第二十六小節 「奏梛と志弦」Ⅲ
ルクセリア卿国は、ダグザという西と東を【双眼の眼】の門で大きく分つこの世界の中心に浮かぶ海上国家だ。
この世界で唯一、双眼の眼の風の脅威がない国でもある。
ただ、海上に巨大に浮かぶ移動都市でもある為、年々、自然災害の脅威にもさらされているが、国民はとても活気があり逞しい。これはこの国が希少な音楽を生活の一部としている者が他国と比べて多い事も大きい。
志弦はあまり城下に出かけたことが無い。今現在は建国パレードもあってかどうしても人前に出ないと行けない機会が多かったが、本当は色々なものを見てまわりたい気持ちは勿論あったのだ。ただ──
目にしたもの全てを記憶してしまう故心に負荷がかかり過ぎた。物や動物であればまだいいのだが、人には表情がある。正確には動物たちにも表情があるが、人に比べると、心の奥に「根付く」感情が大きい為、志弦は目にするものを自分で「選ぶ」ようになってしまっていた。その為、城の外に出る時は特殊な仮面を付けて出掛けなければならない。体内の式と脈を使って対象を認識するのだ。いつもの様に仮面を付けようと準備していると、奏梛が膝をつき志弦に怪訝な表情で尋ねた。
「──志弦、その仮面は…」
「うん……」
「…これは目に映るものを、目ではなく式と脈で判断できる様にする物なのです。これが無いとちょっと辛くって…はは」
志弦は夢から覚めた後の自身の変化については触れなかった。やはり普段行わないことを積極的に行うには、まだ昨日の今日の出来事である。不安の方が勝っていた為、念の為と用意しておいたものだった。必要が無いのであれば勿論それが望ましいが──。
奏梛は志弦の言葉を聴くと指先に淡い光を集め、何かを探しているように空間を指先が行き来する。奏梛が志弦の瞼を優しくなぞり淡い光で線を描く。こんなに綺麗な色を見たことが無い志弦は目を開けたくてバタバタしている。
「──きれい…」
「……じっとして」
瞼に模様を描く様に式を施し、志弦の頭にポンと手を置き
「はい、目を開けていいよ。どうだ?」と、優しく微笑んでくれる。志弦瞼を開けると、先ほどの光が消えていて少し寂しさを感じるが──目にする物全てが巨大な情報として志弦に刻み込まれていた感覚。夢の後からは感じ方は変わっているが、周りを見ても何も感じない。世界が志弦を認識していないとでも言うのか、苦痛を伴わずに周りを見渡せる事実にひたすら感動を覚え、口をずっとパクパクさせている。今までしてこなかったことを、今、当たり前のように行うにはまだ負担が大きいのも事実だった。
「──これ、奏梛がやったの…?!すごいすごい!!」
「…何も怖がらなくていい、自由だよ志弦は」
志弦は目を輝かせ、差し出された手を掴んで、二人で歩き出した。
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奏梛を初めて見た時──どうやって表せばいいのかな。胸の奥が騒ぎ立てて──でも、凪の静けさと共存している様な穏やかな気持ちになったんだ──。
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ルクセリア卿国は海上都市であるが、この国家はもう数百年移動しておらず、ヘクタル大海原という四方を巨大な岩礁に囲まれた堀の中にある。堀の外には西と東で双眼の眼の門がそびえており、そこから東西に海が広がっている。この周りの巨大な海の底から現れたとされる岩礁が突如練り上がりこの国を包んでいる様な形だ。
どうして大海原の中心にこんな巨大な壁ができたのかは諸説あるが、月の民がヘクタル大海原にある治癒と再生の宝珠を地上の人々が持ち出さぬよう遠ざけるために出来たという説が有力だ。なんでもルクセリア卿国の海中深くには、竜脈と呼ばれる、この世界の元となる生命の源に【治癒と再生の宝珠】という神器が眠ってるとされる。
この宝珠を当時のルクセリア卿国の王が見つけ、地上に持ち帰ったところ、突如として海上都市を丸ごと覆い込む様に岩礁が現れ、以来海上国家ルクセリア卿国は【移動不可の移動都市】として、また侵略不可の要塞としてこの海にとどまることを余儀なくされている。当時の文献はほとんどが消失してしまっているので、真実は未だ不明のままだ。
「って、禁書庫の文献に書いてあったよ?…奏梛合ってる?」
「そうだな、概ね間違いではないよ?その年でもう歴史の勉強なんてすごいな」
「ふふ」
志弦は眼にするもの全てが新鮮で周りに興味が尽きない。奏梛が施した式の影響もあって、今までに見た事がないほど世界も自身も明るい。城の中での志弦しか知らないものが今の光景を見れば、志弦だとはすぐにわからないだろう。二人は大通りを抜けて、ソルシュ商店街一番という、ラト鳥の串焼きを食べながら歩いている。本来一国の王女がこんなふうに出歩くことなども出来ないが奏梛の力のお陰で志弦は王女と認識されていない。
「私ね、どうして私だけこんな能力があるのかってずっと考えてて…。忘れないって事は、【私に留めておける】って事だよね?だから世界の歴史を調べて調べて…」
「そうか…」
どうしてそんな辛そうな目をしてるのか志弦が聞こうとすると同時に目的地に辿り着いた。奏梛にとっても思い入れのある大事場所の一つ。そして友人達が住まう店でもある。
「──着いたよ、ここがルクセリア卿国直営の楽器屋だ」
「うわーーー!すごい色んな形の楽器?があるよ!」
志弦が初めて観る楽器たちに心躍らせて店内を駆ける。その様子を遠目に奏梛は口元から笑みが自然と溢れる。店主がそんな二人に気づくと声をかける。この国の「調律師」でもある男の一人。
「いらっしゃいませーって…奏梛と……オイッ!!」
「──ああ」
「ッ…ああじゃないぜ!!なんだって志弦ちゃんと…!!」
「──志弦の音呼びに付き合ってもらうぜ?」
さっといつのまにか志弦を抱き抱えて、奏梛は彼女を試奏用の椅子に座らせる。
「──ひゃあっ?!」
先ほどと違い身体に触れた奏梛の手は酷く冷たかった。それもあるが、初めて男性に抱き抱えられて頬が熱い。
「…志弦、楽器には生まれた瞬間から適性があるのは知っているか?」と、奏梛が尋ねる。
「う、うん…楽器のこと、たくさん調べたよ?」
「…そうか、では”音呼び”は知ってるか?」
「…うん!やってみる」
志弦は呼吸を整えて、自身の式で脈を広げていく。淡い薄紫の光が店内を巡り一本の弦楽器を鳴らす。奏梛は志弦が発した脈の流れを目で追いながら、その学期の前へと進んでいく。立ち止まるとそこには弦が四本に、幼い少女が持つにはある種丁度良い大きさの弦楽器が反応している。
「──これだな」
奏梛が楽器を手に取ろうとすると志弦も付いてきて、「私が取りたい!」と上目遣いでこちらを見ている。志弦の小さい体を奏梛は自身の式でゆっくりと浮かせてあげる。志弦は奏梛の光に目を奪われそうになるが、目的を再度思い出して目の前の楽器を手に取る。体勢を整えながらゆっくりと着地し、手にした楽器を優しそうに撫でている。
「──この子が私の音呼びに反応したんだよね、弾いていいのかな!」
ゴズと奏梛は笑顔で志弦に頷いた。志弦は手に取ると、まるで以前から弾き鳴らしていたかのように繊細な音色を奏でた。本当に綺麗な音色だった。
志弦が手にしたのはヴァイオリンという4本の弦と弓を使って弾く楽器だ。音呼びに反応した楽器は、所有者にその楽器の弾き方などを伝え瞬時に弾ける様になるのだが、音呼びに反応しない楽器はそもそも弾いても音すら満足に鳴らない。志弦の鳴らす音色は、どこか哀しげでだがとても穏やかだった。一通り手触りを確かめた志弦は、奏梛の方を見て嬉しそうにはにかんでいる。奏梛はそれを見て頷くと横でそれを一緒に眺めていたゴズに振り向いた。
「──じゃあこいつをもらってくよゴズ」
「…もちろんだ、あー……後お代はいらん」
「いや…何を言ってるんだ」
「奏梛──良かったな…後で終わったらソワレと3人で飯だからなッ!!ソワレの驚いた顔が目に浮かぶよ…」
そう言いながら、ゴズは俯いて涙を隠していた。沈黙の後、奏梛は頷いて志弦を見る。きょとんとした顔で、だが笑顔で奏梛を見返したまだ幼い、ある人の面影を残すその子を見ながら、優しく呟いた。
「──それはこの子次第かな」




