第二小節 「始まりの少女」
私は──物心ついた時、この世界の見え方が人と違う事を理解するまで、さほど時間は掛からなかった。
公式記録では、私の生まれは海上国家ルクセリア卿国──女王ルクセリア・トレスの娘として生を受けたとされた。
名前には、ルクセリアと親交のあった月沙から──月を信仰する今は亡き「受戒者達」の国の最高位「剣聖」が名付けた。月の民の名残り文字である言葉を用いた、と伝えられているそうだ。
私は──この名前をとても気に入っている。大切な人達が私に残してくれた──今では唯一のものだから。
幼い頃は良く禁書庫に入り浸っていた。世界中の歴史、文献を読み漁り、禁書庫の全てを手当たり次第、記憶した。それは、人との接触を避ける口実には丁度良かった。ルクセリアの禁書庫で丸一日を終える、なんて事は当たり前。誰にも会わずに済むのならそれが一番いい──そんな事を考えながら、あの日。
私の人生が大きく反転した。
ー海上暦百八十二年後期 ルクセリア卿国 桜花の記録ー
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ルクセリア卿国からおよそ二週間程西に進むと、小さな島が連なったロクリアン諸島がある。一つ一つの小さな島が集まったこの小国では、隣国のルクセリア卿国が最大の輸出先であり、物資の多くをルクセリア卿国と依存し合っている。
一月に一度、この海域には霧が大きくかかる周期があり、近海の脈獣と呼ばれる獣達が息を潜めるのに合わせて、隣国との交易を行なっている。
そんな小さな島国に、交易の拠点となるフィラッチェというロクリアン諸島の玄関口でもある交易所があった。隣国から到着する船などは全てここを通り、諸島内に物資が振り分けられていく。小さな島とはいえ、「安定期」には連日人で溢れる小さくも活気のある場所。
この世界では手紙などを送る際、方位結晶という小さな結晶を手紙と一緒に添えて送るのが一般的だ。送り主を想い描き、その結晶に脈という力を込めると送り主の方角に光が差し、方向を教えてくれる。ただ、手紙を送る際、その結晶に「手紙を送る者の脈と、受け取る者の脈」を、あらかじめ込めておく必要がある。そのため、手紙というよりかは想い人の安全を確認するなどの方が一般的な用途であり、手紙を利用するのは貴族出身者など、位の高い者達しかあまり利用しない。そんな方位結晶が同封された手紙を、銀髪の青年が配達の男から受け取る。配達の男は肌が赤く焼けており、海上での生活が長い事を伺わせた。
「アンタが…受取人の──ソウナか。間違いねえな?ここに受け取り確認のため脈を込めてサインしてくれ」
肌が赤く、長い間海風に晒された配達人の男は、受け取りが完了した事を証明する方位結晶と同じ、小さな平たい結晶を取り出す。この石に、受け取りを証明する脈を込める事で発送先の国の役所に届け出る事で報酬が貰えるのだ。
「──ああ、ご苦労様。確かに受け取ったよ」
「へへっ......今回は移動も少なくて楽させて貰った。また頼むぜ」
手紙にはルクセリアの家紋──。歩きながら、指先に脈を少しだけ込め、刃物の様に纏った粒子を硬質化させると一息に封を切った。中には、見覚えのある方位結晶と上質な紙、美しく彩られた縁に、整然と文字が並んでいる。
「奏梛様。突然のお手紙に驚かれた事でしょう。早いもので、あれから十年が経ちます。本来であれば、連絡する事は控えるべきだと十分理解しています。ですが、ルクセリア卿国は来月、大きな建国パレードを予定しています。もし、奏梛様の【龍脈周期】に上手く合致できるのであれば、一度是非こちらにいらしては如何でしょう。志弦様の事もあります、彼女との接触は望まれる所では無いのは、十分に理解しております。ただ…成長した志弦様の姿を一眼、ご覧になって頂ければと筆を取りました。息災でありますように」
「────」
何度か読み返しながら、いつしか歩みを止めて道の真ん中で思案する。繰り返し目を通したその手紙を再度開くと、うっすらと文字と文字の間に脈を指先でなぞる様に広げた。整然と並んでいた筈の文章は組み替えられ、模様が浮かび上がると、文字と文字が上質な紙の上でもう一つ文を紡いだ。秘匿文章だ。
「現状この十年、ルクセリアには、彼の国からの干渉はございません。安心なさってください」
「………」
男は人混みの中、誰にも聞こえない様に一言呟くと、踵を返してその場を後にした。向かう先は移動船の発着場だ。
「──爺さん、次の船はいつ出る?」
「ちょうど明日の朝一で出発するよ、乗ってくんならそこの名簿にサインしな」
「…ああ」
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ルクセリア卿国三階 ー禁書庫ー
禁書庫に向かうと、まだ目を通していない文献を探しに本棚を見上げながら、ゆっくりと古くなった木の香りを確かめて禁書庫を一周する。もう殆どが目を通してしまったのだけれど──今、私の興味を強く惹くものがある。「月沙」に関する書物だ。関連書物を一通り漁っているが、もう残り僅かで情報は途絶えてしまう。焦燥感の様なものが少し胸の奥でざわつく。どうしてだろう、なんて事はない数ある歴史の一つの筈なのに。思案しながら目的の文献を胸の前に抱えながら、集め終わると決まったテーブルに本を広げ、ゆっくりと目を通す。
この場所、この席が私のお気に入りだ。この書庫を見渡せる中央の広間に広がる「剣」を模したテーブルの柄の部分にあたる場所。少しだけ──部屋は暗めではあるが、本の状態を維持するための風通しも良いし、とても静かに過ごす事ができる。禁書庫内に響くのは本のページを捲る紙擦れの音と、遠くから時折聞こえる波の音──全ての均衡が心地よい私の心休まる場所。勿論手入れも自分で行なっている。陽射しが適度に続く日などは、古い文献を陽光に浴びせて、本が傷まない様に管理もこなしている。この城の誰よりも、この場所を熟知している自信がある──というか知っていないといけないし、母様にもこの場所に出入りするのであれば──と、管理を任されていたから。
並べた書物を積み上げてテーブルに広げると──ここ数日、特に夢中になって読んでいた「月沙」に関するページを──あった。これだ。
「月沙の民は生まれつき必ず楽器の適性があり、自身の名に月沙に関係する文字がある者は、自分の器として楽器を媒介に式と脈を操っていた。月沙の民のその力、希少性や、能力、異質性からそれを欲する者も多かったが、その本質は奏者……」
ここで文字が霞んでいて判読できない。「はぁ」と息を吐き、関係のある文献をまた読み漁るも、関連する記述のある書物は他にはもう見当たらず、時間だけがいたずらに過ぎていく。もう、めぼしい棚は全て調べ尽くしてしまった。
「…どこにも、ない──試してみるしか、ない…けど…楽器なんて…どうやって手に入れれば…」
「────」
私は一人思案し続けるが、都合よく解決する方法、誰にも会わずに──等、幼い私には考え付かなかった。普段から人と接する事を、できるだけ可能な限り避けているのだから。だって、それは相手の表情や仕草から──必要以上の情報を得てしまうから。そう、それは家族とて例外ではなく、だが、頼れる人といえば、それこそ母くらいのものだ。でも──一度湧き出した、この探究心は収まりそうになかった。
「…母様に…」
「────」
沸き立つ探究心と、具体的な方法を思案し、頭の中で二者が睨み合う。思考が減速していくのを感じる。煮詰まってしまったのだ。
一度こうなると、何か気分を変えるしか──
すると、耳にどこか聞き慣れた、懐かしい旋律がうっすらと、だが確かに聞こえてきた。普段は波の音か、自身の吐息が響くくらいには、ここは静かな場所なのに。たまに、階下の演奏などが聞こえてきたりもするけれど、意識を奪われるほどでは無かった。なのに、この旋律は──どこか懐かしくもあり、憂いを感じさせる。心の何処かがゆっくりと、波紋を打ち揺らめき出す。
どうしてか、その旋律は強く私の興味を引いて、掴んで離さなかった。こんな感覚を覚える事は久しい、いや初めての事。胸の辺りに手を当てて、皮膚の下、その奥から、トクン、トクン、と鼓動が早まるのが分かる。
私はその音色に惹かれるまま、無意識に──普段は滅多に自分から出ることのない禁書庫の扉を開け、音色に誘われた。