が爆発したとして発表されている。周辺地域は完全に封鎖となっているようで、危険な研究などがやはりされていたのではないか、双眼の眼の風の影響は無視できないのではないか、この世の理に反しているのだから罰が下ったのでは等、様々な噂が飛び交っていた。
シルディが連れてきたと言うこの辺では見ない服を着た綺麗な女──見張り番を任されているレナンという少年は、普段から見張り番など適当に時間を過ごす為のものであるという認識のため率先して受刑者の見張りを行っている。受刑者が収容されている部屋の前でぼーっと過ごすだけで良いのだから、こんな楽な仕事はないと今回も例によって自分から番を買って出ている。この仕事をいつも紹介してくれる龍雲亭の二人には今度何か買って行ってやろうといつも頭をよぎるがいまだに何かを買って行った事はない。
ソノマ機械都市重犯罪者特別収容施設棟──。ここに入れられる対象は、大体が扱いが非常に難しい者達ばかりだ。彼女もまたその一人──。レナンは普段であれば受刑者などには興味はないのだが、今回新しく連れてこられたというその人は髪色が特徴的なものすごい美人だと聞いた。ただでさえ訳ありの収容者が多い中でも特に目を引く容姿をしているともっぱらの噂だ。入職の際に周りの管理官などが色めき立っていたとか──。
そんな噂が広まっているのもあって、レナンは部屋の向こうに囚われている女に興味があった。こんなところに閉じ込められているのだ、この国の高官やイグノア様辺りの夜の世話で不手際でもあったのだろうかと考えを巡らせる。
部屋には呼び出し用の鐘と目線に合わせてくり抜かれた四角い穴、食事を受け渡すポストのようなものがある。レナンは気になりつつも、中の女を確認することができずに数時間が経過している。
レナンはそんな事をずっと考えていたためか、女の部屋の前に届けられる食事が食べられずに放置してある事に気付くのが遅れる。
「全く手を付けていない…今日で四日目…飲まず食わずって事か??」
流石に初日の食事などは悪くなってしまっており、異臭を発している。レナンはそれに気づくと、運ばれていた食事を腐っているものは廃棄し、まだ食べられるものと分けて食事をいつでも取れるように、部屋の前の食事を中のものと受け渡しができる台に置き直す。
「おい…ここに置いておくから食えよ、食べ物を粗末にしちゃダメだって兄ちゃんから教わった…だから食え」
扉の向こうからは反応がない。目線に開けてくり抜かれた四角い口から部屋の中をチラッと覗くと、女が背を向けて立ち続けている。後ろ姿からも分かる。そういう事に縁がない、興味のない彼でも容姿が整っているのは後ろ姿から容易に想像できた。
「──おい、聞こえてねえのか、食わねえなら俺が食うよ?」
「…」
「おい女、俺は別に良いんだけどよ…腹空かせてると碌な考えが浮かばないもんなんだ。新しい飯なら食うのか??…今持ってきてやるから食えよ」
レナンはそう言うと、走って厨房に向かい適当に食べられる肉や飲み物を台に乗せ女の部屋の前まで持っていく。本来なら部屋の前を離れるのは交代の時間以外禁じられているが、レナンは失念していた。急いで戻ってくると息を整え、食事の受け渡し台に食料をぶっきらぼうに置いて、定位置に戻ると、一息に話しかける。
「新しい飯…厨房には誰もいなかったから、肉とか野菜とか適当に保存庫に入ってるもん持ってきた…食え」
すると、部屋の中から掠れた声で「ありがとう」と、確かに聞こえた。返事が来るとは思ってもいなかったが、その声の様子から疲弊し切っているのが伝わってくる。だがレナンにとっては関係のない事だ。たまたま気が向いたから飯を運んだだけ──。レナンはフンっと得意げに息を鳴らし、また一息に声をかけた。
「──明日また来るから、飯は食えよ!いいな!」
「……」
反応は無くそれっきり返答がない為、レナンは勤務時間まで、何も言わずに仕事を黙々とこなした。勤務を終えると、レナンは真っ直ぐに重犯罪者特別収容施設棟を勢いよく出ると、龍雲亭のオヤジが居る店へ向かう。この時間は警備や仕事終わりの奴らでごった返す時間だ。この時間帯の龍雲亭は、レナンはあまり好きではないが今日は特別だ。
「他人のためにいい事を一つすれば、自分にも一つご褒美をあげられるんだ」
兄の言葉を思い出し、今日は腹いっぱいにご飯を食べようと決めていた。店に着くと相変わらず、ものすごい熱気だ。ソノマではこういった食事と酒を提供するお店が現状龍雲亭しかない。そのため、都市に住うほとんどのものがこの龍雲亭を利用している。幸い店構えは大きいのだが、人が溢れかえって混沌としているのが玉に瑕だ。「これが良いんだ」と言うものもいれば、混み過ぎていて文句を言う客も多いがこの店の店主の人柄でそういった不満も解消されている。入り口から人を掻き分けてカウンター席になんとか辿り着くと店主がこちらに気付き声をかけてくる。
「レナンー!!お疲れ様!今日はもうあがりかい?」
「ああ、レトラさん今日はまっすぐきたんだ」
レトラと呼ばれる女性がこの龍雲亭を仕切るマスターだ。赤い耳飾りが特徴的な看板店主。人柄や見た目も相まって彼女を目当てに来る、中年共も多いと聞いている。
「──今日はオレ腹減ってんだ!しっかり働いたから肉をいっぱい盛り合わせてくれよ!」
「任せときな!ちょっと今ピークだから少し時間もらって良いかい?」
「うん、構わないよ、飛び切りのやつで頼むぜ!」
そう言うとレナンはレトラの動きをずっと目で追い続ける。よくもまあこれだけの量と注文を捌くものだといつもながら感心する。あちこちに視線を移動して変わらずの熱気と喧騒を見渡していると、後ろの方から気になる話題が耳に入ってくる。
「──おい聞いたか!この前‘特棟’に極上の女が入ったらしいんだ!」
「女ぁ〜?あそこに入る女なんていくら美人でも怖すぎる。何をやれば、あんな厳重警備の棟に入れられるんだ、おそらくとんでもない事件に関わってるにちげぇねえ」
「ガハハ!!間違いないな!」
「でもよお…その新しく入った女はそんなに美人なら看守どもに手出されてんじゃねーか?看守や見張り番のヤツらは全部都市直属の手配で人材確保してるだろ。オレら一般人は中々できる仕事じゃねえ、機密情報の扱いでーとか聞いたことがあるが、見張り番くらいオレらにもできるってーの!」
レナンはこの龍雲亭のレトラの主人、ドナーに仕事を紹介してもらっている。ドナーは機械都市の兵器建設などを営むソノマ政府に勤めている。平民でも出世のチャンスがあると言うのがソノマの良いところではあるが、ドナーは身内では一番の出世枠である。表向きは龍雲亭の主人として、裏では政府関係者として酒場で切り盛りをしながら情報収集などをしている。これはレナン含むごく一部の者しか知らない事だった。
周りの男達は続けて、取り留めのない下世話な話を後ろで続けている。レナンは表情が不満そうになっていたのか、レトラに鼻を摘まれる。急に伸びてきた指先には食べ物の香りと彼女の香りが混ざった不思議な香りがした。
「なに難しい顔してんだい!ほらもう少しで出来るからこれでも食ってな!」
レトラが気を利かせて骨付き肉を数本つなぎに出してくれる。レナンは頭を切り替えて、目の前の肉にかぶりつく。そういえば朝から今日は何も食べていなかった事に気付き、無言で肉を夢中で頬張る。ちょうど食べ終わる頃に、プレートいっぱいに肉の盛り合わせが出された。相変わらず絶妙なタイミングで料理が出てくるものだと感心する。
「──お待ちどうさま!ちゃんと噛んで食べるんだよ!」
「…いつまでも子供扱いしてんじゃねー」
レナンはムッとしながら眼前のご褒美を目に胃袋なだらしなく鳴っているが、この酒場のうるささなどはそんな細かい事等かき消してくれる。一通り食事を済ますとレトラが食後にと軽い酒を出してくれた。気づくと主人のドナーもいつのまにか厨房に立っている。レナンがプレートの残った肉を頬張りながらレトラに声をかける。
「…店も少し落ち着いてきたな」
レトラが「本当にこんな人数をよく回せてるって自分でも思うよ」と自嘲気味に笑いながらカウンター越しで一緒に乾杯をした。その間はドナーが店を回している。
ドナーは手を休める事なく、レトラとレナンの会話に自然と合流する。
「レナン、今日の仕事はどうだった?」
「──いつも通りだよ、楽だし金も良いし…文句なんてない。…感謝してる」
レトラが笑って「レナンも人に感謝が言えるようになったのねー」と感動しながらグラスを傾けている。そんな様子を膨れっ面でレナンは無視して続ける。
「でも──。今日の番は気に入らねえ女だった。出された飯を食わねえんだ、ありえない」
レナンは珍しく語気を強めて二人に愚痴を溢した。彼が、他者に対してこんな風に話すなんて珍しい、とカウンターの二人は前のめりになる。レトラは「ふーん…」とレナンの様子を観察しているが、特に言葉を発するでもなく、頷いてはグラスを回してを繰り返す。
「──飯を食わずに出されたものも腐っちまって、──だからちゃんと飯食えよって念押ししておいた」
レトラは優しい笑みで「そっかあーレナンはえらいねー」と頭を撫でている。レナンにとって、レトラとドナーは育ての親の様なものだ。この二人にはレナンは逆らえない。いつまでも子供扱いされるのは鬱陶しいが、この二人には恩もある。邪険には出来ない。レナンは頭を撫でられている手を払うと、いつものように持ち帰りの包みを出す。
「──そうだ、レトラ。今日食べきれなかった分包んでくれ。明日の仕事でまた食うから」
レトラは「わかったけど、なるべくすぐ食べるんだよ?」と伝え、肉の盛り合わせの残りを包みレナンに渡す。あっという間に小綺麗に包まれて、こういう持ち帰りで販売しているような位きっちりと包装してくれる。包みを受け取り、二人に挨拶をして店を出ると、レナンは帰り道、後ろ姿だけではあるが──、顔もわからない囚われた女の背中を思い出していた。
ー翌朝ー
レナンはいつも通りに昨日と変わらずに”特棟”に向かう。交代の手続きを済ませると、交代時に見張り番から釘を刺すように耳元で囁かれる。
「──レナン、良い女だからって変な気起こすなよ?」
見当違いも甚だしい。レナンは反応せずに持ち場に着くと、昨日から置いておいた食事にまったく手をつけられていないのに気付く。レナンはムッとして、変わらず中の様子が見えるくり抜かれた口から女に向かって語気を強めて吐き出すように怒りをぶつける。
「おい、女!!飯!!食えって言ったよな!どうして食わねえんだ!」
「……」
「…昨日も言ったぞ!!飯食わねえと碌な考えが浮かんで来なくなる!悪い考えを繰り返しちまうんだ!食いたくても食えねえヤツだっている!飯を粗末にするな!!」
レナンが一気に捲し立て、一息に気持ちを爆発させる。
すると、女がゆっくりと振り返る。その目には涙を流し続けたのだろう隈ができている。目の下の隈を差し置いてもとても綺麗な人がそこに居た。正直に言って本当にイイ女だった。そんな考えとは裏腹に女は真剣な眼差しでレナンを突き刺すように射抜いて話し出した。
「…あなたの言う事は理解できます…」
「──私はここに来るまでに何度も同じ事を伝えました…。貴方にもお願いしたい。直ぐに助けに行かなければ行けない人がいます。私を待っているはずなのです。すぐに治療をしないと…そんな人を差し置いて自分だけ温かい食事につくなど…!」
女は数日間の飲まず食わずで声を発するのも辛そうだが、その眼は死んではいない。生きる事を諦めている者の眼差しではない事は直ぐに理解できた。レナンは、今は亡き兄が一瞬重なり、感情的に返す。
「──わかってねぇ!良いか!アンタのことを大事に思っている奴は今の状況を見てどう想うかを考えろ!アンタがそんなフラフラで飯も食えねえ状況を相手が喜ぶと思ってんのか!!」
「…まずは相手にとって一番、今出来ることで喜んでもらえる事だけ考えろ!」
レナンはそう言うと包んできた先日のレトラの料理を食事台に勢いよく叩きつけ、「大事な奴がいるんだろう!ならそいつに会うためにまずは身体を大事にしろ!」と吐き捨てるように伝え、言いながら「どのクチが言ってるんだ」と若干後ろめたさを感じてしまう。後ろめたさで振り上げた拳を納める場所を探そうと目線を泳がせると──。
女は目を伏せて枯れた瞳が潤んでいるのが見えた。
「…….会いたいよ…」
掠れた声で聞き取れなかったが、レナンは想い人がいるのであろう事は理解できた。レナンは語気を和らげて続けた。
「おれもさ、兄ちゃんがいたんだ…だけどアンタと同じ様にオレのために見えないところで、いつも全てを投げ打って守ってくれた…。でも兄ちゃんは死んじまった。でも兄ちゃんは死ぬ間際でも、オレが笑えるかどうかって事にこだわってた」
「アンタもさ、ここで終わりじゃねえんだろ。…まずは飯を食って元気な顔をそいつに見せてやれる様にするべきなんじゃないか──それにあんたの顔…今そいつに見せられるのかよ。そんな苦しそうな顔見せて良いのかよ…」
そう言うとレナンは扉から少し離れて立ち位置にゆっくりともどった。少し言いすぎたな、と後悔し、暫く無言で石造りの壁を凝視して自身の心を落ち着かせようと努めた。しばらくすると食事台に音がして、震えた掠れ気味の声が小さく響いた。
「…看守さん…ありがとうございます、美味しかったです…」
それを聞いてレナンは女には顔を向けずに笑っていた。




