全休符 「弍」
「あんな綺麗な絵、初めて見た…ねえ、貴方の名前は…?」
「──────」
「どうやって…あの色を…?それにこの景色───私、見たことあるんだ。ねえ、名前ッ!教えて?」
「──奏梛…ただの、龍脈中毒」
「ふふッ…じゃあ…私も、ただの胡桃──ねえ、此処は貴方の家なの?」
奏梛は突然現れた少女の所作を注視している。不可解な事にこの少女が訪ねてきてから身体の症状が和らいでいる様な───。
「──ねえ、その毛皮、暖かそうだね」
「……」
「───私も、ほらッ!」
少女はフードが付いたコートの袖を捲り上げて、腕にひしめいた紋様を見せる。奏梛にとって何も驚く事はない。ただの受戒者だった。ルーグリッドには龍脈中毒者、受戒者や天災の被災者など、特段珍しいものではなかった。
「──で、アンタ...さっき言ったな…。この景色を見たことがあるって」
「ん?」
「ッああ!!」と胡桃は突然大きな声を上げ、左手の指先から流れる血を見せつけて悲しそうに視線を落とす。
「──さっき降りた時に擦りむいちゃったのかなッ?!指先が切れてるッ!これじゃあヴァイオリン弾けないよ…」
「アンタ…怖くないのか。受戒してるのに」
「怖くないよ」
即答した。この世界でこの問いに即答できたのは後にも先にも彼女だけだった。ボサボサに伸び切った髪にしては妙に艶やかで、飾らないその態度に物怖じしないその喋り方は今まで出会った事のないーー何処か気品も感じさせる。
「…狂ってるのか、元からなのか、わからないな」
「うん、多分、そう」
「なに…?」
「……私は何処か壊れてて──」
「意味がわからない」
「そうやって警戒し続けるの、疲れない…?大丈夫、殺したり襲ったりなんかしないよ…。というか、むしろ私が襲われる側…?」
首を傾げながら、胡桃はとぼけているのか本気なのか判別がつかない。だが、嘘がない。自然と、つい先程までの取捨選択を迫られていた心臓が、ゆっくりと柔らかに鼓動を打ち続けている。奏梛は自分の胸の鼓動を確かめながら、目の前の少女の一挙手一投足を目で追う。
「──────」
「アンタが警戒しなさすぎなんだ…それに──俺は…昔から極度の緊張状態や興奮状態になると、記憶が抜け落ちる事が──」
「──ええッ?!奏梛怖い」
「…良いから聞けよ…アンタの前だと記憶は抜け落ちる心配が無さそうだって言いたいんだ…」
「……うん」
「だってわたし、これでもーー」
「危なッ…!!」
大きな轟音と共に僅かな光が差し込んでいた天井床が突如崩れ落ち、俺たちは地下に閉じ込められた。咄嗟に覆い被さり、胡桃が瓦礫の下敷きにならない様に庇った。左脚の感覚がない。折れたかもしれない。
「…びっくりした…...」
「怪我は…?」
「だいじょうぶ」
「…受戒者の私を助けるなんて──奏梛もどうかしてる」
「言ってろよ…」
「ねえ、わたしまだ一階の絵、隅々まで見れてない」
「──奏梛、続き…描いて?」
「……」
「こんな暗闇で描けってんじゃないだろう…」
「お互いにさ…長くないなら…死ぬまでの間…」
「──会ったばかりの奴に…何言ってやがる。それにおれは一人で静かに…死のうと思っていたんだ…邪魔してくれるな」
「素直じゃない…」
暗闇でお互いの表情がはっきり見えているわけではなかったが、目の前の少女は頬を膨らませ此方を見ていた。
「奏梛の眼の色──変わってるね」
「────」
「私も───持ってるんだ」
「……」
胡桃は指先に小さな脈を集め出すと、白と黒以外の──薄紫の脈だった。
「──お前…その色」
「もう、奏梛!お前とかアンタとかッ!胡桃だってばッ」
「────」
しばしの沈黙が流れた。
「私も…選ばれた…なり損ないだよ」
「奏梛も──多分そうだよね…?」




