全休符 「肆」
昔、龍脈炉での奴隷時代によく顔を合わせた親父が言っていた。話が訊けるのは良い男の特徴だ、と。
俺は何時も──自然と訊く側に回ってしまう事が多かった。思い返すと、なんて事はない簡単な事だった。皆が触れない様に、本音と建前を織り交ぜ、本当の気持ちを隠しながら話すのが見え透いていて、退屈だったからだ。指摘すれば話が終わってしまうが、訊き続けていれば円満にその場が終わる事が多い。言うなれば幼いながらの処世術だった訳だ。
「──なんて言うか良くも悪くも的を得すぎ?」
「────」
「みんなが言葉にしづらい事を、率先して口にするっていうか──。嫌われ役を買って出るっていうか」
「まあ……事実疎まれてた自覚はある」
「どうして本心を隠して会話するの?」
「──本音だけで会話していたら交流にならねえからだろ」
「なるほどぉ…」
二人はあれから二日程、滑り落ちた空洞を道なりに進み続けていた。目立った変化はないし延々と同じ暗闇が続くのみ。だが──お互いの事を知るためにはこの道の長さは十分だった。
「胡桃が例えば…此処に行きたいって希望があって、俺は此処に行きたいって伝えてーー本音だけじゃ、こうしたいって希望だけで、じゃあどうやって折り合いをつけるんだ?」
「ん──私だったら…奏梛が行きたいところに行って……次に私の行きたいとこに連れてってくれれば良いよ?」
胡桃は奏梛の肩越しから顔を覗かせ、前を歩いたり後ろをついたりと忙しない。
「じゃあもし、胡桃の行きたいところが──先に俺の希望を聞いた事によって、行けなくなったらどうするんだ」
「その時はねぇ──私の行きたい場所が奏梛と一緒でした!ってする」
「答えになってねえよ…。胡桃は我慢するのか」
「──違うよ?」
「私達が向かう先は、ずっと一緒なんだから悲しむ事なんてない。私達が望む場所は絶対に一緒なんだよ?」
「はいはい…何処からその自信が湧いてくるのやら…」
「それに──多分、怖いんだよ」
「……そういう事にしとくよ。──それにしても、いつまで進み続ければ良いんだか…」
「ねぇ、奏梛…地上に出られたら──」
「────ッ!」
「────」
「──胡桃…?」
振り返るとそこにはいる筈の少女の姿が見当たらない。
狭い通路で人二人が肩を寄せ合いながら進むのがやっとの空間で、突如足場が砂のように崩れ出していく。踏み進めていた砂が抜け落ち露わになった下層に、巨大な空洞が広がっており、遥か下層で、胡桃が砂に半身を埋めながら此方に手を振り呼んでいる。
「──胡桃ッ!」
「奏梛ー!なんか足場が急に…流砂みたいに掬われて──巻き込まれて落ちちゃった!降りて来れるー?!」
「なんでこの高さから落ちてそんな元気なんだ…」と、奏梛はひとりごちる。胡桃はなんて事ない顔で砂から這い出るとコートの土を払っている。
「──そこで大人しくしてろッ!何がいるか判らないんだ!」
「──────」
「────────────」
「……今度は声が小さ過ぎる…極端なんだよあのバカッ…待ってろッ!今そっちに何とかして──」
胡桃が何やら身振り手振りで急に焦った様に、指先でバツ印を結び何かを伝えようとしている。
「降りて来れるかって聞いておいて今度は来るなって…本当によく分かんねえ奴だな──」
真下に広がる巨大な空間にどうやって降りて行こうかと思案する間もなく、俺は胡桃が半身を埋める下層目掛けて一直線に──足元から抜け落ちた。
「奏梛ッ!!」
「────ッ!」
すると、俺は落下している体勢のまま空間に保存され、胡桃のいる下層の地面すれすれで直撃を免れたのだが──。
「一体…これは……」
空中から落ちて来る体勢のまま動けずに保存されている奏梛は、視界を上下逆転させた状態で胡桃を見上げると、其処には顔を真っ青にして、息を荒げ式を展開している胡桃の姿が飛び込んだ。
「…もう大丈夫だ。さっさと降ろしてくれ」
「ははッ…」
奏梛を取り巻いていた不思議な式は粒子となって飛散していくと同時に、胡桃は膝から崩れ地べたに腰を落とす。
異様な式だった。空間だけを切り取った様に──その対象を固定して保存していた。そして胡桃の様子を見るに、かなり身体に負担がかかるのは明白だった。
「──随分と変わった式…だな」
「そ、そんな事ない…ちょっと、あっついなー…はは」
「……」
「──助かった」
「えっ…?」
「──ありがとう」
「……」
「──どういたしましてだよ!へへッ。奏梛はこの前瓦礫から私を庇ってくれたし」
「こないだの脚だって、治したばかりだしまた折れたら──」
「…って、そ、奏梛ッ?!」
「うるせぇな、黙ってろ」
「──────」
奏梛は胡桃を両腕で抱き抱えるとそのまま立ち上がる。
胡桃は下から奏梛の顔を覗き込みながら、しばらくして俯き顔を伏せた。
「今の式……出来るだけ使うのは控えろ」
「でも──」
「…分かったな?」
「ぅん──」
「……」
「……」
「胡桃──」
「は、はいぃ!?」
「…?」
「さっき降りてこようとしたら指先でバツを──」
「────!!」
「そうだッ!…奏梛!早く此処から移動しないとッ!」
「近くで龍脈の集束を感知して──!」
「──オイッ!!そいつを早く言えッ!」
「多分この地下の空洞は、龍速回廊と繋がってるの!」
「あの身振り手振りでどうしたら、そうなるんだッ!!」
「だって!龍速回廊には脈獣の巣も多いしさっき近くで脈獣の気配も──」
「胡桃ッ!!一番大事なところだそれは!!報告が遅ェッ!」
「……ッ!そうすると此処は龍脈獣の巣かよ…」
奏梛は胡桃を抱えたまま、大きな空洞の先にある窪みへ駆け出し胡桃と姿勢を低くし辺りを警戒する。この大地を巡る力の一つ、龍脈。「龍速回廊」という経路を移動しこの世界全体に根を張っている龍脈の通り道。そしてこの付近には脈獣と呼ばれる獣達の中でも特に凶悪な天災とも呼称される存在の一つ、龍脈獣が巣食うとされる場所。そんな、この世で絶対に避けて通らなければならない中心に二人は降り立っていた。
「──その肝心な事が後からどんどんと湧いて来る報告の仕方はなんとかならねぇのかッ!」
「…でもこういうの楽しい。私、今口元がにやけちゃってる」
「どうなったらこの状況でニヤけていられるんだッ!」
「だって、もう直ぐ死ぬって分かってるのに、どうして危ない目にばかり遭うの?放って置いたってどうせ終わりが来るのに。何処かの誰かが──生きる選択肢を選ぶ様に導いてくれてるっていうか…ふふっ」
奏梛はその言葉に思い当たる節があった。つい先日までは自身も同じ事を考え、抗ってしまっている事に、言葉に出来ない、浮かび上がる無数の単語による言葉にならない言葉の奔流に。生への執着をどこか感じずにはいられなかった。
「──胡桃、体内の龍速を測れ」
「私の?それとも奏梛の?」
「俺の方だ」
「助けたばかりなのに、危ない事はしてほしくない」
「……どの口で言ってんだ、早くしろッ」
「むぅ……意地悪。──ええっと…私の方が少し早いかな。奏梛は──私の半分くらい」
「胡桃、さっきの──」
「一回」
「出来て後一度、だよ…一分も保たないと思う」
「本当に危なくなったら、あれで自分だけは保存して生き延びろ」
「……」
「ぃやだ」
「…俺に考えがある」
「ねえ、奏梛辞めよう?体を痛めつける事はして欲しくないよ」
「龍脈虫を食おうとしてた奴の台詞かよ──」
「だってあれはお腹が空いてッ」
「伏せろ…っ」
空間全体に低く唸る様な地鳴りが始まっている。
二人がいるその下層には、辺り一体をドームの様に天井が覆っているが、よく見ると落ちてきた穴以外にもあちこちに同様の穴が空間全体に広がっている。
「よりにもよって、彼奴かよ」
「奏梛アレって…」
「静かに──」
全長数十メートルはあるだろう巨大な竜がドーム全体をうねる様に飛び交っている。長い尾の表面から生えている毛先が奇跡を描く様に煌めいている。龍脈獣だ。
「奏梛ッ…あの尻尾──すっごく綺麗だよッ…!」
「まあ否定はしないが、そこかよ…」
「気付かれたら一瞬で終わるな…」
「──どうしよっか」
「────」
「どうせ此処を生き延びたとしても、いつ終わるか判らねえ命だ…」
「うん」
「アイツに…この空間ごと破壊してもらおう」
「──?」
「なに、簡単な事だ。暴れ回って貰うのさ。そのままこの空間から──連れ出してもらおうって寸法さ」
「でもあんな大きな龍が暴れ回ったら──」
「──そうだっ!これで…」
胡桃は指先から白と黒の脈を同時に糸の様に絡み合わせて、一本の縄の様なものを作り出す。
「…そんな事も出来るのか」
「ふっふーん。私の得意技ッ。白と黒って相容れないんだけど、一緒に絡め合うと反発しあって頑丈になるんだよ?奏梛知ってた?」
「いや、そもそも同時に脈を使うとか──いや、そこじゃねぇな……相変わらずおかしな力持ってんな…」
「これをこうして──」
くるくると編み出した脈の縄で二人を強く結びつける。
「完成ー!胡桃特製の命綱ッ!多分余程の事がないと切れないと思う」
「よし」
胡桃が二人の身体を結んだその白と黒で構成された脈の縄は、彼女の言う通り反発しあっているのか、溶け合わずに異音を上げながらではあるがしっかりと結び目で固定されている。
「どのみち俺たちに出来ることなんてこれくらいしか無いんだ」
「それと──もし俺が呼びかけに答えなかったら──」
「ぃやッ!奏梛は私が呼び掛けたら愛想なく返事してくれるもん」
「…此処を越えたらその愛想ってヤツを教えろ。着いてこい」
「うん!」
作戦なんて呼べるものは何も無かった。もう長くないのであれば試してみたいと感じた。
「──これが!!テメエらは堪らなく好きなんだろッ!!」
奏梛は自分の中に住まう得体の知れない蒼い脈を可能な限り発現させる。集まり出した蒼い色の粒子達を掌に収束させ、空間中に巨大な一枚の絵を描き出す。
自分自身見た事もない構成式と共に、蒼い脈がドーム全体を覆い尽くすと、巨大な龍は餌に釣られて辺りの砂を舞い上げながら奏梛の脈で描かれた絵に貪る様に喰らい付く。
読み通り、どうやらこの蒼い脈は脈獣にとっては餌の様に映る様だ。龍の瞳が変色し興奮状態にある様だった。
巨大なドーム全体に咆哮を上げながら──その大きな口で奏梛が描いた、空間中に敷き詰められた蒼の脈を無尽蔵に喰らい続けているのだが──何処か様子がおかしい。
「ーーッグオオオオオオオオオオオ!!!!!!!!」
鼓膜から体全体を振動となって伝わるほどの雄叫びを上げたかと思うと、それと同時に奏梛自身も身体の一部が急に裂け出し膝をつく。あの時も記憶を──
「──奏梛!!」
「なんだこれはッ…」
龍が奏梛の絵を喰らう程に、奏梛の身体に見たこともない言語の式が円状に構成され、体の節々が弾け飛び傷つき出す。
「絵が喰われるたびにッ…っぐ!!」
「奏梛ッ!!蒼い脈を解いて!!空間に描いた絵と奏梛の身体が繋がって──!!」
「このままじゃ…!!」
「ッガアアアアアアア!!クソッ…!んな事言っても解除が…!!」
「──これって…」
「ねぇ奏梛ッ!記憶が抜け落ちるって言ってたのは──!」
ドーム全体に蒼い脈で描かれた一枚の絵が半分ほど喰らい尽くされた辺りで、巨大な龍が動きを止め苦しみ出す。奏梛の身体が弾けると、龍の長い尾も弾け飛び、奏梛が痛みで叫びを上げるとそれに呼応して咆哮を響かせる。
「うううううああああああッ!!!!」
「胡桃ッ…!縄を解け…!先に…安全なところへッ!!」
「解かないし、置いていかないッ!!」
「聞き分けろッ!このままじゃ二人ともーー!!」
「ねぇ奏梛ッ!!私を──信じて欲しい!」
激痛の中胡桃に視線を移すと、彼女は奏梛の身体を覆う円状の見慣れぬ式と同じものを発現させている。
高速で組み立てられたその式は薄紫の脈を纏わせながら、奏梛を包み込む。それと同時に後方で暴れ回る龍の周りにも同じ式が組み上げられていく。
胡桃が口元で聞き慣れない言語を呟き続け、円状の式が龍を縛りつけると、感覚が遮断され奏梛の身体から痛みが消え、辺りを一瞬で静寂が支配した。胡桃は膝を着きその場に座り込む。呼吸が中々整わず息を荒げ、空気を飲み干す様に何度も息を吸い、吐き出す。
「はぁはぁッ!っぐ…っぁ…かはッ…。間に合った…へへッ」
「奏梛、大丈夫──」
「ああ──辛うじてな…」
巨大な龍が胡桃の式で動きを止め微動だにしない。彫刻の様に呼吸もせず、先ほどの咆哮が嘘の様に静寂が一帯を包んでいる。二人は脈の縄で繋がれたまま天井を見上げ、大の字で倒れ込んだ。
「胡桃…お前何者だよ…」
「奏梛に…言われたくないよ…はぁっはぁっ…」
「──奏梛が纏ったの、共鳴式と反発式で…」
「私が使ったのは…龍脈転化の義…」
「どっちも…もうこの世界から消えちゃった力…」
「──まぁ…私も教えてもらっただけで詳しくは分かんないや…ふふっ…」
「お母さんがね…亡くなる前に──受戒して…間際に教えてくれたの。私の家系は龍還を司る家系だって…」
「奏梛は…?」
「──記憶がないんだ」
「…いつから?」
「もう──数えるのを辞めた。覚えてるのは、月と機械仕掛けの時計…。俺はその時計の秒針を刻む音が大嫌いだったってのは覚えてる──龍還って…龍脈と同化して大地を…星々を渡り歩いたっていうあれか…」
「──そう…御伽話の中の話だと思ってたけど…そっかぁ」
「奏梛…私ね、他人の脈が発現していなくても視えるの」
「初めて目にする綺麗な色で…脈の痕跡を辿って来たら奏梛に会えたの。それに──さっきもそう。あんな綺麗な絵を描く人間が悪い人な訳ないしッ!」
「はははっ!…ははっ…何言ってんだよお前は…」
「──バカだなぁ…胡桃は…」
「奏梛、初めて笑った!?ねえ!こっち見て!笑ってるとこ見たいッ!」
「ははっ…退屈しねえよ──」
「────」
「────────」
奏梛の胸が一定の感覚で静かに上下し、吐息がゆっくりと溢れた。
「奏梛…寝ちゃったの」
「──────」
「ふふっ…私もちょっと…疲れちゃった…」
胡桃は奏梛と距離を縮め、彼の腕を枕に寄り添って静寂に意識を落とした。




