【安心】新・物語構成論【PASONA】
Problem(問題)
いわゆる「なろう小説」などを対象に、相変わらずネット小説叩きが続けられています。
実際、ネット小説という呼称自体にある種の軽蔑が含まれているでしょう。そしてその言葉を発するのはやはり、どちらかと言えば紙の本で思想形成した世代、おおむね、そういうことになるでしょう。ところがここで、妙なことに気づかされます。実は出版不況が叫ばれて久しく、むしろ紙の本のほうがオワコンだという一面があるのです。そう考えますと旧世代によるネット小説叩きは、何やら八つ当たりじみた印象を帯びてくるような気がします。
とはいえ、降りかかる火の粉は払わなければなりません。
そこでこの小論ではお前は間違っている、故にわたしは正しいという旧読書人層のあのやり口ではなく、ネット小説の側で積極的に価値を立て、その価値を高く掲げていくという方法を採りたいと思います。
実はネット小説には明確なロジックがあります。
より広範にネット文化に採り入れられていた文章作法を、ネット小説も経験的に採り入れていたのです。つまり、現在文書作成の標準になっているそのテクニックが明確であるが故に、逆説的にネット小説はどれも同じだ、ワンパターンだと叩かれ続けてきたというわけです。ではそのテクニックとは?
ズバリ言ってしまうと、最近ネット起業家の皆さんが YouTube などで無料講義をあげている、セールスライティングだということになります。
まずネット小説のテンプレだと指摘され叩かれている諸要素を抽出し、それらの諸要素を並べ替え、幾つかのクラスに分け、統合などを繰り返していくと、それらがやがてセールスライティングの諸要素に収斂していくことが解ります。
ですがその説明に入る前に、もう少し現在の対立状況を再確認しておきましょう。
Agitation(煽りたて、焙りたて)
悪口雑言を浴び続けているネット小説ですが、そうした批判者側によってネット小説に対置されているのは、相も変わらずリベラルを気取った他者とのコミュニケーションの称揚、ハーレム批判、根拠もなしに自分たちを質的少数者の立場に置いた上でのいわゆる昨今の全体主義的傾向への警鐘など、いつまでやっているつもり? としか言いようがないような、フランス現代思想系の諸言説です。
確かにコンピュータ RPG のステータス表示がなんの説明もなく出てきてしまうような描写は他者との真剣な対話を回避しているようにも見えるでしょうし、ハーレムは女性たちをカタログ化し商品化しているようにも見えるでしょう。異世界転生、悪役令嬢、追放、はたまたスローライフなどなど、ランキング上位を同一傾向の作品が席巻してしまう状況も、全体主義的と言えば全体主義的なのかもしれません。
とはいえその種の諸批判は、そのままリベラルやポリコレ野郎たちにも言い返してやれるようなことばかりです。
たとえばルサンチマン、パラノイア、承認欲求などといった言葉で一方的に相手を切って捨てるやり方は先のステータス表示以上に安易なものですし、大衆、民衆などといった言葉をなんの躊躇いもなく使用してしまう傾向も一人一人の個人を観ていないひとの物象化、データ化です。また朝日新聞などをざっと読めば、常に一様に、そのときの世相の右傾化が叫ばれています。
Solution(解決)
リベラルたちの上記のような態度こそ他者との真剣な対話を回避しているように思えますし、ひとをモノ扱いするような思考枠組みのように思えますし、ある集団が皆一斉に同じことを書く旧来の政治セクトの機関誌の紙面のようにも思えます。ネット小説への批判に対しても、まったくどの口がそれを言っているのでしょう? としか言いようがない気分です。
対してセールスライティングではそもそも相手に購買行動を起こしてもらわなければならないわけですから、すでに論壇、文壇などを独占し、その状況に乗って自分たちが言いたいことをただ書き散らしていればいい従来のリベラルたちとは、わけが違います。
またリベラルたちはアドラー心理学なども援用し、いわゆるネトウヨ叩きなども行っていますが、セールスライティングは心理学という大枠を通じてそのアドラー心理学ともつながっていますから、リベラルたちが性懲りもなく芸術にコマーシャリズムを持ち込むな! などと叫び出した場合は、上に示した諸批判同様、そう言うあなたがついさっき言っていたことに依れば、と切り返すことが可能でしょう(まあそれで黙ってくれるようなひとたちではないわけですが……)。
それでは実際にネット小説のテンプレだと言われている諸要素を、セールスライティングの型に流し込んでいく作業を行なっていきましょう。今回は例として PASONA の法則と呼ばれる型を用い、それを示していきたいと思います。
まず批判が絶えない長文タイトルについてですが、これは実はタイトルではなく、キャッチコピーだと見做すことができます。
PASONA の法則で言えば P=プロブレム、ということになります。
確かにマンネリ化してはいますが、死亡 → 異世界逝きという事態は尋常な事態ではありませんよね? リアルで起こったら当然大問題です。
『無職転生 ~異世界行ったら本気だす~』を始めとして『転生したらスライムだった件』などなど、比較的以前のまだ短めのタイトルの場合でも、その中でそうした大問題が提示されています。「追放され~」、「婚約破棄され~」という昨今のランキング上位も、タイトルの中で明確に、問題の提示を行っています。
同時にまた『無職転生~』の主人公は長いこと引き籠っていたところを弟を含む家族に追い出され、といった具合に、想定される読者への問題の引き寄せも行われています。
キャッチコピーでは快を得たい、あるいは不快を避けたいといった人間誰もが持つ二つの欲求のどちらかに訴求しなければならないのですが、いわゆる「なろう小説」では、後者の方向性での訴求がより多く行われているような気がします。
そして PASONA の法則はその後このままでは大変なことになりますよと展開されていくわけですが、「なろう小説」でもあまりいいスキルをもらえなかったり、そもそも雑魚モンスターに転生してしまったりと、安易な展開だと言われる割りに意外と困難な状況も提示されます。
これはまさに PASONA の法則の A、Agitation=扇動に当たります。
主人公の引き籠もりの原因となったいじめの経験が回想されたり、主人公を追放する馬鹿な勇者が実際の学校や会社にもいそうな嫌なタイプのキャラクターだったりというのも、想定される読者の状況に照らし、煽りたて、焙りたてを行っているのだと解釈することが可能です。
さらにこの A は最近、Affinity=親近感に置き換えられる場合が多いのですが、その場合でもそうした読者への歩み寄りは、実に興味深いものになります。
ところで PASONA の法則はセールスライティングの型の一つで、商品を売ってなんぼの文書作成法なのですが、ネット小説のクリエイターたちが売っているのは自分たちが書いた作品そのもので、離脱、あるいはブラバさえされなければそれでいいわけですから、問題を指摘し、さらにその問題を読者自身の問題として展開したあとは So、Solution=解決策として、何かモノを売らなければならないというわけではありません。
従って売るべき価値は普通の企業が売っている商品のように、どこか外部に、たとえばデパート、コンビニ、ネットショップなどに並べられているわけではありません。
それは作品自体の中に、引いては読者自身の中に見出されることになります。
駄目な女神にもらった糞スキルが使いようによっては案外イケているスキルだったり、現世から引き継がれた記憶がそのまま賢者級の知識になったり、といった感じです。
そこで読者は高級車を運転するひとたちやブランド品を身に着けたひとたちと似たような自己肯定感を得ることができますし、また、商品自体がすでに自分が持っていた価値であるわけですから、クーリングオフは効くのか? などといった不安とも、無縁です(まあもしも読んだ作品が詰まらかったら、時間を返せ! などといった問題が生じてしまうわけですが……)。
またここで PASONA の法則自体の中にどのように位置づけられるかはよく判らないのですが、セールスライティングの場合、読者の購買行動を後押しするために、しばしばすでに購入したひとたちからの喜びの声といったような第三者の視点が、引用されます。ネット小説においてこれも批判が絶えない何々サイド、何々視点といった閑話休題的な章の挿入が、実はそれらに該当し、読者をしてその読書を継続しようと決意させているのかもしれません。
Narrow down(絞り込み)
PASONA の法則では以上に続いて、実際に読者の購買行動を起こさせるため N、Narrow down=絞り込みの文章が書かれることになります。今だけ限定、100 名様限りといったような TV ショッピングなどでもお馴染みのフレーズがそれです。
ネット小説の場合読んもらえさえすればもうそれで商談成立なわけですから、そのようなクロージングへ向けてのさらなる文章はいらないような気もするのですが、たとえばこれも評判が悪いポイントくださいといった追記が、実はこの Narrow down に当たっているのかもしれません。
ポイントくれなければここでエタるよ、さらにはこの作品消しちゃうよ、ということになれば、確かに期間限定になりますよね? ポイント乞食などと言われながらも、この種の追記は、実は作者の強気の姿勢の表われなのかもしれません。
そう言えば先ほど少し、読書にかかった時間の問題に触れましたが、Narrow Down の部分では損失回避の法則というものがしばしば使用されるそうです。要するに得をしたいというよりはむしろ損をしたくないという人間心理についての法則なのですが、損失を被るような状況では、たとえリスクを負ってでも損失を回避するといったような傾向が、私たち人間にはあるそうです。ひと言書き添えることによってポイントが、私たちの想像以上に、得られているのかもしれません。
さらにセールスライティングではこの辺でプレミア戦略などというものも展開されるわけですが、これについても、セールスライティングそのものよりも TV ショッピングの例を挙げたほうがいいかもしれません。要するに今なら何々もおつけします! といったようなことなのですが、人気があるネット小説ではよく読者からイラストが寄せられ、それをページの中に貼っておくというのが、このプレミア戦略と同様の効果を上げているかもしれません。
もっともそうした状況の分析は、セールスライティングの観点から一旦離れ、より俯瞰的に、シナジー効果などといった文脈で観ていったほうがいいかもしれませんが……。
Action(行動)
最後はどうもコジツケ的になってしまいましたが、さらにもう1ステップ、A、Action=行動という部分があるのですが、これは要するに、読者に実際に購買行動を行なってもらうためのダメ押しといった部分になりまります。
先のポイントくださいをここにへ持ってきてもいいわけですが、ポイントくださいと素直に書いて、それでポイントあげますということにはならないでしょうから、さらなる読者への呼びかけは作品の外で、たとえば割烹などで行われていると見たほうがいいでしょう。
すると個々の作品がセールスライティングのロジックに従っているというよりは、小説投稿サイト自体がそうしたロジックに従っているということになるのかもしれません。
何やら締まらないラストになってしまいましたが、もしもネットでの新しい文章作法とセールスライティングとのあいだに同一のロジックが働いているという上記の主張が十分展開されたとしたら、その場合やはり、小説投稿サイトにおいて小説投稿サイトのテンプレを批判するという行為が、なんとも愚かな天唾行為だということが、重ねて示されることになるかと思います。
あとは皆さんで……。