007 反撃の狼煙
教官の一撃と不運によって、俺は車椅子から投げ出されてしまった。
車椅子は片輪走行の状態から、かろうじて倒れはしなかったけど、遠い場所まで行っていた。
ただ不幸中の幸いか受身のスキルが発動したことで、怪我らしきものはなかった。
だけど槍は少し離れた場所にあり、助けに来ようとしたウールが教官に足止めをくらい、モールを救出する為こちらに背を向けた。
「俺のせいだ……」
ウールの指示を無視し、教官の挑発に乗ってこのザマだ……。
今の俺は、周りからどう映っているのだろうか?
何で俺はゲームの世界に来てまで、こんな目に合っているのか……。
槍に伸ばしかけた手が遠く感じる。それはまるで『もう諦めたらどうだ?』と囁いているように思えた。
キャラクターメイクの時に、少しだけ耳に入ってしまった気持ち。
どこか諦めにも似た境地は、垂れ下がる耳にも表れていた。
「俊ちゃん!」
こんな時にまで聞こえてくる沙也加の声。
泣きそうな震える声なのに、やけに耳に届く感じは、昔を思い起こさせるものだった。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
俺と沙也加の関係は、お隣さんで幼馴染だ。
うちの家族が引っ越してきたことで親同士が仲良くなり、沙也加とはすぐに一緒に遊ぶ友達になった。
田舎の建売住宅で、両親はまだ若いのに無理して購入したと思う。
沙也加の家にはバスケットゴールがあり、梶塚家のパパは学生時代にバスケをやっていたらしい。
その影響か沙也加には、すぐにゴムボールが買い与えられていた。
練習相手は俺と、うちの愛犬ウーちゃん。シベリアンハスキーの子犬で、最初は玉蹴りしていたのを思い出す。
加減が分からなく、俺が全力で蹴ったボールをウーちゃんが方向を変え、沙也加の顔面にヒット!
それからサッカーもどきは、俺達の間で禁止になっていた。
「いっぱい食べてね!」
「いつも、うちの俊介の面倒をみてもらって……」
「いえいえ、こちらこそ。あ、これビールです」
「これはこれは、ご丁寧に……」
うちには家庭菜園が出来る広い庭があった。
料理好きな母とお酒好きな父は、庭でたまにバーベキュー的なイベントを催していた。
父曰く「酔っても大丈夫」らしく、母曰く「経済的」だそうだ。
そんなイベントによく来てくれるのが、お隣の梶塚家のみんなだった。
たまに遊んでくれる沙也加パパは俺にとってヒーローで、その話を父にすると落ち込むので、こういう機会は子供心に嬉しかった。
そして何故か沙也加パパに話しかけると、沙也加が拗ねていたのを思い出す。
俺にとってお隣の梶塚家は、もう一つの家族のようだった。
ただ、うちの庭でボール遊びをすると母が……。こういう事ばかり思い出すのは、何故なんだろう?
公園で遊んでいて上級生にボールを脅し取られた時は、二人して泣きながら帰ったこともあった。
母に「どうしたの?」と聞かれ、急に恥ずかしくなったのを思い出す。
あの時はウーちゃんを連れて、沙也加を後ろに守りながらボールを取り返しに行ったのは恥ずかしい思い出だ。
結局、ボールは公園に落ちていた。上級生達の姿はなく、さすがに持ち帰れなかったんじゃないかと今なら分かる。
「俺って、こんな性格だっけ?」
小学生から始めたバスケは、最初沙也加の方が熱心だった。
今も選手としては恵まれていない体だけど、その頃は特に顕著だった。
がむしゃらに突っ込み、ただでさえない体力を消耗する。
一つのボールに群がるのは小学生球技のあるあるとはいえ、今思うと相当に努力が足りていなかったのを痛感する。
「羽鳥くん。まずは、シュートの練習をしようか?」
この時の先生は『明るく・楽しく』をモットーに、上手い子・下手な子を分け隔てなく試合に出してくれた。
上級生になるとそうもいかないけど、その時の俺は何の間違いかブザービートを決めることが出来た。
その試合では負けてしまったけれど、それから俺のプレイスタイルはガラッと変わってきた。
実が結んだのはかなり後になってしまったけれど、それは偏に俺の性格が熱しやすい事に起因していた。
「良いか? 俊介。野球やサッカーもそうだけど、バスケは点を取るスポーツだ」
「はい! 監督」
「人数が少なく、スピードが命の球技。その中の花形に、3ポイントシューターがいる。お前やってみないか?」
「監督。俺、ダンクがしたいです!」
シュート練習は、やればやるだけ精度が上がるのは分かる。
レイアップも大事。でもバスケには、大技がありすぎるのだ。
ダンクシュートやアリウープ。NBAの動きは次元が違っていて、それに魅せられるのは仕方がないと思う。
シュートエリアでの圧倒的存在感と比べ、3ポイントシュートはスマートすぎるのだ。
体格に恵まれず、熱しやすい性格。
そのことを沙也加パパに相談したら、あるホームビデオを見せてもらう事になった。
それは俺と沙也加が参加した試合で、拙い投げ方なのに何故か入ってしまった、俺のブザービートの場面だった。
それからの俺は周りをよく見るようになり、その場で一瞬の空気を纏い、シュートを打つ練習をひたすらした。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「俊ちゃん、今行くね」
「来るな!」
砂にまみれて突っ伏していたけど、沙也加の一言で何故か槍まで手が届いていた。
その瞬間、尻尾がファサっと揺れたのは、俺の意思ではないと思う。
「でも、怪我してるでしょ?」
「大丈夫だ。俺が逆転してやるから、見ていてくれ!」
「ほう……。ここまで来れないようだが、どう逆転するのだ?」
ウールとモールが懸命に戦っているのに、教官はよそ見をする余裕がありありと見えた。
俺は沙也加を安心させる為に、顔をしっかり見て言葉を紡ぐ。
その隣には先生と秘書風の美人が立っていて、先生は春風のような笑みを浮かべていた。
武器はここにある。後は……、脚をどうにかするしかなかった。
「ウォォォォォン」
「気合や根性で、どうなるものでもあるまい!」
「教官、フェザーはやるって言っていました」
「フェザーが諦めないなら、俺達に諦めるという選択肢はない」
「ならば、見せてみよ。その力をもって……」
この脚が心許ない以上、頼れるのは車椅子のみだ。
でも、俺の中から生まれた車椅子は、離れた場所では消すことが出来なかった。
当然、離れていては動かす事も出来ない。
なら俺に出来ることは、這ってでも車椅子まで……絶望的な距離に一瞬気が遠くなる。
ここから教官までの距離と、車椅子までの距離はほぼ一緒だ。
木槍を支えに膝立ちになっても、ここから立ち上がるのは俺には無理だと思う。
せめて教官の意識を、二人から離すことが出来たら……。
俺は最後まで諦めない! そして勝利を引き寄せてみせる!
「ウォォォォォ、ウォォォォォン」
「……そこまでか」
「え……、うそ」
「とうとう、目覚めたようだね」
カタッ……、トッ……トットット……。
突如、クルッと反転した車椅子が、静かに動き出す。
「先生、あれって風の魔法?」
「さすが、サーヤさんには分かるか。でも、これはご都合主義のゲームじゃないよ」
「じゃあ、何で無人の車椅子が?」
「それが分かるのは、もう少し後かな? 今は、この奇跡を楽しもう」
俺は冷静に教官を見つめる。
もう迷わない、その時が来るまで逆立ちしてでも立ち向かうつもりだ。
『折れない心』――それは周囲に意識を広げていた俺に、一筋の光明を与えてくれるものだった。
ゆっくりとこちらに無人の車椅子が、段々と速度を上げて俺の方に向かってくる。
俺の前を通り過ぎようとする車椅子の、まるで暴れ馬のようなスピードに、俺は思わず左手で槍を持ち右手を伸ばした。
これは馬に引き摺られる、海外の刑罰なのだろうか?
上下にバウンドするような振動を、右手の力だけで何とか落とされないように踏ん張っていた。
こんな無理な姿勢で何とかなっているのは、根性のお陰かもしれない。
《スキル【腕力強化】を解放しました》
《スキル【曲乗り】を解放しました》
俺が欲しいのは、足に関するスキルだ。でも、【脚力強化】もありそうな気がする。
バウンドするタイミングを見計らって、左手で持っている槍を地面目掛けて思いっきり突く!
多分普通の動きなら、こんな事は出来ないだろうという事がここでは実現する。
力を籠める所と抜く所のバランスを考え、上手く車椅子に飛び乗る事が出来た。
俺の意思とは無関係に暴走する車椅子。そのコースは教官を中心に外周をグルグル回るものに変わった。
「早くしないと、二人が持たないぞ!」
「教官。ハァハァ、俺達はまだやれます」
「フェザー、まだ大丈夫だ。ハァハァ」
考えて車椅子を動かしていないせいか、槍を両手に持ち教官をしっかり見ることが出来た。
今度は教官の挑発に、気軽に乗ってはいけない。二人の限界は近いけど、機会はそう多くはないのだから。
気持ちは熱く・心は冷静に、最後にして最高のタイミングを図る。
三人の一斉攻撃と俺が突進した時の教官の攻撃は、きっと魔法によるものだ。今までの現象を考えると、属性は土か風に違いない。
「ウール・モール。教官は魔法使いだ」
「なっ……、この強さでか?」
「それで、どうするんだ?」
「呪文の詠唱をさせないようにして欲しい」
まるでドップラー効果が発生しそうなスピードで、二人にお願いをする。
暴走する車椅子は更にスピードを上げ、槍を構える為に前のめりになると、まず両足にベルトが巻かれていた
次いで胴体・両手と巻かれたが、手は引きちぎるようなイメージで振りほどいた。
すると口元を覆うように、アゴ全体がぐるっと巻かれる。もうGが凄いなんて言ってられない。
車椅子に刺さったスロットルの【騎乗】に向けて、俺の意思を伝える。
それは俺に残された、最後の攻撃の始まりだった。




