ブラッド ブロッコリー
今回もいい区切りが見つからなかったので多いです。
モリモリですぜ。
闇夜。テイマーギルドで従魔登録証を貰い、船旅の準備も済ませた後、キャロルとブロッコリーは眠る鯨亭に宿を取って熟睡していた。人とブロッコリーにとって夜は寝る時間なのだ。キャロルもブロッコリーもベッドの上でスヤスヤしている。
そこから離れた夜の町中、白い建物が密集する住宅地。屋根から屋根へと、黒い人影が跳ねていた。
黒い執事服を着た老人だ。灰色の混じった白髪を携え、鋭い赤い目をしている。どこか寂れた雰囲気を感じさせ、それでいてナイフのような雰囲気も纏っていた。
彼はスキップするように軽い足取りで、されども平然と数メートルの幅を平気に越えて渡る。屋根の端から端へ、危なげなく移動を繰り返す。
その行為に深い意味はない。人が手持無沙汰になったら、指でテーブルを軽く叩くように、それは何気ない行動だった。
彼にとって、数メートルの距離を飛び歩くのは動作もないこと。呼吸の様にできて当たり前のことなのだ。
やがて彼は、近辺で一番高い建物の屋根にすたりと着地する。
そこからは眠る鯨亭が見えた。見える、と言ってもその距離は数百メートルを超える長距離。人間離れした視覚を彼は有していた。
「やはり見間違えではないな。関係者か」
目の内に魔術を発動しながら、彼は独り言を呟いた。使っている魔術は透視、目線の先はお行儀のよい姿で寝ているキャロルだ。
彼は昼の間。移動中にキャロルとすれ違っていた。その時は昼だったので、通り過ぎただけだったが、夜になって気になったので様子を見に来たのだ。
「目的はやはり解呪か? だとしたら、なぜこんなところにいる? ……いや、そうか。ナーハレスの武具か。砂より薄い可能性を、諦めきれんか」
彼はキャロルのことを知っていた。何せ、彼の主人がキャロルの姉であるキャロッテに手を出したからだ。そして、キャロルは存外有能で、彼らにとっても一様に格下とはいえない。
生半可な、同族なら手足も出ないほどには強い。種族差を軽々埋めてくるほどの戦闘力を、キャロルは保持している。
「ナーハレスの武具としたら、我が主と鉢合わせるかもしれんな。報告しておくか?」
今までキャロルが血の贄餐を解こうとするため、同胞に手を出してきたことはあった。それを退けたことも彼にはある。
そう、キャロルを観察していたのは吸血鬼だった。キャロルの姉に呪いをかけた吸血鬼を主とする者、常闇派に所属する吸血鬼こそが彼の正体。
名をペルカン・フォン・オメガッジ。吸血鬼の間でも、それなりに名が通る実力者だった。
「いや、必要ないな。あの小娘では、我が主には遠く及ばない」
偶然だが、ペルカンの主もナーハレスの武具の噂を聞きつけて、そこに向かっていた。出会う可能性はゼロではないが、気にするほどでもないとペルカンは判断する。黒竜がうようよ住む霊峰をソロで昇り切る彼女だが、ペルカンの主はそれを軽く凌駕する真の怪物だ。
わざわざ自分が向かって主に報告するまでのこともない。なぜなら、弱者は敵足りえないからだ。
この先の未来、同胞の吸血鬼に彼女は手を出す可能性もある。だが、それでも別に敵わないだろう。前にキャロルから同族を守ったのは、偶然その場に居合わせたから。
もし同胞の吸血鬼が負けて死んでも、ペルカンは構わない。
キャロルの戦闘力は高いが、所詮二十も生きてない小娘。その程度に逃げ出せずに死ぬならば、とっとと死ねと言うのが彼の心理だ。
吸血鬼は完全縦社会。無能な下っ端がいくら死のうと、また生み出せばいいだけの話。むしろ、恥は消えろというのが本音である。
「……ん?」
ふとした瞬間、違和感が走った。ペルカンによぎったのは、浮遊感のような酔いのような、少しばかり気分が悪くなるような感覚。ほんの僅かだったが、優れた吸血鬼の感覚が、ずれを見逃さない。
だが、見逃さなかったのはその僅かばかりの違和感だけだった。
「一つ聞いてもいいか? お主もかな?」
「ッ!!」
後ろから声。ペルカンは感知の外からの声に、一気に警戒態勢を上げる。ぐるりと瞬時に反転して、その場に構える。そして……愕然とした。戦場であってはならないことだが、彼は驚きの余り動きが固まった。
「先程から、キャロルを眺めていたようだが。お主も……ロリコンかな?」
簡潔に言えば、ブロッコリーがそこには立っていた。
月に照らされて、ムキムキの四肢が照り返される。一メートルほどの茎と蕾の集合体。圧巻の緑。人型でありながら、人と思えない影が地面に広がる。
「……!?」
がにまたで立つブロッコリーを前に、ペルカンは何も感じない。いや、感じれない。
強いものほど、莫大な魔力や、それに準ずる力を感じられるものだが、ブロッコリーからはそういったものが何も感じられないのだ。感じる魔力だけでいうならば、人間の子供よりも低い。ドブネズミ並だ。
どうやって、私の後ろを取った? ペルカンには分からない。魔術や呪術ではない。ペルカンの知らない方法で背後を取られた。それはすなわち、戦いになれば不可視の攻撃を受けるかもしれないという事。
こいつは危険すぎる。そもそも何なんだこいつ、ブロッコリーなのか? ブロッコリー?
思考回路が混乱へと舵を取られる。ペルカンが動けずにいると、ブロッコリーが口を開いた。口ないけど。
「ロリコン……ではなそうだな。なぜキャロルを見ていたかは知らんが、余り隠れて覗くものではない。目的があるなら、素直に話したらどうだ? 吾輩が聞くぞ?」
ブロッコリーがフレンドリーに話してくるが、ペルカンには答えられない。素直に話せば、敵情視察という事になる。どうなるか分からないが、よくは思われないだろう。
かといって、適当に御託を並べて煙に巻くというのも憚れる。
ペルカンが演技を下手なのもあるが、吸血鬼とは他を圧倒する傲岸不遜な生き物とペルカンが思っているからだ。相手に合わせる、すなわち相手に媚びるなど、ペルカンは絶対的な理由がなければ、欠片もしたくはない。
数秒迷って、ペルカンは決めた。このブロッコリーの目的なんぞ知らんが、吸血鬼たる自分に他種族が話しかけているだけで、ある行動に値する。ある行動と言うのは
「ブロッコリー、今から貴様を……殺す!」
「な、何故に!? 吾輩は悪いブロッコリーではないぞ!?」
「私が決めたのだ。お前は良く分からない。ならば、ここで殺しておく。不確定要素は消すに限る。消せばなかったことに出来る。歩くブロッコリーなど、私は見てないことにする」
「思考が短絡的である! もっと考えて欲しい、ブロッコリーについて! ブロッコリーは、決してダークサイドではないのだ」
「うるさい! 私は吸血鬼だ! ブロッコリーなんぞ、敵ではない!」
ブロッコリーに後ろを取られたという事実が、ペルカンの吸血鬼的思考を後押しした。
とりあえず気に喰わない奴は殺っとこうぜ! この考えが、一般的な吸血鬼の思考だ。
「ふん! 血晶武具・吸液鋭鎌」
手の甲にある皮膚を突き破り、血の刃が出現する。赤黒い刃は複数の鋭い突起を持つ歪曲した剣だ。その長さは、一メートルを超える。
血を操作して武器する、吸血鬼の一般的な基礎技術。それが血晶武具、どこからでも生み出せる利便性に長ける吸血鬼の武器。その性能は、本人の血に依存する。
すなわち強い吸血鬼が使えば、強い。単純だな!
上位の吸血鬼であるペルカンの刃は、そこいらの金属程度なら真っ二つにする。オリハルコンにも匹敵する硬さと粘りを持つ剣だ。並では一合受けることすら敵わない。
「スラッシュ!」
上から下に鋭く早急に振り下ろされる刃。黒竜の首も一刀両断する一撃。それが、武六コリのもっこりした上の方にぶつかり……ぽっきりと折れた。
ひゅんひゅんと虚しく軽い音が響いて、折れた軒先が屋根に刺さる。本体から離れた影響で結晶化が維持できず、べちゃっとなって剣は解けた。
「……は?」
理解できない。なぜ、ブロッコリーに硬度で負けるのか。これが魔力を体に流して身体を強化する魔闘術や、魔法で単純に防御力を高めたのならまだわかる。だが、ブロッコリーは素だ。
素の状態で受け切った。
「うむ、良く分からないが敵だという事はなかった。少し懲らしめてやるのである」
ブロッコリーはどうやら、この吸血鬼とやらが自分とは相いれない存在であると知る。
もしかして、パンツ泥棒が下見でもしていたのではないか? だから逆上しているのではないか?
「物理が効かないのならば、魔力で攻めるだけよ!」
ペルカンが一歩で数メートル後方に下がり、天に手を掲げる。手のひらから血が噴き出し、夜空に舞う。宙に浮いた血液が高速で混ざるように蠢き、あっという間に空に円を描いた。
血で描かれた魔術陣。血を媒体とし、状況に適応した魔術を即座に発動させる、吸血鬼の中でも出来る者は少ない高等技術。
ブロッコリーは野菜、つまり火が効くか? という想いから、作り出されたのは炎の魔術陣。
無数の魔術言語で書かれた円の中心から、火球が現れる。炎は中心に向かって凝縮し、続いて吹き付けるかのように、指向性を持ってブロッコリーに降り注いだ。
「竜をも超える吸血鬼の竜の息吹! 得と味わえ!!」
竜の息吹をもして作られたその攻撃の名は、名の由来通り竜の息吹。だが、その威力は魔術に込められた魔力や媒体によって大きく変わる。ペルカンが放った一撃は、黒竜が放った息吹を優に超える威力だ。もし地上に激突すれば近隣もろとも吹き飛ぶ。このままでは家の三十軒ほどが、ボンバーだ。
「物騒であるな。街中だぞ」
蹴り。ナイスフォームでボールを蹴るように、炎の奔流を蹴りあげるブロッコリー。蹴り上げた風圧に竜の息吹が、跳ね返される。反射した竜の息吹は、下から上へと行き先を変え、空に登って来た。
「ば、馬鹿な!? なぜ、ブロッコリーに炎を打ち返せる!? 訳が分からん!!」
「ブロッコリーだから、跳ね返せるのだ。ブロッコリーへの理解が、浅いようだな」
「ふ、ふざ――――」
直後、ペルカンの側面に裏や拳が直撃した。蠅でも打ち払うかのような動作だったが、とんでもなく重い。まるで黄金の大地が直撃したかのような、内部に届く深い一撃だ。
吸血鬼は体重そのものは、人と変わらない。重さを変えるような操作をしてなかったペルカンは、軽々しく吹っ飛ばされた。勢いそのままに、外壁を越えて町の外の草原に頭から不時着した。
「ごはっ、ごっごごほっ!?」
ゴロゴロと大地を転がるペルカン。土が口の中に入ってまずい。彼は吸血鬼なので、ブロッコリーのように土は食べれないのだ。
転がり続けて勢いの減ったところで、ペルカンは背中から翼を生やしてバランスを取り、体勢をとる。血液を擬似的に他の生物に変化させる群体化という技術の応用だ。
本来は蝙蝠の群れに変身するところを、人の大きさで使える蝙蝠の羽に変えたのだ。
不時着したペルカンが、地面に片膝をつく。ひと時遅れて、口から血の塊を吐いた。
「ごはっ、ぐほっご、がはっ」
吸血鬼は不死の生き物だ。血の力がある限り、何度でも再生し復活する。そのため、銀や太陽光といった弱点を突かない限り、基本的には倒すことが出来ない。
だが、他にも倒す方法はある。ごり押しだ。何度でも復活するなら、何度でも殺せばいい。
上位の吸血鬼ともなれば、平気で数百回蘇るため、とても現実的ではない。しかし、その現実的ではない状況が、今起こっていた。
「……ありえぬ! あれだけで私の血が半分も削られただと!?」
急速に血が減った影響で、身体が耐え切れず右手が液体となって溶けだした。普段では考えられない状態だ。
ただ殴られただけで半分以上の血が消える。すなわち一撃で数百回死んだということ。
「ぐっ!!」
神経を回復に集中させて、ペルカンは何とか実態を保つ。ただ強いだけの一撃なら、貫通して一回の死ですむ。そのことから、絶妙に響く強さのとんでもない神業で殴られたと判断する。魔力らしきものは使ってなかったし、そうとしか考えられない。
はたしてそれがあってるのかどうか、ペルカンが不安になっているところで気づく。
いつまでたってもブロッコリーが来ない。別にデートの約束をしている訳でもないので、来なくてもおかしくない。おかしくないが、何故来ないのか。上位の吸血鬼に殺し合いを売られて、何故追撃に来ない。
「……まさか、私程度を追いかける価値もないと? く、くそ! 舐めやがってぇ!! 腐っても公爵の地位を承っている上位吸血鬼である私を、蠅扱いか!」
人は食事を楽しんでいる最中、虫が来たら不快だが適当に追い払ったらわざわざ追撃を仕掛けるという事はしない。そんなことより食事が大切だからだ。
まさにブロッコリーが選んだ選択も、それだった。ペルカンは知る由もないが、ブロッコリーからしてみたら、パンツ泥棒未遂が逆上して襲い掛かって来たので、適当に手加減して追い返した。ただそれだけにすぎなかったのだ。
半分以上の血の力を消費させられたとはいえ、生きていくだけなら吸血鬼にとって何も問題はない。懲らしめられた、というのが今のペルカンに適した表現だ。
忌々し気に町の方角を見つめる。怒りで熱くなったが、すぐに冷静になった。どう考えても自分ではブロッコリーに勝てない。見逃されたのであれば、下手に関わらなければいいだけのこと。プライドはバッキバッキだが、命には代えられない。
「あのブロッコリー、小娘のことを気に掛けていたな。昼間に小娘とすれ違った時は見間違いか、太陽の下ゆえの幻覚かと思ったが、まさかあれはブロッコリーだったのか? だとしたら……!!」
彼は気づく。奴らの目的が聖人ナーハレスの武具だとしたら、一つの可能性がある。
ペルカンの主である吸血鬼もちょうどいま、ナーハレスの武具を求めてフェーリエン諸島に向かっていたのだ。このままでは、ブロッコリーと我が主が鉢合わせることになるかもしれない。
「まずいな。あのブロッコリー、得体が知れない。……いや、本当に何なんだ? とにかく、不敬となるかもしれんが、ブロッコリーに備えて我が主に警告しなければ」
両手を広げて、まるで木を彷彿させる動きをするペルカン。腕を気の枝に見立てて、ぶら下がるように蝙蝠があられたかと思えば、次々に飛び立って闇夜に消えていく。
やがて黒い流星の様に、蝙蝠の群れは主がいるはずのフェーリエン諸島へと飛び立っていくのであった。