第35話 作戦会議とJK
※ ※ ※
「ただいまー」
「奏音ちゃんおかえりー」
学校から帰ってきた奏音を、ひまりが笑顔で出迎える。
今日はひまりはバイトの日だったが、先に帰っていたらしい。
「あのね奏音ちゃん。ちょっと話したいことがあって……」
「ん?」
おずおずと切り出すひまり。奏音は首を傾げる。
雰囲気から察するに真剣な話だろうか。
奏音は鞄をリビングに置いてから、ひまりと並んでソファに座る。
「話って何?」
「うん、あの――。駒村さんの誕生日、どうしようかなと思って」
「あっ――」
思わず奏音は声を上げていた。
この間友梨が来た時に、和輝の誕生日がいつなのかそれとなく聞いていたのだ。
そして、得た回答は6月7日。
もう間近に迫っていた。
たぶんケーキは友梨が用意するのだろうなと、ほぼ確信めいた予感があった。
奏音は、友梨も和輝に気があることを感じ取っている。
そうでなければひまりのことを知った時、もっと強く責めていたはずだ。
それに和輝と会話している時の友梨の表情が、何よりも彼女の気持ちを物語っている。
少し恥じらいがあって、弾んだ胸の鼓動がそのまま滲み出ているような、心の底から嬉しそうな笑顔――。
あれは、恋する人間がする顔だ。
ひまりも似たような表情になっているから、奏音にはよくわかる。
そしてもしかしたら、自分も気付かぬ内に――。
「奏音ちゃん?」
ひまりの呼びかけに、奏音はハッと我に返る。
考えていたことがことだけに、急激に恥ずかしくなってしまった。
「あ、ごめんごめん。かず兄の誕生日ね。うーん、本当どうしよっか?」
誤魔化すように奏音は明るく返事をするが、少し大袈裟だったかもしれない。
しかしひまりは特に気付く様子もなく、奏音と同じように「うーん……」と唸るばかり。
奏音は内心でホッとしてから、和輝の誕生日について意識を切り替えた。
「プレゼントを買うってのは無理そうだよね……」
「うん……。私のバイトの給料日は15日なので間に合いません……」
「そもそも、かず兄が喜びそうなものがわかんないしね……」
1ヶ月近く一緒に暮らしてきたが、和輝にはこれといった物欲がない――ということを感じていた。
もしかしたら時計や電化製品なら喜ぶのかもしれないが、当然二人にはそのような物を買う手持ちがない。
でも、知ってしまったからには無視することなどできない。
ちゃんと祝ってあげたい。
何より、自分が祝いたいのだ。
「ケーキは友梨さんが買うとして――私らはできることをやるしかない、かな……」
「それなら――お部屋の飾り付けはどうでしょうか?」
「飾り付けって、もしかして折り紙とかでやるやつ? 小学校のクラス会でやってたみたいな?」
「それです! 何かこう、輪っかとかを繋げたり」
まぁ、確かに雰囲気は出るかもしれない。
それに折り紙ならいつもの買い物の時に買えるし、何より安い。
少し幼稚っぽい気もするが、それはそれで味が出るかもしれないし。
「どうせだから、いつもよりちょっと豪勢な食事を作ろうかな」
「あ――。それ、私もお手伝いしてもいいですか?」
「うん、いいよ。一緒に作ろ」
承諾しつつも、奏音の心は少し複雑だった。
料理なら、ちょっとでも自分がアプローチできるチャンスだと思っていたからだ。
でも、和輝に喜んでもらいたいというひまりの心はとても理解できるだけに、断るのも憚られた。
とにかく、誕生日の方針は決まった。
「早速明日から準備しなきゃ、ですね。駒村さんに気付かれないように気をつけなきゃ」
おそらく、飾りを隠すのは問題ない。
洗面所の上の方にある棚に隠しておけば、和輝は気付かないだろう。
あそこは予備のシェービングワックスや、使っていないプラスチック製のコップなどが置いてあるだけなので、和輝が滅多に開けないことはわかっている。
「料理のメニューは、明日買い物しながら考えるよ」
「お願いします!」
和輝の好みを考えると、おそらく高確率で肉系になるだろうけれど。
(しかし誕生日、か……。ひまりの誕生日っていつなんだろ。ていうか、ひまりはいつまでここにいるのかな。いまだに本名さえ知らないし――)
ふと、奏音の頭に疑問が湧く。
その疑問は、あっという間に奏音の頭の中を支配した。
「あの、さ……」
「うん?」
「ひまりは……これからどうするの?」
「え?」
「賞に送ったじゃん? 結果はいつ出るの?」
「えっと……5ヶ月後……」
言いにくそうに答えるひまり。
奏音はそういう公募についての知識が一切ない。ただ、思っていたよりもずっと先の期間だったので驚いてしまった。
「5ヶ月後って――秋じゃん。その間さ、どうするの? ずっとここにいるの?」
「それは……」
ひまりは押し黙る。
たぶん、まだそこまで考えていないのだろうなというのは奏音も察していた。
だからこそ、その脳天気さに少し腹が立ってしまった。
「もうすぐ夏休みじゃん? それまでにはさ、決めておいた方が良いんじゃないかなって――」
「それは、わかってます。わかってるけど、私はまだ――」
ひまりの答えは煮え切らないものだった。
二人の間に沈黙が渡る。
ひまりはそわそわとして、この話題から逃げたそうにしていた。
「……ひまりは、贅沢だよ」
奏音の声の低い呟きに、ひまりは驚いたように顔を上げる。
いや、ダメだ。
これは八つ当たりだ。
家出をしてバイトまでして絵を描いて――そんな行動力があるひまりが眩しくて、自分にないものを持っているのが羨ましくて。
どうしようもないくらい、醜いほどの八つ当たりだ。
それでも奏音は、既に喉までせり上がってきた言葉を止めることはできなかった。
「ひまりには帰る家も両親もいるじゃん。そりゃひまりは酷いことをされたと思うし、親と意見が合わなくて、夢を応援してくれないのはとてもツライことだとも思う。でもっ――!」
奏音の口調は次第に強くなっていく。
(あぁ、ダメだ。これ以上は――)
奏音の頭の中で、もう一人の自分が警告を発する。
でも、止められなかった。
「私には生まれた時から『両親』なんていない! 母親しか知らなくて、その母親さえも勝手にどっか行ってしまった! 私には将来を心配してくれる親なんていないもん!」
言ってしまった。
吐き出してしまった。
奏音の目から涙が滲み出る。
持っていないものを持っているひまりが羨ましい。
それで悩んでいるひまりが、奏音には贅沢に見えてしまって。
悔しくて、羨ましくて、そんなことを思ってしまう自分が許せなくて――。
奏音の心の中では、色々な感情が混ざり合っていた。
絵の具を全色混ぜ合わせたような、綺麗ではない感情が。
ひまりはしばし俯いていたが、やがて――。
「わ、私だって! 好きであの家に生まれてきたわけじゃない!」
ひまりは強い口調で反論する。
彼女の目にも涙が浮かんでいた。
ひまり自身も、自分がわがままな行動をしていることなど自覚しているのだろう。
だからこそ、彼女は常に低姿勢だ。
それは奏音もわかっていたことだ。
「――――っ!」
ひまりは乱暴に腕で涙を拭ってから、和輝の部屋に駆け込んだ。
奏音はその場にペタンと座り込む。
酷いことを言ってしまった。
そしてひまりの言葉にハッとさせられた。
誰もが、生まれてくる家も、親も選べない。
それを嘆いたところで、ましてや人にぶつけたところでどうにもならないというのに。
罪悪感と、後悔と、やるせなさが同時に襲う。
奏音はしばらくの間、その場で静かに泣き続けた。
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