エピローグ 青蓮院と琴音
──その日の夕方──
「また明日ねー琴音っち!」
「うん、バイバーイ!」
家の前でクラスメイトに元気よく手を振ると、青蓮院琴音は静かに自宅のドアを開ける。
するとどうだ、つい先ほどまでハツラツとしていた彼女の気配が一転する。
「……ただいま~」
蚊の鳴くような細い声で、頼りなくそう呟くと、のろのろとリビングに歩いていく。
まるで覇気がない。幽霊に取りつかれている、あるいは幽霊そのもののような頼りない足取りでソファに座り込む。
「……疲れた~」
「おかえりなさい、琴音」
ぐったりとして動かない琴音に、母が淹れたての珈琲を差し出す。
ノロノロとそれを受け取り、ゆっくりと喉に流し込んでいく。
「あなた、いい加減にその性格何とかした方が良いんじゃない?いつか限界が来ると思うけどね」
「……私だって、好きでやってるわけじゃないもん。人目に晒されると、ついついその人たちの期待通りに体が動いちゃうだけなんだから……」
深々とため息をつき、今日一日の疲れを吐き出そうとする。
呆れたように、母。
「まったく、あなたは小さい頃からそうだったわね。極端なアガリ症で、人前に立つと無理して張り切り過ぎるのよ。もっと自然体でいればいいのに」
「……仕方ないでしょ。本当に人前が苦手なんだから。見られてる、と思うと頭の中が真っ白になって、自分でもどうしようもないんだもん」
頬を膨らませ、母親を睨む。普段の彼女ならばまずやらないような仕草だった。だが、これこそが琴音の偽りのない本性だった。
「ここ数日は、それでも元気にして帰ってきたから少しはましになったと思ったのに、また逆戻り?」
「……ていうか、あれは……よく分からないんだけど……」
肩を落として、手元の珈琲を一心に見つめる。
あの時飲んだマスターの珈琲の味と、誰もいない非常に心地よい喫茶店の空気を思い出していた。
「クラスメイトの佐藤くんだったかしら?彼と過ごしてた三日間は、随分とリラックスしてたみたいじゃないの。ひょっとして……」
何かを勘繰る様な母の視線に、冷たい目線を返しながら反論する。
「……そんなんじゃないわよ、多分。よく分からないけど、彼って自己主張が弱すぎるのよ。だから、なにも要求されてないってのが分かって、無理に張り切らなくても良いって気分になるのよ」
琴音はそういうが、事実は全く異なる。
彼ほど琴音に対して強烈な思いを抱いている男はいないだろう。しかし、それを上回るほどに目立つのが嫌いな彼は、隠すのがうまいだけなのだ。
結果として、琴音は彼の前では本当の自分を少しさらけ出すことができた。
他の人間の目がある間は無理だったが、金曜日の喫茶店での一時は、琴音にとって奇跡のような時間だったのだ。
「それにしても、今日はまた一段と疲れてるわね。とにかく、さっさと着替えていらっしゃい」
「……うん」
促されるままに、自室に戻る。
母には何でもお見通しだった。確かに、この24時間は琴音にとっても強烈なインパクトを残していったのだ。
「……はあ」
部屋に戻り、再び深いため息をつく。
朝の宣言。少しやり過ぎたのか、と反省する。人前に出るとついついやり過ぎてしまう琴音にとって、一日の終わりにあまりの恥ずかしさに頭を抱えるのは日常茶飯事だった。
だが、今日ばかりは違った。自分を見ている他人の願望を無意識に反映しているのではない。あれは、まごうことなき彼女の本心だった。
「……でも、やっぱり驚いたわ。本当の本当に……驚いたんだから……」
椅子に腰かけて、PCを立ち上げる。世界で一番落ち着く場所がここだった。
昨日寝る前に確認していたwebサイトがそのまま残っていた。無論、彼の残したラブレターのページだった。
「……まさか、あの作品の作者が、私のクラスメイトだったなんて……」
投稿された2103通の手紙にはすべて目を通していた。本数こそ多いが、一通自体の分量はそれほどでもないため、読み切ることは不可能ではない。
なにより、文章があまりに多彩で読みやすいため、あっという間に読み切ってしまうのだ。
最新話にカーソルを当て、しばし躊躇う。
『感想』を送るか、逡巡しているのだ。
「……やっぱりだめ!」
タッチパッドを軽くこすり、枠外へポインタを追いやる。
名前も知らないラブレターの作者だが、感想やDMを送ることでコンタクトをとることができる。
朝に宣言したように、わざわざ現実世界で作者を特定する必要はないのだ。
だが、それがどうしてもできない理由が琴音にはあった。
「……まったく、不親切なwebサイトだわ。一度登録したハンドルネームは絶対に変えられないし、別名での新規登録もできないなんて……!」
先ほどと同じように、不満げに頬を膨らませ、モニターの一点を憎々しげにグリグリと指でねじる。
そこには、webサイトに登録してある彼女のハンドルネームが記されていた。
エドワード=ノイズ
「……まさか、あの『雪の残り香』の作者が私のクラスメイトだなんて思いもしなかったわ。もっと成熟した、大人の男性だと思ってたから……」
毎日のように人目に晒されるストレスに耐えていた琴音にとって、『雪の残り香』を読んでいる時間だけが唯一自分を取り戻せる大事な時間だった。
繊細で他者の心の機微まで理解できるような美しい文章に肩まで浸り、心身ともに癒される日々だった。
この小説がなければ、琴音の心はとうの昔に壊れていたかもしれない。
自分の支えとなる、素晴らしい作品を生み出してくれた作者に、琴音はいつの間にか心を寄せるようになっていた。
顔も、名前すらも知らない相手に、恋をしていたのだ。
「……同い年だったなんてね……」
だから、あのラブレターが公開された時、世界中で誰よりも驚いたのは琴音だった。
無理もないだろう。恋をしていた見知らぬ作者が、実は自分のクラスメイトで、しかも彼も自分に好意を寄せてくれていたのだから……。
喜びと衝撃で、その場で卒倒したほどだった。
気を取り戻してから、彼女はすぐに作者にDMを送ろうとした。
今まであなたの小説のファンでいたエドワード=ノイズこそが、青蓮院琴音であると。
「……でも、それはできない……だって……怖いもん」
webサイトの特性上、琴音が作者にコンタクトを取ろうとすれば、それは琴音がエドであることを明かすことと同義だ。
しかし、琴音にはどうしてもそうする勇気が持てなかった。両思いが確定しているのだから躊躇う必要はないはずだった。しかし……
「……学校での私と、本当の私。あなたが好きなのはどっちなの?」
琴音の悩みの根源はそこだった。
エドワード=ノイズとして感想を送っている間は、学校とは違う、奥手で引っ込み思案な"本当の琴音"だった。
もしも、手紙の主が恋しているのが学校での明るく誰とでも接する琴音だった場合、それは彼を幻滅させることになる。
つまり、告白にYESと答えた瞬間に、振られることになるのだ。
「……そんなの、絶対に嫌!」
かぶりを振って両肩を抱き、ブルブルと震える。
手紙の主が好きなのが"学校での琴音"だと思うのならば、朝の時間での宣戦布告は全くの無駄である。
なぜなら、あの場所で大声で"YES"と答えるだけで意思は伝わるからだ。
手紙の主が名乗り出ないのは、琴音がラブレターにどんな感情を抱いているのか測りかねているからだろう。つまり、琴音も相手が好きだということを伝えれば、向こうから名乗り出てくれるはずだった。
「……でも、ひょっとして彼が好きなのが"本当の私"だとしたら……?」
大勢の前で告白するような大胆な女だと思われ、やはり幻滅されるに違いない。
普通に考えれば、人前では常に"学校での琴音"として振舞っているのだから、"本当の琴音"を知られているはずがない。
しかし、琴音はそうは考えない。本性の彼女は、徹底的に疑り深く、ネクラなのだ。
「……あれだけ人の心を上手に描写する作者なのよ?きっと普段の言動に潜む、私の本性を見抜いているかもしれない」
でも、見抜いていないのかもしれない。彼が好きなのは、どっちの琴音なのか?
再びラブレターのページに戻る。
2103通もの恋文。実に多彩な表現で、一つとして重複がない。作者の底知れぬ文章力が伺える。
そして、何よりも琴音を含む読者が驚愕のしたは、2103通のラブレターのどこを探しても、彼女のどこが好きなのかが一切かかれていないという事実だった。
外見に言及していることはあるが、内面に踏み込んだ描写は一文も見つけられなかった。
それでこれだけの文章を成立させているのだから、底抜けに飛び出た才能である。
「……もう、わざとやってるのかしら!?」
ぶーっと頬を膨らませ、モニターを小突く。
昨晩ひたすら考えたが、やはり結論は変わらなかった。
現実世界にいる作者を見つけだし、本人に悟られないように"どっちの琴音が好きなのか"を聞き出すしかない。
「……必ず、見つけ出すんだから。そして、あなたの理想の私を、貫いて見せるわ」
そう言って、PCの蓋を閉じる。
こうして、2103通の間違いラブレターから始まった恋物語は、
この後に学院や商店街、果ては出版業界を騒がす大事件へと発展していくのだが
それはまた別のお話
短編にしては長かったので、短期集中連載と言う形にしました。
想像以上にご好評頂いたので、続編、というか完全版で連載を始めようと思います。
その際はここで告知しますので、良ければ読んでやってください
10/4
好評だったので、設定を一部書き換えて完全版の連載を始めました。こちらでは、二人の恋の行方を最後まで書ききる予定です。
https://ncode.syosetu.com/n3456hw/