その 5. 我が家は危険が一杯
治療が始まったある日、医師から両親を連れてくるように言われた。
シングルマザーの私、同居はしていないが両親からストレスをかなり受けていると判断され、両親に私の病状を説明すると言われた。
私の母は、潔癖症といって良いくら綺麗好き。しかも、食器棚に収める位置も決まってそこにしまわないと機嫌が悪くなる。私の部屋が散乱していようものなら鉄拳が(平手ですが)飛んでくる、なんど叩かれたことか。
離婚した私は、幼い(離婚当時3歳前)息子がいるためフルタイムで安心して働くためにも、実家に近い所に住まいを決めた。その頃勤務していた会社は8時30分から17時まで、保育所には母が送り迎えをしてくれていた。そのため3時くらいには起きて掃除・洗濯を済ませ、朝食を食べさせお弁当(と言ってもおにぎりだけですが)を作り実家まで息子を連れて行き、私はそのまま出勤をする生活。
その頃から、仮面うつだったと思われる1998年までの自宅は母の影響か?鉄拳の効果か?整理整頓され、いつ・誰が来られても恥ずかしくないように片付けられていた。
この病気は、整理整頓までも出来なくなってしまう。捨てて良い物、いけない物の判断が出来ないうえに物を捨てると言う事自体が出来なくなって物が増えていく一方。
そうなると、どこから片付けて良いのかどう片付ければ良いのか気力さえなくなってしまう。
家の中は「足の踏み場がない」のことば通り、荷物をよけながら足元を確認して歩かないとつまづいてコケル。山のように積み上げられた荷物は「ガタン」といたることで雪崩を起こす。
日々家の中では、荷物と言う怪獣との格闘…と言っても、片付ける意欲を失われた私はノックアウトされてばかり。
ある意味スリルとサスペンスのアドベンチャーワールドの我が家である(現在進行形です)。