作者は読者による批判に寛容である方が良い
なろうに投稿されている小説は、どれもほとんどが素人のものです。ですから、好きに書く権利があると思います。どんなトンデモ設定だろうが、不愉快な展開だろうがキャラだろうが、作者には掲載する権利があると思います。
しかし、このサイトに掲載されているのは小説です。このエッセイを始め一部小説ではない文章もありますが、その本質は同じです。それはつまり「読者がいて初めて成り立つものである」ということです。
読者がいない文章と比較してみれば分かりやすいと思います。例えば「誰にも読まれたくない秘密の日記」といったものがあるとします。これは読者を想定しない文章ですので、ここに掲載される日記とはかなり異なった役割を持っていると思います。
対して、ここに掲載される日記は公開されるものです。その日記の中で、作者がクラスメートを虐めていることを嬉々として書いていたら、読者は「良くない行為である。あなたの行為は倫理に悖るものだ」と書くことができます。
公開されるものは知らない人に読まれるために存在しているのだから、批判されうるものだと私は思っています。だから、作者は自分の作品に対する批判を封じるべきではないと思います。自分が書いた作品にけちを付けられるのだから、されて愉快な人は少ないでしょう。
小説を始めとして公開された文章は読者に届けるために書かれています。仮に「自分がこういった話が読みたいから書く」といった動機でやっている人も、小説を公開している時点で、それは「誰かに読まれるために存在している」という小説の存在意義を内包していることになります。
読んだ誰かが全員愉快になる文章などこの世に存在しないのですから、私は作品に対する快・不快は当然だと思っています。「筆者のモチベに関わるので批判コメントはご遠慮下さいm(__)m」というのは、それが絶対的に許されない行為だとは思いませんが、あまり褒められた行為ではないと個人的に思います。
また、私は批判については構わないものだと思っていますが、中傷については良くないと思っています。作品は公開するのだから、公開した作品に対して読者は感想を言う権利を持ちます。しかし、人を傷付ける権利を人は持ちません。勿論意図せず傷つけてしまうこともあるでしょうが、相手を中傷する目的を持って書かれた感想は批判ではありません。
「キモい作品だ。こんなのを書いている奴も喜んで読んでいる奴もキモイ」などと言った、相手を傷つけることを目的とした文章は当然良くないものだと思います。これも、思ったこと即ち感想の一つではありますが、社会の大前提として出来る限りの言葉を選ぶ常識は持つべきです。
ですが、この「中傷は良くない」というのも飽くまで社会の一般常識としての話で――これは私の個人的な考えになりますが――例えこのような感想であれ筆者が完全に封鎖してしまうのは作品にとってマイナスに働くものだと思っています。言う側からしてみれば、どこまでが批判でどこまでが中傷になるかは意外と分かりにくいものです。例えばこの「キモい」がダメだとしたら、「展開がご都合で面白くなかったです」と穏やかに言おうとしていた人まで「自分の感想はダメだろうか?」と委縮してしまいます。
作者は読者に作品をあげるのだから、それがどう受け取られようとそれを否定してはならないと思います。勿論作者も人間ですので、批判されて良い気持ちにはなりません。また読者側に関しても、中傷的な言葉を選び感想コメントすることは一般的に良くない行為であり、批判されうるものです。月並みですが、お互い相手への敬意を持つことは社会を構築する人間にとって当然のことだと思います。
しかしその上で作者には、想像の世界という大きな遊び場を創り上げるある種の創造主として、できるだけ器を大きく持って欲しいと思います。自分が作った世界に後足で砂をかけて出て行く人間もいるでしょう。ですが、そのような者ばかりを気にしていたら、きっとその世界で遊ぼうとしていた多くの人をも見失ってしまうような気がするのです。そのような人間の入国を禁じれば、その世界に入ろうとしていた他の多くの潜在的住民すら失ってしまうような気がするのです。