0-2(旧: 002)
※2024/07/04 表記の修正や見やすい様に改行等、行いました。
――――――この人達、悪い人には見えないけど……本当に大丈夫かな。
スキラは歩きながら今更だが彼らが不審者ではないか、怪しい詐欺師ではないかと不安になり始めていた。初対面の相手が下働きに優しくするだけでも信じられないというのがスキラの認識である。
スキラはじーっと少女と老人を見つめる。
変わった見た目をしているよなとか思っちゃ失礼だよなと思いながらも、気になってじっと見てしまう。彼らの見た目や容姿はスキラの住むこの辺りの街や村出身の者とは異なっている。この辺りに住む者達は金髪で金の瞳をした人が多いが、二人とも明らかにこの辺りの人種とは違った。
ライラと名乗った少女の見た目は一言で言うなら美少女だ。
整った顔立ちをした可愛らしい美少女ではあるが、この辺りでは絶対に見たことがない見た目をしていた。白い肌に長い暗灰色の髪、空よりも蒼い色をした瞳というだけでもこの地域には絶対にいない人種の特徴をしている。更に青地に金糸の刺繍が入ったワンピースとアイボリーのポンチョに、紅い髪飾りをしているから尚更目立っていた。背はスキラよりも少しだけ高いが、同い歳か少し上位の年齢にスキラには見えた。
ギュンターと呼ばれる少し老いた男性は逆に褐色の肌に白髪に髭。目は弧を描く様に細められていることが多いけど、さっき目を開けていた時の色は綺麗なハチミツ色だった。白いシャツに茶色のパンツ姿までは普通の恰好なのだが、何故か上に少しボロボロな草木で染めた様な苔色の裾の長いコートを着ており、これで身だしなみが正されてなければ物乞いの様に見えるだろう。下働きのスキラから見ても彼が一人で居れば、物乞いか貧相な年寄りに見えていたかも知れない。
――――――見た目も年齢も異なる二人が一緒に歩いているのだ、不審以外の何者でもない。そんな彼らに事情を話し、これから医者として来てもらうって大丈夫なのか、本当に。
心配や不安が顔に現れていたのか、はたまたじっと彼らを見ていたのに気付いたのか、ライラが苦笑しながら大丈夫だと諭した。
「そんなにじっと見ても何もでないよー。まあ色々気になるんだろうけど」
「ほっほっほ。もしこのじじいが詐欺師や強盗なら、スキラ殿は今頃格好の餌食なのですぞ」
「え! あ、確かに」
「まあ不審者か~。私もギュンさんの見た目もこの辺りじゃ珍しいもんね。まあ安心して? 君が泣きながら困ってた、だから助ける。動機はそれだけだよ」
「これも何かの縁ですからのぉ」
にこりと笑う二人にスキラは疑ったことを後悔した。下働きとして働き始めてから久々に人の無償の優しさに触れた気がする。スキラは疑ったことを誠心誠意、二人に謝る。
「ごめんなさい! 僕ちょっと疑ってました!!」
「あー、いつものことだから気にしなくていいよ。よくあるんだよね~」
「ほっほっほ、普段ですとあの方が事件を起こしてくれますからのぉ」
「あの方って?」
スキラが聞き返すと二人は顔を見合わせて、『クズなうちのリーダー』と苦い笑みをこぼした。スキラは何となくきっとロクでもない人なのかなと、これ以上詮索することを止めた。二人から察して欲しそうな空気を感じたからだ。沈黙した為か微妙な空気が流れる中『そういえば』とライラが話を変えた。
「今更だけど今から行く家ってなんて何処なの? その怪我ってどんな怪我?」
「えっと、バニス家と呼ばれるこの街の領主様の家で僕が使用人として働いている家です。今回怪我したのはそこの坊ちゃんで、怪我に関しては言い辛い話なんですが…………うちの坊ちゃんとご友人が剣で戯れていて……芝生に足を滑らせて転んで、その時少し足を捻られた様なののと刃先が少し当たって指先を軽く切ったレベル……です」
「「え」」
二人が聞き返すのは無理もない。
軽く切ったと言ったが本当にちょっと血が流れる位に切っただけだ。紙で切るよりは深く多少血が止まり辛い、でもそこまで血が大量に流れない位の傷。転んだと言っても軽く足を捻って尻もちをついたレベル。医者なんて必要無いレベルの日常的な怪我、たかがそれだけの理由でで今回スキラは医者を探し回ってたのだ。それを聞いた彼らがきょとんとした表情で聞き返すくらい当たり前であった。
「はぁ……、まあそれ位なら余裕だね。薬草とか包帯買い足した後だし」
「ほっほっほ、では私は医者のフリだけで本当に済みますのぉ」
「あはははは……宜しくお願いします。あ、もうすぐ着きます」
◇
活気のある市場を通り過ぎ、大きなパン屋の角を右に曲がり歩くとそこには大きく豪華な庭付きの屋敷がある。この屋敷こそがスキラの雇い主・バニス家の屋敷だ。
「こっちです。先に言っておきますが、うちの坊ちゃんに目を付けられない様に本当にほんとーーーに気をつけて下さい」
「はーい」
屋敷の二階に上がり東の一番庭が見渡せる部屋、そこがスキラの仕える坊っちゃん、エドワードの部屋だ。二度扉をノックし、許しを得てから部屋に入る。そこには豪華なソファーにふんぞり返るスキラと同い年位の少年が居た。彼こそがスキラの仕えているお坊ちゃん、エドワード様だ。彼が一人でふくれっ面で居るということは、きっとさっきまで遊んでいたご友人の方は帰って行ったのだろう。
「遅い!!!!」
「おっ、遅くなって申し訳ありませんっ、坊っちゃん」
「ふん、これだからのろまは嫌――――」
また嫌みを言われる、とスキラは俯いたが何故か途中でエドワードは言うのをやめた。それに疑問を抱いたスキラはエドワードの方をちらりと見上げると、エドワードはライラを凝視していた。その視界を妨げる様にギュンターがエドワードの前で挨拶をする。
「こんにちは、私はギュンター。彼女は薬師のライラ殿と申します。患者さんは何方ですかな?」
「あ、ああ。俺だ、診てくれ。転んだ際に怪我をした、手と足だ」
ギュンターが傷口の状態を診る。化膿している様子もなくただ切れているだけの様だ。浅く薄らと血が出る程度の傷だった為、既に血も止まっていた。足の方も特にひねった様子は無く、軽い捻挫だった。
「ほっほっほ、指先は少しばかり切れただけですのぉ。足も軽い捻挫ですから二、三日安静にしていれば問題無いでしょう。薬をつけて置けば、痛みも和らぎ直ぐ治りましょう」
「今から薬を作るので少しお待ちください。あ、そこのテーブル借りますね」
ライラは近くのテーブルの前に歩み寄ると、斜め掛けの鞄から一枚の布を取り出しテーブルに敷いた。次に取り出したのは、小さな小鉢、様々な見た目の草や小さな実や怪しげな液体の入った瓶だった。それを布の上に置き、自分の前に置いた小鉢に順々に瓶から少量ずつ指先で掴み入れていく。
黄緑色の細長い草、爪程の小さな緑色の実、透明で少しとろみのある液体。それらを小鉢に入れ、擦り潰し混ぜ合わせてる。ライラの薬の調合は、まるで料理でもするかの様に手際が良く、それでいて怪しげな実験でもするかの様な姿に魅せられ、スキラは初めての光景に目を奪われた。
混ぜ合わせる度になる独特の音と独特の匂いがし出す。ライラは完成した薬を手にエドワードへ近付く。しっかりと傷口を消毒をしてから指先に薬を掬い患部に塗り、その上を布を当て包帯で覆った。エドワードは急に黒髪の美少女が至近距離に来た為、傷の事などすっかり忘れ見惚れていた。
「はい、終わり。残った薬は瓶に入れるので、布を交換する時に傷口に塗って下さいね」
「あ、ああ」
「では帰りますかの、ライラ殿」
「それじゃ、失礼します」
「あ、ああ……」
スカートの裾を軽く摘みお辞儀をすると、ライラとギュンターは荷物をまとめて部屋を出て行った。部屋に取り残されたのは未だにライラに見惚れ心ここにあらずのエドワードと、一連の流れをただ見ていたスキラだけだった。だが直ぐに二人が帰ってしまった状況を理解し、スキラは放心状態の主人を放置しライラとギュンターの後を追いかけた。
部屋を後にし、スキラは玄関まで廊下を走って行く。
途中、使用人部屋に寄りキャビネットから重みのある布袋を取り出す。これは坊ちゃんに何かあった時に使う様にと屋敷に置かれているお金の一部で、医者を呼んだりした時や坊ちゃんにお使いを頼まれた際、ここからお金を出す様にと言われているものだ。そこから数枚の硬貨を取り出し握りしめたまま、使用人部屋を後にし走り出す。普段ならば屋敷の中で走るなんて考えられない行いなのだが、今はそんなことを言っている場合ではない。早く追いかけなければ、折角スキラの為に来てもらった二人に代金を払わないどころか、感謝の言葉すらも伝えられずに別れてしまうことになる。
――――――屋敷を飛び出て屋の角を曲がる。きっとまだ市場の辺りに居る筈だ。
スキラは市場をきょろきょろと見渡す。人通りが多い場所の為見付かるか不安だったが、意外にもあっさり見付かった。普段は他人を気にせず行きかう人々が何故か立ち止まり、一ヵ所に視線を向けていた。そこには先程の笑顔で揚げ菓子を紙袋に溢れんばかりに買っているライラとそれを優しく見守るギュンターの姿があった。周りがなんだあの揚げ菓子の量は、と言いたくなる程の揚げ菓子を抱えたライラがある意味目立っていたのだ。
大量の揚げ菓子を受け取り、店から去ろうとするライラたちをスキラは追いかけライラの服の袖口を必死に掴むと息切れし呼吸も整っていない状態のまま呼び止める。
「――――待っ、て。待って、下さい!!」
「ほえ?」
きょとんとした顔で振り返ったライラとギュンターにスキラは謝罪を口に出したかったものの、上手く呼吸が整わずはあはあと口で息をする。その様子に驚きながらもライラとギュンターは顔を見合わせ、意志を疎通させるとスキラの腕を片腕ずつ引き、路地裏に誘導した。
スキラの呼吸がちゃんと整ったのは、路地裏の低い塀に三人で座った頃だった。握っていた数枚の硬貨をギュンターに手渡す。
「えっと、これ。ぼっちゃんの治療代です。先程は凄く助かりました」
「ほっほっほ。わざわざその為に後を追いかけてくるとは律儀ですな、スキラ殿は。有難く頂きます」
「はい、これ、食べて良いよ。いっぱいあるから」
「あ、ありがとうございます」
ライラから受け取ったのは先程市場で大量にライラが買い込んでいた揚げ菓子だった。この揚げ菓子はこの辺りの庶民に親しまれる"ベネット"と呼ばれる一口サイズの丸い、小麦粉や卵と少しのハチミツで出来ている。滅多に食べる事は出来ないが、あまりお金の無いスキラにも馴染みがあり大好きなお菓子だった。
しっかりお礼を言い、手の平に乗っけた数個の揚げたてのそれを一つ指先で掴み食べる。
外は高温でカリッと揚げられ、中はふわっとした感触。噛み締めるとふわりと少しだけ入っているレプリス蜂から採れるレプリス名産のレプリスハチミツを使用しているのが分かる。
レプリスの庶民にとって、ハチミツは馴染み深い食材だ。
レプリスでは砂糖は貴重でバニス家の様な、いわゆるお金持ちにしか手に入らない高級食材である。では庶民は他に糖分を摂る手段がないかと言えば否で、レプリスにはレプリス蜂が作り出すレプリスハチミツがあり、庶民は大量に採れるハチミツを料理に使うことで糖分を得ていた。
その為、ベネットは価格もとても安く子供のおこづかいでも買えるお菓子なのだ。
ほっこりとその甘さに癒されていると隣から何とも言えない幸せそうな声が聞こえた。スキラは優しい甘さを噛み締めながら、横の二人の会話に耳を澄ます。
「んーーーー!! この優しい甘さが身体に沁みる。やっぱりレプリス産のハチミツ入りのベネットは美味しいね。食べに来て正解だよ。ね、ギュンさんっ」
「ほっほっほ。そうですのぉ、この甘さは美味ですのぉ」
「これなら後もう一袋買ってもよかったかなぁ」
「ですが、この後サイリスでサイリス魚を使ったメニューを食べるのでは?」
「それはそれ、これはこれ。別腹だよ、べ・つ・ば・らっ」
――――あれ、ほのぼの聞いていたけど何かおかしいぞ……?
スキラはふと疑問に思う。ベネットは通常5個入りで売られている。一口大だし少ないのではないかと知らない人が見れば思うだろうが、材料がハチミツと小麦なのもあるがそれを揚げる為、腹持ちがよく、大人でも間食に食べるには5個位で良い感じにお腹が膨れる。
その為、余所から来た人や子供にも買いやすい量として、適量の5個で売っている。だから大の大人が4人で食べようと思っても20個から多くても25個辺りだ。それを袋の大きさから推察するに30個は軽く買っているのに、この量を後もう一袋だと――――?
「いやいやいやいや! 食べ過ぎでしょっ!! これ、軽く大食いの人が食べても晩御飯いらないとか言うレベルじゃないか!?」
「え、これ位ならおやつでしょ」
ライラは何事もない顔で、むしろこちらが言っていることを理解出来ていない様なきょとんとした表情でこてっと首を横に傾けている。ケロッとそう告げる彼女にスキラは驚きを隠せない。
「はぁ!?」
「ほっほっほ。ライラ殿は食べた物を消費しやすい体質なのですぞ」
――――――いやいや、その説明でそうなんですかって納得出来たら苦労しないって……。でも初めて食べるみたいだし、きっと量の感覚が掴めないのかな。きっとそうだ、そうに違いない。
自分の考えにうんうんと隣で頷くスキラの考えを知らずに、ライラはパクパクと次から次へと口の中に放り込んでいく。スキラが次にライラの方を見た時には最後の一つを口に入れ、もぐもぐとしていた。そして食べ終わると手を胸の前で合わせ軽く一礼する。
「――――ふはぁ、美味しかった。ごちそうさまでした~」
「はやっ、って。えええぇ!?」
「ん、どうかした?」
「その、いやっ、何と言うか凄く食べるんだなと思って」
「美味しかったからね~」
その一言でこの件に関してスキラは考えることを放棄した。
――――――彼女は美味しい物を幸せそうに、まるで自分の周りに花でも咲かせそうな勢いで食べていた。買った物を残さず味わいながら食べ、食後にしっかり感謝を述べていた。うちの坊ちゃんの様に無駄に買って、余らせて捨てるなんてことをした訳でも無い。ならこの子の食べる量は人より多いってことを素直に認めるだけで良いじゃないか。うん。
それにしてもこんな小さな体のどこにそれが入ったのか……スキラは世の中の神秘に触れた気持ちである。
「スキラくんも温かくて美味しい内に食べなきゃ勿体無いよ。これ揚げたてが一番美味しいってお店の人が言ってたし」
「あ、はい。ですね」
スキラは残りの二個を大切に味わいながら食べる。食べ終わった後、彼女の様に胸の前で手を合わせ食べ物への感謝を述べた。美味しいけど喉が渇くなと思っていた所にギュンターから皮で出来た水袋が差し出され、スキラはお礼を言い受け取りそれを飲む。中身はレプリスの露店で売られているあっさりとしたお茶だった。お茶で一息ついているスキラにライラは質問を投げかける。
「スキラくんはなんであのお屋敷で下働きしているの? 家族は?」
「いやぁ、最初はずっと母さんと二人暮らしだったんですが、幼い頃に母さんが病で亡くなっちゃいまして……。それで母さんが仕事をしていたバニス家で下働きとして雇ってもらって、今に至る感じです。お二人はどこから来たんです? 普段は何をしてるんですか?」
「この年寄りとライラ殿は仲間達と共に色んなことをしながら旅をしているのです。それはもう、寒い国や暑い国。森や砂漠ばかりの地域にも行ったりしたこともありますのぉ」
「それ、良かったらもっと詳しく教えてくれませんか!?」
スキラは目を輝かせて、身を乗り出す勢いでギュンターに詰め寄る。スキラは冒険譚が好きなのだ。
ギュンターはスキラの勢いに驚いたがほっほっほと笑いながら次々と冒険譚を語った。合間にライラがその土地の美味しい食べ物の話や仲間との出来事を語り、スキラの心を憧れた夢の世界へ誘った。話を聞けば聞く程想像が深まり、まるでスキラもその旅に参加している様な気分になっていた。
彼らの話し方が上手いからか、食い入る様に聞いていたからか、あっという間に時間が経ち陽が沈みかけていた。
「――――はぁ。そんな国があるんですね。僕も行ってみたいなー」
「スキラくんはなんで旅の話が好きなの?」
「よくぞ聞いてくれました」
スキラはドヤ顔である本の話を語り始める。
「お二人は【アルティスナイトの英雄譚】って知っていますか? 僕が唯一持っている本なんですが、その本に出てくる聖騎士様がめっちゃくちゃかっこよくて。僕の憧れなんですっ」
【アルティスナイトの英雄譚】
有名な実話であり、世界中で彼のことを描いた本が出ている。題名に出てくる"アルティスナイト"のアルティスとは、実在する神の代理である巫女様の居られる聖なる都市でもあり浮遊都市とも呼ばれる都市の名で、そこの一人の聖騎士を元に描かれているので"アルティスナイト"と呼ばれている。実名で書かれても良い筈なのだが、モデルとなった聖騎士は自分の名前を伏せてほしいと願ったらしい。何故一国の騎士の本が世に沢山出回っているかというと、彼がこの世界を唯一救いに導くことが出来る神の代理・巫女様を見つけ出した為だ。
この世界には昔からある言い伝えがある。
『この世界は一度滅び、再生された世界である。だが神は再生する為に力を使いすぎて今は眠っておられる。だから神はこの世界を、この世界に住むすべての者たちを導くことは出来ない。だがその代わり、【神族】が常にこの世界を見守り、世界の変化や災いが訪れる際には、その度に神は自分の代理人として"神の子である【巫女】"を遣わされ世界を救いに導くであろう』と。
これは最初の【巫女】によってもたらされた言葉とされている。巫女様の言葉通り、その後世界がバランスを崩し自然災害が起き始めたり、平和に飽きた者や欲望で他国や多種の生物を侵略しようとする者が現れ戦争が起こりそうになった時にも、巫女様がこの世に誕生しそれを止めたという。だからこそこの世界の人々は【巫女】を尊敬と敬意を払い、神の代理として"巫女様"と崇め、その言葉に耳を傾ける。
巫女様が誕生する時、世界各地に生えている美しい【蒼き花】が咲く。
群生地では日中は蒼く一面を染め上げ、夜になると優しい光を放ち一面を埋め尽くす。それが巫女様の誕生をこの世界が祝っている証明だといわれている。
生誕が確認されるとその日生まれた子供の中から探しだす。神の子である巫女様が見つかると神が最初に創られたという【神族】が巫女様を保護し世話をする。そして巫女様は生まれ持った智恵とその優しさをもって、世界を導き救う。【神族】というのは、神が創られた自然の摂理の象徴であり、それを守護する神の血を与えられし古の一族とされており、彼らがいるから神が眠っている今この時も世界の摂理が保たれているとされている。
だが何故か今回の巫女様は長い間、ずっと行方不明とされていた。姿を眩まされた、死亡説や誘拐された等、色々噂もあるが真相は今も明かされていない。一時期は世界の終焉説まで流れた程、この世界に住まう者たちにとっては巫女様の不在は重大な問題だった。
そんな最中、何年もかけ無事巫女様を見つけアルティスへと帰還したのが例の聖騎士であり、その事実に歓喜した人々が後の世に英雄の話を語り継ごうと救い出すまでの物語を纏めた本が数多く出版された。内容も本ごとで異なるが大体そんな流れで描かれている。
スキラが持つ【アルティスナイトの英雄譚】では、悪人に攫われ囚われていた巫女様を何年もかけ各地を探し回り見つけ出し、浮遊都市アルティスへ帰還するまでの物語が綴られていた。
一通りの流れを熱烈に語った時、横に居たライラが遠くを見つめながらぼそっと呟く。
「憧れ、ねぇ……」
「凄くカッコイイんですよ。この本に登場する"アルティスナイト"は大人って感じでカッコイイし、巫女様も凄く美しくて女神みたいな人なんです。あ~、実物に会ってみたいっ!!」
「ほっほっほ、いつか何処かで本物に会えるかも知れませんぞ?」
「うーん、実際にアルティスに行けば巫女様は無理でもアルティスナイトには、もしかしたら会えるかも知れませんが、ここで下働きをしている限りは無理ですし。僕、実は今借金まみれなんですよ。母さんの死ぬ前にかかった治療費とか、前の家の未払いの家賃分の立て替えてもらった分とかありまして……。アルティスに行ってみるにしても、最低でもそれを払い終える頃なのでその頃にはお爺ちゃんになってるかと」
「そんなに高額なのですかの?」
「ざっとこの辺りの家一軒新築で買う分って所です。この辺り土地代も家も高いんで」
「でも借金が無かったら君は冒険に出てみたいんだよね?」
ライラはスキラの顔を覗き込む。
まるで心の奥底まで見透かされそうな無垢な蒼い瞳に真っ直ぐ見つめられ、スキラは少し動揺した。だがこのまま本心を言ってしまったら、彼らに付いて行きたいと言ってしまいそうだった。
――――――借金まみれの下働きの自分はそれを望んではいけない立場だというのに。
それを我慢する為にもスキラは話を逸らしこの場を急いで離れようと声をかけようとした時、その言葉は別の人物の声に掻き消された。
「あ、あー、僕、そろそ――――――」
「――――おい、いつまで爺さんと出かけてんだ。帰るぞ」
そこには最初にライラ達と共に居た大きな黒い動物と、三十代と思われる茶色いコートの男性が少し離れた位置からライラ達に声をかけていた。それに対し「ほっほっほ、とうとうお迎えが来てしまいましたのぉ」と呑気に微笑むギュンターと、「全く過保護だねぇ、帰り遅くなるって伝えたのに。仕方が無いヤツだね、全く」と呆れ顔でライラは小さく息を吐いた。
「あー、はいはい。今行きますよーっだ。スキラくんごめんね、迎えが来ちゃった。でもきっと君とはまた逢える、そんな気がする」
ライラは両手でスキラの手を優しく包み込む様に握る。日々の仕事でボロボロなスキラの手と違い、柔らかくて綺麗な手であった。そしてライラは目を閉じ、スキラにだけ聞こえる様に呟いた。
「――――きっとまだ君はここでやらなきゃいけないことがある。でもいつか、その足で小さな一歩を踏み出す時がくるよ。それがどんな形でどんなことでも、スキラくんは思った通りに進んでみるといいよ」
「それってどういう――――――――」
スキラの言葉を再度遮る様に遠くで「お前ら早くしろー!!」と白いコートの男性が叫ぶ。
「あ。ごめん、めっちゃ怒っているからそろそろ本当に行くねっ。――――またね、スキラくん」
「では、スキラ殿」
「あ、はい。またっ」
振り返り手を振りながら離れて行くライラとギュンターに、スキラは精一杯大きく手を振り返す。
スキラは彼女の「またね」がいつか何処かで再会出来るかもという希望に繋がっているのを根拠もなく感じた。いや、そう思いたいだけかも知れないが、それでも良いとすら思った。
彼らと別れたスキラは屋敷に戻った。未だ抜けない心の高揚感に負け、鼻歌でも歌いそうなほど破顔したままではあったが、持て余した意欲を仕事にぶつける様に普段の倍以上に真面目に働いた。普段のエドワードであれば、だらしない顔で傍に仕えるなと叱責しただろう。だがこの日のエドワードは未だライラに見惚れた影響か放心状態だった為、注意されなかった。
その晩、彼らの話を聞いてずっと昔に憧れ、夢見ていたものを想像してしまったからだろうか、スキラは彼らと旅に出る夢を見た。
――――――それは後に現実のものとなることを幼き彼はまだ知らない。