第二十七小節 「奏梛と志弦」Ⅳ
ゴズの楽器店を後にすると、奏梛は志弦の背中に楽器用のバッグを革紐で結んであげながら志弦に尋ねた。
「志弦、他にも行ってみたいところはあるか?」と──。彼女が望むところに連れて行って上げたい。純粋にこの少女の喜ぶ顔を見たかったのだ。
「…えっと、わたし本が好きなんだけど…お城の書庫にない本とか見たい!」
「本か…」
奏梛は口に手を当てて考え込むと──「よし、少し歩くがいいか?」と悪戯っぽく微笑む。
「うん…!奏梛ともっと…話したい!」
「こっちだ、逸れるなよ?」
奏梛が差し出した手を掴んでぎゅっと握る。やっぱり冷たい手だけど、心臓が少し高鳴っていた。
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「ねえ、奏梛ここ…?」
「ここだ」
二人は町外れの一画にある、今にも崩れそうなボロ屋の前にいる。ただよくみると建物自体は高級感があり、以前は位の高い者が住んでいたと連想させる。「ボロボロで人も居ないような…?」志弦が訝しんでいると奏梛が続ける。
「…ここはな、誰にも見つかっちゃまずいんだ。だから結界を張ってて──」
「──え?…奏梛今、結界って言った?」
「…ん?」
「…町の外れに幻影結界を張り続けてたって事?」
志弦は呆れた顔をしている。奏梛は志弦の【感情】が生来のものに変化し、どんどんと表情豊かになっていくのに嬉しさと罪悪感を少し感じながら、志弦がどうして驚いているのか理解できない、と言った表情で「まあ……そうなるな」と、呟く。志弦は少し呆れたような様子で、奏梛を問い詰めずにはいられない。
「…どこの世界に幻影結界を!何十年も維持し続けられる人が居るの…!」
志弦がバタバタと感情表現を身体でぎこちなく表している。奏梛はその様子を見て小さな動物を連想し、口元が自然と弛んだ。
「──よく分かったな、何十年も維持してるなんて」
すると何かに気づいた志弦が動きを止めて式の結び目を見つけて凝視している。手で触れながら、構成をまじまじと観察している。
「わからないんだけど…この結界の封印の式がなんか懐かしいような、見覚えがあるような…」
「…まあ、そりゃあそうだな」
「え…?それってどういう…」
不思議がっている志弦を見ながら奏梛が指を鳴らすと、一瞬で建物の中に二人が転移した。この世界には物質の転移が可能な式は存在していない。禁書庫であらゆる文献に目を通し記憶している志弦はすぐに気づいた。失われた色を操る「識」の一つだと。だが、目の前のこの男が軽々とやってのける姿に疑問符がつくよりかは、一層興味の方が強く湧き上がってきた。
「──わわっ」
体勢を崩しそうになる志弦を奏梛が支える。二人が移った先は、先程までの今にも崩れそうな外観からは想像できない広さの部屋だった。大きな丸いテーブルが中央に一つ。ぽつんと置いてあるのみで、細長いその空間には壁一面に敷き詰められた文献や資料、見たことも無い紙を使った書物が乱雑に床にも広がっている。そこには世界中から集めた希少な文献と思われるものが不規則に辺り一面に散らばっていた。
「うわーー……本……たくさん…だね。奏梛は…整理とか苦手なの…?」
志弦がクスクスと笑っている。
「いや俺は綺麗好き…」
「…ふーん」
志弦が疑いの眼差しで下から奏梛を覗き込んだ。話題を逸らすように奏梛が奥へ向かい歩き出すと、一度立ち止まり、此方を見ながら呟いた。
「…志弦が気になる物、好きなだけ持って行っていいぞ」
「…え?ホント?!」
「ーー構わない。ここにある物はもうここに入ってるしな」と、コンコンと自分の頭を指し拳で鳴らす。
「……!どうしよう見た事ない文字ばっかり!あ、これゼルウェウツァの地理本!存在してたの…?うわー、あっ!これってゲンディアの天候学の!」
「──ゼルウェルツァな?ゲンディアのは好きなだけ持ってけ」
志弦は一人小さな歓声を上げ熱心に本を選別している。その様子をしばらく見つめながら奏梛は今はいない「彼女」の面影を感じていた。奏梛は散らかった書物をゆっくりと整理しながら志弦に話しかける。
「──志弦…この場所はお前に管理を任せようと思うんだが」
志弦は埋もれた本の中から顔を出し、目を輝かせてこちらを見ている。
「…本当にいいの?あっでも…わたし結界開けられないよ…奏梛居ないと無理だもん」
「大丈夫」
奏梛が自身の光と同じ色の指輪を志弦に指で弾いて渡す。
「んわっとっと…これは?」
「──それがあればいつでもここに入れる。頼めるか?」
志弦は表情を目一杯明るくし返事をする。部屋中の本に包まれながら、黙々と本を読み、嬉しそうに持ち帰るものを選別しながら往復する彼女を奏梛は目で追い続けた。ふと外を見ると陽が沈んできている。そろそろ城へ戻らないと皆が心配する頃合いだ。
「もうそろそろ城に戻らないと」
そう言うと、志弦はピタッと先程までの忙しなさが嘘のように動きを止めて、特に目を通すわけでもなく手元の本のページを捲っている。そんな様子を見て、奏梛は「志弦、いつでも来れるんだ、ひとまず帰ろう」と志弦を優しく諭す。
「……わたし帰りたくないよ奏梛」
「お城に戻って奏梛が旅立ったら…また元の日常に戻っちゃう」
「……」
「どうして…俺がまた旅に出るって思うんだ──」
志弦の透き通る声音が小さく響く。
「志弦…?」
「ダメ、だよね…」
奏梛は目を逸らさずに彼女の瞳を見返す。
「────」
「…ごめんもう大丈夫、帰ろう?」
そう言って二人はその場を後にした。眼には雫が伝った跡があったが奏梛は何も言わずに、志弦の頭を撫でて「もう大丈夫」と呟いた。
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外に出ると夕陽が差し始めていた。
「──奏梛…今日はありがとう。奏梛は…旅に出るなら何処の国に行くの?」
「そうだな…」
「やっぱり、ご飯が美味しい所がいいよ」
「ふふっ…奏梛は食いしんぼうなの?」
「色々回っていると、食の大切さを身に沁みて感じるんだよ」
「──でもご飯は大事だよね、私は毎日ラト鳥でいいもん!」
「飽きないか…?俺は色々食べたいよ」
他愛も無い会話をして城に着くと、クガネや警備の兵が出迎えてくれた。志弦が女王達と再会し楽器を弾いて見せている。嬉しそうな表情だ。周りの兵たちや付き人も、今まで無感情とさえ言われていた子供がこんな無邪気な笑顔を見せるのかと、驚いている。奏梛がその場を後にしようとすると、間際にルクセリアがこちらに目配せをし奏梛は頷いた。
「後で、か──」
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その夜城内バルコニーにて、奏梛と女王は用意されたテーブルの上の茶菓子や酒には手をつけず黙りながら玖我音の話しを聞いている。奏梛は手元で自身の脈から淡い光を指で操作しながら──。
「俺の力も今は…極端に弱まっていてな、志弦の封印が綻びていた事さえ気づけないくらいに…」
「その様な事を仰らないで下さい…元々、志弦様が十七歳を迎えるまで、わたしが守り切らねばならなかったのです、わたしにもっと力があれば…」
「……」
二人のやり取りを見ていた女王がパンと手を叩き「──これからの話に戻しますよ?」と、ルクセリアが話し出す。
「──奏梛、志弦の封印式は解除された、という認識で良いのですか?」
「──ああ…」
「それは、貴方の意図せず、というところでしょうか…」
「では…志弦と一緒にしばらく療養してはどうでしょう?自身の傷もまだ癒えていないのです。それに志弦と一緒にいれば、あの子の本来の力と奏梛には親和性があるのです、奏梛の傷も癒えるのが早まると思います」
クガネが頷きながらルクセリアに続いて奏梛に嘆願する。
「…奏梛様、かなりご無理をなさっていませんか…?」
「────」
「……」
「──無茶を承知で俺から一つ提案がある」
「はい」
「──志弦を連れて、ルクセリアを出ようと思うんだ」




