第47話 お出かけとJK
今日の空は、一面にうっすらと薄い雲がかかっている。
少しだけ暗い土曜日の朝。
「それじゃあ、いってきます」
「おう」
俺は玄関で靴を履く奏音とひまりを見送っていた。
今日は奏音とひまりだけで街に遊びに行くらしい。
初めての二人きりでの行動だ。
「傘は持っていかなくていいのか?」
「んー……。天気予報では30%とか微妙な数字だったし。仮に雨が降ってきたらコンビニで買うよ」
「そうか。くれぐれも気を付けてな」
「はーい」
良い返事を残し、二人は出て行った。
一人残された部屋に訪れる静寂。
よく考えたら、一人で休日を過ごすのは二人が来てから初めてだ。
久々の一人の時間――。
少し前までは家に一人でいるのが当たり前の生活だったのに、それに違和感を覚えるようになってしまった自分に戸惑う。
これは、あまりよくない兆候だ。
今が特殊な状況なだけで、いずれまた元の生活に戻る時がくるというのに――。
ヴゥゥゥゥン。
「うぉっ!?」
突如思考に割り込んできた、冷蔵庫が発する低い音に思わず肩を小さく震わせてしまった。
いや、冷蔵庫の音でビビるなよ俺。
でも……。
二人が来てから、こんな小さな生活音はまったく気にしていなかったんだよな。
改めて誰もいないキッチンとリビングを見ると、いつもより広く感じる。
――って、いかんいかん。センチメンタルになってどうする俺。
それより、今日の昼飯に何を食うか考えないと。
作るのは面倒くさいし……久々にラーメンでも食いにいくか?
二人にお小遣いを渡して少し寂しくなった財布の中を見つめながら、俺は昼飯の候補にする店をいくつか思い浮かべるのだった。
※ ※ ※
奏音とひまりは電車に乗り、繁華街へとやって来ていた。
「うわぁ。凄い人だなぁ」
あまりの人の多さに、ひまりが感嘆の声を洩らす。
駅前の道は、肩が触れそうになるほど多くの人でごった返していた。
ひまりのバイト先もそれなりに利用者が多い駅の近くにあるが、ここほど人が溢れてはいない。
「土曜日だしね。迷子にならないように気を付けてよー。ひまり、スマホ持ってないし」
「そ、そうだった……」
ひまりはぶるぶると震えながら奏音にピッタリとくっ付き、しっかりと二の腕を掴む。
「いや、そこまでくっ付かれると歩きにくいんだけど」
「で、でも、迷子は嫌です……」
「わかったわかった。それじゃあこうするから、もうちょい離れて」
奏音はひまりの手をしっかりと握る。
それまで怯えていたひまりの顔は、ようやくいつもの顔に戻った。
「それじゃあ行こっか」
「うん」
二人は人の波を縫って歩き出す。
今日はどこに行くかなど、具体的な予定は何も立てていない。
『ひまり! 明日バイトある?』
『えっ!? 休みだけど』
『じゃあ遊びに行こ! 二人で!』
『うん』
と、昨日軽いノリで決めたばかりの無計画なものだ。
もちろん、奏音はひまりと一緒に遊びたいという純粋な気持ちから誘った。
しかし『純粋でない』ものが混じっているのも事実だ。
ここ最近、奏音の胸の内にモヤモヤとしたものが溜まっていた。
ひまりのことは好きだ。
和輝との二人暮らしが不安で仕方なかった奏音にとって、あまりにも良いタイミングで現れたひまりは、天の使いだと思ったほどだ。
全然得体が知れなかったのに、同性というだけで安心感を覚えた初日のことを思い出す。
そう。ひまりのことは好きだ。
むしろ今は大事だ。
いつだって素直な反応で、ちょっと天然で、でもいざとなったら物怖じしなくて。
そんなひまりのことが好きな奏音でも、一つ不満に思っていることがある。
とことん隠し事をすることだ。
思えば、未だにひまりの本名を知らない。
学校のことはおろか、家がある方角さえも知らない。
そして、数日前からひまりの元気がない理由も不明のままだ。
和輝にそれとなく「理由わかった?」と聞いてみたが、静かに首を振られただけ。
ひまりと二人で街をぶらぶらとしてみることで、その辺りのことが何かわかるかもしれない――という仄かな願望もあったのだ。
二人は大通りに面する商業ビルの中に入る。
ひとまずぶらぶらとウインドウショッピングをしようということになったのだ。
服屋に雑貨屋に喫茶店にレストランにと一通り揃っているので、まず退屈することはないだろう。
「わ。見て奏音ちゃん。あの服とっても可愛い」
「おー、ほんとだ。ひまりに似合いそうだよね」
「えっ、本当?」
「うん。私はあぁいう可愛い系ってあんまし似合わないんだよなぁ」
「そう? 奏音ちゃんも似合いそうだけど」
「無理無理。無理だって」
そんな他愛もない会話を交わしながらしばし歩き続けると、紳士服売り場の前に着いた。
今までの二人なら、気にも留めずに素通りする売り場。
けれど今日は、二人同時にその前で足を止めた。
「見てこのネクタイ。ペンギン柄だ」
奏音の指が差す前には、可愛らしいペンギンのイラストがいくつもプリントされたネクタイが展示されている。
色も水色にピンクに緑に白と豊富だ。
ブランド物らしく、見た目の緩さとは裏腹になかなか良い値段が表示されている。
「こういうの、駒村さんに似合うかな?」
「あははっ。かず兄には可愛すぎるって」
「でも案外いけたりして」
「これで会社に行ったら総ツッコミ受けるっしょ」
ネクタイの前ではしゃぐ二人だが、不意にひまりの顔に影が差す。
「ひまり、どうしたの?」
「奏音ちゃん、あのね……」
ひまりはそこで一呼吸置く。
言葉に出すのを少し躊躇っているかのようだった。
奏音は促さずただ待つのみ。
やがてひまりは、静かに呟いた。
「私、どうしたらいいのかわからないの……」
「何が?」
「駒村さんのこと……」
瞬間、奏音は息を呑む。
まさか、ひまりからこの話題を振ってくるとは思ってもいなかったからだ。
「あのね、私……その……ここまで男の人を好きになったのって、実は初めてで……」
「え、あ――――」
「好き」という単語に、奏音は自分でも驚くほどドキリとしてしまった。
確かにひまりの気持ちには気付いていたけれど、それを言葉でハッキリと聞くのは初めてだった。
改めて言葉に出されると、とても複雑な感情が奏音の中に渦巻き始める。
「でも、たぶん私、駒村さんに相手にされていない……。そういうふうに見てもらえてない」
いつか布団の中で心情を洩らした時と、同じことを言うひまり。
それは奏音にも当てはまる。
わかっている。
和輝は『保護者』としての立場を一貫している。
それはつらいことだけど、それでも自分の気持ちに嘘をつきたくないのもあって――。
ひまりの揺れる瞳を見つめながら考えていると、さらに彼女は言葉を継いだ。
「まだ、大人じゃないから……」
力なく笑うひまりの顔は、とても悲しくて苦しそうだった。
そして奏音も苦しくなった。
和輝に直接言われたような錯覚を覚えた。
そしてここ数日、ひまりの元気がなかったのはそのせいだったのかと合点が付いた。
自分が席を外したタイミングで、何か和輝に言われたのだろう。
てっきりバイト先で何かあったのかと思っていたが、ひまりがここまで落ち込むのは家のことか和輝絡みしかないよな、という考えに至った。
「…………」
しばし二人は無言で見つめ合う。
ひまりも奏音が和輝に抱く気持ちには気付いているはずだ。
だからこそ、奏音は何を言えばいいのかわからなかった。
ただ黙っていると、どんどんマイナスの感情が大きくなってくるのがわかって――。
「あーもう! やっぱ私こんなん苦手だし!」
突然奏音は大きな声を出すと、ワシワシと乱暴に頭を掻く。
「え、奏音ちゃん?」
「ひまり! 気分転換に何か甘い物食べよ! パフェとかパフェとか、パフェとか良いんじゃないかな!」
「……どうしてもパフェが食べたいんだね」
「と、とにかく! 糖分を補給してちょっと落ち着くよ。行こ!」
奏音はひまりの手を取って歩き出す。
手を握る強さは先ほどよりもずっと強い。
その乱暴さは、今のひまりには嬉しいものだったのだろう。
彼女が少し笑っていたことに、しかし前を向いていた奏音は気付かなかった。





