第四小節 「再会」Ⅱ
家に着くと、直ぐにソワレは店の裏口から、楽器に香りがついたら困る、と先に二階へ上がって行った。俺は表口から再度店内に入ると、そこには王城からの兵達だろうか。何やらゴズに嘆願している。買ってきた荷物をテーブルに静かに置きながら──意識をそちらに向けた。
「──ゴズさん、頼みます!どうしても明後日までにこのピアノが必要で!王城のピアノが運搬の際の衝撃で弦がダメになってしまって...明日までには万全の状態にしておく必要があり、警備の面からも時間が──」
「いや、アンタらも音呼びの仕組みは理解してるだろう。コイツはもう【主人】が決まっちまってるんだ。他のヤツが弾いたってうんともすんとも言わねえよ」
「そこをなんとか!ルクセリア一番の腕利き【調律師】となると此処しか…!!」
「いや、そこをなんとかって言う話しじゃ…。アンタ達もそろそろ楽器の仕組みについて覚えて──」
「では、その主人と一緒に王城へ!」
「それは無理だって──」
「そこをどうにかするのが貴方の…!」
「だぁから何度言えば──」
「──わかった」
「────」
ゴズは驚いた表情で此方と兵達に視線を行き来させている。この銀髪の男の「事情」を知っているため、おいそれと送り出すことが出来ない。王城には、決して行かせられない。あそこには彼女が──。
「…おお!あなたが、この楽器の主人でいらっしゃるのか!?なんと幸運!居合わせてくれたのも、リュドミラの天啓です!では早速明日の朝一番で楽器を運ばせ──」
「おいちょっと待て奏梛!あんた達も落ち着いて──」
すると間髪入れずに奏梛は指示を出した。淡々と、何処か冷たくも感じる声音で続けた。
「いえ、楽器は此方で運びます。明日の朝、此処にクガネという女性を呼んでください。大丈夫です、約束の時間にはしっかりと演奏できる状態にしておきます」
「おお!クガネ殿のお知り合いであったか!もちろんすぐにお伝えしますぞ!」
兵達は頭を下げて、胸を撫で下ろしながら店を後にする。ゴズは、俺の顔をなんとも言えぬ表情で、言葉を選んでいた。どうして王城に自分から向かう様な事をするのか、と──。
「良いのかよ…」
ゴズはその時、どうしても運命とは引き合うものなのかと、自問自答した。階下の騒がしさに先に二階へ上がっていたソワレも心配そうな表情で様子を見に降りてくる。ソワレが奏梛に声をかけると少しの沈黙の後、彼は冷静に返事をした。まるでなんでもない、と言わんばかりに。
「…なんか騒がしかったけど...大丈夫?」
「──ああ、問題ないよ。ほらゴズ、食事にしよう」
「…わかったぜ」
その場で三人は静かに、各々が目線を下に落とし、沈黙が続いた。当然だ。城には彼女がいるのだ。おいそれと送り出すこともできない。ましてや、会うことを禁じているのだから──。しばしの沈黙を、意を決して突破したのはソワレだった。
「ほら...!ソウナが今日は主役なんだよ?アタシ達がシャキッとしなくてどうすんの!」
「ソウナ、お前──」
言いかけたところでソワレに腕を掴まれてゴズは二階へ上がっていった。急に腕を引かれて階段を上がりながらゴズは気づく。ソワレは鈍い女じゃない。賢い女だ。自分の腕を掴んでいるその手は震えており、頬には決壊しそうになる涙をこらえながら。
「ゴズ…あの二人ってどうして...会っては…いけないの…?」
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その日の夜は、ソワレが腕によりをかけて豪勢な食事がテーブル一杯に並び、杯を交わした。ここまで、気を休めて過ごせた夜はここ十年なかったと、三人は夜遅くまで話が尽きることはなかった。
翌朝、俺は誰よりも早く目を覚ますと王城に運ぶ予定のピアノの調律を確認する為、階下に降りて楽器をチェックする。
この世界に楽器奏者が少ない理由は、主に二つ。一つは楽器の適正がある者が非常に少ないことが理由だ。この世に生を受けて、十七歳を迎えるまでに自身の脈と式の色が顕現できなかった者は楽器の奏者としての適性も失ってしまう。その場合、どんなに訓練しても楽器が音色を奏でることはまずない。
二つ目は”音呼び”だ。これは、自分の脈を発現できた者は楽器の前で脈を纏うことで適正のある音色や楽器が、その主人に呼応する様に旋律を奏でる。その”音呼び”に反応した楽器が、奏者として主人を選ぶとされる。選ばれなかった楽器を手に取ったとしても、殆どが音色を紡ぐことはなく、ただ擬音を上げて軋むのみなのだ。この辺りについてはルクセリア自体にも根付いたばかりの文化ではある為、研究がなされているが、一般的な常識としてこの二点が挙げられる。
一通り確認して軽く試奏をすると、旋律が階下に響く。思うままに、曲を奏でるわけでもなく、途切れ途切れに紡いでいると、店の入り口の前に一人の黒髪の女性が佇んでいた。十年ぶりの主従関係であった者たちが邂逅する。
「奏梛様──ご無沙汰…しております」
「玖我音…」
玖我音と呼ばれた黒髪の女性は、此方を見て言葉に詰まっている。いや、かつての主人の変わらぬ姿に、感極まり喉上まで上がってくる言葉達を選別し、相応しくない──と飲み込むのを繰り返しているのだ。静寂が店内に広がる。
「…まさか、こんなにも早くお会いする事が叶うとは思ってもいませんでした。奏梛様、息災でありましたか──」
玖我音は言葉を震わせて奏梛に問いかける。十年前彼女を眼前の主人から託された玖我音は、言葉がうまく続かなくもどかしい。それは目の前のかつての主人も同様だった。見えない壁の様なものをお互いに感じている。かつてはあれほどまでに近しい存在であった筈なのに──。
「ああ…玖我音も元気そうで、何よりだ」
「いえ、その様なお言葉…」
二人の間には、離れていた時間の分だけ大きな壁があった。沈黙が二人を包み、緩やかに静寂がその場を足音も立てずに支配していく。すると階段からソワレが目を擦りながら、物音を確かめに降りてくる。懐かしい顔ぶれが階下に揃っているのを確認すると、ソワレはすぐに意識を切り替えると、表情を緩めた。
「…クガネッ!久しぶり…!しばらくぶりだよね…王城の仕事はもう──って、流石に手に馴染んでるか…」
「ええ、ソワレ様も変わらずでしょうか。…今日は、楽器の引き取りと、奏梛様に呼ばれ参りました」
「そっか…。私たちは上にいるから何かあれば呼んで?奏梛、これから朝ご飯作るから、終わったら上がってきてね」
「ああ、ありがとう」
彼女に来てもらったのは他でもない。自身のみでは楽器の運搬が不可能な事もあるがそれ以上に、この国に来てしまった以上──確認しないといけない事もある。
「玖我音…建国パレードで、多忙なところわざわざ来てもらってすまない…。その、あまり良い”状態”じゃなくてな…。運ぶのを手伝ってくれないか」
「…はい」
「そんな顔をするな…。──さあ、運んでしまおう」
俺はそういうと、玖我音に手を差し出す。ゆっくりと、ゆっくりと脈を込めて纏わせる翠緑の式──。玖我音はただただ、その光を黙って見つめている。
「準備できたぞ?」玖我音に「笑いかける」と玖我音は涙を堪えるのに必死で奏梛の顔を上手く直視できなかったと──後に後悔した。
二人はピアノと自分たちを美しい翠緑の脈で包み込むと、瞬時に王城内のホールに転移する。玖我音が目を開けるとそこは、奏梛に取って思い入れのある象徴が床に大きく彫られたホールに移動した。月沙の象徴の三日月と桜の紋様があしらわれたその部屋は、過去を呼び出さずにはいられない。
「この部屋で良かったのか、玖我音」
「はい、完璧です。配置などは兵達に任せましょう」
「──奏梛様、一つ、お願いがございます。一曲…弾いていただけませんか。先程は最後まで聴けませんでした」
一瞬気の抜けた表情で久我音を──かつての部下を見つめ、すぐに表情は優しく解けた。奏梛は椅子にゆっくりと座り、鍵盤に優しく手を添えながら、久我音に応えた。
「──真剣な表情で訊くから、何かと思ったら…。そんな事くらいしか今は出来ないんだ。構わないさ」
あれから十年──。
十年だ。人が変わるには十分な年月。
あれから俺は何を為せたのだろうか。
あれから俺は何を失ったのか──護りぬいたものは...?