第十五小節 da capo 「一緒にいたい」
私たちは常に一緒だった。若様と出会った時の事は正直あまりよく覚えてない──。ううん、嘘。本当は覚えてる。でも口に出してしまうのが怖かったの。出会った時の事を話す時───必ず、別れが近くなる気がしていたから。
だから、私は最後の最後まで言わないって決めている。出会った時の思い出は胸の内にしまっておこうと思う。口に出してしまったら、それは思い出じゃなくて過去に変換されるんだ。いつまでも昨日の事の様に思い出しているんだから。私にとっては過去じゃないの。昨日───いや、今日の様に、鮮明で美しいの。
もし、伝える機会が来てしまったのなら。それは私ではなくて──から聞いてほしいなって──。
若様──私は、二人で過ごした時間の一つ一つをちゃんと覚えてるよ。もしかすると、若様の方が生きている時間が長かったから──。私が覚えていない事、出てくるかも、しれない。もし私が覚えていない事を思い出したって確信が持てたら。その時は…あの場所でまた──。
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「──────」
「……様!」
「───胡桃様っ!」
「……んっ……」
「起きてくださいッ!」
目が覚めるとそこは、石造りの天井。私達の故郷には、こんな綺麗な石は無かった。よく見ると赤く斑点の模様が飛び散っている。こんな綺麗な石に、こんな斑点は、似合わない。
月沙は受戒者達の国。資源も限られていた。だけど皆で協力して、一つずつゆっくりと、少しづつ築き上げていったよね。今でも、覚えてるよ。グローザ、スズレも集まって、皆の住むところを一つずつ夜通し建てていった時の事。最後には皆疲れ果てて───。
毎回屋根だけ先に作って、ダラダラと喋り始めてご飯とか作り出したり。楽しかったなあ……。何日もそんな状態が続いて───突然黙々と作業を始めるんだ。ふふっ。
「若様……」
胡桃は意識が戻ってくると同時に全身に激痛が走り、一瞬で夢の中から現実へと呼び戻される。身体中の至る所が上手く動かない。殆ど自由の効かないその身体で、全身の感覚を一本の細い糸を手繰り寄せる様に、ゆっくりと状態を把握した。結果は見るまでも無い。四肢の全てに文様が刻まれている。
受戒している──。
私はどこか呑気に当時、若様にかけてもらった治癒式を思い出す。二人で初めて作り上げた式を、最初に試したのは私自身だった。若様は、とても反対していた。
「もしもの事があっては困る!自分でまずは試す!」と言って訊かなかったよね…ふふっ。あの時からだよね...私達の周りが加速しだしたのは───。
「──────」
「…若様……久我音...」
「うぅっ…ゲホッ…ゲホッ…」
身体中に響く痛みに耐えながらなんとか辺りを見回す。誰もいなかったーー。生きている人が、誰も。部屋中に、血の跡と切り刻まれた遺体が転がっている。私が運び込まれた時に居た人たちが、床に伏してーー。血生臭い、独特な香りが室内に充満している。霞んでいる───が、見覚えのあるシルエットが此方を見下ろしている。
「目が覚めましたか…?胡桃様───」
「……」
「……流花…?」
「はい…」
「……」
「そっかぁ…生きててくれたんだ…よかっ…!ッぐ……」
呼吸が上手く出来ない。私の身体が悲鳴をあげている。この感覚は、かなり危ない時のやつだって知っている。何度か経験した事のある、死の足音。香り。浮遊した感覚。海の底より深い深い処に、ゆっくりと沈んでいく───。
「ーーねえ、皆は…?若様は…それに久我音は……」
「安心してください。若様は、無事です」
「そっか……私…ははっ……これ…このままだと死んじゃう、かも……」
「──死なせませんよ、絶対に。ーーーーまでは」
言葉が上手く聞き取れなくなってきてる。私の身体の奥深くに重しを乗せられてどんどんと沈んでいくような抗えない感覚。感じているのはただ、潜り続けていくような、私の身体から光が抜けていくーー。
「あのね……流花」
「──ダメだなぁ。やっぱり流花は、嘘が下手、だぁ……」
「──────」
「…全くあなたという人は…」
「…若といい貴方といい……本当に頭が下がりますよ、その状況把握力には」
流花の体から黒の粒子が溢れているのが見える。それは、あの国にある、つい最近眼にしたばかりの脈ーー。見間違える訳なんてない。そうか───裏切られた事実は酷く冷静に、心には波一つ起こさない。わたしは、何処かで、この事態を予想していたのだから。だけど、どうしてあの時──。
「ねぇ……私達と一緒にいて……少しでも流花は笑えたの、かなぁ……」
「───」
「き、気付いてたよ……グローザは多分……自分の意思じゃない……流花は不満があっても中々口に出してくれなかっ、た……っぐ……」
「──────」
「私達ってどこまでいっても……どれだけ時代の変わり目を見てきても……世界からはみ出し続けた、ひとりぼっちの集まりだった……でも若がッ……ぐッ......私達、を、まとめてくれて、いつだって……私はその中心で…………月沙が落ち着いたら、誰もいない…見たこともないところで…」
男は胡桃の胸に、刻印が掘られた片刃の短剣を突き刺し、ゆっくりと、深く深く、突き立てていく。その短剣を伝うように、脈が溢れ出し、部屋中に薄紫の脈が命と共にこぼれ出す。グラスに注いでいるはずの水が、底が抜けていって───私が───溢れていく。
「……!!」
「ゲホッ……ゲホッゲホッ……はぁはぁはぁ……!」
「ふふっ……」
「…今際の時まで笑顔とは、やはり貴方達は───少しは苦しんでくれないと、ここまでして仕込んだ甲斐というものがないですね…」
「........はっはは...苦しんで、あげ、ないよ、流花...ふふっ…みんな、これだけ一緒にいても…分かってないんだ…若、様...が、放っておくわ、けないんだ…からっ…」
「…若は来ませんよ、此処には───」
「絶対に来るよ」
「………」
わたしが危機の時、今までだって一度たりとも───
「…絶対に…駆けつけて…くれる…んだから」
「…貴女は今、自分がどういう状況下に居るのか、今一度理解された方がいい。この短刀はご存知でしょう?…まぁ、良いでしょう。直ぐに──」
その時、甲高い空を切る様な音が響いた。胡桃の胸元に突き刺してある短剣が突然動かなくなり──、違和感を覚えたのと同時に。自身の視線がゆっくりと周りながら、足元までくるくると落ちていく感覚に襲われた。視界の位置が急に下がって、自分の足の後ろにもう二本の脚が見えて──。その表情は人知れず虚空を舞って鈍い音と共に落下した。
其処には、全身が傷だらけの男。息を荒げつつも両の手に不思議な形の二本の武器を携えた、銀髪の青年が肩を大きく呼吸で上下させながら立っていた。
「まったく…どこまでも規格外…な..人…ですね…」
「───胡桃ッ!!」
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ほら…やっぱり来てくれた。だから言ったのに。やっぱり私が一番解ってるんだから。
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「っ…遅い…待ちくたびれた…」
「待て、喋るなッ!」
「──そんな傷だらけで…ははっ…私達、二人ともぼろぼろ……だね……ねえ、奏梛って、久しぶり、に呼びたい…な…いい...?」
「──当たり前だッ!胡桃が若なんて似合わないんだよ…!」
何時ぶりかな、彼の涙を見るのは───確か最後に見た時もわたしが原因で──。思い返すと私、心配かけてばかり?だったかな。
「......ねぇ、奏梛…泣いてる…ね」
「ぃいから…!黙ってろっ…!」
「───奏梛でも、無理、なら流石に...諦め、ちゃいそ、う…だ」
「私の、お腹に宿った子はさ…っ多分私に似てとっても、わがままで、かわい、くてさ…っ」
「いいから喋るなっ!!」
「…だって…」
まだ伝えたい事、たくさんあるの。これだけ長い間一緒に居たのに──わたし、一番大事な言葉、伝えられてない。今を逃すと、もう伝えられない気がしてるんだ。
「───待ってろ胡桃…今すぐに治してやるからなっ!!」
「ほ…ホントかなぁ…そんな事言われると…き、期待…しちゃ、うよ…?」
「──俺がッ…!胡桃の期待を裏切った事、なんて…一度も無いだろう…ッ!」
「はは…それ、自分で言っちゃうんだぁ…なんか今日の奏梛…昔の奏梛みたいで…っ…ふふっ…好きだよ、それ…」
違うの。もっとちゃんと。伝えないと。わたし、こんな時まで勇気が出ないなんて───
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ねえ、奏梛。私のお腹に宿った命はさ。奏梛が必ず護ってくれるって信じてる。何があったって必ず。だから心配はしてないんだ。
でも……今日、初めてだね?───私のお願い、叶えられないの。
完璧すぎるんだよ?何時も。スズレはいっつも困ってたんだから。力になりたいのに、隙が無いって。グローザも、表情には出さないけどさ…私にはずっと愚痴を零してたの、知らないでしょ…?
奏梛...知らないでしょ、私が奏梛の事、本当に大事だったって事。ねえ、このお腹の子は「私達の子」だよね?
名前は───前に決めた通り「志弦──」
私がヴァイオリンが好きだったから、その弦をさ──多分私に、似てさ……
ごめん…奏梛…。
もう───よく見えないや…奏梛の…顔。
でも、見えなくたって…心の中で皆の笑顔が焼き付いてる。
───どうしよう、ねぇ...。
やっぱりもう少しだけ、一緒に居たい、かも───。
執着、してる。
私...ひさしぶりに一人、かぁ…。
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「…き…だよ…」
「──胡桃ッ!!駄目だ!目を閉じるな…ッ!!胡桃ッ!!」
治療式をやめて、腰の二対の刀の封印を強引に破った。後の体への影響などは度外視してーー。瞬間、胡桃のいる空間が抜き取られ、そのままで保存されるが、反動で身体中の出血が止まらない。だが、構ってなどいられない。絶対に一人では行かせない。「約束」したのだから──。
「龍還を強制的に行い、身体は滅びても意識だけを残せれば──!!胡桃の今の状態で耐えられるかどうか...!」
奏梛は部屋中に隙間なく立体的な式を書き出し、瞬時に展開。更に式の上に式を重ね、かつてない規模の巨大な脈を集め出す。ルクセリア周辺の海は剣聖の行う式に同調するように、大きくうねり出し、天候が急激に変わり、ルクセリア一帯が天災の様相を見せ始める。立っていられない程の脈がこの小さな室内に満ち溢れていく。
「──絶対に…ッ!!!」
奏梛が身体中の全ての脈を絞り出していると──。
大地全体が、奏梛の脈とは別の何かと共振を始める。
奏梛の式に呼応する様に、大きな鐘の音が世界中に鳴り響いた。そう、十三年に一度起きる「選民」の鐘。この世界に住まう者であれば、皆知っている。この鐘の音が鳴り止むまでは、この事象に干渉が不可能な事を──ある一つの国を除いて。
凄まじい轟音と耳をつんざくような不快な鐘の音が、鳴り響いて地鳴りを続けている。胡桃の腹部に真っ直ぐに上空から突き抜けてきた純白の光が集い、目を開けていられないほどの光が辺り一帯を包み込む。光を遮るように、奏梛は障壁を無理やり展開し、光を遮断しようとしているが、抑えきれずに一枚、また一枚と障壁を貫通していく。
「───やめろッ!!…こんな所で選民なんて!!!胡桃の命が保たないッ!!!」
「どうして今なんだ…!!!止めろって言ってるんだッ!!!!!!!」
何度も、繰り返し、空に向かって叫んでいる。奏梛は月から降り注ぐその光を遮るように、自身の脈と全ての力を持って、二対の刀を地面に突き刺し、無理矢理に「神骸」を同時に呼び出そうと試みるが──。奏梛にはもう、神骸を呼び出す様な脈は残っていない。代替出来るもの。それは自身の命そのものしかない。
「───早く来いッ!!ゲンティアッ!!!!!!!」
半ば強引に呼び出しを行おうとして、奏梛の身体が細かく弾け飛んでいる。集まり切っていない脈が粒子となって、行き場が安定せずに空間に飛散し、収束してを繰り返す。
「──ゲンティアッ!!さっき話した通りだ!!俺の半分を喰らって良い!!…来いッ!!!」
空間に歪な歯型の紋様が再度現れ、その空間の割れ目からドラグナド・ゲンティアが姿を表す。強制的な召喚のため、ゲンティア自身の身体も脈が集まりきっておらず粒子化しており、存在が不安定極まりない。お互いにそれは承知の事だった。ゲンティアは顕現するとすぐに、奏梛の脈を補助し選民の光を遠ざけようと強引に式の力を底上げしていく。
奏梛と同じく、ゲンティアの体も一部が弾け飛び、身体中が裂けだしている。
「待てッ!!奏梛よッ!!これは龍還と選民が同時に...!妾の力でもどちらかしかッ!!」
龍環をすれば胡桃は助かるかもしれない。龍環とは、龍脈に自身の意識を投影して、別の体へと渡り歩くための方法。選民を受け入れれば今の胡桃は死に、代わりにお腹の子供だけは助ける事ができる。本来健全な状態ですら負担が大きいとされるもの。この状態の胡桃が無事でいられる保証がどちらも無かった。
「──何言ってやがるっ!!両方助けるに決まってんだろッ!!講釈垂れる暇があったら、さっさと俺の命を喰え!!」
「どうなっても知らんぞっ!!これだけの規模じゃッ!!今後其方にどんな影響があるかっ...!」
「くそッ!妾はあの時伝えた筈だ奏梛!!ええいっ!どうしていつもこうなのじゃッ!!!」
「──こんな終わり方ッ!!妾は許さぬぞ胡桃ッ!!」
半身が獣の少女と銀髪の青年はこの世界の摂理に逆らうように、選民を否定し胡桃の存在をここに留め置くことに全力を費やす。五分五分といったところだった。胡桃の脈はもうほとんど消えかけて残っていない。先程流花が突き刺した短剣が妙な光を放ち続け、胡桃の身体の奥へと、どんどん沈んでいく。せめて子供の命だけでも──。ゲンティアは胡桃の保護に回していた脈を奏梛の静止を振り切って、お腹の子供を守る方へと費やす。
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奏梛はずっと泣いてた。
奏梛…一生懸命やってくれてるの、わかるよ?
どうしようもない時ってやっぱりあって───。
一応これでも、不老の力が少しあったはずなんだけどなぁ。
最後まで言えなかったな。
ね、ね、奏梛。最初にあった時の言葉──。
やっぱり、今、言って欲しいなぁ...。
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上空から降り注ぐ光が段々と減衰していくのと同時に、鐘の音が徐々に遠く木霊していく。辺り一帯を巻き込んでいた天災さながらの天候も徐々に落ち着きを取り戻し───雨の音だけが、ずっと続いている。風は吹いていなかった。雨だけが、ずっと頭の奥を打ち付けるように。静寂をかき消して降り続けていた。
───もう。何も聞こえなくなるまで。




