0-5(旧: 005)
「移動している間に【奇動車】の中を案内するね。サースの丘とここまでの行き来は結構時間かかるからね。折角なら堪能していってね」
「うわっ!?」
「ほっほっほ。動き出しましたな」
ライラが言い終わる前に車内全体が揺れ出した。ミシラバ旅団の愛車・ジョセフィーヌが目的地に向かって動き出したのだ。
動き始めた時は驚いたが思っていたよりも実際は揺れていなかった。エドワードの付き合いで何度か馬車の荷台には乗ったことはあったが、道が悪い上に車輪もいくらか擦り減っていた為、何かに掴まっていないと振り落とされそうになったのをスキラは覚えている。だがその時に比べると今感じる揺れは可愛らしいもので、足元がふらつく事も無い。全然揺れを感じないのだ。
「えっとね。見てわかるけどここがリビングでそこが簡易キッチン、横の扉の奥にあるのがトイレやら寝室で――――」
「あの、ライラさん」
「ん、何?」
寝室へと向かう扉へと案内しようとしていたライラが振り向く。
「なんでこの【奇動車】、ジョセフィーヌはこんなに揺れないんですか?」
「えっと、それは……なんでだっけ、ギュンさん」
「ほっほっほ、それはですのぉ。車輪に秘密があるのですぞ」
長椅子に座っていたギュンターが再び説明を始める。
「――――という造りにより、揺れを吸収する仕組みになっているのですぞ」
スキラの脳が理解出来たのは最後の部分だけであったのは、ギュンターには秘密にしようと心の中で誓う。十分近く説明を聞いておいてなんだが、既に先程の説明だけでお腹いっぱいなのである。あまりの説明の長さに途中で一旦長椅子に座ったスキラに、ライラがお茶を人数分入れ差し出す。
「はい、これギュンさんとスキラくんの。後クロトにはミルクね~」
「ありがとうございます。それグラズさんの分? グラズさんって運転している最中にもお茶を飲むことって出来るんですか?」
「うん、できるよ。運転席の脇にカップを置いておくところがあるからそこに置いておけば好きな時に飲めるんだ~。一緒に置きに行こうか」
ライラは淹れたてのお茶を持って運転室の扉を開ける。ライラに続いてスキラも運転室に入る。扉の右前に椅子がありそこにグラズは腰かけていた。前方の窓は大きく進路方向の様子がよく見えた。ここまで大きな窓を取り付けたのも納得がいく設計をしていた。グラズはハンドルを握って前を凝視していたがスキラが入ってきたのが不快と言わんがばかりにクレームをつける。
「何の用だよ。ただ様子を見に来たならとっとと出て行け、気が散って運転に集中できん。事故って死んでいいなら構わねえが」
「もー、折角お茶入れてあげたのに要らないの?」
「それは要る。くれ」
「はいはい」
呆れた様にライラはグラズにコップを手渡すとスキラと共に運転室を出る。扉を閉め、くるりとスキラに向き直ったライラはスキラの腕を引き【奇動車】の中を案内する。
「さて、さっきの続き。寝室とかトイレも案内するね、こっちこっち~」
「あ、はいっ」
その後案内された寝室にトイレスペースだけでも驚きだったが、上部には細かい収納があるだけではなく、リビングスペースも寝室になることや車体の後ろ側には荷物を入れられる倉庫スペースがあることを告げられスキラはまたまた驚く結果となった。
――――――今日一日でどれだけ驚けば良いのだろうか。
◇
ジョセフィーヌ内の案内が終わり長椅子に座ったスキラらは様々な話をした。
3年前の様にライラ達がこれまでの旅の中で見てきたものや出会った人達の話、大変だった話や面白かった話等、レプリスしか知らないスキラからしてみれば全てがこことは別の世界の話であり、本の中のおとぎ話の様な話ばかりだった。
スキラもこの3年で起こった話をしたかったが、お屋敷の中の小さな世界での話になってしまった。
毎日の習慣や仕事の話、お屋敷の主人や奥様、エドワード坊ちゃんの話、スキラの他にいる使用人や下働きの話等をした。ライラ達の話に比べればちっぽけな話ばかりだったが、それでもライラとギュンターは興味深そうに聞いてくれたことをスキラは嬉しく感じ会話が弾んだ。
「爺さん、パス」
「ほっほっほ、畏まりましたぞ」
話の途中、車内の振動が止まったと思うとグラズが運転室から出て来たが、代わりにギュンターが運転室に向かっていった。ライラによると長時間の運転は危険だということで途中交代するのだという。
「おい、お前ら。暫く寝てくるから煩くすんなよ」
鋭い眼光をスキラとライラに向けて言うと、グラズは足早に寝室に向かって行った。
恐怖を感じる眼光にスキラはビクッと身体を震わせるが、いつものことなのかライラは平然と「おやすみ~」と笑顔で手を振っていた。
ギュンターが運転し始め、再び【奇動車】は動き出す。
残されたスキラとライラは長椅子に隣同士で座り、クロトはライラに膝枕をしてもらい気持ちよさそうに寝ている。スキラはライラの入れたお茶を堪能しながら、ライラはクロトの頭を撫で毛の感触を楽しみながら二人の会話は続く。話題はスキラの仕える屋敷の話から家族の話へと移っていった。
「僕は前に話した様にもう家族は居ないんですが、ミシラバ旅団の皆って家族とかはどこに居るんですか?」
「うーんと、皆誰かしら一応家族は居るかな。ギュンさんは奥さんがもっと遠くの場所に住んでいるし、クロやグラズも家族が別の所に住んでいるよ。私も弟が別の街にいるし」
「ライラさんも皆も、家族と離れて旅をしてるんですね」
「皆色々事情もあるしね~。というかスキラくん」
ライラはずいっと顔をスキラに近づける。スキラは急なことで驚き上半身のみ後ろに後ずさる。
—―――――なんだろうか、急に。何かしてしまっただろうか。
心臓がバクバクと周りに聞こえそうな位高鳴る。
「今更だけれどもスキラ、でいい? 私もライラで良いから」
「へ?」
想定外の話題に思わずスキラは間抜けな声を上げる。
「これから数日一緒だし、歳も近いしさ」
「スキラでいいですよ。えっと、ライラ」
「畏まった喋り方じゃなくていいよ、もっと気軽な感じで大丈夫」
ありがとうとにこっと微笑むライラに思わずスキラは見惚れた。可愛いと初めて女性にそう思った瞬間だった。
放心状態でいるとライラの膝元から一つ欠伸が聞こえ、スキラは現実に引き戻される。ライラの膝の上で眠るクロトから発せられたものだ。
「クロト、気持ち良さそうだね」
「スキラにもしてあげよっか?」
「え!?」
ライラの唐突な申し出に僕が大声を出してしまった為、ライラが「しぃー」と指を一本口元に持ってきて静かにする様促す。スキラは慌てて両手で口元を塞ぐ。その姿にくすりとライラは笑うと小声で話し出す。
「昔ね、膝枕をしてあげたの、弟に。今こうしてクロトにしてあげているようにね。今も一緒に過ごせる時にはしてあげるんだ。スキラにも寂しい時とかいつでもしてあげるよ。あっちで寝ている人もよく強請るんだ~」
「あっちで寝ているって、グラズさん?」
「うん、ベッドとかで座っているとよく頭乗っけてくる」
「へぇー、想像つかないや」
人は見た目に寄らないんだな、改めてスキラはそう感じた。ギュンターに奥さんが居るのも驚きだし、グラズの膝枕されている姿も二人の印象からは想像出来ず、スキラにとっては意外な話だった。
そうこう話をしている内に気付けば日は落ち、月が空に輝いていた。そして辺りは先程まではなかった静寂に包まれている。どうやら目的地に着いたようだ。
◇
車を出て外を見た。そこにはあると思っていなかったものがなかった。
「……えっと、養鶏場はどこですか?」
「ほっほっほ、ここはサース・フースという小さな村です。サースの麓という意味ですな。サースの丘はここより更に丘の上にあるのです。勿論、目的の卵もそこにありますぞ」
「なんでここで止まったんですか? 【奇動車】では上れないとか?」
「いえいえ、丘までは問題なく【奇動車】で行けますぞ。ただ、丘には畜産家しか住んでおらず、夜を明かせる宿が一切無いのです。今日はもう夜も更けているのでこれからお邪魔するのは迷惑でしょうから、宿のあるこの村の宿で一泊するのですぞ」
目の前には小さな家が広々と建ち並んでおり、その中には一際目立つ大きな建物があった。その一つは宿だとしたら他は何だろうと疑問思うスキラに、隣にいるライラが補足する。
「ここはね、サースの丘と他の町との中継地点でもあるんだよ。ギュンさんが言った通り、サースの丘には畜産家さんのお家はあるけど、お店や宿は無いの。でもそこに住む人達だって自分たちの作っているものだけでは生活出来ないでしょ? だから、一旦この村に他の町から食べ物や衣服を運んでもらうの。それを丘にいる人達は麓のこのサース・フースまで降りてきて、必要な物を買っていくんだよ」
「それなら、丘にお店とか作ればいいんじゃ?」
「うーん、それはまだ難しいと思う。丘のほとんどの土地はそこに住む人達のものになっていて、敷地いっぱいに家畜を飼っているの。それに丘までの道は長い坂道になっていて上るだけでも一苦労なんだよね。歩いて上るのが大変なのに沢山の物資を運ぶのは、慣れてないともっと大変で危険でしょ? だから、物資を取り敢えず麓に集めて下ろして商人さんや店に売ってるの」
「ここで作られるお肉や卵などは各地で人気でしてなぁ。各地の商人がわざわざ上まで行ってそれぞれの畜産農家に買い付けに行くより、一旦下に纏めて下ろしてそこから運ぶことにより、生産者と商人が互いの効率を上げている、という訳ですぞ。つまりこの村はサースの丘における商売の要ということですな」
ライラとギュンターは親切にも説明してくれた。説明が終わったところで、グラズがクロトを連れ【奇動車】から出てきた。スキラ達はこの村にある唯一の宿に向かい一夜を過ごした。
◇
早朝。
スキラは日の出よりも早くに目を覚ます。坊ちゃんに仕えている間に身に着けた習慣のせいである。いつもなら軽くお庭で運動をしてからお屋敷の掃除やら、朝食の準備を始め、それから坊ちゃんを起こすのが習慣だが今夜はライラ達とサース・フースの小さな宿に泊まった為、必然的に仕事はお休みとなった。
坊ちゃんは今日きちんと起きられるだろうか、そう思いながらスキラはベッドから体を起こす。スキラの右側にあるベットにはグラズがたくましい腹筋を露わにしながら、だらしなく寝ている。その更に右側、入り口に一番近いベッドにはギュンターが寝ていたのだが既にその姿は無く、ベッドも綺麗に整えられていた。
――――――ギュンターさんも早起きなんだ。
窓のカーテンの隙間から外を眺める。まだ太陽は顔を出してはいない。まだまだ冷え切っているであろう外には仄暗くも日が沈むときにはなかった新鮮で静かな光が漂っており、朝露も蓄えられて今か今かと輝きの時を待っていた。
スキラはうんと伸びをしベッドから出て身支度を整える。服を着替え、寝ぐせも整えたところで目覚まし代わりに散歩でもしようと上着を羽織り、二階の部屋を後にする。
外へ出ると空気が冷たく肌に刺さる。しっとりとした空気は起きたばかりの身体には心地よく、徐々にスキラの意識は覚醒していった。
昨日通った道を辿り、村の外れへと向かう。村の入り口にある素朴な木の門の麓に長い白髪を垂らし少しボロボロな草木で染めたような苔色のコートを羽織った男性が佇んでいた。まぎれもなくこの男性がギュンターであることは、声を掛けるまでもなく分かった。スキラの足音に気付き振り向いたギュンターは少しの驚きを見せてから、優しく微笑んだ。
「おやおや、お早いのですなぁ」
「ええ、まあ職業柄とでもいうんでしょうか、いつもこれくらいの時間になると目が覚めてしまうんですよ。いつもならこれから水回りのお掃除をしている頃ですかね」
軽く冗談を混じえるとギュンターさんは「ほっほっほ」と笑い、「偉いですのぉ、ちゃんとお仕事をされて。このじじいは年のせいもあってかこ早くに目が冴えてしまうのですよ」と微笑んだ。そしてスキラに一つの提案をした。
「よろしければこれから村の外を少し散歩しようと思うのですがご一緒にどうですかな?」
「はい、喜んでご一緒させてもらいます」
スキラとギュンターは並んで歩きだす。二人はたまに会話をしながら朝の静けさに身を委ねた。
こうして遙かに年の離れた人と並んで歩くのはスキラとしては貴重だった。幼い頃から屋敷で働いていて、年上と言ったら屋敷で働く全ての人がスキラより年上なのだが、一緒に行動すると言っても後ろをついていくだけであった。親子のように並んで歩いたことはスキラの人生の中で初めての体験だった。
—―――――おじいちゃんってどんな感じなのか分からないけど、もしいたならこんな感じなんだろうか。なんかこう、温かい安心感というか気持ちが落ち着くといった、のどかな気持ちだな。
村の近くにある森を抜け、坂を上った先にはサース・フースが一望できる小さな丘があり、村を挟んだその向こうには最終的な目的地のサースの丘があった。結構歩いた様で、太陽がサースの丘から半分ほど顔を出し、日の光が少しずつ人々の営みを照らしていく。それはとても幻想的で神秘的な光景で、この広い世界の一瞬しか味わえない綺麗さを見ているのかも知れないとスキラは感じた。
「どうですかな、ここからの景色は。このじじいはここから見る日の出が好きでしてな。この村で一泊した朝には必ずここまで足を運び、この美しい景色を眺めているのですよ」
「気に入っていただけましたかな?」
「もちろんです」
微笑むギュンターにスキラも笑顔で返す。いつもは仕事に費やしてきたこの時間にはこのような使い方があるのだと知り、スキラはますます世界が広がった気がした。
※2024/07/04 表記の修正や見やすい様に改行等、行いました。