安心して下さい。あなたに復讐すると決めていますから
「私に隠れて通じていたのだな!お前は私の婚約者に相応しくない」
その言葉にレイゼラは冷めた瞳を自分の婚約者に向ける。以前の自分なら無様に泣きわめいていたかもしれない。そんな事をどこか冷めた頭の片隅で考えながらもレイゼラは微笑む。
―夢の中の自分の婚約者だった相手に―
ワアワアと余裕もなく、自分を追い落とす為に喚く相手にレイゼラはうっそりと笑う。
「安心して下さい。あなたに復讐すると決めていますから」
淡い恋心を抱いていたあなたに処刑されたあの日から。
「お嬢様、朝でございます」
その声にレイゼラこと………レイゼラ・ミーベルは目を覚ました。長い睫毛を震わせた後、身体を起こす。
「………おはよう。リゼ」
優しく微笑めば自分に昔から仕えてくれている侍女が嬉しそうに笑う。
「あら、良い夢でも見られましたか?」
その言葉に目を瞬いたレイゼラは最高の笑みを浮かべる。
「ええ。凄くいい夢よ」
そう答えながらレイゼラは侍女の手を借りながらベッドを降りた。誰も復讐する自分を思い描く事が出来る素晴らしい夢を見ているとは知らない。
そう………レイゼラには前世の記憶がある。レイゼラ・ミーベル。ミーベル公爵家の一人娘として育ち、政略結婚を決められた相手によって首を落とされた悪魔の令嬢とされた記憶が。
「お嬢様の髪は本当に柔らかいですわ」
「ありがとう」
その称賛にレイゼラは微かに口角を上げる。公爵令嬢として侍女に手伝ってもらいながら顔を洗い、着替えを終えたレイゼラが鏡台の前に腰をおろせばリゼが目を輝かせる。その姿に笑って、レイゼラが前を向けばそこには銀髪に蒼い瞳を持つ美少女が自分を見つめている。前世では侍女などあてがって貰えず、年齢を重ねる毎に艶を失っていた髪は今では輝くような艶やかさを保っている。見かけは前世のように儚げな美少女だが、その中身が以前のような人の悪意に怯えて泣くだけのか弱い少女ではない事をレイゼラが一番知っている。
“綺麗なままの私に何ら価値はない”
無実の罪で身分を剥奪され、令嬢としては言葉にしたくない程の目にあったレイゼラはそう思い至るようになった。
“呪われればいい!”
首を落とされた自分が再び赤子として声をあげた時、レイゼラは憎しみのあまりそう泣きわめいた。そして自分が再び同じ人生を歩めるのだと知って歓喜した。
―あの男に復讐が出来る―
そう知ったレイゼラはこの幸運を神に感謝したのだ。レイゼラが夢の余韻に浸っている間にも優秀な侍女によって身なりが整えられる。その事に礼を述べてからレイゼラがいつものように食堂を訪れると前世では失った家族が柔らかく笑って自分を迎えてくれるのだ。
「ゼラ、おはよう」
「おはようございます。お兄様」
「ゼラ、気分が良さそうね」
「お母様、おはようございます」
「ゼラ」
「………おはようございます。お父様」
食卓で寛ぐ家族達のそれぞれの声にレイゼラは目を細める。前世では母は毒によって自分が小さい頃に亡くなり、兄は継母が連れて来た弟にその命を奪われた。今世でそれを防いだのはレイゼラだ。母が毒殺されることを防ぐためにその犯人であった侍女に自分を虐待させる事で解雇した。実はその侍女が前世での継母で自分と兄を虐め抜いた人間だったから。
「それにしてもゼラももう卒業か。今日から最終学年になったんだね」
前世ではあり得なかった家族揃っての食事を楽しんでいると感慨深げに微笑む兄がレイゼラに声をかける。その言葉にレイゼラは優雅に食事を口に運びながら頷く。
「はい。お兄様。私ももうそんな年になってしまったみたいですわ」
「昔から“お兄様”と私の後をついてきたレイゼラがね」
わざとらしく肩を竦める兄は騎士服に身を包んでいる。前世では学園を卒業する年に急な病で亡くなった。それも継母による毒殺だ。
「あら。だったら、来年の卒業式に向けて準備をしなくちゃね。ね、あなた」
兄の言葉に母は穏やかに自分の夫に無邪気に笑いかける。
「ああ。そうだな」
妻の言葉に何の後ろ暗い事はないと言わんばかり頷く父親にレイゼラは冷たい瞳を向ける。昔からこの男が爵位が欲しくて母と結婚し、妻を邪魔に思っていることを自分は知っている。母は先代公爵の一人娘だった。ちなみに今世で父の浮気を知った母が責めるのを止めたのはレイゼラだ。
“お母様、彼女達には罪はありませんわ”
夫の不貞を知って泣く母にそっと寄り添い、レイゼラは天使のように微笑んだ。もちろん、あの憎き継母との間に子を作ったのは父。自分と同じ年の娘と3つ下の弟。彼らは前世では母を亡くした後、後妻としてやって来た継母と一緒にやって来た。けれども、今世では母は生きており、嘆く母を他所に子供を認知した方がいいと促したのだ。自分の不幸の種ならば、早く取り除いた方がいいという人間が多い事だろうがレイゼラはそれすらも彼への復讐へのスパイスとして残す事にした。もちろん、彼女達に復讐する事も忘れてはいない。
「お父様。でしたら、レアにも最高級のドレスを仕立てて下さいな。庶子とはいえ、彼女も私と同じ年なのですから」
あまりにも無関係を装おう男が憎らしくて、そう話しかければ父親がピクッと眉を動かす。その反応に自分を除く二人は冷めた瞳で食事を口に運びだす。
「ああ、考えておこう」
「絶対ですわよ。お父様」
甘えるように念を押しながらもレイゼラはふふと笑う。今では神の御子と呼ばれる自分は誰に対しても優しいのだ。それがたとえ本当は殺したいほど憎い相手でも彼への復讐の為なら我慢出来る。家族との一時の団欒を終えたレイゼラが次に向かうのは学園だ。ここには自分と同じ年の異母妹も通っている。しかし、別の家に住む彼女が自分と一緒に通うことはない。
そもそも今では国を守る“神の御子”としての地位を確立したレイゼラには学園での護衛の為の騎士が王家から派遣されている。仕事場に向かう兄を見送り、リゼと共に待っていると王家の紋章がついた馬車が玄関につけられる。
「お迎えに上がりました。レイゼラ様」
馬車の中から降りてきたのは騎士だ。そんな騎士を前にレイゼラは微笑む。
「今日もありがとう」
その言葉に騎士が更に一礼し、レイゼラに差し出す手を借りながら馬車に乗り込めばそこには前世と変わらぬ婚約者が自分を待っている。本来なら護衛騎士と共に自家の馬車で学園に通う筈がいつからかそこに王子が同席するようになった。
「おはよう。レイゼラ」
「おはようございます。殿下」
自分に声をかける婚約者に穏やかに笑いながらレイゼラは前の席に座る。そんなレイゼラに王子は目を細める。
「今日も元気そうで何よりだ」
「御気遣いありがとうございます」
婚約者の気遣いにレイゼラは恥ずかしそうに目を伏せる。その可憐な仕草にすらレイゼラの婚約者であるルーゼル王子は満足気に頷く。でしゃばりもせず、常に自分よりも控え目なレイゼラはまさしく理想の婚約者だった。また次期王妃としての王妃教育に関しても優秀だと噂の婚約者にルーゼルは夢中だった。そんなルーゼルの態度をレイゼラも満足気に想っていた。
“お兄様とお母様が………”
まだ3歳の自分が突然、泣きわめいたのは本来なら母親が毒殺される1ヶ月前。幼い娘の泣き声に気づいた母親と父親にレイゼラは舌足らずな口調でそう訴えた。もちろん、その前に母親を毒殺する女は追い出しており、父親がそれをこっそりと囲っている事も知っていた。だから、わざと夜に夢を見たと泣き出した。その騒ぎに最初は半信半疑だった母親を心配した長年家に仕える老執事が母親の食器を銀に変えた。その1ヶ月後、銀が毒に反応すると知らない哀れな犯人は母親の食事に毒を混ぜた。それによって母の命は助かり、継母の美貌に騙された犯人は死刑になった。それ以降、ミーベル家では銀食器での食事となっている。
それ以外にもレイゼラは怖い夢を見たと言っては“神の神託”を家族に告げた。最初は半信半疑の家族もレイゼラが告げる内容がことごとく当たる為、王家に奏上した。それによって神の御子は“神の神託”によって王家…ひいては国を守る為の御子としての地位を獲得したのだ。前世の記憶を知るレイゼラだから出来る事。そんな事も知らない王子は自分が彼の理想とする婚約者を自分が演じているとは露とも知らない筈だ。以前は父親が持って来た婚約ではあったが今世では神の御子であるレイゼラを王家に取り入れたい王家からの婚約。そんな婚約を不安がってみせるレイゼラにルーゼルは自分が復讐されるとも知らずに愛を囁いてくる。
前世では考えられないほどの寵愛に周りが驚くほどに。
けれども、レイゼラは知っている。この王子が本当はどれだけ性根が腐りきっているのかも。
「殿下、私もです」
だから、愛してると囁くルーゼルに艶かしく微笑みながらレイゼラは今日も燃え盛る憎しみの炎に薪をくべるのだ。
「綺麗だわ………レアーゼ」
あれから半年後、卒業式を明日に控えたレイゼラは屋敷に招いた異母妹を前に目を細める。自分と同じ最高級のドレスを身に纏った異母妹が賛辞に恥ずかしげに目を細める姿はなんて自分好みに育ったのかと嘆息すら漏れる。これであの日の自分と同じ絶望を彼女に感じて貰える筈だ。
「お姉様」
自分と色違いの華やかなドレスに頬を染めた異母妹は慈悲深い“神の御子”を見上げる。
「ありがとうございます。こんな素晴らしいドレス」
おずおずと御礼を述べる前世の異母妹とはまったく違う反応にレイゼラの胸を高鳴らせる。だから異母妹の滑らかな頬に手を当てて首を傾げる。
「どうしましょう。こんなあなたを見せたら誰もが夢中になるわ」
血を分けた家族でありながらなんて可哀想なのとレイゼラが顔を覆えば“なんて慈悲深い”と周りの人間はレアーゼに悪意を向けた。本来なら庶子である妹が学園に通えない身分だと分かっていても家族だからと異母妹達を手厚く保護すれば流石、“神の御子”だと周りはレイゼラを持ち上げる。そんな事を知らずに前世のレイゼラのように汚れを知らずに育った異母妹は自分の賛辞に恥ずかしげに目を伏せている。
「レアーゼ、明日の卒業式が楽しみね」
普段にはない高級なドレスを身に纏い、婚約者の令息を釘付けにするであろう自分に胸を高鳴らせる異母妹の耳元でレイゼラはそう囁いた。
「いやあぁぁ~」
開いた扉の前でレイゼラは絶叫する。自分の背後では護衛騎士が厳しい表情でベッドの上の二人を睨んでいる。
「お姉様……」
ベッドの上では今まさに襲われそうになっていた異母妹が絶望の表情で自分を見つめてくる。そんな異母妹に無理やり関係を迫ろうとしていたのは自分の婚約者。前世ではレイゼラの目を盗んで二人が愛を交わしていたのを自分は断罪されたあの日に初めて知った。しかし、今世では理想の婚約者を演じていた自分に満足だった彼が異母妹と通じる理由もなく、さて“どう復讐するか”と考えていた時に前世の自分の異母妹が使った手を利用した。前世では異母妹と私を間違えた異母妹の遊び相手によって私は無実の罪を着せられた。その中に自分の婚約者も居た。
「お姉様………」
だが、今世ではどうやら色違いのドレスを来た異母妹を自分と間違えて襲ったようだ。
「汚らわしい……」
二人が通じあっていないと分かっていながらもレイゼラは前世異母妹が口にした言葉を贈ってやる。その言葉に異母妹が震えだす中、レイゼラは身を翻す。
もちろん目指すのはあの日の舞台。
「レイゼラ、待ってくれ!」
あの日、呆然とする自分を引きずり出したのは婚約者の護衛騎士。しかし、今日は私が彼を舞台へと引きずり出す。追いかけてくる王子を他所にレイゼラは卒業式後の舞踏会となった会場に走り込む。
「レイゼラ様!」
走り込むなり、周囲の人間が思い詰めた表情で踞って顔を覆った自分に駆け寄ってくる。
「どうされましたか?」
周りの令嬢達が気遣う言葉にレイゼラは涙声で顔を覆ったまま、口を開く。
「ル、ルーゼル様が私の異母妹と…レアーゼ………と閨を共に」
涙声のままにそう告げると周りの令嬢と令息達が血相を変える。
「レイゼラ!誤解だ!」
レイゼラが目にした光景を告げた瞬間にルーゼルも会場に飛び込むがもう遅い。走って息を切らした上、着崩れた衣装の王子に周りの人間は冷ややかな視線を向ける。そして、泣き崩れる自分を守るように周りの令嬢達が王子の前に立つのが指の間から見えた。その周りの圧にルーゼルがたじろいだ時、ようやく身なりを整えたレアーゼが自分の護衛騎士に引っ立てられてくる。その姿に令嬢達と令息達だけではなく遠くで歓談していた卒業生の親達が騒ぎに気づく。
「どうしたんだ?レイゼラ」
その騒ぎを掻き分けて自分の身体を支えたのは前世ではもう亡くなっていた兄。
「お兄様………」
前世ではたった一人で耐えた場所にレイゼラの瞳から本当の涙が溢れる。あの日、あの時にこの兄が居てくれたらどれだけ心強かっただろうか。泣き崩れるレイゼラを抱き寄せた兄がルーゼルに厳しい瞳を向ける。
「殿下、これはどういう事ですか?」
「ご、誤解だ!」
追求にルーゼルが焦って首を振る中、レイゼラはその姿を無感動に眺める。もっとみっともなく泣きわめけば溜飲も下がるのに。ひたすら誤解だと叫ぶルーゼルに痺れを切らした兄が自分を申し訳なさそうに見下ろしてくる。
「レイゼラ、辛いだろうが………話してくれるかい?」
その言葉にコクンと頷いたレイゼラは突っかかりながらも震える喉から声を押し出す。少しでも油断すると笑い出しそうだ。
「昨夜………久しぶりに夢を見たのです。それはレアーゼと……ルーゼル殿下が二人で………通じあっているとの姿でした。しかし、私をお姉様と慕ってくれるレアーゼがそんな事を………そんな酷い事をするなんて考えられなくて…それで護衛騎士のラークに頼んで確認の為についてきてもらったの………そしたら」
そこで言葉を切ったレイゼラは再び顔を覆う。気をつけないと笑ってしまう。
「ル、ルーゼル殿下……ひっ……とレアーゼが………」
笑い出しそうになるのを押し殺しながらレイゼラは言葉を紡ぐ。すると全てを聞かなくても周りは無実のルーゼルを睨み付ける。
「レイゼラ、誤解だ!私は君からの手紙を貰ってあの場に……」
「そんな手紙知りませんわ!わ、私は……」
敬愛していた婚約者から濡れ衣を着せられそうになった令嬢はわっと兄の胸に顔を押しあてる。そんな妹の姿に兄が心を痛めていた時、ようやくこの場に来ていたルーゼルの両親である両陛下が姿を現す。
「何の騒ぎだ」
「父上!」
自分の両親の姿にルーゼルが喜色を浮かべる中、両陛下がまず最初に目を移したのはレイゼラだった。
「レイゼラ、すまなかった。辛い思いをさせたな」
「……へ、陛下」
その言葉に兄の胸から顔を離したレイゼラはあまりの衝撃に表情をなくしながらも力なく首を振る。
「申し訳ありません。私が……ルーゼル様を………救い上げることが出来れば良かったのですが………」
「ふむ。やはり、神の御子の言う通りだったな」
昨夜、夢に見たと今朝、陛下に対して神託が降りた手紙をレイゼラは認めた。
そう―
王子がレイゼラを差し置いて、異母妹のレアーゼと通じあっている事。そして、王子が自分の父とレアーゼを介して隣国と通じており、国を売るという嘘の神託を。自分の父親は確かに隣国と深い関係にあるがそんな事になるかは知らない。だって自分はこの後の事を知らないのだから。
けれども、長年神の御子がもたらした神託は国を守り、繁栄させた。そんな慈悲深い神の御子が嘘の神託をもたらすと誰も思わないだろう。
「まさか………神託通りになるとは」
そうため息を吐いた陛下は冷たい瞳でルーゼルを見下ろすとレアーゼを見る。
「二人を牢に連れていき、罪を吐かせろ。ミーベル公爵もだ」
そう告げる陛下にレイゼラは兄にすがりながら“ああ”と涙を流した。
―ようやく復讐は終わりを告げたと歓喜の涙を―
その後、無実の罪を着せられたルーゼルとレアーゼ、そしてミーベル公爵は何も吐けないまま処刑されることになる。家族の処刑には気が弱くて立ち会えずにいた“慈悲深い神の御子”は愛した人のその処刑の前にその慈悲を与えたという。
「ルーゼル殿下」
断頭台にくくりつけられた相手にも神の御子は“慈悲深い涙”を向けたという。神の御子を傷つけた相手に国民が怒りの声を上げる中、みすぼらしい格好の元婚約者を神の御子はそっと抱きしめた。
「安心してください。ずっとあなたに復讐すると決めていたので」
そして、慈悲深い御子の涙と言葉にルーゼルが何も言えないまま、その刃が振り落とされた。
後に神の御子は前世でも最後まで自分の無実を信じ、守ってくれようとした護衛騎士のところに嫁ぐ事になる。
そして、子供を身籠った神の御子は力を失ったと歴史書は伝えている。
いつもお読み頂きましてありがとうございます。
誤字・脱字がありましたら申し訳ありません。
なぜか唐突に降りてきたダークなお話です。
少しでも楽しんで頂ければ幸いです。