真夏の夜の夢
夏が好きだった。
夏休みがあるし、プールもある。
昆虫採集も無我夢中でやった。
暑さが味方のように焼け焦げる肌も、したたる汗も、影と日向のくっきりとした境も楽しめた。
今や労働に勤しむだけの大人になると、夏はなんとも鬱陶しいだけの季節に成り下がってしまった。
冷房がきいた室内と外の温度差に頭痛がするし、汗だくのワイシャツが不潔に肌に貼りつくし、口を開けば「暑い」しか言うことがないのだ。
夏の夜のイベントは花火だ。
なかなか日が暮れない夏の夜、親や兄を急かしてまだ明るい薄闇の中、庭で手持ち花火をぐるぐる回して遊んだ。
危ないでしょ、と注意する母親の言葉を無視し、兄と笑って次の花火をロウソクの火へ押し付けた。
労働に疲れ切った夏の夜は、シャワーを浴びてビールを飲んで寝るだけだ。
遠くで打ち上げ花火の音だけが聞こえる。
俺はシーツの隙間で微睡ながらあの頃を思い出す。
堤防にもたれて海上花火を見ているキミを両腕で囲って、キミの後頭部越しに扇型に花開く色とりどりの火花を眺めた。
後ろから人波に押されてもキミだけはつぶされまいと必死で両腕と両足を踏ん張っていた。
花火の綺麗さよりもキミの後頭部のシャンプーの香りが俺の意識を魅了した。
あのシャンプーの香りはもう俺の両腕の中にはとっくにないのだ。
悲しくもないのに涙がひとすじこぼれる。
キミの笑った顔が鮮明に頭の中で生き返る。
もうどんな顔かも忘れかけていたのに。
今さらはっきりと思い出してしまったら……
また好きになってしまうではないか。
一際大きな花火の音が連発で聞こえる。
真っ暗な寝室で目を閉じている俺の中に、あの時の海上花火のクライマックスが映し出された。
不意にキミが俺の方を振り返る。
「すごいねぇ!!きれいだねぇ!!」
花火の音に負けじとキミが俺に言う。
満面の笑みで。
「そうだね」と、言い返そうとしたら、胸がつまって頷くことしかできなかった。
それでもキミは満足そうに頷き返して俺にキスをした。
誰も花火に見惚れて俺たちのことなんか知らない。
一秒にも満たないかるいキス。
意地悪そうに笑うキミは前に向き直る。
爆音と煙と何色もの閃光。
力の入った両腕、両足。
その夏は俺にしっかりと刻まれた。
夏が好きだった。
キミが居た夏が。
キミが居ない夏。
キミを思い出してやり過ごしている。
静かになった外に耳をすまして、俺は目を閉じた。