0-6(旧: 006)
村に戻る頃にはすっかり日も出て、人々が今日という日を始めていっていた。
しかし、どうもミシラバ旅団の団員達はのんびり屋のようでまだ夢の中だった。未だにギュンターとスキラ以外誰も起きていない為、二人で手分けして起こすことになった。
ギュンターはグラズを起こすと言い、代わりにライラとクロトの様子を見て来てほしいと頼まれたスキラはライラの寝ている隣の部屋へと向かう。
着替え中の場合を考え、ちゃんと三回「コンッ、コンッ、コンッ」と扉をノックをする。しかし中からの返事は無い。まだ眠っているのか、取り込み中のため返事が出来ないのか。念のために扉に耳を当て中の様子を伺う。お屋敷で坊ちゃんや旦那様、奥様の部屋に用事がある時には用心しながらお邪魔しないといけないので一通りの行為が癖になっているらしい。スキラは無意識の内に自然と一連の動作を行っていた。
中から着替えをしている音や何かをしているような音が聞こえないのを確認したスキラは意を決して扉を開けようとドアノブに手を掛ける。流石のスキラも年頃の少女が眠る部屋に一人で入るのには色々な意味で勇気が必要だった為、一度深呼吸しドアノブをそっと回そうとする。しかし鍵がかかっていた為、ドアノブは途中で動きを止めた。意を決したにも関わらず無念にも開けることは叶わず、そのまま戻ってギュンターに状況を報告する結果となった。
「ほっほっほ、やはりまだ寝ておりますか。グラズ殿はいつものことですが、ライラ殿はやはり疲れていたのでしょうなぁ。きっと鍵をかけたのはクロト殿でしょう」
陽気な口調で話すギュンターの傍らには、無理矢理に起こされて絶賛不機嫌なグラズが居た。何やらぶつぶつ言いながら嫌々着替えをしている様だったがその内容よりもスキラの頭の中は、なんでクロトが鍵を掛けれるんだ、ライラって昨日三日間寝ていたと言っていたのにまだ疲れていたのかな、もしかして昨日話している間も無理していたのかな等、疑問や心配がスキラの脳裏に過ぎる。
「スキラ殿、すみませんが宿の主人に鍵を借りて部屋の鍵を開けてもらってください。その間にグラズ殿の支度も終わると思うので」
「わかりました」
まさかのもう一度覚悟を決める必要がありそうだなとスキラは内心呟くがギュンターの頼みである。仕方が無いと心の中で自分を諭す。
スキラは一階の受付に行き、主人に鍵を開けてもらうよう頼む。一緒に旅をしている仲間だからだと断りをいれるまでもなく、ライラが利用する部屋の鍵を開けてもらうことに成功した。主人が去った後、もう一度意を決して扉を慎重に開けそっと部屋に入る。一人と一匹が一晩過ごすのには少し大きすぎる部屋の窓際にあるベッドには、愛くるしい寝顔のライラと寄り添う様に眠るクロトがすうすうと気持ち良さげに寝息を立てていた。
スキラは可愛らしいその姿を覗き込む様に見た。
スカイブルーのナイトウェアと掛布団から出た華奢な手足からはきめ細かな素肌が露わになっている。染み一つ無いその陶器の様な白い肌に見惚れたスキラは、思わずじっと見てしまう。どんな感触か触ってみたい衝動に駆られ、思わず振るえる手を少しずつ近付ける。背徳感と緊張でドックンドックンと心臓が激しく高鳴るのを無視し、慎重に震える手をもう少しでその肌に触れてしまう距離まで近付けた。
スキラを我に返らせたのは「くぅーん」という鳴き声だった。
慌てて手を引っ込めたスキラは鳴き声の主を見ると、そこにはいつ起きたのかは分からないがこちらをじっと窺うクロトの姿があった。軽いパニックに陥ったスキラは思わずクロトに必死に言い訳をする。
「いやっ、あのね、これは不可抗力で!! いや、綺麗な肌だなとか思ってちょっと見惚れていただけで、決してイヤらしい目では見ていないというかっ!! 触ろうとしたのは起こそうと思ってでっ。あーっもうなんで犬のクロトに言い訳してるんだ、僕はっ!!!?」
顔を真っ赤にしている時点で完全に言い訳だった。
そう思っていましたと主張している様なものだろ、と頭の中でスキラは自分で自分にツッコミをした。天を仰いで頭を掻き毟りながら脳内で状況を整理する。見られたのはクロト相手だ、相手は犬だしバレない。何も無かったことにしようと自分を脳内で慰め、一つ大きく深呼吸をするとスキラは冷静を装い、取り敢えずライラの眠るベッドから離れ、窓にかかっているカーテンを開けた。
すっかり上ったお日様の光が部屋に立ち込める。ライラはその光に少し反応を見せるがまだまだ夢に縋りつくようだったので、「朝だよ」と声を掛けながら掛布団のかかった肩を触り、そっと小さな体を揺らす。「んん……」と少し声を漏らす。意識は少し覚醒してきたようだ。もう一押しだろう。
「もう朝食の時間だよ。今日のメニューは特製小麦のパンとサースの丘産の卵を使ったポーチドエッグと同じくサースの丘産のベーコンとミルクだって聞いたよ。早く行った方が出来立てで美味しいよ?」
「……ぅ、う~ん。食べる。出来立て、食べる」
やっぱり人間食欲には勝てないらしい。スキラの目論みは的中しライラは自ら上半身を起こし、眠そうに眼を擦る。
「おはよう、ライラ」
「うん、おはよう。スキラ……、ふあぁ」
なんとも大きな欠伸だろう。あまりにも無防備すぎると思うレベルだ。
欠伸のせいで潤んだ瞳、起きる時に服がズレ露わになってしまった右肩。先程触ろうとした肌を思いっきり見てしまい、またスキラの心臓の音は早くなる。そんなスキラにはお構いなしに、ライラは横に居るクロトの頭を撫でながら朝の挨拶をする。
「おはよ、クロ。ちょっと待ってね、ブラシングしてあげるから」
クロトは嬉しそうに尻尾を振る。ライラはクロトから視線を戻しスキラを見ると、少し困った様な表情を浮かべていた。
「どうしたんですか?」
「んっと。着替えたいんだけど……まだ、居る?」
困った様な表情のまま優しく問いかけたその言葉の意味を理解した時、顔が真っ赤になった。スキラは慌てて謝罪し、走って部屋を後にした。
「し、失礼しましたぁあ!!!!!? 今出ますっ!!」
部屋の扉を乱暴に閉め、扉の前で崩れる様にしゃがみこむ。
――――――そりゃあ起きたんだもん、着替えするよね。僕は男だしライラは女性だ。異性の僕が居る前で着替えることはないだろう。スキラの脳裏に再びあの白い肌が過ぎる。
「はぁ……」
なんでこんなにドキドキしているのか分からず、スキラはこの気持ちに戸惑った。
だが何時までも扉の前でしゃがみこんでいる訳にもいかず、スキラは数回深呼吸してこの場から離れた。立ち去る時、ふとライラの左肩から胸元辺りにかけて、白い肌には似合わない傷の様なものが見えた気がした。
――――――目の錯覚だよね。いや、今こんなこと思い出したらまた冷静じゃなくなってしまう。
スキラは脳内を朝食のことだけ考える様にし、スタスタと階段を降りて行った。
それから皆が一か所に揃ったのは15分程後、一階の食堂に着いた時だった。
寝坊していたグラズ達も髪型服装ともにきちんと整えて来ていた。大きなテーブルに全員が揃って座ると、奥から女将さんが朝食を持ってきた。美味しそうな匂いが食堂内を包み、ライラが目をキラキラさせ朝食を見つめている。全員分の朝食が揃うと一斉に手を合わせ、いただきますと号令をしてから食す。
始めにスキラはサースの丘産のミルクを口に付けた。ちゃんと冷やされていたミルクは今まで飲んだミルクより濃厚で甘い、一口だけで贅沢な気分にさせてくれる一品だ。続いてパンにバターを塗頬張る。勿論どちらもサースの丘の特産品である。サクッという気持ちの良い音と共に口の中へ香ばしいパンの香りとバターの風味がなだれ込む。外はカリッとしていて中がふんわりとした触感のパンはバターとは別にほのかな甘みがあった。それを引き立たせるように濃厚なバターが口の中で広がり、スキラを幸福感で包んでいく。
ベーコンはカリッと焼けており、コッコの卵のポーチドエッグはサラダにトッピングされていた。自家製のドレッシングをかけ、卵を崩す。半熟の黄身がドレッシングと混ざり、サラダと馴染んでいく。卵とドレッシングの相性は抜群でサラダであることを忘れる程、美味しかった。
ふとスキラは食べながらライラ達を見ると、無意識なのか自然と頬が緩み幸せそうな表情を浮かべていた。勿論スキラも例外では無かったのだが。
◇
朝食を終え、全員でサースの丘に向け準備を整え始めた。
食料などの物資の補給は帰りに再びここを通るときに済ますことにし、今は簡単な荷造りと水の調達を済ます。その際、スキラはグラズと一緒に水を貰いに行ったが一言も喋ることは無く、常に気まずかったのは言うまでも無い。
水がたっぷり入り蟹股になってしまうほど重くなった水瓶をジョセフィーヌことミシラバ旅団の愛車まで運ぶ。水瓶を運び終える頃には既にスキラとグラズの支度を待つだけになっていた様で、ライラとギュンターは【奇動車】の前で待っていた。
「ほっほっほ、手伝いますぞスキラ殿」
そういってギュンターは水瓶の片方を持ってくれたので、スキラは「ありがとうございます」ときちんと礼を言って後ろの倉庫へと運んでいく。ギュンターに倣うかの様にライラもグラズを手伝おうとしていたがグラズはそれを無視し、そそくさと倉庫の扉へ向かう。「お前は大人しくさっさと中に入れ」という無言の返事だった為、ライラは大人しく先に長椅子に座ることとなった。
水瓶を積み終えるとスキラとギュンターも長椅子に座った。グラズは寝ると告げ、寝室へと消えていった。そこでふとスキラは疑問に思う。
「あれ、今日は誰が運転するんですか?」
「今日はクロトの番だよ~。一応当番制だし」
――――――やばい、死んだかも。
昨日話で聞いてはいたが、まさか自分が乗車しているタイミングだとは。クロトは大きな犬だよ、たとえ人間並みに賢いとしても体の構造的に無理だと思うんだけど……。
スキラの頭の中は必死に狼のクロトが運転することを否定する。流石に狼に運転は無理だろうと直接的には言えず、間接的にライラに安全を確認する。
「えーっと……大丈夫なの? クロトに運転任せちゃって」
「大丈夫大丈夫。むしろ安心安全」
戸惑っているスキラを見てライラは楽しんでいる様に思えた。
—―――――なんだ、何が可笑しいんだろうか。
ライラが何を考えているのかスキラにはさっぱり分からなかった。
「ほっほっほ。そんなことより、お茶を一杯いただけますかな」
「はいはーい。スキラもお茶で良い?」
「あ、うん」
もう考えても分からないしいいや、とお茶を飲みながらスキラは考える事を止めたのであった。
三人でライラの入れたお茶を飲みながら、カードゲームをして暇を潰す。
丘までは一刻と掛からない距離だったが、クロトの運転だと聞き身構えて乗っていたスキラに気を紛らわす為にギュンターが提案したのだ。途中からはカードゲームに集中していたスキラだったが、グラズより静かでギュンターより安定した運転をしてるかもしれないと感じた。実際この二人に比べて乗り心地が良いのだ。それが道のお陰なのか、あのクロトのお陰なのか、昨日初めて乗ったスキラには全く分からなかった。しかし、ここに居る二人は口を揃えて「クロトが一番運転が上手だ」とゲームをしながら語っていた。
二杯目のお茶を飲み終え、三杯目を淹れようか迷っているうちに車が止まる。どうやら知らずのうちに目的地に着いたようであった。
もしかしてクロトは犬の着ぐるみの中に人間が入っているのではないかと思い、じっと運転席の扉に目を凝らしたがそこから出てきたのは紛れもなく見慣れた黒い毛に覆われた大きな犬だった。あまりにじっと見つめたせいかクロトに「何か失礼なことでも考えていただろう」と訴えたそうな目線を向けられたが、スキラは余計脳裏に疑問を抱くだけであった。
――――――このミシラバ旅団は本当に謎が多い団員達ばかりだ。
※2024/07/04 表記の修正や見やすい様に改行等、行いました。